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■第十二夜:禁じられた物語

「アイギスとフラーマは姉妹だった。

 火を起こし、一晩灰に埋もれていても、外気に当てれば炎を取り戻す熾火の天使:アイギスの名は復活を意味し、人々に暖を与えるだけではなく煮炊きや煮沸、究極的には炎による浄化を司る天使だった。

 清廉潔白せいれんけっぱくで、公正を愛する姉だった」


「対なるフラーマは看護の天使——包帯や、毛布や、清潔なシーツ、それらが彼女の領域だった。怪我人や病人のための軒となり風雨を遮り、戦火に寄辺を失った子供たちをスカートの下にかくまった。

 寒さと迫る死の恐怖、孤独で震える傷痍しょうい兵たちのため添い寝し、孤児たちを抱きしめた。

 姉のアイギスがやきもきするくらいに、我が身を省みぬ献身、それが彼女だった」


挿絵(By みてみん)


「だが、フラーマ自身は己の本質に恐れを抱いていた。

 なぜなら、守護天使としてのフラーマが本当に司っていたのははさみ——ヒトの命を絶つための——だったからだ。尊厳ある死を司る天使だったのだ」

 歩きながらノーマンがイズマにふたりの天使について説く。


「イクス教って、けっこう男のツボ突いた設定作るよね」

 イズマが感心して唸る。

 美人だけど規律に厳しくて杓子定規っぽい姉と、頼まれると断れない押しに弱そうな妹、でも能力は最強——んー、テンプレーション、と感想した。


「黙るがいい! この話はどちらかといえば、異典に当たる。聖典には採録されていないエピソードだッ!」

「わーお、わーお、冗談だって。外伝ってことでしょ? 本編に対する薄い本みたいな?」

「薄い本? なんだそれは? まあいい。余計な茶々を入れるな。危ないぞ」


 集中を乱す存在には鉄拳で応じるタイプなのだろう。

 ノーマンの鋭い裏拳を、イズマは変態的なスウェーでかわした。

 火の着いた棒を背を反らしてくぐる曲芸師のような動き。

 装甲されたノーマンの腕が激突すれば、鼻が砕けるどころか頭蓋が陥没しかねない。

 イズマは一応、警告した。

 あぶねえっ、と。


「そういや、ノーマンって、それ外さないよね。篭手こて。戦勝会の時も、したまんまだったでしょ」

「いや、戦勝会のときはお世話になりました——おかげで、部下たちとのコミュニケーションが円滑に進むようになり、皆が笑顔で接してくれるようになり、強面だけどほんとうは面白いヒトだったんですね、よかったら、こんどお食事ご一緒しませんか、と女騎士たちからも好評で——ただ、あの晩の記憶がないのが残念だが。ああ、これは外さないのではなく、外せない、というのが正しい」

