■第八夜:水がない!
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「えー、というわけで、ついに飲料水以下食料や生活用水の確保、ならびにお手洗い問題に真面目に取り組む時がきてしまったようです」
大仰な仕草と声でイズマが言った。
しかし、戦隊メンバーの表情は一様に真面目で、だれも茶化そうとはしなかった。
それがこの問題の深刻さを言い表している。
「いや、実際飛翔艇に設置してある施設の容量は、真水の備蓄にせよ、厠の浄化装置にせよ限界ではあった。本体である飛翔艇:ゲイルドリヴルはともかく脱出艇でしかないあの船は基本的に短期間の使用を想定して、飲料水や食料の備蓄量から装備からなにからが組み立てられている。これだけの人数の長期間の生存に必要な機能は、最初からなかったんだ」
口火を切ったのはレーヴだった。
真騎士の乙女の持ち物である飛翔艇の機能を一番良く知るのは当然彼女なので、彼女の妹たちに捜索を依頼して急遽の帰還を頼み込んだのだ。
ずいぶんと渋ったらしいが生存に関わる一大事ということで、不承不承だが、会議への出席要請を呑んでくれたらしい。
視線を合わせようともしないが、その露骨な無視の仕方が逆にふたりの関係を悟らせはしないのか、アシュレは気が気ではない。
そんなアシュレの心配をよそに、イズマが頷いた。
「たしかに、それは最初から指摘されてたことだしねえ。まあボクちんたちだって先延ばしにしたくて延ばしてきたわけじゃねえんだけども、この問題わ」
「そもそもなぜ、いまになってあのような……海トカゲ(?)が現れたんだ? 我々がこの地に不時着して一週間ばかり。いままで、あんなものいなかったじゃないか」
不機嫌げにレーヴが言った。
もっともな主張だ。
これに答えたのはイズマだった。
「海トカゲ──メガネプトジェンシス、ね。うーん、たぶん、どこかで眠っていたんじゃないかなあ。古代種にはよくあることなんだけど、深い眠りに自発的に入ることで長い年月を生き延びる能力を持っていたんだよ、きっと。あの湖、どれくらい水深があるのかわかんないけど、深いところで眠っていたところを音かなにかで刺激されて、起きちゃったんじゃないかなあ」
「それはだれかが不用意に騒いで、彼を目覚めさせてしまったということです?」
ふたりのやりとりにエルマが口を挟んだ。
ちょっと壊れてしまっていると自己申告する彼女にしては、まともな推察だった。
だが、アシュレは口から心臓が飛び出しそうになるのを、必死で飲み込まなくてはならなかった。
ギクリ、と胸が不整脈を打つ。
エルマの発言を皮切りに、戦隊のメンバーが口々に可能性を列挙しはじめたからだ。
「まさか昨日の宴?」
「いや、あの程度では」
「では、だれかがハデな水音を立てて泳いだりとかしたんでしょうか?」
「いやあ、泳ぐぐらいならボクちんたちが湖面に不時着するほうがよっぽどでしょ。一晩中、騒音とかなにかを鳴らさない限りは……長く、それはもうしつこく、こってりと」
アシュレは額に手をやり、眉を撫でた。
暑くもないのに、びっしりと汗をかいている。
なんというかたしかに昨夜、レーヴを手酷く鳴かせてしまった気がしなくもないし、そしたらレーヴの方からもなんども繰り返し愛を告白された気がするし……懇願された気もするし、そのせいで愛しさが止められなくなって手加減を忘れて、それに応えてしまった気もする。
こういうのはなんていうんだっけ、疑心暗鬼?
略すと、ギシアン?
