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■第一六〇夜:聖柩


「聞け、オズマヒム。いま、眼前で起きていることは現実であり、事実だ。我々がここまで乗り込んできた理由のひとつは、このためだったではないか!」


 飛翔艇:ゲイルドリヴルの指揮所内部では、艦内の照明が激しく明滅を繰り返していた。

 それは物理的な危険についてももちろんそうだが、艦を掌握していたオズマヒムの精神が激しく動揺していることを示している。


 ルカティウスが突きつけた事実、そして愛娘:アスカリヤの陥った窮状きゅうじょうがオズマドラ大帝を一撃した。

 己の罪、愛した女を死なせてしまったこと、そして愛娘の出自の秘密。

 それら人間としての感情が、英雄という規矩、大帝という統治者としての規矩によって押さえ込まれてきた限界を突破して、その胸中で、頭蓋のなかで暴れ回っていたのだ。


 もし、オズマヒムが過去、ブリュンフロイデとともにあった当時の英雄のままであったのなら、ここまで崩されはしなかったであろう。

 しかし、いま現在のオズマヒムは違う。

 一度、壊れてしまった心という器は、もう元には戻らないものだ。

 

 このとき、いち早く自分を取り戻したのは真騎士の乙女:オディールであった。

 苦しげに胸を押さえ膝をついたオズマヒムのかたわらにはべり、叱咤しったする。


「立てッ! たしかにアスカリヤが、オマエの血を引いていないという事実は想定してはいても未確認だった。突きつけられた事実が、オマエを苦しめるのはわかる。だが、思い出せ。それを予想したからこそ、我らはここに来たのだ。そうなのではないかと予想しえたからこそ、過去を清算し、アスカリヤを作り替えるために来たのだ!」


 本懐を忘れるな!

 自らの介添人たるオディールの言葉に、オズマヒムは狼狽する心を正すようにして首を振った。


「そうだ。我は、我らは、過ちを正すためにここに来た」

「そうだ、オズマヒム。過去を清算するために、だ」

「そうだ。浄化だ」

「そうだ、そうだぞ。過去の汚点を拭い去り、正しき流れに世界も、オマエも、アスカリヤも修正するために、だ」


 ああ、そうであったな。

 唇から流れ出る吐瀉物混じりの唾液を拭い、オズマヒムは我を取り戻した。


 だが、これをと呼んでいいものかどうか。

 オディールは思う。


 この男の精神はすでに常軌を逸している。

 もとより、最愛の妻:ブリュンフロイデを失った絶望と彼女が残した一粒種に対する疑念、そこから逃れるために溺れた酒と薬物の数々が、長年の間に男の心を蝕んでいた。

 それはオディールの手なるものではない。

 黒翼の真騎士が手を下す前に、男の心はすでに砕けていたのだ。


 だから、オディールはそこに開いた穴へと吹き込んだ。

 毎夜、しとねで、その耳に。

 来るべき英雄のくにと、そこへ至る道筋を。

 過去を清算し、ふたたび栄光の道を歩むための方策を。


 真騎士の乙女たちの歌声には、人心を揺さぶる魔力がある。

 繰り返し耳元で囁かれる来るべき英雄譚は、容易に傷ついた精神に染みていく。


 それは一種の妄想だが、生きる目的を見失った男にとって、地の底に差した一条の光に等しい。


 そして、ある決定的な報償が、その妄想を「現実のもの」だと確信させた。


 真騎士の乙女の加護。

 すなわち、戦乙女の契約ヴァルキリーズ・パクト

 

 オディールは己の肉体と尊厳までも、その復讐のためのたきぎとして火にくべたのだ。

 妹に夢中になった男を、こんどは己に溺れさせ依存させることで、復讐を成就できると考えたのだ。


 オズマヒムはいまやオディールと交わることでだけ、その加護が続く間だけ、英雄としていられる。

 妹:ブリュンフロイデへの謝罪を祈祷のごとく繰り返しながら、自分の肉体と加護に溺れて行くオズマヒムの姿は、オディールに嗜虐しぎゃく的な悦びを抱かせた。


 かつて、妹の死を知り、罪の子であるアスカリヤの存在に辿りついたあの日の誓いへ、復讐の成就へと近づいていると感じさせた。


 たとえ、成り損ねの男であったとしても、その頭蓋の奥に理想・・を吹き込み、我が加護によって立たせれば立派に英雄を演じてくれる。

 側近どもはその威光を恐れるあまり、疑念すら抱かない。

 そうやってオズマドラ帝国はかつてない繁栄を享受した。


 偽りの栄華を極めた帝国には、偽りの大帝がふさわしい。

 傀儡、どころではない。

 オマエたちが信奉し、心酔する大帝はわたしが映し出す光る影──虚影なのだ。


 その特殊な優越感は、オディールの心をしばし慰めた。


 だが、ことここに至り、オディールは決断のときが迫っているのだと知った。

 これまではオズマドラという帝国を率い動かすため、オズマヒムの人間性がそれでも必要だった。

 真騎士の乙女たちには統治というものがわからない。

 支配ならば、すこしは理解できるのだが。

 だからこそ、煩わしく惰弱で迂遠な政治を行うため、オズマヒムの人間性を消し飛ばすわけにはいかなったのだ。


 だが、いま、この局面においてそれはもう無用ではないのか?


