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■第一三一夜:彼は来る(光とともに)


 注がれた汚辱を、アスカリヤは涙とともに飲み込んだ。

 その頭上で、満足げにガリューシンは嗤う。


「なかなかにテクニカルだぜ、アスカリヤ。アンタ、初めてじゃねえな、実は。いやそれにしても、飲み込みの速さが尋常じゃあねえ。さすが淫魔と真騎士のあいのこだ。男を悦ばすテクってのを本能的に知ってるんだな──カラダのほうが」


 侮辱でしかありえない称賛を、天に顔を向けて泣きながらアスカは聞いた。

 すこしでも現実を遠ざけようとするように、瞳は閉じたまま。

 ただただ、涙だけがとめどなくこぼれ落ちる。


 いつものアスカなら、こんな屈辱と侮辱を看過できるはずもなかったであろう。

 即座に飛び起き、この不心得者の首を蹴り飛ばしていたはずだ。


 だが、いまのアスカの胸中には怒りさえ湧いてこなかった。

 絶望にへし折られた心が、抵抗の意志さえも完全に拒否していた。

 そんなアスカの姿を、ガリューシンは絶賛する。


「ああ、いいね、いい。そうだ、その絶望に震える姿。すばらしいぜ。アンタ、いま、ほんとうに綺麗だよ」


 褒められているのに、悪寒だけが背筋を走る。

 それに恐怖。

 次になにを求められるのか、アスカは知っている。


「さて、じゃあ、次はオレが下ごしらえしてやろう。なあに、いまアンタがしてくれたことへのお返しサ。オレは誠実な男なんだ。サービス精神だって旺盛なんだぜ?」


 チェスボードの上に仰向けに横たわるように命じられた。

 のろのろと従う。


「オイオイ、ずいぶんと焦らすじゃないか。早くしたほうが良いと思うけどなァ」


 ガリューシンの言葉に、アスカは肩を震わせた。

 閉じていた瞳を、男に向ける。

 壊れてしまった球体人形のような、ぎこちない動き。


「オレを満足させない限り、アテルイさんの命は保証できないって言ったじゃないか」


 ガリューシンの言葉が終わるのを待つまでもなく、アスカは急いてチェスボードに上がった。

 身を横たえる。

 顔を手で覆い隠す。

 それはアラム教徒の女性たちの恥じらいの仕草だ。


「おっと、いつもは男装で通してきた姫皇子ひめみこさまも、いざとなると、やっぱり恥じらうんだな。さっきまでとは大違いだ。いやあいい、羞恥心ってのは大事なことだぜ」


 そう言ってガリューシンは、またあの薬液をあおった。

 常人であればとっくに過剰投与オーバードースであるはずのそれを口中に含み、アスカに手をつける。

 ガリューシンの言う下ごしらえを、アスカは歯を食いしばって耐えねばならなかった。

 恐怖や嫌悪感にだけではない。

 口をつきそうになる嗚咽、そして意思に反する声に、だ。


「無理するこたあない。それにどうせなら楽しまなきゃ損だぜ。苦痛ばかりじゃアンタも悲しいだろ」


 一瞬だけ顔を上げ、ガリューシンはそんなことを言った。

 またすぐ作業に戻る。

 アスカは己の指を血の滲むまで噛む。

 そうしないとすぐにも負けてしまうのがわかったのだ。


 己の肉体が起こす反応に、恥ずかしさが止められない。

 悔しくて涙が止まらない。

 それなのに、抵抗する意志さえ、もうない。


 駄目押しのように、天井を投影が覆った。

 追いつめられたアテルイが、叫んでいる。

 アスカを呼んでいる。

 殺してくれと、懇願している。


「ありゃりゃ、始まっちまったみたいだな」

「お、お願い、お願いです、止めて、とめてください! アテルイを助けて!」


