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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第七話:Episode 0・「恋は流星のように」
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■第五夜:乙女は流星



 酔いに身を任せて宴を抜け出し、フラフラと歩いた。


 ダンスの高揚と楽の音に包まれた宴の会場を、アシュレひとりが抜け出したところで見咎められることはなかった。


 もしかしたら、アテルイとアスカあたりはそのうち気がつくかもしれないが、すこしだけひとりになりたい気分だった。

 焚き火の熱とダンスでかいた汗に、夜風が気持ちいい。


「生き延びたんだなあ」


 舞踏会場と化した草地からそう離れていないところに湖水があり、その岸辺には小型飛翔艇が樽などを利用した急ごしらえの桟橋を介して、停泊していた。


 アシュレはそのシルエットを見ながら、湖畔を歩いた。

 さまざまなことが一時に起きて混乱していた頭が、徐々に現実に追いつき、状況を把握しはじめた。


 とにもかくにもアシュレたちは、あのヘリアティウムでの戦いを生き延びたのだ。

 そして、地獄の釜の中身をぶちまけたような戦場を脱し、この空に浮かぶ空中庭園まで逃げ延びた。


 途中のことは、朦朧としていてうまく思い出せない。

 だが、それもしかたあるまい。


 とにかく、全員を無事にここまで導けたことがアシュレには無性に嬉しかった。


「この水、浴びてもだいじょうぶかな?」


 月明かりに透けて見える湖水を覗き込んで、アシュレは独りごちた。


 ここが空中庭園であるのであれば、この湖水はおそらく雨水が溜まったものであろうというところまでは推測できる。

 イズマかノーマン、バートンあたりに聞けば明確な答えをもらえるだろうことは間違いなかったが、いま自分は、その輪のなかからそっと抜け出して静寂を求めにきたのだ。


 のこのこ戻って、水の清潔度を尋ねるのはいかにも馬鹿らしい。


 と、視線の先、湖水のどこかで魚影が跳ねた。

 月明かりにその姿が浮かび上がり、ぱしゃり、と水音がした。


「生き物がいるなら、大丈夫だろう。たぶん」


 アシュレは意を決して服を脱ぎ、湖に身を浸した。

 火照った体に冷たい水が気持ち良い。


 倒れていた一週間の間、アテルイやアスカ、それにレーヴまでもがかいがいしく世話をしてくれていたおかげだろう。

 汗や排泄物による汚れを、アシュレは己の肉体には感じなかった。


 だが、それでもやはり全身を水に浸して身綺麗にしたいという欲求にはかなわなかった。

 入浴という行為に心血を注いだとも言われるアガンティリスの文明に傾倒してきたアシュレである。

 さきほど汗をかいたのもあり、欲求には逆らえなかった。


 全身にある焚き火で燻された匂いや、汗で付着した煤、それからレーヴに地面に転がされてついた汚れを洗い流したい。

 

 肉体の隅々を手で丁寧に洗い清めながら、アシュレは自分自身の肉体の具合を確かめていく。

 全身にあったはずの傷も、シオンとの心臓共有によって治癒能力が高まっているおかげで、すでに完治しかけていた。


 一週間も倒れていたわりには、極端にカラダが鈍っている印象もない。

 実戦形式の訓練をしてみないとわからないことだが、それは明日でもかまわないだろう。


 カラダをほぐし終えると、アシュレは軽く泳いでみた。


 なるほど、これは気持ち良い。

 野外、そして人目を気にする必要がない夜間の解放感がアシュレを大胆にさせた。

 それに全身運動である水泳は、肉体の不調を見つけ出すことにも向いている。


「ちょっと右腕が痛む、か? ああ、真騎士の乙女たちの光条も受けたし……ガリューシンの刃もか。それでこの程度だとしたら、奇跡だよ。背中が引き攣れるのは……ああこれ火傷の治りかけだ」


 あちこち痛む肉体に苦笑しながら泳ぎ終えたアシュレは、仰向けになって水面に浮かんでみた。

 どうやらこの湖水は海のそれほどではないが、塩分を含んでいるらしい。

 真水よりよほど泳ぐのが楽なのには、そういう理由もあったのだ。


「しかし、まいったな、コレ。あとでベタベタになっちゃうヤツじゃないか」


 汚れを落とすはずが、塩水だったとはしらなかったせいで、二度手間になってしまった。

 アシュレが苦笑するのと、頭上に大きな鳥の影を見出したのは同時だった。

 しかも、その鳥は羽が光でできている。


「なんだあれッ?!」


 アシュレが驚く間もなかった。

 それは鳥ではなかった。

 コウモリとかでもない。


 それは人間であった。


 正しくは真騎士の乙女。

 もっと言えばそれは、レーヴスラシス・シグルーンに間違いなかった。


 それが……急降下してくる!


