■第三夜:たらしのクセに、ぜんぜんわかってない
『ボクは、いまなにかへんなことを言ったんだろうか』
顔を赤らめ視線を逸らしてしまった真騎士の乙女を前にして、アシュレは訝しむがもちろん心当たりなどどこにもにない。
「レーヴ?」
小さく名を呼ぶが、真騎士の乙女は顔をそむけたまま、そそくさとアシュレから距離を取ってしまった。
なんとなく釈然としないが、訳を話してもらえないのではどうしようもない。
アシュレが首を傾げ困っていると、どこからかパンパンと小気味よい手拍子が聞こえた。
ノーマンだった。
それは湿りかけた場の空気を変えてしまうような陽気なリズム。
「なに、いろいろあったが、ともかくにしてもこうしてアシュレは帰ってきてくれたのだ。涙に暮れてばかりでは快気祝いにもならない。せっかくのアテルイ殿の手料理も冷めてしまう。さあ、音楽を、それから酒も!」
するとどうしたことか、ノーマンが打ち合わせる掌の音に合わせるようにして、陽気な調べが鳴り響きはじめたではないか。
いくつものかわいらしい歌声が続く。
アシュレが目を丸くして驚いている間に、演奏と歌声の主たちは近づいてきて正体があきらかになった。
「イズマ! エレにエルマ! それに、真騎士の子供たち!」
「「「子供じゃありませーん!」」」
アシュレの叫びに、少女たちが一斉に反論した。
子供扱いするなというのはどう考えても子供しか口にしないセリフなのだが、成人を迎える直前の年頃というのは、そのあたり実に敏感だ。
さらに言えば種族的な傾向で、真騎士の少女たちというのは、少女ではなく淑女として扱って欲しいという欲求が特に強いらしい。
その淑女たちがイズマに蹴りを入れては、もっとムーディーな曲にするよう急かしている。
蹴られるイズマはまんざらでもない様子で、しかし素直には従う様子もない。
むしろ彼女たちからの蹴りを、ご褒美と捉えている節さえ、ある。
少女たちは競うようにアシュレの前にやってきては、得意の歌声を聞かせ、しきりにダンスをせがんだ。
見ればノーマンも、バートンまでダンスの誘いを受けている。
特にノーマンは真騎士の少女たちに大人気だった。
アシュレが昏倒している間の数日間、どうやらイズマも倒れていたらしく、実質的に戦隊の安全保障やらリーダーとしての仕事をノーマンが一手に請け負っていたことと、それは無関係ではあるまい。
真騎士の乙女たちは、まだ少女のうちから英雄の資質に強く魅かれる。
そういう男の本質を見抜く才能を、本能的に持ち合わせているのだ。
ノーマンほどの騎士であれば、彼女たち真騎士の少女が魅かれてしまうのは、なるほど間違いないことだとアシュレは思う。
だが、しばらく観察していると、少女たちはアシュレを誘うことにだけ、なにかためらいを感じているように感じられるように見えてきた。
はにかんでいるのか、と最初は思ったのだが……どうもこれはなにか違うらしい。
なんだろう、とためらうように視線を泳がせる少女たちの視線の先を見ると、そこには腕を組みそっぽを向いたままのレーヴの姿があった。
「アシュレ、無礼講、無礼講だ」
ノーマンが手を振り上げ、踊れ、と合図を送る。
「病み上がりなんだけどな」
レーヴの様子が気にかかったが、祝宴の空気を冷ましてしまうことほど失礼なことはない。
苦笑しながら、立ち上がった。
アテルイ、アスカ、それから少女たちの順番で、ダンスに応じる。
汗をかいて、酒を飲み、食事を食べて、また踊る。
頃合いを見計らったように「レーヴを誘え」とノーマンがハンドサインで伝えてきた。
騎士の間だけで通じるボディランゲージをこんなことに使うというのは……あなたは本当に宗教騎士団の男なのか、とアシュレは苦笑する。
だが、たしかに宴のさなか、ひとりだけ不機嫌を貫くレーヴを放っておくのは、騎士道にもとる行為であることは間違いない。
「ままよ」
アシュレは果汁で割られた赤ワインを飲み干すと、酒精の勢いを借りてレーヴをダンスに誘うことにした。
不機嫌そうに眉根を寄せ立ち尽くす真騎士の乙女の前で貴公子の礼をする。
それから手を差し出すも、パチンと振り払われてしまった。
身を寄せようとすると、すっと避けられる。
かといって彼女は立ち去るわけではない。
なにがお気に召さないのか、アシュレが視線を合わそうとするとふいっと、不機嫌な猫のようにそっぽを向く。
それを繰り返す。
三度目で、さすがにアシュレにもわかった。
もっと強引に迫れとレーヴは言っているのだ。
実力以外では従わないぞ、とこれはそういうジェスチャなのだ。
アシュレが意を決して彼女を抱き寄せると、小さく抵抗があった。
かまわず腕に力を込めて、踊りに引き込む。
「強引なヤツだな、黒騎士」
「さっききみの態度は、そうしろって合図だったよ」
アシュレの指摘にまたふいっとそっぽを向いたレーヴの耳朶が、朱に染まっていることにアシュレは気がついた。
「レーヴ、きみもボクを助けるために《ちから》を貸してくれたんだね」
さきほどまでの流れから推測して、アシュレは言った。
アシュレを想う美姫たちがかわるがわるに自分の《スピンドル》を使って、アシュレの存在を現実に繋ぎ止めてくれていたという下りだ。
「あ、ああ。ま、まあな」
そんなアシュレに、なぜかしどろもどろでレーヴは応じた。
かまわずアシュレは続けた。
