■第一五六夜:救出への疾走
ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ、GAaaaaaaRuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuu────ッ!!
太古の悪霊そのものの叫びが、三度、幼女を擬態する魔導書の口腔から迸り出た。
だが、その響きには憤怒や憎悪よりもはるかに多く焦燥が含まれている。
「無駄なあがきをッ!」
「イヒッ、イイイイ、イヤだ、わたしは、妾は、我こそはこの世のすべてを知る者ぞ! それが、それが、たかだか人間ひとりに──《魂》などという根拠不明の《ちから》に屈してなるものか。よいはずが、ない。ヒトの総意を取りまとめる聖なる史書たる妾が、私されてよいはずが、ナイッ! ないのだ!」
背後からシオンに刺し貫かれた格好のまま、ビブロ・ヴァレリは虚空に手を延ばして振るった。
するとどうしたことだろう。
アシュレの後ろで、轟音とともに蛇の神殿が頽れ始めたではないか。
「まさか、この状態でまだ迷宮支配者としての権能を振るえるのか?!」
「イヒッ、イヒヒ、ひひ、ふふふ。舐めるあああニンゲン、妾の《ちから》を、妾をだれだと思っているッ! 頭が高いぞッ! いますぐこの狼藉を止め、我に帰依せよ! さもなくば、貴様の愛した美姫は深い眠りのうちに瓦礫に押しつぶされて死ぬことになるッ!」
魔導書の叫びを証立てるように、頭上に投影が映し出された。
そこにはいまだ昏倒したように眠るアスカの姿が映し出された。
「む?!」
「どうした、アシュレダウ。はやくしろ、《魂》の駆動をいますぐ停止しろ。さもなくば、さもなくば──」
「ア、シュレ、ダメ。ごしゅじん、さま。コイツのいうことを、きいちゃ、ダメ」
ビブロ・ヴァレリの言葉に、一瞬だがアシュレが躊躇を見せたそのときだった。
いまやビブロ・ヴァレリに取り込まれ一体化しかけたスノウが、ビブロ・ヴァレリの腕を掴んだ。
思わぬところから突き出された横槍にさすがの禁書もギョッとなる。
「なにっ、汝、なにをする?!」
「させない。アスカ殿下を、やらせない!」
「き、きさまあああ、色気づきおって。バカめ、いまここで他の女どもを蹴散らしておけば、汝はこの男の一番になれるのだぞ?! なぜそれがわからぬ!」
「そ、そんな方法で一番になっても──ご主人さまは、騎士さまは、わたしを愛してなんかくれない!」
わたしはッ! と苦しい息の下でスノウが叫んだ。
「わたしはッ、並び立ちたい。同じになりたいんだよ! 同じ高さに、あの女たちが立つ高みに立ちたい! そういう人間にならなくちゃ、わたし、アシュレの横に居れないもん!」
「なッ──なんという愚かな! 《魂》は孤独の証。世界にひとつきり、ということはひとりっきりの世界にあれは属しているのだぞ?!」
「違う、ちがうわ、ビブロ・ヴァレリ。あなたは間違っている。ううん、真実を理解できない。したくないないのよ。《魂》の孤独は、選び取られたもの。そして、選び取られた孤独をなんて呼ぶのか、わたしは知っているもの」
「屁理屈を。いいか、オマエは辿りつけない。決して、あの男と同じ場所には!」
「立つ場所の問題じゃない! 高さの問題よ。わたしたちを取り巻き道を見失わせるだれかの理を突き抜け、その先にある頂きに立つこと。そしてその先にある景色を見て、また歩みはじめること。そういう、そういう人間にわたしはなりたいんだ! わかる? それは孤独じゃない。孤高ってことよ」
「おおお、オマエは人間ではない! 半夜魔の、巡礼者計画の、部品に過ぎないッ! 孤高などと、気の迷いだッ! 後悔するだけだッ!」
「その部品に叛旗をひるがえされて狼狽しているような連中の言葉なんか、信じないッ!」
先ほどまで次々と暴かれる己の恥部に震え縮こまっていた少女が、反撃に出た。
《魂》の与える高揚は、ヒトに己の尊厳と誇りを取り戻させる。
だが、アシュレもシオンも知っている。
先だっての交渉に寄与した決定的な情報。
それをアシュレに伝えたとき、スノウはまだ《魂》の影響下にはなかった。
つまりあれは純然たるスノウの《意志》そのもの。
だれかの《魂のちから》によってではなく、スノウは己のなかの羞恥のくびきを引きちぎったのだ。
それにしても、とシオンはまず呆れたものだ。
太古の悪霊も等しい敵を相手取り一歩も引かず啖呵を切るスノウの姿に。
なんと恥ずかしいことを臆面もなく叫ぶのだ、この娘は。
だが、次にその顔に浮かんだのは賛嘆と同志への親愛の情だった。
「よく吼えた、スノウッ! 手伝えッ!」
シオンの一喝に、こくり、とスノウが頷いた。
ビブロ・ヴァレリを押さえ込む《ちから》にスノウのそれが加わる。
「いまだ、アシュレッ! アスカ殿下を救出せよ!」
シオンの指示に、アシュレは目で応じた。
いけるかい、という確認。
「バカめ、なにをいまさら。《魂のちから》は時間と空間を超える。そなたとわたしの心臓が繋がっている限り、我らは一心同体。同じ《魂》を共有しながら、それぞれ個々の考えと《意志》を持つ。このアバズレ一匹押さえるくらいどうということもないわ。それに──」
「わたしも、わたしもいますからッ!」
案ずるなというシオンのセリフにスノウがかぶせた。
その様子に頷くや否や、アシュレはふたりに背を向け、武具を拾い上げると全速力で駆け出した。
アスカの眠る蛇の巫女たちの至聖所へ向かう。
 




