■第一七一夜:責務を果たすために
「アスカ、立てるかい。ここからは自分の足で行くしかない。船体を傷つけるブランヴェルは使えない」
言いながらアシュレはアスカを抱き起こして先行させた。
足下のおぼつかないアスカを守りながら、自らはまだスノウを束縛したままの盾を掲げて、タラップを駆け上がる。
いくら騎士の筋力でも、筋力を増幅し、骨格の耐久力を上昇させてくれる異能:不屈の力の加護がなければ、到底不可能な芸当だ。
「アシュレ、これは……」
階段を上りきり、先に甲板に辿りついたアスカが呻いた。
そこにいたのは戦場の空気に気圧され身を寄せ合い震える十数人の少女たちだった。
真新しい戦装束に身を包んではいるが、あきらかに戦士の居住まいではない。
「きみたちが、レーヴの言っていた従軍兵たちか」
アシュレは掲げていた盾を降ろすと、周囲を見渡した。
少女たちの瞳は、恐怖と突然現れた人間の騎士への驚きに見開かれている。
「ボクの名はアシュレ、アシュレダウ・バラージェ。きみたちの敵じゃない。この死地から脱出するため、共闘することをレーヴスラシスに誓った騎士だ。どうか力を貸して欲しい」
率直にアシュレは名乗った。
時間がない。
一刻もはやく彼女たちと互いを理解し合い協力できなければ、待っているのは確実な死だ。
人間の騎士の静かだが熱意の込められた言葉に、ちいさなどよめきが起った。
不思議なことに否定的な響きは、ほとんど聞こえない。
彼女たちは、レーヴとアシュレの対話の場面をずっと見ていたのだ。
なにより黒騎士として行った一騎打ちのすべてを、彼女たちも注視していたことが大きかった。
初対面の、しかも異種族の男の言葉に対して彼女たちが瞳に宿したのは、恐怖や不信ではなかった。
頼もしい援軍を目の前にしたときの期待と希望の光。
まだ幼さを残す少女たちの瞳に、次々とそれが灯されていく。
アシュレという騎士は言葉を連ねるより早く、その行動、その戦いぶりですでに彼女たちの心を掴んでいたのだ。
「指揮所へ……この船を操舵できる場所へ、ボクたちを案内してくれ」
アシュレの指示に、真騎士の少女たちは迷いなく従った。
スノウを拘束した盾を抱えて、アシュレも後を追う。
この小型艇の操舵所は人類世界のものと同じく船の最後尾、最上階に位置していた。
「船を起動させるッ! えっと……コレ、真騎士の乙女たちの《フォーカス》なんだよな?」
指揮所を兼ねる操舵所へと駆け上がったアシュレは、舵輪を前にひとりごちた。
《フォーカス》であるということは、当然ながらその起動には試練が伴う。
異種族の、それも男に触れられたこの優美な姿を持つ船がどんな反応を起こすか、アシュレにさえ予測がつかなかった。
味方であるか、敵であるかという区別ではなく、《フォーカス》たちは個々それぞれの判別基準で持ち主を選ぶ。
使い手はそれこそ婚約を申し出る男のように、彼女たちの前に跪いて誓いを立てなければならない。
大げさに聞こえるかもしれないが、《フォーカス》の審判はまさに求婚の儀式そのものと言っていい。
だが、いまはもうそんな悠長な手続きを踏んでいる時間など、どこにもなかった。
たとえ手酷いしっぺ返しを喰らおうとも、救うべきすべての人々のために、なんとかしてこの船を離床させなければならないのだ。
いちかばちか、覚悟を決めたアシュレが舵輪を掴もうとした、そのときだった。
「臆するな、アシュレ。おまえはもう、真騎士の乙女の血筋に認められている。半端者ではあるが……その……おまえの乙女は、こ、ここにいるぞ」
振り返れば、そこには少女たちに支えられ、指揮所への階段を上り終えたアスカの姿があった。
