■第一六八夜:騎士と乙女
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「そこまでだ、黒騎士ッ!」
そのとき真騎士の乙女:レーヴスラシスは、旗艦:ゲイルドリヴルの甲板に墜落してきた不審な男を発見した。
艦首粒子砲の一撃を持って悪しき皇帝:ルカティウスを討ち果たし、忌まわしき魔導書:ビブロ・ヴァレリの呪詛を打ち破ることに成功した直後のことだ。
虚数空間の被膜を潜り、元いた世界へと舳先から突き抜ける。
ルカティウスとの戦いの途中からレーヴは艦の外部に跳び出して陣取り、手にした神槍:ガランティーンで呪詛や瓦礫から船を守るため奮戦していた。
暗雲を振り払い、朝日が地を照らすように、飛翔艇:ゲイルドリヴルの船体が光を取り戻し、輝く防護障壁が《ちから》を増して行くのを見た。
勝ったのか、と我知らずレーヴはつぶやいていた。
真騎士の乙女たちを乗せた船はついに、邪悪なる帝国の皇帝と魔導書が操る魔の軍勢との戦いに打ち勝ったのだ。
ぐんぐんと出力を取り戻し船体を安定させていく飛翔艇:ゲイルドリヴルの姿は、その証にほかならない。
だが、だからこそ、輝ける防護障壁を切り裂いて落ちてきた男の登場は、あまりに突然で、唐突で──レーヴにとっては晴天の霹靂、そのものだった。
さらにとんでもないことに、男は一糸まとわぬ姿の美姫をふたりも抱え、光り輝く剣で武装した見目麗しき女剣士をも従えていた。
抱えられているうちのひとりは少女のようで、それが目隠しされ盾に縛りつけられて拘束され、あられもないほどに泣かされている。
不埒な、とまず反射的にレーヴは思った。
次に少女を拘束する騎士の容姿を改めて認めて、今度は心臓が跳ね上がるような経験をした。
なぜならそれが、先だってレーヴと死闘を演じたヒトの騎士、そのものだったからである。
「黒騎士、どういうことだ。キミはここへ、なにをしに来たッ?!」
レーヴからの誰何にまず反応したのは、騎士本人ではなく、かたわらにひかえる美貌の女剣士であった。
再展開された飛翔艇:ゲイルドリヴルの防護障壁を切り裂いたのは、この剣士の握る異形の大剣である。
野ばらを集め束ねたような光で出来たその刀身が、膝をついた黒騎士や無防備な女たちを護るようにかざされる。
以前の戦いで、黒騎士の加勢に現れたときの立ち振る舞いから、相当の手練であるとは分かっていた。
もし争いになれば、レーヴとて無事では済まされぬ使い手だ。
だが、その手を止めたのは黒騎士だった。
「シオン、まって。待ってくれ。そのヒトは、レーヴスラシスは敵じゃない」
間違いなかった。
声や容姿だけではない。
命を賭けたやり取りを経た自分をそのヒトと呼び、敵ではないと断言した男のことを、レーヴが忘れるはずがなかった。
「キミ、黒騎士。なぜ、ここにいる。どうして……その女を連れている」
油断なく槍を構えたまま、レーヴが問いを繰り返した。
問題だったのは、彼が抱える美姫たちのうちのひとりだった。
片膝をついたままの黒騎士に縋る女のことを、レーヴは明らかに知っていた。
見間違えようがない。
両脚を成す《フォーカス》、告死の鋏:アズライールがなによりの証拠。
その持ち主は、いかに世界広しといえどもひとりだけ。
虚偽と欺瞞の皇女:アスカリヤ・イムラベートル。
そんな女を、なぜどうして彼が抱えて、いまここにいる?
