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■第十三夜:神話回路


 周囲を取り囲む敵を認識したノーマンが、その両腕にして《フォーカス》である〈アーマーン〉を展開させる。


 がしゅり、と危険な音がした。


 純白だった表面装甲が割れ、黄金で作られた内部構造があらわになる。

 それはまるで牙を剥く龍の咆哮のような声をあげた。

 あきらかに、質量的にも構造的にもしまい込んでおけぬ大きさの爪——いや、長大な爪を備えた掌そのものか——が、瞬きほどの間に、ノーマンの前腕ふたつと差し変わっていた。


挿絵(By みてみん)


 その爪の間を黒いスパークが音もなく渡っていく。


「ねえ、それ、使って大丈夫な武器なの?」

 下から見上げる目線でイズマが訊いた。

「出力は絞る。被害は最低限だ」

 ニコリともせずノーマンが答える。

 ただ、と言い添えた。

「近寄るな」

「近寄りませんとも」


 言い終えるや否や、突如として海中から突き立った光の柱に翻弄され機先を失った怪物たちに、ノーマンは警告なく襲いかかった。

 イズマはかつて《閉鎖回廊》であったイグナーシュ領に、ノーマンが単騎で、盾も槍も帯びずにおもむけた理由がわかった気がした。


 イグナーシュ領におけるイゴ村防衛戦において、その超絶的な体術は見ていたが、あれほどの危機にあっても、ノーマンは〈アーマーン〉の力を解放しなかった。

 一〇〇〇を越える亡者の軍勢に囲まれたときですらだ。


 理由がわかった。

 あまりにその力は残虐なのだ。

 暴虐、と言ってよいかもしれない。

 敵にではなく、味方に恐慌を起こさせるほど。


 フラーマの落し仔の一匹が、攻撃を受け止めるべく奇怪な形状の短剣を掲げたその腕ごと、それどころか頭部までなんの抵抗さえなく〈アーマーン〉は消し飛ばした。

 砂に描いた絵を波が消し去るように一瞬で。


 返す左手でノーマンが落とし仔の腹部を払うと、もうほとんど震える肉片と海水が作り出した染みしか残らなかった。

 吹き上がりかけていた真っ白な血しぶきが、宙にあるうちに跡形もなく拭い去られていく。


 そして、その威力に、ノーマンは表情すら変えなかった。

 高揚も痛痒もない、淡々とした作業のように全てをこなしてゆく。

 あえてたとえるなら、聖課をこなす修道僧のように。


 その純白の装具が巻き起こす金色と漆黒の嵐の前では、盾も鎧も意味をなさない。

 同じく《フォーカス》でなければ——たとえば、アシュレの盾:〈ブランヴェル〉のような——受けることは叶わぬであろう、圧倒的な暴威だった。


 イズマは前面をまかせることに決め、周囲と伏兵からの奇襲を警戒した。

 と、その眼前に短剣が突き立つ。

「うわっち」

 イズマは目を剥いた。

 ノーマンがフラーマの落し仔を、また一匹片づけたのだ。

 一方的な戦いぶりだった。

 そのとき弾け飛んだ怪物の得物が飛んできたのである。


 かんべんしてよ、とイズマは泣きそうになった。

 流れ弾にもほどがある。

 それから、ふと、とその短剣に注目した。


 刃より、その巨大な柄が注意を引いた。

 柄は異常に大きい。

 短剣、というよりこれは杭だ。


 刃は副次的なもので本体は柄であるように思われた。

 それは精緻せいちに彫刻されてはいたが、骨に間違いなかった。

 こんな巨大な骨を持つ生物を、イズマは竜の他に知らない。

 いや、と思い直した。

 先刻、自分たちを襲ったフラーマ本体ならありうるだろうか、と考えた。

 それから、そこに彫られた像の正体に気がついた。

 海水と落し仔たちの体液で濡れて、てらてらと光っている。


 祈りを捧げる聖なる乙女。

 ただ、イズマにはその乙女がフラーマであるのか、姉:アイギスであるのか、わからなかった。


 その面顔が仮面で鎧われていたからだ。

 ノーマンの語った神話の通りであるなら、最終的には姉妹は見分けがつかぬほど似ていたはずである。

 手を触れようとして、嫌な予感がした。

 呪術の香りを、イズマはそこに嗅いだ。

 こいつぁ、と思わず声が出た。


「ノーマン、絶対に短剣を喰らうな! やべーよ、やべーよ、なんか、すげーやべー匂いがすっぞ!」

「もとより! 呪いかなにか、か?」


 それ以上言葉にするまえに、イズマは回避を余儀なくされる。

 落し仔たちの緩慢な動きは、ある種のフェイントだった。

 油断して間合いに一匹を入れてしまった。

 想像以上の素早さ。

 ぎゅん、と突如として一匹が短剣を振りかぶり、振り降ろした。


挿絵(By みてみん)