「っと、ちょちょっと、ちょっとまってくれ!」


 言いながらアシュレは両腕を広げ、落ちてくるレーヴを受け止めようとした。


 瞬間、目と目が合う。


 次の瞬間、真騎士の乙女はアシュレの腕のなかに、水しぶきとともに舞い降りた。


         ※


「がっは、げほげほげへ……って、危ないじゃないかレーヴ!」


 いきなり落ちてきた真騎士の乙女にアシュレは抗議した。

 小型とはいえ飛翔艇を余裕で運用できるくらいには、湖面は広い。

 その大きさに比べたら点みたいな存在でしかないアシュレの真上に落ちてくるとか、狙ってやらなければ無理な芸当だ。

 レーヴのこの行動が故意であることは、間違いようがなかった。


「ちょっと、なにかひとことくらい言ったらどうだよ。いきなり不意打ちで落ちてきてだんまりとか、なにげにひどいぞ」 


 言い募るアシュレに対して、レーヴは無言だった。

 その頑なさに、だんだんアシュレは怒るよりも心配になってきた。


「だいじょうぶかい、レーヴ。どこか痛めたのかい、もしかして」


 アシュレの言葉に、レーヴはますますうつむいて、それから言った。


「痛い」


 アシュレは驚いた。

 慌ててレーヴに身を寄せ、全身を観察する。


「痛いって、やっぱり怪我をしてるんじゃないか」


 どこだい、早く見せて、と急かして手を取ったアシュレをレーヴは振り払った。


「見せられないところが、痛いんだ」

「見せられないって……それ、どういう」


 また意味が分からず、アシュレは呆然とした。

 そのアシュレのまえで、真騎士の乙女は華奢なカラダを震わせた。


「胸が、痛いんだ。胸の奥が」

「レーヴ?」

「言っただろう。射止められてしまったんだと」


 胸を押さえて言う真騎士の言葉に、アシュレはレーヴの言うところの痛みが肉体の傷には起因しないことを悟った。

 そして、それはアシュレが聞きただしたかったことでもあった。


「それはボクも訊きたかった。どういう、どういう意味なんだ。その、きみがきみ自身をボクに捧げたって言葉の意味も、だ……」


 答えはなかった。

 しかし、その沈黙には意味があった。


 湖水に濡れたレーヴのドレスは張り付き、透けて、あらわにしていたからだ。

 答えを。

 その下腹に浮かび上がる契約印。


 アシュレはその紋章を知っていた。


「それは……戦乙女の契約ヴァルキリーズ・パクト……アスカのとはすこしだけカタチが違うけど……間違いない」


 これ、どういう──言いかけてアシュレは口をつぐんだ。

 思わずレーヴの両肩を掴む。

 びくり、と真騎士の乙女の白い肩が跳ねた。


 こんどは振り払おうとする意思は感じられなかった。


 かわりに、おそろしいほど、レーヴは熱かった。

 熱くて、震えて、怯えていた。


「ゆるしてくれ。さっきは想うとか想われるとか、そんなことは関係ないと言った。でも、やっぱり無理だ。ゆるしてくれ、黒騎士、キミ、アシュレダウ。わたしはキミが意識を失っている間に関係を結んだ。でもそれは、キミを助けるためだった。キミがしてくれたように、こんどはわたしが身を挺する番だったというそれだけのことだ。それだけのことだと思って、思い込んで、思い込ませてわたしはわたし自身を捧げた──そのつもりだった」


 でも、と泣いた。


「想わずにいられない。キミのことを考えずにいられない。わたし、あなたを──」


 愛してしまった。

 ふらり、と傾いたレーヴを抱き留めたアシュレは、耳元で、たしかに聞いた。


 抱きしめたレーヴの肉体を、もう離すことがアシュレにはできなくなってしまった。




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