■第十五夜:爆発する家事力(もしくは、ああ修羅場2)
昼食はククサブジの変種を挟んだ麺麭だった。
ジャガイモを叩いてハーブを混ぜ、少量の油で揚げ焼いたものがククサブジである。
たっぷりのハーブが加えられ緑色になったジャガイモ揚げ餅、と言ったところか?
今日はそこに焼かれた魚肉が加えられたアテルイの特製の行動食だ。
ジャガイモの澱粉質と、それにハーブ類の繊維質が繋ぎになってキレイにまとまっている。
そこにソース代わりの油漬けドライトマトが合わさって、みごとな味わいを作り上げていた。
さくり、もちり、ほろり。
表面、中身、魚の部分。
それぞれで触感が違うのが、またたのしい。
ドライトマトの塩気と酸味、甘みに油のコクがいい仕事をしている。
指についた油を舐め、うまい、とアシュレは賛嘆した。
アテルイの腕前は間違いなく下手な宮廷料理人を超えている。
このサブジも素朴だが考え抜かれた構成だ。
淡水魚が持つクセを見越して加えられたハーブ──たぶんエストラゴンかそれに準じたヨモギの仲間──が、独特の風味をうまく長所に変えている。
「アテルイの料理……やっぱりすごいや」
「そうだな。もとから凄かったが、なんというかここ最近の料理からは気迫を感じる。これはもう愛だろうな。そうとしか言えん」
アシュレの感嘆に、アスカが応じた。
いろいろあったが、アテルイの社会的立場はいまだアスカの臣下、副官であることはお互い納得の上で変わりがないらしい。
そのアスカが君主として評価するのだから、やはりこのサブジはかなりのものなのであろう。
「しかし……同じ女という立場からすると、これを相手に張り合うのは相当に厳しいぞ……」
ひとくちサブジをかじったアスカは、難しい顔になって呟いた。
苦いものをかじったように、眉根を寄せた。
「えっ、えと、アスカ?」
その言葉の苦さに驚き、思わず訊いたアシュレに、アラムの姫君はカタチのよい眉を片一方だけつり上げて応じた。
「なんだアシュレ。わたしはもうオズマドラの皇子ではないんだ。世間の認識では、正体を暴かれオマエと逃避行に及んだ薄幸の姫君……いやもう王族ですらないか……国を欺き続けた大淫婦なのだからな。その、なんだ、ここまでの料理上手は無理だとしても、洗濯でもなんでも家事くらいすこしはできるようにならねば。うん、居場所があるまい」
そんなことを考えていたのか、とアシュレは驚き、考えを新たにした。
そういえば今日のアスカは真騎士の乙女の装いだ。
女性であることを微塵も隠そうとしないアスカの姿は、たぶんアシュレは初めて眼にするものだ。
もしかしたらそんな決意が、今日の衣装にはあったのかもしれない。
だけど、とアシュレは思う。
いや、すごくかわいいし美しいと思うのだが、アスカの女性については。
「いや、アスカ、無理をすることはないんだ。人間には生まれ持った立場や技術の差や、得手不得手がある。アテルイのこの能力は特別だ。エクストラムの宮廷料理人にだってこんな料理上手はいない。もし彼女に勝てるとしたら、あとはもう伝説に語られる豚鬼の魔性料理くらいしかないってボクが思うくらいだ」
だから、あまり思い詰めないで。
そうアシュレは言外に伝えた。
だけど、とアスカは反論した。
「だけど、そのなんだ……尽くしたいではないか。愛したヒトには。特に、もう何度もそのヒトはわたしを救ってくれたのだ。なにかして差し上げたい」
上目遣いでそう言われ、アシュレは思わず喉にパンを詰めそうになった。
アスカは先だっての戦いですべてを失った。
祖国、臣民、臣下、そして……父親とその愛まで。
表面上は快活で豪放な皇子の姿を演じてきたアスカだが、その心中を占めていたのは父親であるオズマヒムを人間の側に取り戻したいという切実な想いだった。
その望みが断たれたいま、胸に穿たれた巨大な空虚を埋めることができるのは、もしかしたら恋した相手への想いだけなのかもしれない。
さすがにそれが分からぬほど、アシュレは朴念仁ではないつもりだ。
しかし。
しかし、であった。
アシュレは調理経験皆無のそれも王族が厨房に立ったらなにが起るのかを、すでに身を持って体験している。
つまり、シオンのことである。
さらに具体的に言えば爆発である。
“叛逆のいばら姫”ことシオンといまや“再誕の聖母”となりはてたイリスが、かつて協力して料理を行った際、それは起った。
あれはひとことで言って地獄であった。
なにをどうしたら、かまどが爆発するのか。
それは調理ではない。
それはすでに攻撃である。
同じことが起きるのではないか、とアシュレは危惧しているのだ。
アテルイがその横にアドバイザーとしてついていてそんなことが起るだろうか、とそう考えるのは早計だ。
