■第一四八夜:理解と記述
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「そうかそうか、スノウは最初はユガディールに憧れていたのだな。まあ無理もあるまいの。数百年を生きた夜魔の騎士。ゾディアック大陸の北東に広がる人外魔境:ハダリの野から押し寄せる脅威に、人類とともに抗い続けてきた遊歴の超戦士にして、トラントリムの解放者、さらには小国家連合としてその周辺国家までもまとめ上げた大英雄だものな。夜魔の血を引く少女に憧憬を抱くなと言うほうが、無理があるか」
言いながらビブロ・ヴァレリは幼女のような指で、スノウの胸に咲いた花のごとき姿の不完全な《スピンドル》に触れる。
ゆっくりと花弁を撫でられ、ときに摘まれるたび、スノウの肉体は意思に反して反り返り、唇からは悲鳴が漏れる。
それを嬌声と呼ばないのは、いまのスノウにできる精いっぱいの抵抗だった。
「それで、ほうほう、慕うといってもこれはなかなかに複雑な感情だ。もしや実の父ではないかとも思う一方で、彼と恋仲になることも夢見ていたようであるな」
「うそだ、うそだ、うそだッ、あっ、アアアアアアアアアッ──ッ?!」
ビブロ・ヴァレリはその指でスノウの心に侵入する。
触れるだけではなく、読み取った心のありさまを言葉にする。
それがスノウをのけ反らせ、震わせ、泣かせる。
口先だけでも抵抗を試みるが、どうしても認めざるを得ない。
なにしろ、ビブロ・ヴァレリの読み上げる出来事は、すべてが本当のことなのだ。
「毎晩、寝台のなかですいぶんと妄想を逞しくしていたことも、ここに記されているなぁ」
「やめろやめろやめろやめろ──っ」
「しかし、だ。それもアシュレダウという男と出会ってから変わってしまった……なんという尻軽で淫乱な」
「うそだッ、ちがう、わたしはそんなんじゃないっ」
「違わぬ。父とは違う異性。頼りなげな優男に見えた彼の芯の強さに触れるたび、スノウは確実に魅せられていっている。想いを寄せてしまっている。それに心だけではないぞ?」
「あうあ、あうううう、ヤメテやめて」
この世界と魔の十一氏族の秘密が収蔵された大秘書庫の底で、ビブロ・ヴァレリは己の正体をスノウに明かした。
それまでスノウに望まれていた男性格を脱ぎ捨て、本来の姿をあらわにした世界最古のオーバーロードは、瞬く間にスノウを捉えると、その心を暴き立てては彼女を責めた。
いや、正確には暴いているという感覚はビブロ・ヴァレリにはない。
皆無である。
彼女は楽しんでいるだけなのだ。
拷問しているつもりすらない。
オーバーロードたるビブロ・ヴァレリにとっては、あらゆる人間が書物であり、耽溺すべき物語なのである。
人間としての理性や倫理観、道徳観念を説いても無駄なことなのだ。
だが、読み解かれるたび、スノウの心は確実に壊れていく。
なにしろ、そのたびに秘しておきたかった事実がビブロ・ヴァレリに転写されていくのだ。
本として、記述として残されていくのである。
それは自分の痴態が史書として残されるという、堪え難き恥辱。
もしこれをあのひとに、アシュレに読まれてしまったらと、そう思うだけで舌を噛みちぎりそうになる。
しかし、思っても実行できない。
恐いのだ、死もまた。
「それに舌を噛みきる程度ではなかなか死なないものだよ、生き物は。特に汝は半夜魔。瞬く間に回復してしまうさ。さあさあ、どんどんと紐解いてあげようねえ」
「うううう、ううううううう」
思考まで読み解かれ、スノウは悔しさに身悶えした。
もちろん四肢はすでにがっちりと押さえ込まれ、拘束されている。
脱出どころではない。
むしろ、その束縛は拘束というよりも、融合に近い。