「レーヴ、ボクの名はアシュレ。アシュレダウ・バラージェ。エクストラムの元聖騎士。ボクがここにいるのはオズマドラの皇女:アスカリヤを助け、魔導書:ビブロ・ヴァレリに陥れられた仲間を救出するためだ」
狼狽を見せるレーヴに、アシュレはできる限り誠実に言葉を選んで語った。
巨大な瓦礫が降り注ぎ、つい先ほどまでは呪詛の嵐までも吹き荒れていた危険極まる甲板上に、まさか真騎士の乙女が単独展開していたとは予想外だった。
しかし、そのたったひとりこそがレーヴであってくれたことは、ありえぬほどの僥倖であるようにアシュレには感じられた。
戦っているときから彼女とは通じるものを感じていた。
黒翼のオディールによる卑劣な狙撃を防いでくれたのも彼女だ。
不思議な運命が彼女との間にはあるように思えた。
むしろ、アシュレからの正直な告白を受け、言葉にならぬほどの衝撃に貫かれたのはレーヴのほうだった。
エクストラムの聖騎士といえば、人類圏最高峰の英雄候補たちである。
元というからには、このアシュレという男子はその地位を投げ捨てて、いまここにいるということになる。
聖騎士とはすなわち国家機密、それももっとも後ろ暗いオーバーロードとの戦いや、重要な聖遺物の奪還、そして聖人認定を司ってきた重要人物たちのことだ。
エクストラム法王庁という疑り深い組織が、簡単にそんなことを許すはずがない。
聖騎士を辞するときは死するとき。
そうでなければ、守れぬ秘事というものがあの国にはある。
一〇〇〇年に渡りオーバーロードや夜魔、それに戦鬼──そのほかの怪物たちと戦い続けるとはそういうことだ。
だとすれば、これは虚言と取るのが冷静な判断というものだろう。
『だが、いまウソを並べ立てることに、どんな利点があるというのか?』
レーヴの頭のなかで、別の部分がそうささやいた。
たとえば彼はなんらかの事情で、国からも追われているのではないか。
なにか重大な秘密を知り得てしまったがゆえに、国家からの離反を決意し、ここにいるのでは?
そこまで考えて合点する。
最初に彼が黒騎士を名乗った理由。
その地位と名誉を回復させるためではなく、人々のために戦うと断言したときのことを。
自分を大きく見せるウソをつくのは、簡単だ。
だが、たとえウソであろうとも命をかけてそれを貫くのは、困難を極める。
実際に命のやり取りをしたレーヴだからわかる。
そもそも、そのウソのために世界中が敵にしたアスカリヤという女を助けに来る……来れるか?
いまこの女を助けるは、それこそ世界の敵になると公言したも同じ。
イクス教徒の総本山:エクストラムから追われた次は、その対抗勢力のなかでも最大のアラム教圏までも敵に回したことに、これで彼はなるわけだ。
そんな生き方のどこにウソがあるだろう。
もう一度、アシュレの全身を上から下まで見渡して、レーヴは震えた。
本気だ。
この男は本物なのだ。
嘘偽りで己を大きく見せようとする人間ではなく、実際に自らが死地に飛び込み、関係した人間たちを助けることによって立証していく存在なのだ。
ヒトはそれを馬鹿とか、阿呆とか呼ぶだろう。
しかしレーヴは、英雄という生き方そのものに絶対の価値を見出す、純血の真騎士の乙女だった。
見るが良い、とレーヴは己に言い聞かせた。
ただの嘘つきが本来真騎士の乙女の武装である竜槍の類いを帯び、聖なる《ちから》で護られた盾を掲げることなどできはしない。
《フォーカス》の試練は、それが強力であればあるほど、格の高い武具であればあるほど熾烈を極めるのは、真騎士の乙女であれば皆知るところだ。
それに……レーヴはもうひとつ決定的な証拠を知り得ていた。
黙っていたのはにわかには信じられなかったことと、本人に問い質すまでは確信が抱けなかったのだ。
だから、問う。
信じられないと、自分でも思いながら。
「では、ほんとうに、ほんとうに……あの馬……ヴィトライオンが語ってくれたキミの話は、すべて本当だったというのか……」
「ヴィトラ?! どうして、キミがその名を?! ヴィトラがここにいるのか」
反応は劇的だった。
レーヴとの間に立ち塞がろうとするシオンを抱き寄せ、距離を詰めてアシュレは訊いた。
急くような調子が言葉に宿る。
その様子に、レーヴは思わず身を引いた。
刹那、どこからか、いななきがするのをアシュレは聞いた。