「ノーマンくん、いまさらりと、凄いことを言ったよ。キミ、良いキャラになってきたね。それから、記憶は忘れたままのほうがいいよ」

「それはどうも、宴会の達人王。キャラ? いや、そうではなく」


 義手だ、とノーマンは拳で前腕を叩いてみせる。

 がちん、と中まで金属の詰まった音がした。

 イズマがすまなそうな、そうでありながら半笑いの顔をした。


「ごめん、無神経なことを訊いたよ。でも、じゃあそれってさ、けっこうな重さがあるんだよね?」

「どころか、カテル病院騎士団が誇る聖遺物だったりもする。〈アーマーン〉。《スピンドル》発動時は絶対に近寄らないことだ」


 ごくりっ、とイズマが喉を鳴らした。


「いまっ、いまっ、それでボクちんを殴ろうとしただろうっ」

「あー、しまったな。いまの騒ぎで、どこまで話したのか忘れてしまったぞ」


         ※


「ふたりはとても仲の良い姉妹でしたが、ときどき意見を対立させました。

 それは死すべき定めのヒトの子に、過剰に肩入れするフラーマをアイギスが諌めたときです。

 優しく素直な性格のフラーマが、このときだけは姉・アイギスの言葉に従おうとはしなかったのです。

 ただ、昂然と姉に反論するようなフラーマではありませんでした。

 じっと押し黙り、貝のように口を噤むのです。アイギスは困り果ててしまいました。


 アイギスは妹が心配でなりませんでした。

 自らを省みず、まるでその血肉を分け与えるかのように惜しみなく尽くすフラーマが、いつか自身の命さえ秤に乗せてしまうのではないかと。


 そこで、アイギスは自らがもっとも信じる騎士にフラーマを見守るように命じました。

 天のおわします神とアイギスに尽くすため、名を捨てた騎士、ここではゼ・ノ(だれでもない)、と呼ばれています。


 後に彼はアイギスの騎士として、強力な力をも与えられます。

 あらゆる穢れ、汚れを虚空へと消し去る力。

 もっとも古い文献では〈アーマーン〉——という名で記されます。


 とにかく、騎士:ゼ・ノは主:アイギスの命のもと、フラーマのそばに、はべるようになりました」


 イリスの声は歌うようだ。

 シオンは背中合わせに座って、それを聞いた。


挿絵(By みてみん)