「くそっ、放せ、放せえええええ!」
「それは無理というものだ。これまでの道程で、どれほど時間をかけて我らは心を通わせて来たと思うのだね? 汝が聞かせてくれたのではないか、自ら。汝自身の心のあり方のこと、考え方のこと、過去、これまでの旅のこと、そして想い人のこと。それらすべてがくびきとなって妾と汝を結びつけておるのだぞ?」
「汚いっ、汚いぞッ!」
「スノウ、妾は汝のことが好きだ。が、もうすこし警戒心というものを持つべきぞ。こうも尻軽、無警戒では。ちょっと父性や理解を示された途端になびくようでは、記される物語も重厚さに欠ける。しかしそれも安心するが良い。妾がたっぷりと教育してやろうほどに。汝の身が朽ちるまで、果てるまで、我らは一心同体となるのだからな?」
「いやだ、いやだっ、いやだああああ!」
「無理じゃ無理じゃ、どれほど喚いて足掻いて見せても。ホレ、もうこんなに汝の記憶と心は転写されてしまったぞ?」
ビブロ・ヴァレリは件のページを開いて見せる。
スノウの視界は涙でぐしゃぐしゃで曇っているのに、そこに記された記録のことだけは鮮明に知覚してしまう。
頭のなかに直接、文字が、綴られたスノウの恥部が、流れ込んでくるのだ。
「うわああああ、わああああああああっ」
「ホレホレ、どうした。こんなものでは済まさんぞ。汝のことが妾はいたく気に入ったのだから。不完全で不遇な半夜魔の娘。もっと理解してやろうぞ。もっとわかってやろうぞ。骨の髄まで、味わい尽くしてくれようぞ。そのあとで、すこしだけ脚色してやろう。なあに案ずるな、アシュレダウという男にもっと想ってもらえるような改変よ」
宣言したビブロ・ヴァレリは、さらに運指を激しくした。
不完全で歪なスノウの《スピンドル》を、軽くだが、揉みしだくように握る。
それだけでスノウの呼吸が止まる。
電流を流されたような感覚が爪先から頭の先までを駆け抜ける。
その反応に笑顔を広げ、ビブロ・ヴァレリは頷いた。
「どうやら汝も理解される快楽には抗えぬ様子。どうじゃ、良かろう? 素晴らしかろう。そうなのだ、人類は理解すること、理解されることの快楽には逆らえないようにその脳みそが出来ておるのだよ」
しばらく放心していたスノウは慌ててかぶりを振った。
いやだいやだ、と子供のように首を左右に。
その瞳は潤みきっていて、口からは唾液が際限なく垂れる。
「ほほう。強情な。しかし、妾は強情な娘が大好きじゃ。そういう娘こそ理解しがいがある」
くくく、と鳩のように喉を鳴らしてビブロ・ヴァレリは、ついさきほどの行為で読み取ったスノウの心を音読した。
「ほうほう、なんと。ついにはユガディールと彼の戦いを見てしまったのか。その道程で彼の血の甘さまで体験してしまった。なんと破廉恥な! そして、完全に魅入られた。しかも、その影響でアシュレダウという男に理想の異性像だけではなく、父の面影まで求めるようになってしまった……。ははあ、自身が生まれ育った故郷とそれまで信じていたものを奪い去ったアシュレダウに責任を取れと迫ったのだな、汝の乙女心は。なんともまあ、強欲なこと。かわゆいこと」
ひいいいいい、とスノウの喉から迸り出た悲鳴はどこか断末魔にも似ている。
「それで自分の心を偽って食ってかかって追いかけて、そのくせ夜な夜な夢に見て……まだ未成年のクセに。くくく、これはこれはなんとも、なんとも素晴らしい。近年、これほどのネタはなかなかないぞよ。さあさあ、もっともっと、妾に見せておくれ。やはり、汝こそ妾が見込んだ逸材」
さあああ、もっともっと理解せておくれ。
不完全な《スピンドル》が広げる花弁へ伸ばされる幼女の白い指に、スノウの歯の根はおそろしい勢いで合わなくなる。




