■第一七〇夜:決別のとき
「不死身の騎士:ガリューシン?」
「きみたちにとっては、白騎士と言ったほうが通りがいいか。オズマヒムとの一騎打ちの最中、黒翼のオディールが天空から狙撃した騎士だよ。アスカを……女性を辱めて悦に入っていた卑劣漢を騎士と呼んでいいのかどうか、ボクには認めがたいけれど」
アシュレの説明に、真騎士の乙女は息を呑んだ。
先ほどまで投影のなかでオズマドラの皇女:アスカリヤを嬲っていた男と、オディールが狙撃して殺したはずの騎士とが同一人物だという指摘に、思わず声が漏れる。
「バカな……。その男はたしかにオディール姉が射殺したハズだ。オディール姉の持つ雷霆槍:アストラウルステラの一撃で灰燼に帰したハズ……。いや、ちょっとまってくれ……そうだとしたら……アスカリヤを嬲っていたあの卑劣な男は……どうやって甦ったというのか。まさか、ほんとうに不死だとそう言うのか」
絞り出されるレーヴの独白に、シオンは頷いて答えた。
「アシュレとわたしで、この聖剣:ローズ・アブソリュートと竜槍:シヴニールの融合技で始末したと思っていたのだがな……。すんでのところで転移を終えていたのか」
アシュレとシオンの生み出した冠されし光輝なる精華の一撃は、孤独の心臓を後一歩のところまで追いつめた。
だが、その守りを切り崩している最中に、ビブロ・ヴァレリの物品転移によって回収されそうになった。
しかし、それに先んじて、今度はビブロ・ヴァレリ本体のほうをアシュレたちは引きずり出し、制圧したのだ。
そのため、転送途中であった物品と所有者の座標が互いに失われ、アシュレとシオンの攻撃を受け崩壊しかかった孤独の心臓は、虚数空間へと永遠に葬られた。
はずだった。
たまたまその至近距離に、極大の虚数空間が展開さえしていなければ。
オズマヒムとルカティウスが、そのなかで戦いを繰り広げてさえいなければ。
それを運命と呼ぶべきか、邪悪な《フォーカス》の備える悪の因果律とでも呼ぶべきか。
孤独の心臓の落ちた虚数空間の穴は、ふたりの戦いの場へと繋がってしまったのだ。
それがいま、アシュレたちの眼前へと帰ってきた。
「そなた、やれるか?」
もう一度、冠されし光輝なる精華を放つ余力があるか、という意味でシオンが、ちいさく訊いた。
「どうかな。この身が爆ぜてしまわなければいいけれど」
不敵に笑ってアシュレは答えた。
シオンにしても、アシュレの消耗の度合いは百も承知だ。
男の顔面はすでに蒼白で、目の下の隈もひどい。
戦乙女の契約の加護を得ていなければ、たとえ熟達の《スピンドル能力者》であってもとっくに死んでいるレベルだ。
「戦術的撤退を進言する」
「都合よく、みんなで空を飛べたら良いんだけど」
シオンの言葉に、無理を承知でアシュレはつぶやいた。
飛行系の異能は、真騎士の乙女たちの専売特許だ。
土蜘蛛たちも四肢に糸で編んだ膜を張り巡らし、上昇気流を捉まえて天に昇ったりはするが、真騎士の乙女たちのように自在に宙を舞うことはできない。
いま現在、この状況からすぐさま距離を取って脱出できるのは、隣で槍を構えるレーヴたち真騎士か、その血を引くアスカだけだ。
だが、いまアスカは飛べない。
自由な空の旅を約束する異能:白き翔翼を展開する《ちから》が、その肉体にはもう残されていない。
この甲板の上に、安全に戦隊全員を降ろすので精一杯だったのだ。
「一難去ってまた一難というわけだ。次々と無理難題が湧いてくるな」
どこか楽しげにシオンが言った。
もちろん意図的な笑みだ。
窮地に陥ったとき、いちいち不機嫌になっているようでは困難な戦いに勝てるわけがない。
だから、アシュレも笑う。
ここで怪物めいた不死の騎士と相果てるのが運命などと、受け入れるつもりは毛頭ない、と意思表示する。
どこかにまだ、この絶望的な状況をひっくり返す可能性があるはずだ。
胸の内でそうつぶやいて、周囲を見渡した。
その瞳が、さきほどヴィトライオンが飛び出してきた小型艇に止まる。
アシュレはそこに、幾人もの少女たちがこの成り行きを身を隠しながらにしても、見守っていることに気がついた。
「あのコたち……あれはどういう?」
「キミ、黒騎士──アシュレ、提案だ」
アシュレが少女たちに向けた視線に気がついたのか。
突如として、身を寄せレーヴが囁いた。
「わたしたちの脱出を手伝ってくれないか」
「きみたちの脱出? それは、どういう?」
桃の香りが、鼻先を掠める。
突然の成り行きに、アシュレは目を白黒させた。
十五メテル先で、孤独の心臓が脈動を始めているのが見える。
「わたしはキミと夜魔の姫とが繰り広げたという不死の騎士:ガリューシンとの戦いを、直にこの目で確かめてはいない。だが、キミたちがそれほどに恐れるのだ。アレはとんでもない相手なのだろう? わたしにもわかる。これほど離れていてさえ、さきほどまでこの船を襲っていたビブロ・ヴァレリの怨念に、勝るとも劣らぬ邪悪さを感じるのだ」
レーヴはアシュレの目を見て言った。
「ここはふたたび戦場になる。さきほどと同じか、それ以上に凄惨な」
そうなのだろう?