あのときシオンの横には、やはりアシュレが達人級と認めた料理上手のイリスがいた。
それでもかまどは爆発したのである。
これはやはりシオンの才能であろう。
ただし、負のほうの。
なぜかアシュレは、アスカにもその匂いを感じる。
幾多の死地を乗り越えてきたことで、危険を察知する才能が研ぎ澄まされているのである。
飲み水の確保にさえ悪戦苦闘している現状を鑑みるに、すくなくとも安定した食料の供給源を確保するまでは、アスカを厨房要因として投入するのは避けたほうがよいのではないか、とアシュレは思った。
つまり食材が灰燼に帰す危険性をアシュレは恐れたのだ。
帝王学を叩き込まれて育った王族というのは、えてして壮大な気宇を持つ。
しかし壮大な気宇、つまり大スケールな観と調理との相性は……じつに微妙である。
ときとして大スケールと大雑把は、良い確率で互換性があるからだ。
壮大な気宇を持つ者がこしらえた、巨大であり同時に大雑把な料理を、誰が受け止めるのか。
もちろん決まっている。
自分が責任を持つことになると、アシュレは知っている。
アスカの料理がどれほど巨大なのかを、後にアシュレは体験することになる。
そして、このときの恐れが正しかったことを知るのだ。
まあ、それはともかく。
そういえばシオンはどうしているのだろう、とアシュレはふと思った。
彼女が作ってくれた大きな鍋いっぱいのシチューを思い出して。
あれは巨大なジャガイモがまるまる一個、皮も剥かずに投入されていた。
ニンジンも、タマネギも(タマネギだけはさすがに外皮は除去されていたが)。
シオン……アシュレは愛しい夜魔の姫について、一瞬のことだが想いを馳せた。
自分自身が倒れていたこともあるが、起きたとたんに対処しなければならないことが山積みで、これまで深く想いを巡らせることができなかった。
きゅう、と胸の奥が狭くなるように痛んだ。
上水の問題を解決したら、真っ先に会いに行こうとアシュレは決めた。
そのときはレーヴに案内を頼もう、とも。
しかし、回想というか一瞬の思考から帰ってきたアシュレを見つめるのは、三人の美姫の微妙な目つきであった。
まずアスカからは「わたしの奉仕力では心配なのか」という思い詰めたような視線が。
レーヴからは「ちょっとまて、アテルイからの愛とはどういうことだ」という詰問の。
そして、なぜかエレから感じるのは……悋気だ。
ええと、ありていに言えば焼きもちのことである、悋気というのは。
ちなみに焼きもちとは、焼いた餅のことである。
なぜそんなものを焼かれているのかさっぱりわからないが、アシュレはもう自覚している。
自分にはあるのだ、強力な女難の相が。
まずい、とアシュレは思った。
なんとか話題を変えなければ、ここにまた修羅場が現出してしまう。
「そ、そういえば、食料事情のほうはどうなんだろう。上水はいまからボクたちが確保するとして」
「……決して良いとはいえないな。なにしろ真騎士の妹たちを含めれば二〇名を優に超える頭数だ。一日二度の食事に制限しても、五〇食分近い食料が消えていく。アテルイはよくやってくれているが、早晩、備蓄が尽きる」
「やっぱり……食料も限界なんだ?」
苦しい切り返しだったが、話の流れを変えることには成功したようだ。
自分、グッジョブ、とアシュレは自らを褒めた。
だが、事態はアシュレが考えていたよりさらに深刻だったようだ。
レーヴが苦しげに口元を押さえて、かぶりを振った。
「飛翔艇に備えてあった保存食は残らず吐き出した。土蜘蛛たちからの供与もすこしはあったのだが……虫は……我らには食えん」
「おやおや、昆虫食をバカにするとは。キチン質に良質のたんぱく質、さらにカミキリムシの幼虫など脂質も充分で、ミネラルも豊富。美味極まりないというのに。やはり鳥みたいな連中には味がわからんのだな、なんでも丸のみにするから」
「貴様アアァ」
レーヴの言葉尻にエレが噛みついた。
まってまって、とまた拗れはじめた会話にアシュレは割って入った。
「ボクは戦隊の現状を把握したいだけなんだ。仲たがいは止めてくれ!」
「それなら、わたしが詳しく話してやるから、その蜘蛛女をどこかにやってくれ!」
「蜘蛛女! ほう、この鳥頭がなにを把握しておるやら。頭の中身にはどうやってオトコたちをたぶらかそうかと、そんな手管しか詰まっておらぬ、清純装う大淫婦のクセに!」
「貴様アア、それはわたしだけでなく真騎士の乙女たち全体を侮辱する言葉だぞ、虫め!」
「虫というのは、もしかしてわたしのことか? いいだろうそのケンカ、受けて立つ! ぐるぐるの簀巻きにして、折檻してやるからそう思え!」
だめだ、このままでは。
アシュレは慌ててエレの手を引っつかんで、テントを出た。




