■第一六七夜:悪夢は滅びない
ガガゴンゴン、ガツンとそこそこの重量物が飛翔艇:ゲイルドリヴルの前甲板に激突する音がした。
ビブロンズ帝国最後の皇帝:ルカティウスを粒子砲を用いて撃ち抜いた瞬間から、迷宮の崩壊は始まっている。
その崩落が引き起こす大小様々な破片が船体に激突してきてはいても、英霊への転成を果たしたオズマヒムが展開する防護障壁は完璧で、船体は完全に安定を取り戻していた。
だからこそ、オディールは防護障壁を貫いて船体にぶつかった代物と、その存在が立てる異音を気に留めた。
「各部、損傷はどうか。真騎士の乙女たち、ファルネ、セラシア、アーレイナ、レーヴ、報告せよ」
伝声管に呼び掛ける。
応えはすぐにあった。
『こちら、ファルネ。外部装甲の被害甚大ですが、機関にまでは影響なし。手傷は負いました。でも、なんとか堪えてます、姉さま』
『こちら、セラシア。一部の櫂が破壊されているが、航行に重大な支障なし。呪詛どもはなぜか潮が引くように後退した模様。負傷しているが、傷はたいしたことはない。問題は呪いのほうか。姉妹たち、無事か』
『アーレイナです。こちらも外部装甲は手酷くやられています。実際、危ういところでしたが、突然、迫ってきていた呪詛の群れが消えました。我々の勝利です』
「ご苦労だ、諸君。皆、よく奮闘してくれた」
次々と上がってくる真騎士の乙女たちの報告に、オディールはひとつずつ頷きながら返した。
表立って戦場に立つ乙女たちの他に、まだ若い姉妹たちがこの船には五〇名ほど従者として同乗していた。
そちらへの被害も相当出ているようだが、前線で槍を振るったセラシアたち精鋭の奮戦で、なんとか凌ぎきったようだ。
だが、前線で戦っていたはずの乙女たちのうち、ひとりからまだ返答がなかった。
「レーヴ、レーヴスラシス、そちらはどうなっている」
指揮官たる自分の呼び掛けに応えないとは、まだ訓練気分が抜けないのか。
末妹:レーヴはさきほどの夢想の主役でもあっただけに、その無言が、いっそう苛立たしくオディールには思えたのだ。
だが、三度めの呼び掛けをオディールがするより早く、こんどはレーヴのほうから名を呼ばれた。
『オディール、オディール大姉』
「おお、レーヴ。なにをしている。早急に被害状況を確認せよ。無事か」
『なんとか、無事です。ですが……』
「我々はすぐさま魔導書:ビブロ・ヴァレリの追討に移る。察するに先ほどの一撃が彼奴めの急所を突いたのだ。カビ臭いこの迷宮の崩落はその証拠。偽書の群れを焼き払い、我らが王道楽土をこの地に降ろす。その玉座に座るのは、オマエとオマエが選んだ若き英雄かもしれんのだぞ。急げッ!」
『オディール、ああ、大姉』
レーヴの様子がおかしいことに、このときようやくオディールは気がついた。
「どうした、レーヴ。我が妹よ」
眉根を寄せ、オディールはふたたび訊いた。
司令官たるオディールの呼び掛けに応じなかったという粗相があっても、レーヴは大切な妹だ。
これまでずっと目にかけてきた。
槍の使い方、体捌き、《スピンドル》の御し方、そして真騎士の乙女としての立ち振る舞い。
幼い頃からそのすべてを叩きこんできた。
文字通り手取り足取り、寝食を共にして。
生意気ではねっかえりなところがあるが、それすらも彼女の愛すべき美点だと思ってきた。
だから、レーヴの返答は、まさに衝撃だった。
『許しは乞いません。ですが……レーヴは、レーヴスラシスは今日、この日、この刻をもって離反いたしますッ! オディール姉、わたしはもう、あなたと同じ道を歩むことはできないッ!』
「なっ」
状況の急転が理解できず思わず言葉を失ったオディールを、さらなる混乱が襲う。
ガツン、ゴキリ、メキメキメキ、ボキリッ。
それはまぎれもなく、時間壁の攻撃と呪詛による波状攻撃で脆くなった外部装甲が砕ける音だった。
攻撃?
攻撃を受けているのか、これは?
「バカな、英霊化を遂げたオズマヒムの展開する防護障壁を潜りぬけてきたと言うのかッ?!」
オディールの叫びに応じるように、各部の状況を知らせる投影が復旧した。
そのなかのひとつにオディールの、そしてオズマヒムのもはやヒトのものではなくなってしまった眼球さえもが釘付けとなる。
万全とは言い難い、荒い映像。
ときおり、水面に映った月のように場面が揺らぐ。
果たしてそこに映っていたのは、飛翔艇:ゲイルドリヴルと同じく白銀の外装を持つ小型艇だった。
いざというとき船から負傷者を脱出させるために、四艇備え付けられている船のひとつだ。
続いて乗り込む者たちが映し出された。
黒騎士:アシュレ、廃皇女:アスカリヤ、夜魔の姫:シオン。
そして、それを助け援護するは、真騎士の乙女:レーヴスラシス。
なにより印象的だったのは黒騎士:アシュレの盾に結わえつけられた少女と彼女が抱える一冊の本──。
「アレは──まさか、まさか、レーヴ、やめよそれはッ!」
オディールの叫びは届かない。
なぜなら、甲板の状況を映し出していた投影の送信がそこで途絶え、かわりにあの胸の悪くなるような轟きがふたたび鳴り響いたからだ。




