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■第十五夜:愛の呪式

 ノーマンとイズマ、アシュレとアスカがそれぞれの敵と相対していたころ、シオンとイリスもまた、フラーマの落し仔と対峙していた。


 だが、そのさなか「くう」という可愛らしすぎる悲鳴をあげて、シオンがしゃがみ込むのをイリスは見てしまった。


 おぞましいフラーマの落し仔たちとの戦いのなかで、聖剣:〈ローズ・アブソリュート〉で武装した最上級の夜魔という存在が味方であった場合、これほど心強いものなのかということを、イリスはいまさらながらに思い知っていた。

 舞い躍るようなシオンの体裁たいさばきから繰り出される〈ローズ・アブソリュート〉の一撃は、大挙して押し寄せる落し仔の群れを、白熱する刃が飴を溶かすように、たやすく葬り去っていった。


 たとえ、ほんのかすり傷からでも〈ローズ・アブソリュート〉が落し仔たちに与えた傷は瞬く間に傷口を広げ、致命傷となる。

 廃神すたれがみとはいえまがりなりにも神の眷族けんぞくとなれば、おそらくは、ほとんどの金属に対する呪的耐性じゅてきたいせいを備えており、ただの鋼では傷さえ負わせられぬ可能性が高かった。


 いや、実際、イリスの装備する眼鏡のカタチをした《フォーカス》:〈スペクタクルズ〉はそう告げていた。

 だが、伝説の武具である〈ローズ・アブソリュート〉の刃は、その神性さえも凌駕りょうがして、敵を滅したのである。


 シオンを前面に押し立て、イリスが〈スペクタクルズ〉を用いて仮想的なマップを構築、敵の情報・挙動・陣形を読み解きながら前進するふたりのコンビネーションは、相当に強力だった。


 そうやって突き進むうち、霧の空を光条が切り裂いた。

 アシュレだ、とシオンが言い、応じるように大技を繰り出す。


挿絵(By みてみん)


 ――《プラズマティック・アルジェント》。


 なかばプラズマ化した〈ローズ・アブソリュート〉の刃が舞い散るバラの花弁のように渦を巻き、周囲の敵を中心部へ引きずり込みながら粉砕するさまは、恐るべき広範囲殺戮さつりく攻撃であるのに胸を打たれるほどの美しさを備える。

 また、攻撃の前後に喚起かんきされる清々しいバラの香りが、落し仔たちの甘ったるいミルク臭を打ち消し、呼吸を楽にしてくれた。


 応えるように、アシュレの光条が夜陰を貫いた。

「合流しよう」

「合流しましょう!」

 シオンとイリスは同時に言った。


 潜む敵を見出し、記録し、敵の陣形を察知する〈スペクタクルズ〉と、破格の攻撃能力を備える〈ローズ・アブソリュート〉によって支えられたふたりの快進撃は、止まるところを知らぬはずだった。

 このままアシュレと合流してしまえば、いまだ正体・得体の知れぬフラーマにさえ勝機がある、と確信していた。


 その矢先にシオンが倒れたのである。

 いや、正確にはしゃがみ込んでしまった。

 くう、というかわいらしい悲鳴とともに。


 イリスは慌てて駆け寄った。

 幾度目かの大技を放ち終えた後で、船体の残骸の集合体である浮島は上下に揺れている。

 立て続けの連続技が負担を強いてしまったのか、と考えたのだ。


 駆け寄ったイリスの見たシオンは、眉根を寄せ、同性の彼女が見ても魅入られるような表情をしていた。

 剣を手放し、装甲された両腕を自ら抱いて恐れに震える子鹿のように、すくんでいる。


「やられた」

 そう言うシオンの吐息は、気のせいだろうか艶めかしく濡れていた。

「ヒラリのやつ、墜ちおった」


 アシュレの光条に目がくらんだのだ。

 シオンが言い、イリスは息を呑んだ。

 ヒラリはコウモリであるから、もしかしたら視覚というより帯電した大気にやられた、というのが正しいのかもしれないが、大意は伝わる。

 

「海にッ?」

 使い魔とその主人の間には、霊質的なリンクが存在する。

 使い魔の危険=即、主人の命の危険、というわけではないが、相当のダメージ・苦痛があることはイリスにもわかっていた。

 例えるなら、その痛みの質は癒着ゆちゃくした傷口を無理やり引きがされるようなものだ、とも。

 だが、シオンの様子は、それとはまた違っていたのである。


「頭。頭髪だ。この感触、匂いは——」

 シオンが口を押さえてのけ反る。

 全身が痙攣していた。

 意志とは無関係に暴れ回る肉体を〈ハンズ・オブ・グローリー〉で装甲された腕が必死に押しとどめる。


「だめっ、だめだっ、これっ、ぜん、ぜんぜんっ、ぜんぜんっ、むりだっ、耐え、られないっ」

 切迫した声でシオンが訴えた。

 それでイリスにも事情が飲み込めた。

「もしかして、アシュレのところに墜ちたの?」


挿絵(By みてみん)   