 シィイイイッ! イズマは床板の上を独楽のように転がりながら、刃を引き抜き振るう。

 炎のように湾曲した一組の短剣。

 それを落とし仔の足下をり抜けながら切りつけたのだ。


 ぎゅぃい、と火にくべられた奇怪な虫が鳴くような声で、落とし仔が声を上げた。

 傷をかばうようにくずおれる。

 真っ白な体液がびゅううう、と噴いた。

 甘い、ミルクのような匂い。

 生ぬるい湯気が上がっている。


「どひー、勘弁してよ、もう」

 イズマがその異常な光景と、自らの得物えものを交互に見比べながら感想した。

 二本の剣が折れていた。切りつけた根元をから。


「数回切りつけたら、これですか! 簡易だっつっても、けっこう強い呪いで括ってあったんだぜ? それがぽきぽき、オモチャみたいに折れるかー? なんなんだよ、こいつら」

「落し仔たちは、あの鎖でフラーマと繋がっている。もはや一心同体なのだ。それで、フラーマの神としての不可侵性を一部、引き継いでいるのだろう」


 ノーマンが距離を取ったイズマと落し仔の間に割って入った。

 瞬く間に眼前の一匹を仕留める。


「それよりもあの奇怪な武器はなんだ?」

「美少女フィギュア付きのやつ?」

「?」

「聖フラーマさま像付きのやつ?」

「やはり、そう思うか」


 自分の理解したい方向にしか、現実を理解しようとしないのは、ある意味で大変聖職者らしい、とイズマは妙な感心をした。

 まあいいでしょう、と咳払いした。


「さっきから、どうも、妙だと思ってたんだよね。落し仔ども、かわいそうなくらいに身体がねじくれてて、全部姿が違うのに印象に統一感がある。その理由がわかった」

 見なよ、とイズマは指さした。

「あいつら、もともとの頭部を天地としていない。

 もうちょい噛み砕いて言うと、このフィギュアが頭部として機能しているんだ。

 だから、ほら、いま迫ってきてるやつは脇腹、その後ろのは背中、むこうは肩、そこが天を向いてる。

 あれはね、装飾なんかじゃないんだよ。

 そこに転がってる短剣と同じものをされたやつは、フラーマの眷族けんぞくになっちまうんだよ!」

「哀れな——あまつさえ、ヒトであることをやめ、その上で、さらに連れ添いを得ようというのか。まだ、今生に未練があるとでもいうのか」


 いいや、とイズマがうめくように言った。

 それ、たぶん違うと思うよ、と。

 どういうことだ。迎撃態勢を整えながら、ノーマンが訊く。


「こいつら、未練があって迫ってるんじゃないんだと思う」

 イズマはもう一度、落し仔たちを注視した。

 それはよく見ると、いくつもの乳房を備えているようにも見える。

 イズマの直感は、この瞬間に確信に変わったのだ。

「助けたいんだ。こいつら、この厳しすぎる世界から、だれかを助けるつもりで、その一心で同族を増やそうとしてるんだ! こいつらにとって、哀れなのはボクちんたちのほうなんだよ!」