 難破船が吹き寄せられ、寄せ集められてできた小高い山の上。

 月も星も望めない厚い霧の下、ただ頼りなげな焚き火だけが、彼女たちの寄辺である。

 焚き火にはイリスがあたり、そのうしろの影にシオンがいた。


 フラーマの成れの果て、と呼んでよいのかどうか戸惑うほど禍々しい姿となったそれが一行を襲撃した瞬間、シオンはイリスを救うべく飛び込んだ。


 足下からせり上がり、直後、衝撃で崩落していく船の残骸を信じがたい跳躍能力で踏破して、シオンはイリスを守りきった。

 ありがとう、と茫然自失から立ち直ったイリスがシオンに礼を言ったとき、すでに一行は完全に寸断されていた。


「なんで、わたしを助けてくれたのかな」

「そなたが一番近かった」

 少し強ばった声で聞くイリスに、シオンがこともなげに答える。

 イリスは己の質問の下劣さに恥じ入った。

 見殺しにしていれば、アシュレはシオンのものだったのに、というニュアンスがありありとあったからだ。


「軽蔑したよね」

「そなた、火は起こせるか」

 聞かなかった、とシオンが言外に言った。

 実務をこなせ、とイリスは背中を押され、救われた気分になった。

 遭難したときには恥じ入ること以外にすべきことがある。

 そうシオンは言っているのだ。


 海には落ちなかったが、ふたりともしぶきを派手に浴びていた。

 衣類もかなり濡れていた。

 バックパックの荷物は大事なかったのではあるが。


「火打ち石は苦手で」

「告白する。わたしも、だ」

 けっきょく、火を得るのに半刻かかった。


 なんども鉄片を標的である石英にぶつけ損ね、自らの手を打ち据えてから、シオンが言った。

 傷はすぐさま回復するのだが、痛みはヒトと同じように感じる。

 たぶん、夜魔でなければ、その美しい手が打撲と擦り傷でひどいありさまだっただろう。


「助ける相手を選び損ねた」

「ひっどーい。ほら、ほらっ、がんばってるし、わたしっ、見て、見てください、って、いたぁっ!」

「アシュレを助けておれば、こんなことには」

「アウトドアは分野外なんですって。真っ暗だし。だいたいシオンだって、できてないじゃん! 夜目が利くんでしょ、夜魔って」

「それはそうだが、わたしは姫だぞ?」

「わたしだって、姫ですよーだ!」

「火も起こせんとは。救出人選の誤りだ!」

「なにおう!」


 罵り合いながら悪戦苦闘したため、火がついた時には衣服は、なかば乾いていた。

 そして、苦闘の末の着火に、ふたりは大いに盛り上がり、それまでの罵倒を忘れてしまった。


「しかし、冷えるな」

「くっ、くっつきましょう」

 遭難時にむやみに歩き回ることは体力の消耗を招く。

 まずは状況を整理しましょう。

 毛布をかぶり、言い出したのはイリスだった。

 コッヘルで沸かしたお湯で茶を煮出し、バターとスパイスを加えたものを抱えるようにして飲みながら、ふたりは話した。


「フラーマについて知っておくことは重要だと考えます」

「それが乗り込むまえに、わかればよかったのだがな」

「困難な状況下での、たら、れば、もし、は無し。前向きに行きましょう」

 まったくだ、とシオンは笑った。


 イリスは気がついていた。

 ほんとうはそんなこと、シオンが一番わかっているのだと。

 わざとそういう話の流れにして、イリスの口から言葉を誘導してくれている。

 このヒトは、ホントにガイゼルロン公女=夜魔の大公の姫殿下なんだな、と感心した。


「騎士:ゼ・ノとフラーマの話だったな」

 とくに急かすという様子ではなく、シオンが語りを促す。

 イリスは浸っていた回想から思考を引き戻す。

 そうでした、と続けた。


「騎士:ゼ・ノはよくフラーマに仕えました。

 騎士であるにも関わらず、看護の手伝い——意外にも看護には純粋な腕力・筋力・男手が必要な場合が多いのです。大掛かりな外科的手術では特に。

 暴れる患者を押さえつけ、手足を切断・縫合ほうごうする。

 そんな仕事もまた命を助けるためには時として必要だからです。


 そうやって、同じく命を助くものとして、ゼ・ノはフラーマに自愛を懇願こんがんしました。