言外に訊くレーヴに、アシュレは率直に答えた。
「ああ、間違いなく。すぐにも地獄が来る」
やはり、とレーヴは頷く。
「わたしは、わたしたちの幼い妹たちを、その地獄から逃したい」
そのひとことで、アシュレにもレーヴの意図するところが、すぐに理解できた。
「じゃあ、あの小型艇は……」
「そういうことだ。旗艦であるゲイルドリヴルほどの戦闘能力はもちろん望めないが、数十人を乗せて空を駆けることならできる。ここから脱出する助けになるはずだ」
「子供たちが乗せられているということは、そういうことか……」
「わたしたち真騎士の乙女のことをキミがどういうふうに理解しているかはわからないが、ヒトと真騎士、互いの種は違っていても、年若い妹たちを無為に散らせたくはないという思いは通じるはずだ」
レーヴの言葉に、アシュレは無言で賛同の意を表した。
「大人の……いや、オディール姉の勝手な理想にあのコたちまで殉ずることはない。脱出の機会を逸して、こんなことになってしまったが」
「レーヴ、きみは、そのために危険な船の外壁部に留まっていたのか。それだけじゃない。ヴィトラまでも、一緒に逃そうとしてくれた……」
「い、いや、それは偶然だ。わたしが最初に彼女を匿ったのがあの船だっただけだ。敵の馬を本船に連れ込むわけにもいかず……たまさか、都合が重なっただけのことだ」
けっして、敵に対して情をかけたわけではないのだからな!
レーヴは頬を紅潮させて付け加えた。
そんなレーヴの強がり方を、かわいらしいとアシュレは感じてしまう。
「なんだ、その笑い方」
「いや、なんでも」
「申し出を受けるのか、受けないのか」
「受けるのはやぶさかではないけれど、ひとつきかせてくれ。真騎士の乙女として、これは裏切りにはならないのか」
アシュレの指摘はおだやかで、むしろ優しいとさえ言える口調だったが、それが真騎士の乙女には堪えたようだった。
胸を抑え、声を震わせて、返答した。
見れば手だけでなく、脚までも震えている。
「わたしは……わたしはもうオディール姉のやり方にはついていけない。古くさい頑固者と言われようと……あんな、あんなやり方で勝ちを拾い人心を操作して……あれは違う。違うと思うのだ。わたしたち真騎士の乙女たちが望んだ英雄との関係では、あれは断じてない」
アシュレが彼女のことを好ましいとハッキリ自覚したのは、このときだった。
「つまり、自分の《意志》を貫くと、きみは言うのだな」
「ああ。そうだ。賛同してくれる姉妹はいないかもしれないが、それでも譲ってはならぬものが我々にはある。あるはずだ」
「騎行師団から離反した真騎士の乙女は……どうなるんだ?」
「地の果てまでも容赦なく、追手が差し向けられるだろう。だが、それでもかまわない。わたしは妹たちを救いたい」
彼女の覚悟に、アシュレは同意した。
刻を見計らったように、しばらく動きを止めていた孤独の心臓が、急速に勢力を拡大しはじめる。
ゴキリ、メキメキメキ、グシャリ、と胸の悪くなるような音が甲板を通じて、足下から響き渡る。
艦内からの悲鳴、怒号がそれに続く。
ゲイルドリヴル内部へも、孤独の心臓が根のようにその勢力を伸ばしている証拠だ!
「話はまとまったか、アシュレッ。時間がない。彼奴め、動き始めるぞ!」
聖剣:ローズ・アブソリュートを振りかざして、シオンが言った。
「飛翔艇:ゲイルドリヴルはわたしたちの船だ。ゆえに、ここはわたしが食い止める。キミたちは小型艇を目指せ!」
雷槍:ガランティーンを構えてレーヴが叫んだ。
同時に光り輝く翼が、その腰から展開する。
言うが早いか跳躍し、宙を舞うヒトとなる。
「いけ、黒騎士!」
「レーヴ、深入りはダメだ。アレはひとりでは手に負えない!」
「ひとりではない! アシュレ、そなた、ここには“叛逆のいばら姫”もいることを忘れたか。聖剣:ローズ・アブソリュートと真騎士の乙女の槍の組み合わせは、そなたとわたしのそれと比べても遜色ない戦力だ。たとえ連携が不慣れでも、竜槍の特性は充分に把握している。時間を稼ぐくらい、わけないであろう」
勇猛果敢に孤独の心臓へと挑みかかるレーヴを支援しながら、シオンが叫んだ。
「すまない、シオン。頼む!」
「船の準備ができたらすぐさま合図しろ。タイミングを合わせて引く!」
アシュレは槍を掲げ、聖盾:ブランヴェルを始動させながら応じた。
アスカを抱きかかえ、さきほどまでの定位置に納める。
それから、騎士たちの戦いの邪魔にならぬよう、ちいさく身を屈める裸身の美姫に謝罪した。
「アスカ、ごめん。お父上のことは……ここまできたけど……いまは無理だ。かわりにレーヴがいろいろと教えてくれると思う。彼女はオズマヒムに対するオディールの行いを目の当たりにしたからこそ、離反を決意したのだから。だから、くやしいけど……脱出を優先する。それでいいかい?」
アシュレの腕の下でアスカは、ゆっくりと頷いた。
ほんとうに納得できたのかと問われたら、たぶん違うのだろう。
だが、アシュレの言う脱出のタイミングがいまここしかないことは、アスカにもハッキリとわかっていたのだ。
迷っていていい時間は、もうない。
あるいはこのときもう、予感があったのかもしれない。
父とはもう、ヒトとしては会えないのではないかと。
そのアスカの予感の正しさを、アシュレもすぐに思い知ることになる。