「高台へ!」 

 イズマの叫びを背後に聞きながら、ノーマンが指示した。

 イズマは躊躇ちゅうちょなく従った。

 そして、強い風が吹いても晴れない濃い霧の向こうを見通すように目を凝らした。


 一閃、光条が空をいだ。

 遅れて、轟音が風になって届く。

 そこだけ、一瞬、霧が晴れる。


 応えるように、雷轟が海面のほど近くで起こった。

 真っ青なスパークが渦を巻く。

 互いの距離は数百メテルは離れていた。


「アシュレ! 姫!」

 イズマがノーマンに叫んだ。はじまってるぞ、と。

 交戦中だ。

「合流しよう。どっちだ」


 どちらを優先する? とノーマンは聞いた。

 あっという間に後続の三体を蹴散らし、高台を駆け上がってくる。

 こういうときにこそ軽装の体術使いは本領を発揮する。

 防衛戦より、あきらかに機動力と俊敏性・隠密性に重点を置いた遊撃的行動が、運用としてマッチしていた。


 ノーマンを単独潜入させたカテル島大司教:ダシュカマリエの判断は正しい、とイズマは思う。

 ただ、聖職者にしては、考え方が戦馴れしすぎだ。


「アシュレ側、だろうね」

 合理的に言って。

 イズマが苦虫を噛みつぶしたような顔で言い、ノーマンが意外そうな顔をしてイズマをまじまじと見た。


「なんだよ、その顔」

「姫——シオンザフィル殿下——ひとすじ、だと思っていたが」

「あのねー、ちゃーんと合理的に判断するとこは判断してんですよ。

 いつもバカばっかやってるわけじゃねーんですよ。

 姫はね、あー見えても上級夜魔ですから。多少の傷ぐらいじゃあ、びくともしない。

 さすがにあの短剣はヤバイかもだけど、そうそう当たるもんじゃないよ。

 姫の剣、見たでしょ? 聖人:ルグィンから受け継いだ聖剣:〈ローズ・アブソリュート〉。

 今回みたいな敵には、ほとんど無敵の反則性能だからね」

 ぐるぐるーのばりばりー、って感じ? 

 イズマは乱流を表すように手を回転させる。

「対して、アシュレの槍:〈シヴニール〉だって、そりゃあ、凄いもんだ。

 だけど、今回はその凄すぎるのがあだになってる。

 威力がありすぎて、おまけに射程が長すぎて、水平射撃できねーんだよ。

 ボクちんたちを巻き込むかも、って思ってね。

 当たらなくても炙られた空気で火災炎上、下手に水面に当たれば水蒸気爆発だ。

 よっぽどじゃなければ、撃ち込めない。

 そう思ってんだよ。あんのバカ。

 オマエは聖人か! 死ぬまえに認定されてどうすんだよ! 優しすぎんだよ、バカッ!」


 実の弟でもこれほど心配されるだろうか。

 そう思うほどアシュレを気にかけているイズマに、ノーマンが深みのある笑顔を向けた。


「なに、その、イズマさん、いいひとですね、みたいな笑みは」

「それ以外に含みはないが」

「なんども言うけど、むさいおっさんが近くにいると、イズマは体調が崩れる傾向にあるんだからね」


 イズマの発言に、ノーマンは素早く周囲へ視線を走らせた。


「感じるのか? 生存者か?」

 通じていない。また受け流されたのだ。

 コイツ、鉄壁の聖職者フルメタル・イクス・プリースト、とイズマは思った。


「どうした、行くぞ」

「いや、いい。いいんだ。おかげで、ちょっと冷静になれたよ」

 聞きたいこともあったんだ。イズマが頭を掻いた。

「聞きたいこと?」

「いままで話してくれた神話って、どこまで本当?」

 冷えたナイフを思わせる口調でイズマが言った。


 その冷静な口ぶりから、イクス教を辱めようという意図はではない。

 ただ、眼前の驚異としての敵、すなわちフラーマに関する一連の物語について、イズマは確認しているのだとわかった。


「たしかにバカな男のツボをついた悲恋ものとしては、まあまあだよ。

 そうはいっても、しょせんはお伽噺とぎばなし、と笑い飛ばしたいところだけど——その神話に登場する神器をノーマン、キミは帯びてるわけで、さ」

 笑いごとではすまされないじゃん、とイズマは言下に言った。


 すべてを滅する黒き炎の器:〈アーマーン〉。

 ノーマンが展開させた両腕の尖端――展開するまで純白の表面装甲に隠されていた黄金の爪の間を、クモの巣のような漆黒の雷が渡っていく。


「出来過ぎだ、とそう言いたいのか」

 油断なく周囲に目を配りながらノーマンが言った。

 戦場での立ち話ほど危ないものはない。

 それは《スピンドル》能力者だろうと同じで、鋼の鏃が急所に入れば一撃で死ねる。

「言いたいんじゃない。はっきりとそう言っているのさ」

「なるほど、続けろ」


 ノーマンがこともなげに続きを促す。

 イズマを責めるような様子はまったくない。

 もし、ノーマンがただの堅物聖職者だったなら、土蜘蛛の男の教義を疑うような発言を看過できなかっただろう。


 歴戦の勇士というのは、ただの触れ込みではなかった。

 戦場とは現実を直視できなくなったものから死んでいく場所だからだ。

 ノーマンは、その意味で間違いなく精鋭だった。


「じゃ、遠慮なくぶっちゃけで。

 ふたりの天使とひとりの騎士の悲しい恋の物語——そして、そのお話をまるで再演するかのようにあつらえられたこの漂流寺院には、物語のキーワードとなる神器と騎士まで揃えられてる。