 必要と感じ、そうと決めたら脇目も振らず重病者のもとに駆けつけてしまうフラーマが、いつか、その身をも病魔に捕われてしまうのではないか、と案じて。

 ただ、ゼ・ノの嘆願たんがんは、姉:アイギスのものとは決定的に違っていたことがありました。


 騎士:ゼ・ノは、あろうことか天使:フラーマに恋をしてしまっていたのです。

 だから、彼の嘆願たんがんは、まったくの彼個人の《ねがい》でもあったのです。

 愛しいヒトの身を思いやる、一途な思いでした。


 そして、また、同じようにフラーマもヒトの子に恋をしてしまっていたのでした。

 ゼ・ノの献身、優しさ、真摯しんしさに心動かされていたのです。

 でも、それは決して報われない、いえ、報われてはならない恋でした」


 イリスが一息つく間に、シオンが訊いた。


「この話、イクスの聖典にはあるのか?」

「まさか。外典、異典、禁書の類いです。

 だから一般にはフラーマは邪神、アイギスは聖女として描かれる。

 接点などない。

 姉妹であるなどという解釈は本来、あってはならない。

 騎士:ゼ・ノのエピソードなど差し挟まる余地もない」

「たしかに、もし本当ならば、とんだ醜聞だものな」

「神の使徒とヒトの子の恋——異端審問官に知られたら、このエピソードを記した文献を持っているだけで、間違いなく磔刑か火あぶりですもの」


 だろうな、と天を見上げシオンは息を吐く。

 ひどい冷え込みだ。

 吐いた息が長く白く残る。

 続けますね、とイリスが言い、シオンは無言で応じた。


「あるとき、騎士:ゼ・ノはフラーマの手を取り、言いました。

 どうか、ご自愛ください、と。

 このまま、かように病める者たちへ愛を注ぎ続けたなら、いつか間違いが起こらないとも限らない、と。

 あなたの神性が損われてしまうとも限らないと。

 あなたがけがされてしまうかもしれないと。


 アイギスの騎士であるゼ・ノが、跪き涙して訴えたのです。

 そのゼ・ノに、フラーマは微笑んで言いました。それは哀しい微笑みでした。


 わたしの行いは愚かであるかもしれない。間違っているかもしれない。

 いや、間違いであろう。

 だが、それでも、彼らにはわたしの救いが必要なのだ、と。

 常に正しい側、間違いない側に身を置いていては救えぬものがある。

 見ることのできぬものがある。

 そのことをわたしは身を持って知ったのだ、と。


 驚くゼ・ノの手を胸に導き、フラーマは言いました。

 わたしはとっくにけがれてしまっている。

 わたしはとっくに堕ちてしまっているのだ。

 騎士よ。ゼ・ノよ。わたしはとうに病を得てしまっているのだ。


 わたしは、あなたを、愛してしまった」


 イリスは感情を込めず淡々と語った。それから、どうですか、と訊いた。

 お話としての出来は、と。


「三十点、というところか。甘すぎるラブ・ストーリーだ。

 菓子にたとえるなら砂糖が勝ちすぎているよ。はっきり言って滑稽だ。子供だましだ。

 聞くに耐えん。だが……それなのに、なぜかな……笑えないのは」


 笑おうとして失敗して、シオンが言った。


         ※


「だから、もし、愛しい騎士よ。わたしが戻れぬほど穢れてしまったなら、どうか、あなたが、わたしを滅してください。

 姉:アイギスは、聡明にもこのことさえ見越して、わたしにあなたをお使わしになられたのです。

 感謝をサンクトゥス。天上の神をめ称えましょう」


 段差を乗り越えるためアシュレの差し出した手を取りながらアスカは言った。

 もし、ここが舞台であるなら、オペラの一幕のようだった。

 アスカの声は美しい。

 まるで節があるかのように、歌曲のように思える。

 物語はいつしか現実で、アシュレはまるで、アスカからそう懇願こんがんされたように感じてしまった。

 戻れぬほどにけがれてしまったなら、わたしを殺して欲しい、と。


「そんなの……できるわけがない」

 問われてもいないのに、アシュレはアスカの語る物語に答えてしまった。

 物語の登場人物=騎士:ゼ・ノとして。

 