たぶんちがう、とアシュレは思った。
そう、これが現実逃避である。
「と、とにかくいまはなぜヤツが目覚めたのかより、今後の対策や飲料水や食料確保のほうを優先させねばならないのではないか?」
おかしな方向に向かって転がりそうになった話題を、レーヴがムリヤリ軌道修正した。
かなりの力技だったが、戦隊メンバーに怪しむような表情は見て取れなかった。
なぜだろうか。
アシュレはさっきから、冷や汗と動悸が止まらない。
「ん、それはレーヴちゃんの言う通りだ。いまはやっこさんが目覚めた原因の究明より先に、しなくちゃいけないことが山積みなんだもんね。もうちょっと俗世のことには無関心なのかと思ったけど、けっこうこういうことにも気が回るんだねえ、真騎士のお嬢さんたちっていうのわ」
「じ、実際問題だと言っている。わたしだけではなく、妹たちのこともあるのだからな」
イズマは素直に感心したのだが、土蜘蛛とは仇敵である真騎士の乙女的には、揶揄されたように感じられたのだろう。
ややつっけんどんにレーヴは返す。
イズマはアゴに手をやりながら、真騎士の乙女からは視線を外した。
今度は、その赤い瞳が、アシュレやイズマ不在の間、戦隊を支えてきた年長人間男性ふたり組に向けられた。
「というわけなんだけど。この空中庭園について、いまのところ一番詳しいふたりの意見を聞きたいなあ。ノーマン君とバートンお爺ちゃん」
「ジジイ、という呼ばれ方には不本意ですが、いま我々が把握しているこの空中庭園の限りを、地形とともにお伝えしましょう」
言いながら、進み出てきたのはバラージェ家の執事にしてアシュレの懐刀:バートンだった。
自然石を用いて作られた急ごしらえのテーブル上に、大きな図面が広げられた。
それは土蜘蛛の叡知によって生み出された植物性の紙を使った、空中庭園の現在判明している限りを精密に写し取った地図だった。
「みなさんが倒れている間に、わたくしとノーマン殿で調査した限りを、ここには記してあります」
「想像していたよりずっと大きい。だいぶ、広大なんだな、この庭園」
地図に記されたアレコレを見ながら、アシュレが言った。
「ざっとですが、ちょっとした無人島ひとつ分くらいの面積がありますなあ」
「山アリ谷アリってこと?」
「人口数百名くらいまでなら耕作地や放牧地を含めて余裕で生活できるほどには、広いかと」
ただ、とバートンは口ごもった。
「清潔な飲料水や充分な食料の確保、下水設備などを整えたら、という条件付きですが」
歴史に名を残す大帝国の総人口が数千万人、中堅レベルの国家の首都の人口が数万というのも珍しくない時代のことだ。
数百名といえば小なりとはいえ、立派な街レベルの人口だった。
「木々が育っているなら、水はあるんじゃないの?」
「あるにはあるのですが、ふたつ問題が。ひとつは地形や土壌の問題なのかこの空中庭園は伏流水が多く、地表ではなかなかまとまった水量のある大きな河に出会えない。湖はありますが、溜まり水というのが飲料水としては、いまいち気にかかる。もうひとつは水質のほう。こちらがちょっとばかり、塩っ気と苦みがありましてな」
森林、山岳地帯と描かれた地図の部分を差しながら言ったアシュレに、バートンが即答した。
「塩気。なるほどあの湖も、海水ほどじゃないけど塩味がした」
「恐らくなのですが、どこかに塩の地下鉱脈があるのでは、というのがわたくしどもの見解です。そこを流れてきた水は我慢すれば飲めなくはないが、常飲は間違いなく問題がある。そのほかの安全性もまだ未確認です」
「塩の鉱脈。それは……」
後々に大きなことだな、とアシュレは唸った。
塩は生存を維持する必需品であり、重要な軍需物資でもある。
それをこの空中庭園で産出できるとなると、かなりの利点となる。
もっとも、その利の部分がいま、飲料水の確保の方で問題になっているわけだが。
「蒸留とかで、なんとかできない?」
「そのためには燃料となる薪が大量に必要だ。生木から切り出したら乾燥させるのにどれだけかかるかわからんし、なかなか繊細な作業だからな、真水をつくるのは。蒸留器も相当大型のものを作らねばこれだけの人数はとてもまかなえん。太陽光と蒸発を利用する手もなくはないが……あまりに悠長だな。洗濯だって真水でなければたいへんなことになる」
なにより、蒸留水は長く飲むには、相当まずい。
アシュレの発想に応えたのはノーマンだった。
「井戸は?」
「そう思って浄滅の焔爪:アーマーンで地面を掘ってみたが、どうもこのへんの土壌や岩盤は、なにかこう……奇妙な感じだ。人工的、とでもいうのか? 結果として出てきたのは湖と同じ塩っけとかすかに苦みある水だったよ。水量はなかなかだったのだが、塩辛い水たまりを作ってしまっただけだった。水質も長期の飲用に足るかどうか、わからん……」
それ以上に不思議に思っていることがあるのか、宗教騎士団の男はしきりに首を捻った。
「しかし、地下水もあの様子では……。うむん。このへんの植物は塩に強いのか、それともなにかのからくりがあるのかそのへんもわからんな、いまのところ」
「いざとなったら、例の携帯型水源もあるんだけどねえ」
伸びをしながら言ったのはイズマだった。
前回、ヘリアティウム攻略戦のとき間借りした邸内の浴室に、温泉を呼び出した土蜘蛛のアイテムのことを言っているのだ。
「二、三日なら充分この人数を賄うだけの準備はあります。ただ……ここは地面からあまりに遠い。効率はガタ落ちになりますの。この切り札を考えなしに切ってしまっていいのかどうか。いまのところ、この空中庭園では再現できない品ですので……しっかり考察してからのほうがいいと思いますの」
と、呪具担当のエルマが応じた。
そうだった、とアシュレは頷いた。
イズマたち土蜘蛛の能力は、占いにせよなんにせよ、能力者が地面に接地していることが前提のものが多い。
その呪具が空中庭園で充分に機能しないのは、理屈が通っていた。
「ただ、ですな。まだ議題に上っていない案件というか条件が、この飲料水の問題に関してはございます」
全員がそれなりに意見を出し尽くした頃合いを見計らって、バートンが切り出した。