 こくっ、こくっ、とシオンが頷くことで同意を伝えてくる。

 いつも冷静沈着で我慢強いシオンが身を強ばらせ、泣いていた。


 イリスの顔から血の気が引いた。

 その原因が自分にあるのだと気がついて。

 かつて、まだイリスがユーニス、あるいはアルマというふたりの女性であったとき——あるいはその孤独な心の融合体となって間もないとき、彼女たちは決して許されない、許されてはならない所業をアシュレに強いた。


 聖遺物であるふたつの《フォーカス》=〈デクストラス〉と〈パラグラム〉を用い、アシュレに《ねがい》を射込んだのだ。


 理想の王として。


 さらに、その王の妻を望んだ彼女たちは、アシュレが《自分たち》だけを求めるように仕組んだ。

 それは重度の後遺症のようにアシュレにつきまとい、アシュレは彼女たちの誘惑に抗えない肉体となった。

 もし、彼女たちの思惑通りことが運んでいたなら、アシュレは彼女たちの理想的な主人であり、同時に従順な虜囚と成り果てていたはずだ。

 それは《ねがい》の操り人形。


 吐き気がするような発想だとイリスは思う。

 だが、同時に、ふたりの女性——結果としての自分自身に、深い共感を憶えてもいたのだ。


 もし、そうやってアシュレを独占できるなら、できるのだとしたら——もう一度、同じ選択肢を突きつけられたなら、やはり同じようにするだろう。

 そう考えてしまう自らの卑小さ、みにくさに胸が潰れそうになるようになった。


 もちろん、アシュレがそうであるのと同じで、イリスもまたアシュレを求めずにはいられない。

 ある意味で、それは等価の呪いではあったのである。

 だから、アシュレの静養のためにと自粛した数日は地獄のようだった。

 たった一日、触れてもらえないだけで気が狂いそうになった。


 アシュレへの想いが胸の中を嵐になって吹き荒れ、肉体は翻弄ほんろうされた。

 あまりのことに恥じ入れば恥じ入るほど、症状は悪化することを知った。

 今夜、同道したのだって、もし生き別れになったら、自分だけが残されてしまったら、と考えると耐えられないのがわかっていたからだ。


 間違いなく狂死する、と知っていたからだ。


 イリスは自らの恥知らずな《ねがい》のありさまと、羞恥で胸が張り裂けそうになる。

 それなのに求めることをやめられない。

 アシュレが好きなのだ。

 恋慕の想いとその発露としての欲望で、高鳴りすぎた心臓が止まってしまいそうだった。


 だから、もし、呪いが完全に効いていてアシュレを自分と同じ身体にしてしまっていたなら、その足下に身を投げ出して一生の隷属を誓願していただろう。


 それぐらいしか償う方法が思い浮かばなかった。


 だが、結果として、アシュレに刻印された呪いは、イリスが考えたよりは深刻ではなかった。

 その屈服と服従の呪いを受け止め、効果を減じた乙女がいたからだ。


 シオンザフィル・イオテ・ベリオーニ。

 夜魔の大公:スカルベリの息女殿下。


 ふたりではじめてアシュレの部屋を訪れたとき、イリスにはそれがわかった。

 呪いは、その対象が限定的であればあるほど強くかかるものだ。

 裏を返せば対象が分散すると、その効果も薄れる。

 アシュレにかかるはずだった呪いの大半が、シオンに移し替えられていたのだ。

 かわりにシオンはイリスと同じ苦しみを背負うことになった。


 愛情と恋慕と愛欲の牢獄に捕われてしまった。


 そんなシオンが、イリスが味わったのと同じ断絶のあと、想い人の匂いや体温や感触に接してしまったらどうなるか——結果は火を見るよりあきらかだった。


 媚薬の原液で満たされた水牢に、手枷足枷をされ、放り込まれるようなものだ。

 もがけばもがくほど、あがけばあがくほど、媚薬を飲み、肌から浸潤しんじゅんしてしまう。

 夜魔は種族として毒や病に極端に強い耐性を持つが、愛はそんな耐性など関係なく素通しで心を捉えてしまう。


 いや、むしろ、なまじ耐性が高いせいで、それらに翻弄ほんろうされた経験がないゆえに、致命的である可能性さえあった。

 対処法がわからない、という意味で。


 解呪の方法がないわけではない。

 イリスは独自に、その方程式へと辿り着いてはいた。

 ことの仔細を伏せたまま、イズマにその手の呪法についての質問を行い、理解を深めたのだ。


 イズマは、さすがは権謀数術に長けた土蜘蛛の王であった。





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