「なぜ?」

 同じく物語が乗り移ったかのように、アスカが訊いた。

 フラーマのように。

「愛したヒトを、そんなことで、殺せない。そこまで見越していて騎士を送ったのだとしたら、ボクは姉のアイギスや神を褒め称えられない」

 なかったことになんて、できやしない。


「では、どうすればよかった? なんてお願いすればよかった? フラーマは」

「一緒に堕ちてくれと。そして、騎士は一緒に行くんだ。最後まで支える、と答えるんだ」


 アシュレは、アスカの深い藍色の瞳をのぞき込んだ。

 自らの語る物語に取り憑かれたように、アスカの瞳は潤んでいる。

 だからだろうか、アシュレはいっそう強い言葉を選んでしまう。


「ひとりでなんて行かせやしない。同じけがれを引き受ける。

 ふたりで分ければ、少しはマシなはずさ。たとえ、それが地獄の道行きでも。

 だれにもゆるしてもらえなくても」


 アシュレは大きな残骸を乗り越え、後方のアスカに手を差し出した。

 腕力だけでアスカの身体を引き上げ、抱き止める。

 アスカの身体は鳥のように軽い。

 はからずも、それは抱擁のカタチになる。


「天が赦さずとも?」

「別にだれかに赦して欲しくて、ボクは生きているんじゃない。キミだってそうだろ」


 ああ、と抱擁ほうようを解かずアスカが吐息を吐いた。

 アシュレの肩に顔を押し当てる。

 理由がわからずアシュレはアスカを抱き返す。

 アスカは、そのまま物語った。


「騎士は答えた。できはしない、と。フラーマ、あなたを消し去るなどできはしない、と。

 たとえ、我が主、アイギスの命であろうとも。

 だから、ともに堕ちることを、騎士は選んだのだ。

 フラーマとともに業病と欠損と戦災に痛めつけられた人々のけがれ・汚れを引き受け、自らの血肉であがなうものとなったのだ。

 その決意を騎士はこう告げた。


 わたしもまた、あなたを、愛してしまったのです、と」


         ※


 遠くで小型の太陽のごとき光球が漂流寺院の床めがけ、ゆっくりと落ちていくのが観測できた。

 それはすぐに見えなくなった。

 イズマとノーマンはその方角にむかって歩いた。

 おそらくはだれかの放ったアーツであろうことは推測できたが、イズマはアシュレのものでも、ましてやシオンのものでもない、と断定した。


 未知の《スピンドル》能力と言えば、イリスがその筆頭だったが、アラム側の生存者の可能性も当然ある。

 なんにせよ、この奇怪極まりない《閉鎖回廊》のただなかで、信教の違いを言い争ってもしかたがない。

 合流を急ぐべきだった。


 だが、船の残骸でできた漂流寺院の構造は複雑で、歩みは遅々として進まない。

 途中、イズマがもしものときに備えて調薬をしたいと申し出た。

 いざことが起きてからではすべてが遅すぎる。

 ノーマンは応じ、短い休息を兼ねたキャンプを張った。


 ノーマンはふたたびフラーマにまつわる神話の続きを語りはじめた。

 交戦前に知識を仕込んでおきたい、というイズマの申し出によるものだった。

 なるほど、神話には重要な手がかりが隠されていることがままある。


 相手を知ることは重要だった。


「結果として、その決意・判断は誤りだった。

 傷痍しょうい兵の数はやまず、業病は地にあふれ、戦火は絶えることがなかった。


 世をいまだ流血が縁取り、野辺でかわされるのは、鳥たちのさえずりや恋人たちのささやきではなく、鋼と肉がぶつかりあう悲鳴と怒号だった。

 孤児たちの泣き声は止むことを知らなかった。


 そのような世では、フラーマを求めるものはあまりにも多かった。

 あまりに多くが彼女にすがった。

 そして、そのすべてにフラーマは応えようとしてしまう。


 けがれていること、汚れていること、間違っていること——たとえそうであったとしても、生きていること。

 それこそが大切なのだと、フラーマは考えるようになっていた。


 だから、そのための手段を、あらゆる手だてをフラーマは講じてしまった。

 欠損を埋めあえば、補い合えば、生きていける。そう考えてしまった。


 ちょうど、騎士:ゼ・ノと自分のように。

 繋ぎ合わせ、混ぜ合わせ、ひとつにすれば。


 いや、それどころか、積極的に間違いを取り入れてみたならどうだろうか、そうすることによって、脅かされることのないものを作り上げてみてははどうだろうか。

 そんな狂気に取り憑かれてしまった。


 冷静に判断して、彼女はすでに狂っていた。

 流入する多くの人々の《ねがい》が彼女をいびつに歪めていたのだ。


 長い年月と永劫の命が引き起こした悲劇だった。

 彼女にはもう、かつて自らのものだったはずの《ねがい》を思い出せなくなっていた。


 それは悪夢の始まりだった」


 先頭を行くノーマンの背中を見て、イズマは目を細めた。心痛に。


 フラーマとアイギスと騎士:ゼ・ノを思いやって。

 そして、奇しくも伝説の騎士と同じ名:(ノーマン=だれでもない)をあてられた、もうひとりの騎士をおもんばかって。


 神話は悲劇で終わる。

 滔々とうとうとノーマンは語った。


「長い凶行の始まりだった。


 フラーマの忌み仔たち。

 フラーマの落し仔たち。

 フラーマの愛し仔たち。

 そう俗称される奇怪で凶悪な怪物たちが、彼女の坩堝るつぼから次々と産み落とされた。

 それはまるで、戦火と業病にもだえ苦しむ民草を見下ろしても、なんの手も差し伸べもしない天の神への呪い飛礫つぶてのように、次々と各地の教会を襲った。