ここではぐらかされてしまうと、また本当のことを聞き逃してしまうと思ったのだ。
「大きな借りを作ってしまった」
「それは違う。貸してくれたのは、キミが先だ。わたしとの一騎打ちのさなか、なんどわたしを助けてくれた? そのあと、わたしの同族たちの卑劣な不意打ちがあった。一騎打ちを宣誓したキミに、オディール姉たちは無警告で攻撃を浴びせた。あれは借し借りなどという言葉で済ませてはならない不祥事だ。もしあの攻撃でキミが死んでいたら、わたしはオディール姉に決闘を挑んでいただろう。そして……」
ヘリアティウムの地下。不死の騎士との戦い。あの地獄からの生還──。
そっぽを向いたまま、レーヴはつぶやいた。
「キミが手を貸してくれなければ、妹たちはみな死んでいた。いうなればキミは私たち全員の命の恩人なんだ」
「そんなこと」
「謙遜も過ぎれば嫌味だぞ、アシュレダウ」
不意に、ぐっと身を寄せられた。
レーヴの肌が上気して汗ばんでいるのを、ドレスの上からだが、アシュレは感じた。
いま胸に感じている飛び跳ねるような彼女の鼓動は、このダンスのせいだけでは断じてない。
意を決したようにレーヴは口を開いた。
「わたしはその借りを一部、返しただけだ」
「じゃあ、もうボクは充分に返してもらったよ」
だからこれで貸し借りなしだ、とそう言ったつもりだった。
なのに、なぜかアシュレはレーヴに強く足を踏まれた。
見れば真騎士の乙女の眉は不機嫌げに吊り上がっている。
戦いだけではなく、歌と躍りで人間の男を魅了する種族であるレーヴがダンスのステップを間違うはずがない。
つまり、絶対にワザとだった。
「痛ったッ?! いまワザと踏んだッ?!」
「返せてない。わたしの借りは返せてないんだ! ぜんぜん、まったく。借りっぱなしなんだよ、アシュレダウッ!」
どうやらレーヴは、アシュレの返答にお冠らしい。
アシュレにはその怒りの意味がまったくわからなかった。
法外な返還要求をして怒られるならともかく、いまのはすべてを水に流そうという提案だったはずだ。
「ちょっ、なに言ってるんだ、レーヴ。ボクはもういいって言ってるんだ。充分に返してもらったから……」
「キミが良くても、わたしはよくない」
「だって、たいへんだったんだろ? 虚構に食われかけたボクを助けるのは」
論理的な話の道筋を掴めないまま、アシュレは反論した。
だが、続くレーヴの返答は、そんなアシュレの想像のさらに上を行った。
「ああ。それはもう死闘と言っていい。溢れ出る理想の暗黒面に呑まれかけたキミを、こちら側に繋ぎ止める戦いだったのだからな」
「ッ?! ちょっと待ってくれ、いまの聞いてない。そこまで大変だったなんて聞いてないぞッ?!」
動転したアシュレに、レーヴはふん、と鼻を鳴らして続けた。
「当然だ、シオン殿やアスカリヤ姫以下、女たちはみな口外しないよう、全員が団結して口をつぐんでいたのだからして」
「なぜだ、どうして……みんな、そんな大事なことを教えてくれなかったんだ」
「キミを苦しませたくないからに決まっているだろう」
アシュレは絶句した。
やはり虚構化を食い止めるというのは、想像を絶する苦難だったようだ。
昏倒していた一週間の間にアシュレはそれをシオンやアスカ、アテルイやレーヴにまで強いたということになる。
「まいったな……」
「だから、困り顔をやめろと言っている。わたし……いや彼女たちの努力を水泡に帰す気か。今宵は踊れ」
レーヴの指摘に、アシュレは周囲を見渡した。
ようやく笑顔を取り戻し、手を繋いで踊るアスカとアテルイの姿が視界に飛び込んできた。
アシュレは深呼吸ひとつ、答えた。
「そうだね」
「どうか尽くさせてやれ。みんな、キミが支払った代償の大きさを知ってショックを受けているんだ。キミに尽くしていないと、罪悪感で心が壊れそうになるんだよ」
「そうか。そういうこと──なのか」
やっとアシュレにも、真騎士の乙女が言いたいことが理解できてきた。
アテルイもアスカも、アシュレが払った代償の大きさに罪の意識を抱いていたのだ。
まいったな、ともう一度アシュレは呟いた。
「そんなもの、きみたちが無事でさえいてくれたら……なんでもないのに」
それは偽り無い心からの想いだった。
そんなアシュレにレーヴは言ったのだ。
「キミが、どんなに気にしていないと言い張っても無駄だ。キミが彼女たちを想うように、彼女たちもまた、キミのことをそう想っているんだ。キミさえ無事でいてくれたなら、自分がどうなってもかまわない、とまでな。それなのに結果としてだが今回はキミを死地に追いやってしまった……そんな自分たちが許せないんだよ」
レーヴの言葉に、アシュレは思わず息を呑んだ。
そこまで考えが至らなかったことに、激しいショックを受けた。
真騎士の乙女は続けた。
「だからキミがしなくちゃいけないことは、気休めを言うことじゃない。いまキミがすべきことは、彼女たちの献身を甘受したり、ときには無理を言って困らせてやることなんだ」
アスカやアテルイに無理を言って困らせることが、どうして彼女たちの赦しに繋がるのかアシュレにはさっぱりわからないが、なんとなく感覚は理解できた。
生返事で頷く。
腕のなかでレーヴが呆れたように溜め息をついた。
「キミ、ぜんぜんわかってないんだな、女のコのこと。たらしのクセに」




