■第十二夜:真騎士の血(あるいは、ああ修羅場1)
「それで、キミたちの関係をまだ聞いていなかったな、アスカリヤ」
慎重に獅子像へと昇っていくアシュレの姿を見送りながら、レーヴが小声で言った。
アスカの正体については、あのヘリアティウム攻防戦の最中で、そのほぼ全てを把握しているレーヴだ。
アスカの秘密を暴露することで追いつめたビブロンズの皇帝:ルカティウスのやり口には嫌悪感しかないが、それとアスカのなかに流れる真騎士の乙女の血に対する想いはまったくの別勘定だった。
アスカリヤこそは、薔薇の乙女とまで謳われたブリュンフロイデの血を引く唯一の存在だ。
だが、その肉体とそこに流れる血は、純粋な真騎士の乙女のそれではない。
忌むべき、そして恥ずべき種族:淫魔との合成人間。
正しき行い、英雄的行動こそを至上のものとする真騎士の乙女たちにとって、正しい手続きに則った英雄との交わりによってではなく生み出されたもどきの存在は、にわかには受け入れ難いことなのだ。
「わたしとアシュレとの関係、だろう。オマエが訊きたいのは」
きみたち、とレーヴが濁した言葉を訂正して、アスカは言った。
真騎士の乙女はそんなアスカを一瞬、無言で見つめてから、答えた。
「そう。そうだな。うん、わたしが訊きたいのはそういうことだ」
「どうした、清廉潔白を旨とし、一途に騎士道と英雄への想いに駆けてゆく真騎士の乙女とは思えぬ歯切れの悪さだぞ、レーヴスラシス」
その言葉に挑発するような響きはなかったが、誇り高い真騎士の乙女は、キッと眼光を鋭くしてアスカを睨んだ。
純血ではない相手に揶揄されたと感じたのだ。
やり返す言葉尻に、嘲りめいたものが混じるのを止められない。
「わたしには、キミがそこまで堂々としていられる理由の方が謎だが──」
「アシュレが認めてくれた。わたしを、そのままのわたしを受け入れて、それでもきみがいいと言ってくれた。そのすべてを受け入れてなお、運命に抗おうとするわたしの生き方を肯定してくれた。だから、わたしはわたしの生まれを恥じない。いや、羞恥心はわたしにだってあるが……すくなくとも卑屈になることだけはしない」
だってそれは、と真騎士の乙女の眼光をまっすぐに受け止めてアスカは答えた。
「だってそれは、わたしを信じて受け入れてくれたアシュレへの冒涜になる」
アスカの言葉に、レーヴはめまいを憶えた。
そう、この真騎士の乙女はまだアシュレとアスカがどういう関係なのか、本当のところを知らなかったのだ。
せいぜい、シオンとアシュレの関係に横恋慕する不埒な女、くらいの認識しかこのときのレーヴにはなかったのである。
だからこそ、揺るぎない自信を持って言い切られたアスカの言葉は、強烈な破壊力を持って作用した。
アシュレが、受け入れてくれた?
アスカリヤを、か。
この淫魔によって穢された血筋を、認めた?
いや、それよりもだ。
「受け入れる、受け入れるというのはどういう意味だ」
「この肉体も真心も、そして、愛も」
ふたたびの衝撃。
頭蓋をハンマーで殴られたような衝撃を感じて、レーヴはその場に膝をついてしまった。
「なん……だと。どういう、どういうことだ、それは。彼は、アシュレは、シオン殿下とその心の臓を共有するほどに想い合い、慕い合っていたのではないのか」
「それはこれ、これはこれ、だ」
「ちょっ、ちょっとまてなんだその理屈は! えっ、なに? まさかキミもアシュレと恋仲……だとそう言うのか? 殿下は、シオン殿下はそのことをお認めになっておられるのか?!」
急な展開に、アスカは戸惑いを憶えた。
自分自身の呪われた血に対する糾弾かと思いきや、この真騎士の乙女はアシュレのアスカとの関係の深さにダメージを受けている様子。
まさか、この娘はなにも知らないのか、わたしやアテルイやシオンの関係のことを。
思い至りアスカは新鮮な驚きに打たれた。
おそるおそる、と言う感じで告げてみる。
「いや、認めるもなにも……わたしは正々堂々とシオンにこのことを話したし、その意味では公認だし、なんなら臥所をともにしたこともあるし、アシュレと三人で?」
アレ、四人のときもあったかな?
