■第一三九夜:危地の外へ
いまガリューシンの顔に浮かぶ造形を、凶相と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
ギリッギリッギッ、と剥き出しにされた真っ白な犬歯が擦れて鳴る。
見開かれた瞳が真っ赤に充血している。
全身から噴出する鬼気が、はっきりとした物理的圧力として吹きつけてくる。
ヒトの限界を遥かに超えて歩んだ己の人生、その全てを賭けて望んだもの──《魂》──の奪取を阻まれた不死の騎士は、まさに悪魔そのものの形相で、アシュレとその前に立ちはだかる姫騎士を睨みつけた。
「女ぁあああ、テメエぇえええ。オレの獲物を横取りしてただで済むと思ってんのかァアアアッ!」
「この後の運命を案ずるのであれば、わたしの真の主に手を出した貴様の運命のほうだと思うがな、下郎」
激昂し恫喝の声を上げるガリューシンに対し、眉ひとつ動かさず涼しい顔でシオンは返した。
「テメエ、オレの剣がなにか知らねえのか」
「貴様こそ、知らんのか。わたしの剣が、なにであるか」
冷静沈着なシオンの言葉に、一瞬、悪魔の騎士は黙した。
まさか、とその目が言う。
歯ぎしりが、そして凶相が深くなる。
「ローズ、アブソリュートォオオオ。騎士の守護聖人:ルグィンの佩剣を、なんでテメエが持ってやがるぅ」
悔しげに、唸る。
問いかけには答えず、シオンは剣を持ち上げた。
「現実とはなるほど、ときとして物語よりも、よほど奇妙なものだ。ヒトの縁も。聖性とはほど遠いハズの貴様の手に聖剣:エストラディウスがあり、夜魔であるわたしが同じくローズ・アブソリュートを握っている」
夜魔であるというシオンの告白に、ガリューシンは目を剥いた。
あるいは過去どこかで、聖剣:ローズ・アブソリュートにまつわる秘事に触れたことが、ガリューシンにはあったのやもしれぬ。
つまりいまだれが聖剣:ローズ・アブソリュートの真の持ち主なのか、という情報に、だ。
そこから夜魔の不死性と己の復元能力とを比べ、戦力分析を行ったのか。
理由がどうあれ、立ち振る舞いに慎重さが現れた。
歯噛みしながらも、シオンを明らかな脅威と認めたのだ。
それはシオンにも見て取れた。
「ほう。彼我の戦力差を考える冷静さが、まだすこしは残っていたようだな。そうだ。いまの貴様に勝目はない。わたし:シオンザフィルと聖剣:ローズ・アブソリュートが戦力として加わった。《魂》を発現させた騎士の手元に、聖なる盾は戻った。いま貴様と我々の間には、決して砕くことの出来ぬ鉄壁の護りが築かれたのだ。そして、悪魔の騎士よ──貴様の無限生・不死のからくりはすでに見抜いている。次はないぞ」
それでもやるか。
シオンは握りしめた聖剣:ローズ・アブソリュートをひたり、と構えて見せた。
ガリューシンは血走った目でシオンを睨みつける。
その口元からは際限なく唾液が垂れている。
飢えた獣のごとき形相。
「テメエ、女ァ、いい気になってんじゃねえぞ。オレから獲物を奪うってことがどういうことか……そのカラダにわからせてやるぞ。組み伏せて、槍で貫いて縫い止めて、オレのコレクションにしてやるッ! そっちのお姫さん──アスカリヤ──と一緒に一生玩んで泣かしてやるッ!」
「死合うというのなら、わたしは構わんぞ。甦るたび塵に帰るまで何度でも殺してやるから、ありがたく思え、下衆が。不死とはいってもせいぜい一〇〇年かそこら生きただけの小僧よ。本物の不死者同士の闘争の作法を教えてやろうから、感謝するがよい」
両者の間の空気が圧され熱されて、本物の火花を散らす。
だが、激突は回避される。
なぜなら、迷宮そのものが揺動をはじめたからだ。
ちいさな振動に続いて、ゴゴンッ、と階下から突き上げるような衝撃があった。
その直後、シオンとガリューシンの間の床面が、続いて天井が互いに噛み合わされるように隆起するのをアシュレは見た。
「テメエ、なんじゃ、こりゃあああ。おい、ビブロ・ヴァレリッ! どうなってやがるッ?!」
天を仰いで叫ぶガリューシンを尻目に、シオンはバックステップを切った。
気がついたガリューシンが瞬時に剣閃を放つが、もちろん余裕を持って撃ち落とす。
「なんだあああ、逃げる気か! クソッ!」
ガリューシンは叫び追い縋ろうとするが、その行く手を阻むように次々と床材がせり上がる。
狂ったように剣を振るってそれをなぎ倒す悪魔の騎士。
だが、林立の速度はそれを上回る。
いっぽうのシオンは後方に跳躍して距離を取り、アシュレとアスカの乗る聖盾:ブランヴェルの上に舞い降りた。
「シオン!」
「アシュレ、盾を掌握し直せ! なにが起ってもアスカリヤ殿下を守り通せ!」
その掛け声が早いか否か。
魔獣を捕らえる罠の如くせり上がってきた床材に阻まれたガリューシンの姿が完全に見えなくなるのと、失われていく足場を飛び跳ねるように、三人を乗せた聖盾:ブランヴェルが走り出すのは、ほとんど同時だった。




