■第一四五夜:悪魔の騎士の最期
「馬鹿なアアアアアッ?! ついさっきまで完全に正面に捉えていたはずッ?! コウモリ女、貴様、どうやったッ?!」
直上から振るわれたシオンの聖剣:ローズ・アブソリュートは、完全にガリューシンが構える剣の逆位置を突いていた。
聖なる刃は青き薔薇の薫りとともに乱れ飛び、ついに悪魔の騎士の肉体を捉えることに成功した。
それでも致命傷には及ばない。
桁外れに高いガリューシンの戦闘経験値が、すんでのところで重要な器官への直撃を回避させたのだ。
だが、左脚と腕に食い込んだローズ・アブソリュートの破片は、そのまま周囲の組織を溶解、炎上させる。
青白い浄化の焔が立ち昇る。
「グウウウウウウウウウウ──ッ!」
地面に倒れ伏し、転がって距離を取りながら、悪魔の騎士がはじめて苦悶に喘いだ。
「なぜだ、どうやった、どうなっているッ?! シオンザフィル、貴様は、あの坊主=アシュレの盾の陰にいたはず。どうやって瞬間移動したッ?! 夜魔どもが得意とする影渡りは、聖なる武具とともには使えぬ異能。実際、初見では使わなかった。それなのに、なぜ──」
「さすが元聖騎士。我ら夜魔の特性と聖なる武具の関係性に、知悉しているようだな」
「オレは、オレは何十匹も貴様らを殺してきた。下位種だけじゃねえ。貴種を含め、だれよりも多くだ。腹をかっ捌き臓腑を抉り出し、頭蓋の奥を確かめてきたッ。だから、だれよりも貴様ら、夜魔の種族特性には詳しいッ。それを、それなのにッ?!」
夜魔の種族特性的異能である影渡りを封じる技を、なるほど、聖騎士時代のガリューシンは研究していたのであろう。
だが、その経験と推察とが、このときばかりは悪しき固定概念として男の考え方を縛っていた。
だから、シオンのこの強襲を予見できなかった。
逆説的に、初遭遇時のシオンが聖剣:ローズ・アブソリュートの存在をうまく強調してアピールした──最初からこの攻撃を想定し切り札として仕組んでいた──とも言える。
獲物に夢中になった詐欺師というものは、自分がペテンにかけられるとは夢にも思ってもいないものだ。
「ああ、それは残念だったな。まず、わたしは正しくはもう夜魔とは言えん。純血ではなくなってしまったのだ。いや、そもそも別のものになりつつある。どこにも根を持たぬ、最初のひとりに。だから、こんなこともできる」
苦し紛れに放たれたガリューシンの一撃を、シオンは刃で受け止めなかった。
かわりに、掻き消える。
「ッ?!」
「こちらだ、悪魔の騎士」
シオンの二撃目がまたもガリューシンを捉える。
こちらもギリギリのところで頭部や胸部を外してはいるが、常人であればとっくの昔に出血やショックで死んでいる傷だ。
「どうやった、どうやったああああッ?!」
「だから転移したのだ。影渡りと理屈は似たようなものだよ。ただ、いまや潜り抜ける空間は星の光に満ちているが」
そうだな、星渡り、とでも名付けようか。
シオンはそう呟いてから、眉をひそめた。
その瞳は聖剣:ローズ・アブソリュートの刃に焼かれ、溶け崩れていくガリューシンの肉体に注がれている。
「憐れな、とは言うまい。不死の肉体を得てしまったことは、ヒトとして不幸な巡り合わせだったとは思うが、オマエはこれまで同情の余地もないほどの悪行を成してきた。いまオマエの手足を焼く聖なる刃は、その断罪の具現。せめて、二度と苦しまぬよう、塵ひとつ残さぬよう消し飛ばしてやろうほどに」
「やめろ、ヤメロ、やめろおおおおッ! オレは、オレはッ、みんなのために、せかいのじんるいのために、ずっとずっと神を探してきたんだぞ! 神の実在が証明されれば、みんなのこころから迷いが消せる! 神が見守ってくれていると信じることができれば、不安も、葛藤も、苦しみも無駄ではなくなる! 報われる世界が、クルのだ!」
それをそれを、それなのにッ!
「オマエたちはあああああ、アアアアアアアアアアッ──ッ!!」
悪魔そのものの表情で吼え哮り、ガリューシンは聖剣:エストラディウスを振り上げた。
次の瞬間、その姿が、横合いから差した光条に消し飛ぶ。
アシュレの竜槍:シヴニールの一撃。
ポジション取りの関係で剣の正位置を外すことはできなかったが、それでも不意打ちに等しい攻撃の効果は充分だった。
奇襲を許したことで、さすがのガリューシンも《スピンドル》の練りが甘い。
おかげで、聖剣:エストラディウスの守りも脆くなっている。
アシュレの放った超高熱の高速粒子が、その肉体を焼く。
削いでいく。
焔に巻かれ、光輝に打ち据えられ、いまやガリューシンは、動く焼死体そのものだ。
焼けただれ、筋肉のそげ落ちた頬から犬歯が覗き、咆哮が上がる。
「ガアアアアアアアアアア、GaaaaAaaaaaaaaaa、アアアアアアアアアアアァァァァ────ッ!!」
「その傷でまだ果てることができぬとは」
憐れむまいとは言ったものの、あまりの惨状、酸鼻を極める光景にシオンは胸を痛めた。
己の不死性を振りかざし、残虐非道の道をひた走って来た男だが、眼前の光景は控えめに言っても地獄が過ぎる。
悪に憐憫を垂れることは君主の徳としてはありえないが、だからといって外道に堕ちる必要はない。
「シオン」
「ああ、来たか、アシュレ。そろそろ幕だ。トドメをくれてやろう」
連続で用いられた大技の熱に炙られ、まるで釉薬をかけられた陶器のようになってしまった砂浜を踏みしめて、アシュレはシオンの元へ駆けつけた。
そのたびにぱきり、みしり、と足下で薄いガラスの膜が割れる音がする。
蛇の巫女たちの骨にはガラス質が多く含まれているのか。
ともかく高温に触れた靴底が一瞬、火を噴き上げるが、疾風迅雷の加護を受けたアシュレを傷つけることはない。
「ああ、さすがに憐れだ」
「テメエえエエエ、アジュレエエエエ、オレヲ、憐れンだナアアアアアアアアア──ッ」
まぶたまで燃えつき半ば白濁した瞳で、ガリューシンが吼えた。
苦し紛れの一撃が飛来するが、アシュレはそれを盾と槍とで押さえ込んだ。
「単純な攻撃だ。巧みさもない。威力だって先ほどまでの半分。終わりだ悪魔の騎士。ガリューシン」
淡々と言い放ち、アシュレは竜槍を構えた。
砲口にプラズマが集まり、網膜を焼く光を生み出す。
「合わせる」
シオンが呟き、聖剣:ローズ・アブソリュートを構えた。
刀身がひときわ大きく燃え盛り、青かった焔が金色の輝きを放ちはじめる。
永滅の光刃の予兆。
「ヤメロ゛、ヤメロ゛、ヤメロ゛ォオオオオオオオオオ───オオオオ、ビブロ・ヴァレリ、な゛に゛してやがる! 助けろ、助ケロ、オレを゛はや゛ぐ!」
それはガリューシンの最後の言葉。
人間としては、だが。
アシュレとシオン、ふたりの手から同時に放たれた強大なエネルギーは途中で螺旋を巻き合わさり──悪魔の騎士を消し飛ばした。




