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■第一三七夜:恋するがゆえに

 

 ほう、とシドレは感心したかのように唸って見せた。


「これはこれは。これほど短時間で和解できるとは。恨んではいないのか? おまえをその姿にしたのは、ある意味でわたしなのだぞ?」


 蛇の神殿の帰途、なにがあったのかをシドレは指した。

 アテルイは静かに首を振る。


「もし本当に貴女に二心があるなら、アスカリヤ殿下が重傷を負った貴女を見逃すはずがない。逆に殿下がわたしの窮地に駆けつけてくださったのは──それが可能であったのは貴女の助力がなければあり得なかった。そうでしょう? わたしにはそれがわかるのです」


 あるいは、とアテルイは続けた。


「あるいはあの蛇の神殿からの岐路、わたしたちの間に貴女が立ちふさがったのは、あの悪魔の騎士にアスカリヤ殿下を害されないためではないですか? ワザと大規模な嵐と雷撃の地獄を演出し、殿下の脱出を手助けしてくれたのでは?」


 アテルイの言葉に、ふむん、と鼻を鳴らして蛇の巫女は苦笑を広げた。


「信じられたものだな」

「わたしが真に信じているのはアスカリヤ殿下。その殿下が貴女を信じたのであれば、疑う理由はもうない。それだけのことです」

「そうか。我が肋骨で作られたチェスピースの奪還が成らなかったのは口惜しいが、是非もない。つい先ほどから、いくぶんかにしても《ちから》を振るえるようになったゆえ期待したのだが──単純に魔具:オラトリオ・サーヴィスの上から取り外されたというだけのことか」


 蛇の巫女の独白の意味は、アテルイにはわからない。

 ただそれが、アスカとシドレの間で交された契約の一部であろうことだけは、推測できた。 

 そんなアテルイを、シドレはちいさく咳き込んでから手招きした。

 赤い血の花が、口元を汚す。


「では、こちらに来い、アテルイ。アスカリヤとの契約を果たそう。その忌まわしき牢獄から解き放ってやる」


 無言で制止しかけたシオンをふりきって、アテルイは歩を進めた。

 なにかの策略・陰謀の類いかもしれぬ、と疑う気持ちは不思議なことにもう一片たりとなかった。


「よし、膝をつくがいい。頭を垂れよ。そこに鍵穴がある」


 躊躇ちゅうちょなく自分を信じてみせたアテルイに、蛇の巫女は微笑んだ。

 嘲りのようなものがまるで含まれていない、むしろ慈しみばかりを感じる笑み。


 すこし離れた場所からその様子を眺めていたシオンは、いつのまにかシドレの掌中に金色の鍵が生じているのに気がついた。

 それがアテルイの首筋にある鍵穴へと差し込まれる。

 う、ん、とアテルイがうめくのと、鍵が回されるのは同時だった。


 かちり、と音がしてアイアンメイデンの背中が、セミが羽化するように開く。

 いやそれは比喩でもなんでもなく、そこに生じたのは乳白色をしたアテルイの裸身=精神体そのものであった。


『解き、放たれた!』


 声帯から発されたのではない、剥き出しの思念そのものでアテルイは快哉を叫んだ。

 とたんに、《ちから》を使い果たしたかのようにシドレはへたり込む。

 シオンが慌てて駆け寄り、抱き起こす。


「大丈夫か、そなた!」

「あん、ずるな、夜魔の姫よ。と言いたいところだが、なかなか厳しいな」

「なにを聞けばいいのか、あり過ぎてよく分からんが……そなた、なぜこのような無謀を働いた。そなたはビブロンズ帝国の同盟者なのではないのか。それがなぜ、アスカリヤ殿下や我々を助け、手引きした? なぜだ」


 倒れ込んだ幼女の肉体を波と血潮に濡れるのもかまわず、シオンは抱き上げる。

 尋ねたのは取引の内容ではない。

 知ろうとしたのは、シドレの動機、そのものだった。

 そんなシオンの真摯さに打たれたのか、シドレは諦めたように笑い、息を吸いこんだ。


「難しいことを、立て続けに聞くな」


 それから、そうさなあ、と呟いた。


「たぶん、恋をしたせいだろう」と。


 そう呟いてうなだれる消耗しきった蛇の巫女の横顔を、シオンもアテルイもなぜか美しいと思ってしまう。

 なにひとつ説明などされていないのに、シドレが言わんとしていることが伝わってくる。


『その……シドレ。これは仮定なのですが、もしあなたがアスカリヤ殿下と交した取引が成された場合──つまり、さっき言っていた骨のチェスピースが奪還できたとしたら、貴女は助かるのですか?』