 従順な言葉でアスカは哀願した。

 ほほう、とガリューシンはアゴを撫でた。


「じゃあ、早くしないとな。だが、オレはサービス精神旺盛な男だ。ちゃんと準備をしてからじゃないとダメだ。これでも騎士だからな。女性は大切にしたい」


 アンタは特に丁寧に壊したい。

 耳の奥で、そんなセリフを聞いた気がした。


「ど、どうしたら……」


 早くしてくれるのか。

 そんな問いを発しなければならない状況に、アスカの恐怖は極限のものとなる。 


「そうさなあ、アンタがどうしても早くしてくれっていうんだったら……考えてもいい。お願いなら、しかたねえ。手順を省略するのは、ホントはオレの主義じゃねえんだが」


 つまるところ「自ら乞え」とガリューシンは言っているのだ。

 自ら征服を懇願しろと、そう言っているのだ。

 ぶるりっ、とアスカは震えた。

 こわくて、こわくて、震えが止められない。

 それでも迷っている時間など、もうアスカには残されていなかったのだ。


「お、お願いです、ご、ご主人さま。アスカを……アスカリヤを、征服してくださ、い」


 後半は涙に濡れて、うまく言葉に出来なかった。

 ガリューシンは、作業をやめると立ち上がり、満足げに頷いた。


「もう一度、言ってくれ」


 言われるままにアスカは繰り返す。

 その間にも、アテルイの窮地が天に映し出される。

 アスカは自ら求めるように、手を伸ばした。

 それは本当はガリューシンを求めてのことではない。

 アテルイへと伸ばされた手。

 

 ぶつり、とそこで唐突に投影ヴィジョンは切れた。


 ガリューシンとふたりだけの世界が来る。


「うれしいぜ、殿下。オレをこんなに求めてくれるなんて……うれしくてたまらねえ。さあ、さっきのセリフを言うんだ、繰り返し、気持ちを込めて」


 命じながら、ガリューシンはアスカを確かめた。

 その下腹には真騎士の乙女の血統である証──戦乙女の契約ヴァルキリーズ・パクトが発動を待っている証拠がある。

 本来ならそれは初めてを許した相手、つまりアシュレ以外には反応しないはずのもの、現象である。


「どうして……」


 うめいたのはアスカ本人だった。

 ああ、なるほど、とガリューシンは納得して見せた。


「そうか、アスカリヤ、アンタ知らねえんだな、オレほど詳しくはアンタ自身のことを」

「えっ?」


 すくんでしまった小動物のように震えながら、アスカは聞き返した。

 鍛え上げられ、幾多の戦場を潜り抜け、そして神を探すという狂信に突き動かされ凄惨な殺人を繰り返してきた、不死の怪物の肉体がのしかかってきた。

 肉と骨で出来た檻のなかで、アスカは身を縮こまらせる。

 ガリューシンは言う。


「アンタはなにも、なんの意味もなく生み出されたわけじゃあねえ。“狂える老博士”だったか、あの頭のおかしい連中も、そこまで暇じゃねえ。トップクラスの真騎士の乙女の肉体をいじくり回せる機会を無駄にするようなやつらじゃない。ただの手慰みとはわけが違う」

「それは……どういう……」


 恐怖に囚われ、浅く速い息を繰り返すアスカに対し、余裕たっぷりでガリューシンは答えた。

 解説を求められたことが、うれしくて堪らないという表情。


「言っただろ、アンタにはオズマヒムの血は一滴も流れていない。なぜって、真騎士の乙女は英霊としか交われない。つまり人間の英雄たちは、本当の意味で真騎士の乙女たちと繋がるためには、生きていてはいけない・・・・・・・・・・わけさ。英霊ってのはつまり死者のことだろ?」


