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■第一四〇夜:取り戻したもの

         ※



 アシュレは力場を操作して聖盾:ブランヴェルを走らせた。


 シオン、アスカ、それにアシュレ。

 三人の荷重がかかったその動きは決して軽快とは言えなかったが、アシュレがアスカを抱えて走るよりはずっと安定しているし、速い。


 あれ以来、迷宮はその構造を常に変動させている。


 だが、そこにアシュレは悪意を感じない。

 思えばシオンもその構造変化によって、あのとき、あの場に現れたのだ。

 説明を求めたかったが黙って後方を警戒するシオンに話しかけるのは、はばかられた。

 それになぜだか、正しく導かれていると感じる。


 気がつけば迷宮を下り、あの地底のみぎわへと辿り着いていた。


「なんだ、ここは……って、ボク最近それしか言ってない気がするな」


 状況の激変に戸惑うアシュレをよそに、シオンは盾から飛び降り駆け出した。

 それから叫ぶ。


「アテルイッ! シドレッ! 無事かッ?!」

「アテルイ?! ちょっ、ここにいるのか?! シオン、まって──まってくれ」


 シオンとその装備品の重量が減らされたぶん、聖盾:ブランヴェルの速度は上がる。

 急くあまりに砂を巻き上げないよう注意しながら、アシュレは盾を走らせる。

 気がつくとシオンと並走している。

 

 辿りついたのは、驚いたことに地底の波打ち際だった。

 巨大な蛇の死骸が小山のようにそびえている。


 ひと足先に駆けつけたシオンは膝をつき、その陰にくずおれ、横臥おうがする幼女を案じていた。


「この子は?」

「言ってなかったな。そうだ、これがシドレ。黒曜こくよう海を統べると言われた蛇の巫女:シドレラシカヤ・ダ・ズーのいまの姿だ」

「これが……シドレ……シドレラシカヤ・ダ・ズーなのか?! じゃあ、でも、アテルイは、どこに」


 シオンの隣りに同じくかしずき、アシュレが問うた。

 虫の息だった幼女が、うっすらとまぶたを持ち上げる。


「オマエが……アシュレダウ、か。姫君たちから聞いて想像した以上だ。《魂》の騎士。なるほど、良い輝きを持つな」

「貴女がシドレか。シオンやアテルイを助け、さらにはボクやアスカの命を救ってくれたヒトか」

「いかにも。だが、オマエ、たらしだろう。どさくさまぎれに、手を握るとは。気安く我が玉体に触れるでないぞ。いまさら不治の病・・・・のおすそわけなど、我は望まぬ」


 無意識のまま血の気の失せた手を握りしめていたアシュレを、シドレは言葉で牽制した。

 だが、振り払ったりはしない。

 本気では嫌がってはいないのか。

 あるいは、それだけの《ちから》がもうないのか。

 きっと両方だろう。


「アテルイは?」


 かまわずアシュレは聞いた。

 姿が見えぬことがなによりも心配だった。

 そんなアシュレの必死さに、蛇の巫女は自らの胸に手を置いて答えた。


「ここにいる、わたしのなかに。先ほどまで神殿の構造を操作するための倍力アンプに《ちから》を貸してくれていた。シオン殿下を送り込んだときのように直通路を使えれば良かったのだが、すでにわたしの《ちから》は限界に来ている。ここまで神殿を操作できたのはアテルイのおかげだ。しかし、そのせいで……アテルイの意識はもう……ほとんど消えかけている」


 そう告げるなり、くたり、とシドレの手からも《ちから》が抜けた。

 思わず取り落としそうになったそれを、アシュレは慌ててたぐり寄せる。


「シドレッ! アテルイッ!」

「……やかましいぞ、小僧。さっきも言った。初対面の男に馴れ馴れしく手を握られたり愛称で呼ばれるほど、我は安い女ではない……」


 取りすがるアシュレの手が、裸身に触れたことが刺激になったのか。

 シドレは失いかけた意識を取り戻した。

 触るなと言われても、握りしめたものを手放さぬよう、アシュレは必死に語りかける。


「どうすれば、どうすればいい──どうしたら助けられる?!」

「骨のチェス駒は、あったのか。アレはどうした」


 骨のチェス駒? なんのことか分からずアシュレは茫然自失に陥った。

 そのことを知るのはアテルイにシオン、そしてアスカだけだ。


 事情を知るシオンが聖盾:ブランヴェルに目を走らす。

 そこにはアスカがへたり込んでいて……どうやって持ち帰ったのか……その手には立像フィギュアが握られていた。


 波で洗われた骨のように真っ白いチェスの駒。

 それこそは大海蛇:シドレラシカヤ・ダ・ズーの肋骨から削り出された、約束の品だった。


「これを。シドレ。貴女との約束の品だ」


 生まれたての子鹿のように震えてながら立ち上がったアスカが、立像フィギュアを抱えてシドレの下に参じた。


 両手はブランヴェルに無理矢理スピンドルを通したときの代償に、皮膚が焼かれて剥げ、筋繊維が見えている。

 立像フィギュアを捧げ持つだけで、気を失いそうな激痛に苛まされているハズだ。


 このときのアスカを持たせていたのは生来の気力の強さと誇り、そして奇しくもあの薬液の効果であった。

 裸身の姫君は、横たわるシドレの側に両膝を着き、頭を垂れた。


「すまない、遅くなった」

「ずいぶんと嬲られたな。それにその手……ひどい火傷だ。つらかろうに」


 謝罪するアスカをシドレが気づかう。

 アシュレはこの一瞬でシドレの本質が、悪ではないと見抜いた。


「これを。取り戻せたのはほとんど偶然と言っていい。どういうわけか、あの盾のなかに転がり込んでいたのだ」

「相手を操るチェスボード=魔具:オラトリオ・サーヴィスの上からこれが取り除かれたのは、我が死を偽装したと知らなんだガリューシンの慢心と、アスカリヤ、間違いなくオマエの献身のおかげだ。我との約束を全うしようとし、己が奴隷に過ぎぬはずのアテルイを救おうとしたオマエ自身のな。その行為は尊敬に値する。あるいは、そういう人間に運命は味方するのかもしれぬ」


 まだ薬液に濡れそぼるアスカの頭を撫でながら、シドレは言った。

 ふたりの間にはいつの間にか深い尊敬と信頼関係が生じていたようだ。


「では、これで貴女は助かるのだな。アテルイも」


 頭を撫でられた安心感からか、泣きながらアスカが言った。

 それなのに蛇の巫女は力なく首を、一度だけ振ったのだ。




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