 騎士はふたり。

 おあつらえ向きに悲恋を演じかねない姫君たちまで、ここにはいる。

 これって、まるで、神話を再現するためにキャストを揃えたようじゃないか、って話さ。

 ――そういう呪術があるんだって、話さ」


 イズマは肩をすくめて見せた。言いたいことわかる? というジェスチャー。


「まるで聖人を讚える演劇のように、か?」

「そう、神前に奉じる神楽舞いのように。まあ、どっちでも同じだけど」

 せっかくノーマンたち、イクス教徒側からの視点を聞いたんだ。

 こんどは、ボクら土蜘蛛の話を聞いてみないか、とイズマは提案した。


「時間がない。手短にな」

「オーケー、努力しよう。懸念の問題だけ、手短に」

 イズマは息もつかずに続けた。


「土蜘蛛に限らず、闇に生きる多くの氏族にとって、奉納の演劇や神楽は単なる祭りの出し物じゃない。

 過去の出来事を再現し、その身に去ってしまったはずの過去の英霊や神々の力の断片を宿らせる立派な儀式なんだ。

 それ専門の《スピンドル》能力者——オラクル——だっている。

 そして、それは一時的にだけど、確かに強大な力を得ることを可能にするんだ。

 数年、あるいは数十年周期で闇の氏族の侵攻が活性化するのには、そういった儀式を経て、強大な力を得たリーダーが現われるからでもあるのさ。

 ここまでいいかい?」


 ノーマンの鉄面皮にわずかに驚きの表情があった。

 無理もない。

 土蜘蛛の生態は、いまだ人界では謎とされてきたからだ。


「そんな秘密を我々、人類に話してしまっていいのか?」

「黙っていることで、この先に訪れるかもしれない危機を回避できなくなったら、ノーマンだって嫌だろ? あー、ちょいまち、ボクちんの器のデカさを持ち上げたいだろうけど、時間がないからさ。先を急ぐよ」

 ちっ、ちっ、とイズマは指先を振った。


「そういったデカい儀式系呪術は、舞台やシチュエーションの精度、そして演者の没入深度が、発現する力の強度にもろに影響する」

「なりきること、そして、なりきることを可能とする舞台の精度、ということか」

「いかにも」

 イズマはすごみのある笑みを浮かべた。


「そして、この漂流寺院は、その神話の再現装置として完璧だ、と思うのさ」

「なるほど、イズマの懸念がすこし理解できてきたぞ」

 ノーマンが神器・〈アーマーン〉を掲げて眺めながら答えた。


「なあ……ちょっとはボクちんを持ち上げなよ」

「つまり、だれかが、意図的にかつての神話を再現しようとしている、と?」


「ほんと、ノーマンって、実用一点張りなのな。……まあ、あくまで、こいつはボクちん個人の懸念でしかないんだけど、さ。

 それに、根拠として弱いのは、どういう利益が、だれにあるのか、そこがわかんないんだよね。

 かつて滅し損ねたフラーマを、ふたたび“〈アーマーン〉を帯びた騎士が滅しようとすること”に、どんな再演性が――意味があるのかってね。これはいったいだれが、なんのために行う儀式なんだろうか、ってさ」


 低くノーマンは唸った。

 イズマの視点は、確かにこの事件の本質を側面から鋭く穿うがっていた。


「だが、だからといって、手をこまねいているわけにはいかん」

「その意見には完全に同意だね。ただ、どうも、このだれかの書いた脚本世界に投げ込まれて躍らされてる感じが、好きになれないのさ」

「囲みがあるなら、食い破るのみ」

 獰猛に笑うノーマンに、イズマは同意半分あきれ半分で頷いた。


「あー、そういうシンプルなほうが引っ掛かりにくいかもだ。ま、たしかにいま考えてもしかたがない。頭の片隅にでも置いといて、って話さ」

 ところでさ、と話を打ち切り、武装をあらためながら、イズマが訊いた。

 ほんとうに、ついでのように。


「ちょっと、ダシュカマリエ——カテル島教区・ヤジャス大司教のこと、訊いてもいいかい?」


 そのとき二発目の光条が空を裂き、雷轟がそれに答えるように霹靂へきれきを飛ばしながら鳴り響いた。





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