 ガリューシンがなにを言わんとしているのかわからずに、アスカは目を泳がせる。

 肌を重ね合わせながら、男は続ける。


「そのための代償エサとして、真騎士の乙女たちは人間の英雄たちに加護を垂れる」

戦乙女の契約ヴァルキリーズ・パクト──」

「そう、そうだ、オレは賢い女が好きだぜ。殿下みたいな、な」


 アスカの頭を抱え込み、濡れた黒髪を撫でながらガリューシンは続けた。


「それは花の蜜みたいなもんさ。人間の女では逆立ちしたって敵わねえ美貌びぼうを持ち、衰えを知らず、さらにその深奥には、ただの人間ですら熟練の戦士にまで引き上げちまうほどの《ちから》を隠し持ってやがる。これでアンタら真騎士の乙女にハマらねえ男はいねえよ。あっというまに虜にされちまう」


 で、その究極の代価が英霊化ってわけだ。

 ガリューシンは意味深に嗤った。

 複雑な陰影が顔に落ちる。


「だがよう。その恩恵に浴せるのは生涯でひとりだけ。たったひとりの男しか、その栄誉を賜ることはできねえんだ。ほとんどの男どもは、指をくわえて見ていることしかできねえ。選ばれなかった連中は、戦乙女の契約ヴァルキリーズ・パクトのなんたるか、そのかぐわしき衣のはじっこにすら触れねえ」


 そりゃ不公平すぎねえか?

 問いかけるガリューシンの真意が、アスカには徐々にだが掴めてきた。


「じゃあ、それを……わ、わたしのカラダは……」

「そう、そうだぜ、殿下! アンタはそういう不公平を是正するために、この世に生まれ出でてきたんだ! アンタの肉体は九割がた真騎士の乙女のものだ。そして、残り一割は、淫魔のもの。淫魔の特性は──」

「可塑性……自らを組み敷いた相手に、その欲望に瞬く間に順応する……ひっ」


 アスカの口から、ついに悲鳴が漏れた。

 ガリューシンが、その証拠を突きつけたからだ。

 確認を迫るように、指が動く。

 あああああ、と嗚咽が声になるのをアスカは止められない。


「つまり、アンタは関係した男全員を英雄にしてくれる。女神さま、なんだよ」


 己の出自、その真実に、アスカは呆然となる。

 ふしだらであるとか、淫らであるとか、そういうことではない。

 

 わたしは道具だ。

 玩具だ、とアスカは思った。

 男たちの願望を叶えるためにだけ生み出されたヒトのカタチをした、玩具。


 それから理解してしまう。


 だとしたら、どうあがいても、王にはなれない。

 皆の上に立つべき資格がない。

 父さまを、助けることも、できない。


 玩具になにができる?

 だれが玩具を王と仰ぐ?


 玩具であるわたしがはべるべき場所は、だって、だって、だって──。


 そんなアスカの絶望の匂いを、ガリューシンは黒髪に鼻梁を埋めて嗅いだ。

 いつもながら、すばらしいな、とひとりごちる。

 壊れていく心の匂いは、格別だ、と。

 神を、感じる。


「理解したみたいだな、殿下。だが、安心しなって。オレがアンタを守ってやる。他の連中には渡さない。オレだけが、アンタを使う。オレとアンタを、死が分かつまで。アンタがオレだけのものでいてくれる間は、な」


 それにオレは、死神とやらにはずいぶんと嫌われているしな。

 勝ち誇ってガリューシンは嗤う。

 その手が、無遠慮にアスカを開く。

 もうアスカには抗う《ちから》など、一片も残されていない。


 そして、ついにすべてが決しようとした、次の瞬間。


 雷轟らいごうのごとくに響き渡る衝撃波とともに、ガリューシンが吹き飛ばされる。

 網膜を焼く輝きが、悪魔の騎士を退ける。

 

 闇を切り裂く一筋の光明。

 アスカはその一閃を、青い瞳をいっぱいに見開いて見た。

 暗闇に慣れた目が、一瞬、世界を喪失する。


 ああ、と声が漏れる。


 だが、それはこれまでのような絶望のうめきではない。

 まだ、希望は潰えてなどいない。


 アシュレ──気がつけば、その名を呼んでいた。




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