 フラーマとその信徒たちのための病棟に変えるために。

 心を痛めたのは騎士:ゼ・ノだった。


 神ならぬゼ・ノは無尽蔵と思えるほど注がれる《ねがい》によって、フラーマのようには変われなかった。《スピンドル》の力が彼を護っていたのだ。


 それを——《スピンドル》を——手放すのです、ゼ・ノよ、そして、わたしの愛を受け入れてください。《皆》の《ねがい》を叶えるものになってください。


 あいかわらず、ゼ・ノだけには優しく語りかけるフラーマに、ゼ・ノは首を振った。

 これは、わたし、わたしの一部なのです。切り分けられない。


 このときから、フラーマは《スピンドル》を敵視するようになった。

 安寧あんねいを《ねがい》ながら、一方で自らの《意志》を手放すまいとする人間のやり方、二枚舌を憎むようになった。


 でも、それなのに、ゼ・ノを憎むことはできず、嫌うことも、うとむこともできなかったのだ。

 ほんとうに愛してしまっていたから。


 おなじように、愛したヒトが歪められていくのを、ゼ・ノは身を刻まれる思いで耐えていた。


 だが、ふたりの想い、心痛を嘲笑うかのように、人々の“救い”への《ねがい》は止むことがなかった。


 その《ねがい》を注がれるたび、フラーマは醜い女神へと変貌へんぼうしていった。

 まるでヒトの業苦を引き受けるように。


 そして、ついにゼ・ノは決断した。主:アイギスのもとへ、単騎、走った。


 アイギスは激しく抱擁ほうようしてゼ・ノを迎え入れた。

 無言でゼ・ノの心痛・辛苦を受け止めた。


 それから告げた。妹は墜ちてしまったのだな、と。

 ならば、滅するほかない、と。天におわします我らの真の主になりかわって。

 民草が頼りきり、すがりきるその中心の一柱こそを打ち倒すほかないのだと。


 疫病えきびょうと戦火に差し変わるように、すでに邪神となったフラーマの《閉鎖回廊》が諸国を覆いつつあった。


 わたしに、やらせてください。


 静かに、しかし、決然とゼ・ノは言った。わたしの役目です、と。

 ただ、わが主:アイギスよ、力をお貸しください。


 アイギスはゼ・ノを不憫に思った。

 だから、ずいぶんと思案してから、言った。

 いいだろう、と。


 アイギスは自らの神性を切り取り、ゼ・ノに分け与えた。

 あらゆるものを滅する力を。

 一夜明け、朝日の下でゼ・ノが己の腕を確かめたとき、それは神器に差し変わっていた。


 すべてを滅する黒き炎の器:〈アーマーン〉。

 ゼ・ノはこうして、フラーマとその創造物・信徒たちを滅する者となった。


 激しい戦いが起こった。

 熾火の天使の加護を得た騎士:ゼ・ノを先頭に、《意志》の《ちから》=《スピンドル》を手放さなかった者たちが立ち上がった。


 数十年にもわたる戦いのすえ、愛する者に追われ、フラーマは海に追い落とされる。


 だが、ゼ・ノはついにフラーマを殺せなかった。

 変わり果て、歪み果てていても、彼女はゼ・ノの愛したヒトだった。

 だから、かわりに彼女の顔を覆う白銀の仮面をぎ取った。


 膨れ上がった肉に食い込み、骨にさえ突き立っていたそれは、かつて彼女が清廉せいれんな癒しの使徒であったことの証明だった。


 ゼ・ノは〈アーマーン〉を振い、その仮面をぎ取った。

 フラーマはそれ以降、恥じ入って人前に姿を現さなくなった。


 邪神としての彼女は拭われたのだ。

 ゼ・ノは討伐とうばつの証としてその仮面をアイギスに差し出した。


 肉は腐ってしまった、と偽って。

 アイギスはその詐術に気がついていた。


 けれどもゼ・ノを罰しなかった。ゼ・ノもまた見抜かれていることなど、わかっていた。わかっていても、それでも、フラーマを殺せなかったのだ。

 アイギスは言った。


 使命の完了を認める、騎士:ゼ・ノよ。

 そう言うと、アイギスはその銀の仮面で己の顔を覆った。

 ゼ・ノはその姿に、かつてのフラーマを見た。

 姉妹は、なるほどよく似ていたのだ。


 こうして、邪神:フラーマの神話は終わる」


 一通り話し終えたところでノーマンはイズマに視線を送った。


「ああ、悲しい。悲しいねえ」

 イズマはいつものあの調子で感想しながら、しかし、手際よく眼前に展開させていた調薬のための器具をしまいはじめた。


「ようやくのお出ましか」

 同じように、肩の凝りをほぐすようにして首を左右に回したノーマンが言った。

 その瞬間だった。


挿絵(By みてみん)


 イズマが両手で素早く、ついさきほど調薬し終えた丸薬を投げた。

 計六つ、それらは狙いをあやまたず水中に没した。

 そこから、光の柱が立った。


 光にあおられ、顔を両手で隠した怪物の姿があらわになった。


 それはヒトとナメクジと奇怪な海の生物を混ぜ合わせたような姿をしていた。

 一見してどこに正体があるかのわからぬ存在が、一体、二体、いや最低でも十体はいた。

 鎖で結わえられたその震える肉塊が、音もなく水辺から這い上がり迫ってきていたのだ。


 フラーマの落し仔たち。


 ひゅっ、とノーマンが鋭く呼気を吐いた。


 イズマは体勢を低く、蜘蛛のように油断なく構える。

 土蜘蛛特有の構えだった。


 その頭上で《スピンドル》が渦を巻いた。

 先ほどの神話に語られた〈アーマーン〉――ノーマンの義手:《フォーカス》が起動したのだ。





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