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■第一三六夜:地の底の渚(みぎわ)で


         ※


「きゃあああぁぁぁぁぁ──」

「そなた、アテルイ、いい歳をして可愛らしい悲鳴を上げるではないか。掴まっておれ!」


 迷宮の底に開いた穴に突如として吸いこまれたアテルイとシオンは、分厚い石材の層を潜り抜けて、落下した。

 真っ暗闇のなかにいたのは、おそらく数秒。

 重力に引かれて加速したふたりの肉体は、あっという言う間に死蔵知識の墓守ノウレッジ・レイスの追撃を振り切る。

 それがいいことなのか悪いことなのか考える暇もなく、ふたりは落ちる。


 次の瞬間、視界が燐光に包まれた。 

 空気の匂いや、味までもが変わる。

 あきらかに広い別空間、それも下界と通じる風を感じる場所へと達したのだ。 


「今度は、なんですッ?!」

「落ちているのは変わらん。こうなれば奥の手だ。この技のこと、アシュレたちには内緒だぞ!」


 言うが早いか、シオンはスカートを翻した。

 途端にその奥から、真っ黒な翼が何百、何千と飛び出してくる。


「はわわわわわ! こ、これわ!」

「出でよ、我が眷属。我らを助けるのだ!」


 激しい羽音とキイキイという小さなうなり声とともに、その翼の群れはシオンの衣服のあちこちにしがみついて羽根をはためかした。

 シオンはと言えば右手に聖剣:ローズ・アブソリュートを保持、左手はスカートがめくれ上がらぬよう押さえつけるのに忙しい。

 アテルイはそこから覗く、シオンの白い足にしがみつく格好だ。


「こ、これわ、コウモリ!」

「コウモリ女などと揶揄ディスられるのがしゃくで、いままであまり披露してこなかったが。これも一種の召喚術よ!」

「シ、シオン殿下のスカートの下は洞窟にでも繋がっているんです?!」

「それよ、そういう揶揄ディスりが、イヤだったんだ! 『スカートのなか洞窟女』とかな! コラッ、覗くなッ!」


 喚きあう女子二人組の争い(?)をよそに、コウモリたちは必死に自分たちの仕事をした。

 よくよく見れば、そこにシオンの使い魔:ヒラリが混ざっていることにも気がついただろう。

 その努力もあってか、ぐんぐん落下速度が減じられていく。


 数秒後、シオンとアテルイは砂浜へと墜落した。

 バズン、とそれなりの音と衝撃をともなって。


「ううう、ひ、ひどい目にあった」

「文句を言うな。そもそもこれはわたしひとり用の技なんだ。そなたは員数外なのだぞ」

「なんだか、わたしの体重が問題だったみたいな言われ方ですが」

「実際のところ、そなた以前よりふっくらしてきたからな。アシュレに食べさせる料理の味見が過ぎるのではないのか」

「それを言うなら殿下の方です。その小柄な肉体のどこに、あんなに食べ物が収まるのでしょう」

「夜魔は食べても太らんもーん」

「そうでしょうか。この世界には質量保存の法則があるはず。なんならこんど、体重を量ってみましょうか?」

「むむむ」

 