 アテルイの質問の意味がよく分からないという様子で、シドレは億劫げに、まぶたを持ち上げた。

 味方になるのかとか、《ちから》を貸すのかというような条件を聞いてくるものだとばかり思っていたのだ。


 それがよりにもよって、わたしが助かるかなどと。


 つまるところ、この者たちはほとんど初対面の、しかも敵陣営だった相手を案じているのだ。

 バカ者どもが。

 だが、肺から絞り出されたその嘲りは、喉を通って唇から吐き出されるころには、すっかり毒気を抜かれてしまっていた。


「そうだな、あるいは。まだ、可能性があるやもしれぬ」

『もうひとつだけ。貴女は貴女が恋い慕った相手を助けるために・・・・・・、アスカリヤさまと契約した。そうですね?』

「そんなことを聞いて、どうする」

「この者は、そなたを助けたい、と言っておるのだ。蛇の巫女よ」

「な、に?」


 意味が分からない、と笑ったシドレをシオンが諭した。

 

『時間がない、と先ほど貴女は言いました。それはわたくしたちも同じ。貴女が限定的にせよ《ちから》を取り戻せたのは、まちがいなくアスカリヤ殿下のおかげ。でもいま殿下は、窮地にいらっしゃいます。件のチェスピースとやらを奪還できずにいるのも、そのせいです』


 つまり? とシドレは小首を傾げて見せた。

 はい、とアテルイは頷く。


『もう一度、今度はわたくしと契約してください。骨のチェスピースを奪還するために。それは結果としてアスカリヤ殿下をお救いすることでもある』

「その約束をおまえたちが守る保証は?」

『ではなぜ貴女は、アスカリヤ殿下のことを信じたのです?』


 アテルイの切り返しに、シドレは苦笑した。

 人間ごときに一本取られたな、という顔だ。


「しかし、わたしにはもう《ちから》がない。この肉体を見ろ。非力な女、童女わらしめそのものだ。しかも、死にかけている」

『戦いはわたくしたちが引き受けます。貴女は、わたくしたちを運ぶだけでいい。先ほど、ここに導いてくれたように』

「それは……神殿を操り──転移させよと言っているのか。バカな。それには莫大な《ちから》がいる。それに座標を掴もうにも……投影ヴィジョンを展開できるかどうかわからんほどに、すでにわたしは消耗しているのだぞ」

『そこは微力ながら、わたくし、アテルイが助力させて頂きます』


 憑依を許された霊媒は、その肉体を使って《スピンドル》を発動できる。

 むろん、代償は宿主と憑依者の両方が支払うことになるのだが、それをアテルイは受け持つと言っているのだ。


「バカな、おまえ、死ぬぞ。我らが蛇の巫女の技の代償を甘く見るな」

『それなのに貴女は、その代償を支払って我らを助けてくださった』


 その貴女を助けるのに臆するような命なら、最初から棄ててしまえばよかったでしょう。

 言い切ったアテルイに、シドレは言葉を失う。

 おまえたち、本当にバカなのだな、呟く。


「命知らずもここまで来ると、はた迷惑だぞ。夜魔の姫、止めてやるがいい。この娘、死ぬ気だ」

「本当に自刃するつもりなら蹴り飛ばしてでも止めるところだが、いまのアテルイにそんなつもりは毛頭ない。そうだろう?」


 おざなりに訊いたシオンに、アテルイは意識体のまま力強く頷いた。


「なぜ、そこまでする」

『貴女が恋をしているから、ではいけませんか。どなたにかは存じませんが、同じく恋をする者として、見過ごせない』


 アテルイは本気で答えた。

 それはこの歳になるまで、本当の意味で恋に狂ったことがなかった女の言葉だからこそ──いままさに狂っている女のセリフだからこそ──響いた。

 咳き込んで、血を吐いて、それなのにシドレは笑う。


「バカの上に狂っているぞ、おまえたち……。なのに、なぜだ。笑えてくる。愉快なんだ、わたしは、いま」


 そうひとりごちて目を閉じ、もう一度開いたとき、蛇の巫女の瞳からはあの死の倦怠けんたいが消え去っていた。




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