 事実、この男の動揺は、その人間としての心の弱さに原因がある。

 我が子ではない、血の繋がりなどないと知らされてこんなに激しく狼狽してしまうのは、この男:オズマヒムが、いまだに最大の汚点:アスカリヤのことを気にかけてしまっているからだ。

 切り捨てなければ、と確信した。

 その想い、執着、残念を、だ。

 焔によって昇華しなければならない。


「オズマヒム──我が君よ、どうやら刻が来たようだ」

「刻が来た? どういう意味だ、オディール、我が運命共同体パートナー

「いまこそ、英霊転成アセンションのときだ。その心に宿る迷い、残念を自ら焼き払うときだ」

「な、に?」

「このままでは、我らは我らの真の目的にまで辿りつけぬ。ヒトの過去を暴く悪しき魔導書グリモアを焼き払うことができぬ。不浄なる過去を消し飛ばし、輝ける栄光のくにを作り上げるという大願成就に、至ることができぬ」


 ゴゴゴン、とオディールの言葉を肯定するように船体が鳴り、大きく歪んだ。

 迷宮支配者ダンジョンマスターとしての魔導書グリモア:ビブロ・ヴァレリの魔力が、時間の重みとなって飛翔艇:ゲイルドリヴルを圧壊させにかかったのだ。


 もはや外部の状況を知らせる投影すら明滅して、定かではない。


英霊転成アセンション……しかしそれは」


 どこか虚ろな声でオズマヒムが言った。

 あるいはそれは彼のなかに残されている人間性が示した生理的な拒絶反応だったのか。

 それとも死んでしまったブリュンフロイデが、その秘義の秘密をオズマヒムに伝えていたからなのか。


 英霊に転じるとは、すなわち人間としての死を意味していると。

 だからこそわたしは貴方を英霊にはできないのだ、と。


 しかし、ブリュンフロイデではない真性の真騎士の乙女:オディールは男の頬を両手で捕らえ、その濁った瞳をまっすぐに覗き込んで告げるのだ。


「アスカリヤを救うのだ。あの哀れな娘の過去を、修正し精算してやれるのはオマエだけなのだぞ。正しき者に作り替えてやれ。それが、それだけが──唯一の救い」


 オディールの言葉の正しさを証明するように、もはや儚くなってしまった投影がアスカリヤの窮状きゅうじょうを映し出す。

 悪魔の騎士に、陵辱を懇願する姿。


アレ・・が、あのようになってしまったこと──女性にょしょうであることも、オマエの血を引いていないことも、そしてヒトでさえないことも──すべてを無かったことにして助けてやれるのは、オマエだけなのだ。父親のオマエ、オズマヒム、オマエがしてやらなければならぬことなのだ」


 オディールの言葉は詭弁だった。

 だが、その瞳に宿る光には、たとえ狂ってはいても信念と理想があり、その声には人間の背中を押す《ちから》があった。


「父親としての責務」

「そう、これは責務だ、オズマヒム」


 助けてやれ、あの哀れな娘を。

 オディールは囁く。

 そうしながらも内心で算段する。


 ここでの聖柩アークの使用について。

 想定外だったが、仕方あるまいと結論する。


 後の統治にオズマヒムの人間性は残しておいたほうが都合がよかったが、それは代りを見つければ済むことだ。

 なんなら先だって末の妹:レーヴスラシスとやり合ったアシュレとかいう若造でもかまわない。

 レーヴの反応からしてまんざらでもないはずだ。 


 英霊への転成アセンションは、素体となった英雄の心の純度、精神の気高さが鍵となる。

 だからこそ、ここまで使用を躊躇ためらってきたのだが──。


 あるいは娘を想うこの男の心は、正しく英雄としての気高さに届くのではないか?

 オディールがそう思い至るのと、オズマヒムの瞳にふたたび覇気が戻ってくるのは同時だった。

 

「そうだ……我はアスカリヤを救う」

「よし、そうだ、そうでなければ」


 自らの見立ての正しさに、オディールは頷く。

 オズマヒムの父親としてのアスカリヤへの執着は、転化させれば強力な動機──すなわち《意志》となる。


聖柩アークを使う」


 この男には、ここで英霊となってもらう。

 その《ちから》で局面を打開する。

 それで我が復讐は完成する。


 ガゴン、という音とともに、指令所の壁と言わず床といわず、あらゆる場所から尖塔ピナクルじみたモノリスが迫り出してきた。


「これこそ、我らが真騎士の乙女たちの至宝:聖なる柩──人類を英霊へと高めるはこ


 歌うようにオディールが言う。

 オズマヒムは挑むように立ち上がった。

 己が間違っているとも、謀られているとも、もう思うことすら出来ずに。




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