首を傾げるアスカの足下で、もはや威厳もへったくれもなくレーヴは四つんばいになり、愕然と頽れていた。
「ど、どうした真騎士。大丈夫か、立てるか?」
「バ、バカな……ではアスカ、貴様はいま正式にアシュレとそのなんだ、契りを……」
「うーん、正式にというか事実としてわたしはアシュレを慕っているし、それはアシュレもそうだし、シオンも認めてくれているし、わたしもシオンがアシュレを想ってくれているのがうれしいし?」
がくがくがく、と端正なレーヴの姿勢が崩れ、そのまま水槽へと落下しそうになるのをアスカは慌てて阻止しなければならなかった。
衝撃的事実の連続攻撃に滅多打ちにされ、真騎士の乙女はもうフラフラだ。
「危ない、危ないぞ、真騎士の! そのまま落ちたら、いくら甲冑を着ていてもタダでは済まん高さだ!」
「う、うそだ。それではわたしの黒騎士は……アシュレは……え? 二股? ほかにも女が……???」
ここまで来て、アスカにはようやく合点がいった。
レーヴが足にキているその理由が、だ。
「なんだ、いまさらそこを気にしていたのか? うーんそうだなあ、正しい男女のあり方かと問われたら世間に胸を張って正しいとは言えんかもしらんが、そうやって生きるしか、わたしたちには選択肢などなかったのだからな。愛を偽ることはできなかった。それだけは不可能なことだった」
己の生まれを偽り、性別を偽り、それでも祖国と臣民とそして父のために戦ってきたアスカの言葉であればこそ、それは真実の重みを持ってレーヴの胸に響いた。
アスカは、まだ精神的ショックから立ち直れず床に這ったままのレーヴのかたわらに跪いて、告げた。
「オマエたち純血の真騎士の乙女たちから見れば、わたしはたしかに汚れていて穢れた存在だろう。だが、わたしの存在をオマエたちが指弾し断罪するのであれば、わたしは全力でそれに抗う。わたしを認めてついてきてくれた臣下のため。全幅の信頼を寄せてくれるこの戦隊のため。わたしを受け入れ愛を注いでくれたアシュレダウのため……そしてなにより、わたし自身の存在に賭けて」
信じられないものを見るようなまなざしで、レーヴがアスカを見上げていた。
穢れることをなによりも恐れ忌避する真騎士の乙女にとって、汚濁のなかに生まれ落ちた存在がこれほどに気高く生きることを決意できること、それそのものが奇跡だったのだ。
ああ、もしかしたら、とレーヴは理解に至る。
自分たち真騎士がなぜこうも強く人間の英雄に憧れるのか、ということについて。
その答えの一端を、レーヴは見せられているような気がした。
己が汚れることを厭わず、掲げた理想のためにすべてを投げ打ち駆けていくその姿に、彼女たちは憧れたのだ。
「それにまあ……アレだ。英雄色を好む、ともいうぞ。我が国の──おっと、もうわたしは国を棄てた人間だが──皇帝など最大時は数千人を超える美姫をハーレムに囲っていたわけで。それに比べたら、アシュレは誠実と言っていいんじゃないのか。ほんとにアイツのところに行かなければどうしようもなかった相手としか、アレは関係を持たないのだから」
とんでもない理屈を言い切ったアスカに、もはやこのときレーヴは圧倒されていた。
その未曾有の器の大きさ──善悪を超えて短絡的な断罪など寄せ付けない彼ら彼女らの関係のあり方に圧倒されていた。
「キミは……それでいいのか。それを許せるのか」
「女として、お飾りや戦利品としての扱いを受けているなら違うかもしれんが──わたしはいま本当に想われているしな。束縛されているわけでも、自由な考えを制限されているわけでもない。むしろ逆だ。アイツと出会ってから、わたしはやっと手に入れたんだ。自由を──自分自身として生きることを」
それに、とアスカははにかんで続けた。
「それになぜか、同じようにほかの女たちがアシュレを想うことを、悪いとも憎いとも思えんのだ。ただまあ、嫉妬はするかな。かまってもらえないとなんというか……寂しい。狂うくらい」
ぽかん、と雛鳥みたいに口を開けたレーヴに、アスカは諦めたように笑った。
「狂っている、とそう言いたいのだろう? そうともわたしたちは間違えている。正しさの対局にいる」
だが、とアスカはさらに笑みを広げた。
「だが、それがどうした。間違っていようがいまいが、わたしたちはここにいて、まだ諦めてなどいない。この世界がわたしたちを否定するなら、抗うだけだ」
そして、間違いなくわたしはアシュレを──あの男を愛してしまった。
アスカから差し出された手を、レーヴは自然に取っていた。
そんな真騎士の乙女を立たせてやりながら、アスカは訊いた。
自然に、やわらかい口調で
「それで……好きになったんだな、真騎士の乙女よ。アシュレのことを想ってしまっているのだな?」
「なっ、なにをやぶからぼうに?!」
ずささっ、と距離を取りにかかったレーヴをアスカは掴んで離さなかった。
レーヴの肉体は瞬時に、爪先から頭頂まで茹でられたタコのように真っ赤になっている。
「図星か。オマエたちは分かりやすくていいな。肌の色をそこまで露骨に変えたら、どんなに口で否定しても無駄というものだ」
「ち、ちがっ」
掴まれた手を振りほどこうとするレーヴに、今度は自由を許しながら、アスカは続けた。
「まあいい。口先ではどうとでも否定すればいい。だが、もし本心が違うなら……本当に想ってしまったなら。わたしはオマエを応援する。すくなくとも否定はしない。オマエはアシュレのためにすでに大きな代償を支払っている。そうだな? それがわたしにはわかる。わかるんだ」
下腹に指を這わせながら、アスカは言った。
そこに刻まれている戦乙女の契約の刻印は、互いに肌を重ね合った存在が、他者と交わるとひどく切なく疼くのだ。
つまりアスカは、すでにレーヴがどんな種類の代償を支払ってここにいるのかを、知っていたことになる。
だからこそ、アスカには最初からレーヴを敵対視することなどできなかったのだ。
それに、と身を寄せながら囁いた。
「それにわたしたちは──」
もう同じ恋に落ちているのだから。
事実を指摘され、動揺して瞳の焦点が定まらない様子のレーヴに、アスカは快活に声をあげて笑った。
ひとしきりドーム状の天井に響いたその笑い声が収まるのと、ガコンという振動、そしてエレの悲鳴が上がるのは、ほとんど同時だった。