少女たちが貸してくれた外套を羽織り、よろめきながらもなんとかアシュレの側にやってきた。
「わたしが保証する。この船は、応えてくれる」
その囁きにアシュレは勇気をもらった気がした。
こくり、と頷くと舵輪に手をかける。
賭事じみた意識はすでに、ない。
かならずこの船を組み伏せ、手懐け、助け出さねばならない人々を救い出すと心に決めた。
「船の指揮は任せろ。おまえよりは、はるかに操船についての知識があるはずだ」
革製のベルトで、互いの肉体を繋ぎながらアスカが囁いた。
うん、とアシュレも頷く。
そこに少女たちも駆け寄ってきた。
「騎士さま、お手伝いします」
「お顔が真っ青です。どうか、わたしたちの《スピンドル》を使ってください」
口々に、まだ成人を迎えていないであろう年頃の少女たちが申し出てくれた。
アシュレは感極まって言葉を失う。
ひとつの偉大な文明が終焉を向かえようとするこの暗い穴の底で、種族の違いを超えて《意志》が託される。
流れ込んでくる熱い想いに、アシュレは、まだここで膝をつくわけにはいかないと己を奮い立たせた。
舵輪を握りしめる。
ゴオッ、と青白い炎が立ち昇った。
それはプロポーズもしてもらえず、いきなり素肌に触れられた淑女の激怒。
だが、アシュレは怯みはしなかった。
「意志経路形成。増幅勢車接続。星幽界飛翔帆展開。想念機関始動──」
《スピンドル》を超える《魂のちから》を用いて一気に船の深部にまで到達、構造と用語を一瞬で把握して、動かす。
突然のことに船の持つ疑似的な意識が反抗するが、アシュレは力づくでこれを押さえ込む。
そうしながらも必死で伝達する。
なぜ、なんのために、こんな無茶を自分はしでかしているのか。
なぜ小型飛翔艇に、こんな無礼を働いているのか。
「たのむ、《ちから》を貸してくれ!」
そして、増力に協力する少女たちの《スピンドル》が、アスカの垂れた戦乙女の契約が、アシュレの言葉の誠実さを証明する。
ゴンゴンゴンゴンゴンゴン、と船の内部から始動音が響き渡りはじめる。
真騎士の乙女たちのために建造された天翔る船が、人間の騎士の想いに応じて目を覚ます。
「抜錨ッ──いくぞッ!」
ガガゴン、とそれまで母船と繋がっていた臍の緒がごとき支持架が弾け飛び、アシュレたちを乗せた船体は完全なる自律飛翔体となる。
そして、ほとんど同時にアシュレは見る。
たったいま自分たちが飛び立った甲板を食い破って現れた、光と闇の混合物を。
互いを相食みながら周囲に破壊を撒き散らす暴嵐。
オズマドラ帝国の大帝:オズマヒムと、もはや不死の呪いと化した漆黒の思念体:孤独の心臓が絡み合った結果の混合物。
その腕に捉えられた黒翼のオディールが、悲鳴とも悲嘆ともつかない叫びを上げる。
唱和するように、アスカが叫んだ。
「おとうさま──ッ!! おとうさま、おとうさまぁあああああ──ッ!!」
どこにこれほどの力が残されていたのか。
飛び出そうとするアスカを必死に抱き留めて、アシュレは船体の安定を確保する。
「脱出するッ」
そう叫ぶと、破壊の嵐が吹き荒れる死地で、いまも脱出のための時間を稼いでくれているふたりの美姫を迎えに急ぐ。
シヴニールを敵に向かって撃ち込む。
甲板に船艇を掠らせるように接舷し、すぐに離床する。
飛翔能力を持つレーヴはもとより、タイミングを見計らっての次元跳躍でシオンも難なく船上に飛び乗った。
そのまま掲げる聖剣:ローズ・アブソリュートを衝角に見立て、防護障壁を食い破る。
母船に別れを告げた白き翼は、まだ上空で渦を巻く虚数空間へと迷い無く突っ込んだ。
助けなければならない人々が、まだ幾人もそこにはいるのだ。