 と、そんな感じで、ひとしきり再会の挨拶を交したふたりは、周囲を見渡した。

 砂煙が晴れ、状況が明らかになる。


「ここは……どこだ?」

「海辺……砂浜……本物の海の匂いがする。でも大図書館の地下に?!」

「いかにも、ここはビブロンズ大図書館よりさらにその底にある、古き秘密の海岸だ」


 背後から呼び掛けられ、ふたりはいっせいに振り向いた。

 すると、どうしたことだろうか。

 そこには小山のごとき巨大な生物の死骸にもたれかかった──青い髪の幼女が立っていたのだ。

 胸に穿たれた深い傷を押さえ、滴り落ちる血液を手で受けている。


「貴様ッ……だれだ?」


 その様子に上げかけた誰何すいかの叫びを途中から潜めて、シオンが尋ねた。


「だれかと問われたら答えねばなるまい。我こそはシドレラシカヤ・ダ・ズー。おまえたちが黒曜海の大海蛇と呼ぶ存在よ」

「「!」」


 幼女の名乗りに、アテルイとシオンはともに絶句した。

 大海蛇:シドレラシカヤ・ダ・ズー。

 アテルイにとっては複雑な感情を抱く相手だ。

 しかも、以前に出会った彼女は、どちらかと言えば妖艶な美女であり、幼女の姿ではなかった。

 たしかに面影は感じるし、話し方はそっくりだが。


「その姿……」

「いろいろと込み入ったいきさつがあってな。これがいまのわたしの姿だ。アテルイ、霊媒の娘よ」

「アテルイというわたしの名だけではなく、異能さえ知っている……。では、やはり本物なのか」

「蛇は化ける、というのはオマエたち人類圏では、東西に関わらずイクスでもアラムでも有名な伝承だったと思うが」


 この短いやりとりで、アテルイは確信した。

 間違いない、これは本人だと。

 いや、そもそも幼女がもたれかかる巨大な遺骸は、大海蛇としてのシドレラシカヤ・ダ・ズー以外のなにものでもないのだ。

 どんな祟りがあるやもしれぬそれに身を預けるなど、まともな人間なら考えつきもしないことだ。

 蛇の巫女に縁もゆかりもない存在などではあるまい。


「では、ここに我らを招いたのは貴様か、シドレラシカヤ・ダ・ズー」

「シドレで結構。時間がない。そして、その質問にはその通りだと答えておこう、夜魔の公女」


 確認するシオンに、苦しげな息の下でシドレは答えた。

 なぜ……と問いかけたのはアテルイだ。


「なぜ、こんなことを。どうしてわたしたちを招いた。落とし穴など使って」

「助かっただろう、結果として」

「助けた、だと? なぜ助ける必要があった? オマエに、どんなメリットが?」

「アスカリヤと約束したからだ。アテルイ、おまえを助けるために、あの娘はわたしと取引をしたのだからな。いまおまえが無事なのは、わたしの助力を得たアスカリヤが、悪魔の騎士と渡りあうべく飛び込んでいったからだ。聞いていないか?」


 シドレの質問に、アテルイは狼狽えた。

 一命を賭しても仕えるべき己が主人:アスカリヤが、こともあろうか奴隷である自分を助けるため、ガリューシンとだけでなく、すでに大海蛇とも取引していたということにショックを受けのだ。

 殿下、と思わず呟く。


「なにか言付ことづかったもの・・はないのか?」


 今度はシドレが訊いた。

 アテルイは胸を押さえたまま、答えられない。

 言付かったもの? 

 なにか預かっただろうか?


「残念だが、なにも……」

「なるほど、そうか。万事が万事、首尾よくとはいかなかったか」

 

 アスカがなにをこの蛇の巫女に託されたのか、いまなにを自分は持ち帰っていなければならなかったのか分からず、それなのに使命に失敗したという自責だけがあって、アテルイは視線を落とした。

 いやそもそも、この女を信じていいのか。


 迷いと自責と焦燥が、また心をかき乱す。


 と、落とした視線の先に特徴的な痕跡を見出したのはそのときだ。

 生物とはあきらかに異なる、しかし人類以外ではありえない足跡。


「これは、まさか告死の鋏:アズライール? その足跡?」


 アテルイが砂浜に残された足跡を追っているのに気がついて、シドレは薄く笑った。


「気がついたか。そして信じる気になったか。そうだ、わたしとアスカリヤは正しく正当な取引をした。その意味では同志だ。だからおまえたちを助けた。」


 囁くように言うシドレの言葉を、以前だったらアテルイは信じなかったであろう。 

 だが、いまは違う。


 大きなストライドで波打ち際から遠ざかっていく足跡からは、アスカの快活な気が立ち昇っていた。


 いま幽体離脱状態にあるアテルイの目には、それがハッキリと見えるのだ。

 これは決して嫌々ながらに条件を呑まされた人間の残す痕跡ではない。

 なにか大きな使命を感じ、希望を信じて駆けていった人間の足跡だ。


 数秒、その軌跡を睨んでから、アテルイは言った。

 

「貴女の言うことを信じましょう、偉大なる蛇の巫女:シドレ」




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