■第一二七夜:陥落の皇子
「代償だ。身代金だよ、お姫さま。オレは騎士だ。そういう約束事なら、それなりの対価ってもんがいる」
「代償……わかった、金ならいくらでも積もう」
「ふざけるなッ!! オレの命もアンタは奪ったんだぞ。その上で、さらに殺しにきた。金なんかじゃ到底解決できねえさ。これはアテルイさんの命の話だけじゃもうねえんだよ!」
「じゃあ、なんだ。なにで、なら」
アスカの声にある絶望を嗅ぎ取って、ガリューシンは嗤った。
「最初にそれは言ったぜ、アスカリヤ」
「えっ?」
「言ったはずだ、アンタが欲しいって」
アンタが一生の奉仕を約束してくれるなら、オレはもう一度だけ、慈悲深さを発揮してやってもいい。
「ただし、今度は先払いだ。どうすればいいのかくらいは、わかるんだろう? お姫さま」
男の口元に張り付いた笑みの薄汚さに、アスカは要求の内容を理解した。
肉体が飲み干した薬物の効果を思い出す。
ぞくりぞくり、という熱に浮かされたような感覚が、悪寒とともに足下から這い登ってくる。
「どうなんだ?」
悪魔の騎士が耳元で囁いた。
長い舌が伸びて、耳朶を、舐める。
その感触はざらついていながら粘り気があった。
普段なら嫌悪感しか感じまい。
しかし、アスカは伝達される感覚のなかに、それ以外のものを見出してしまう。
ぞわぞわ、と首筋に鳥肌が立つ。
「や、約束は守ってくれるのか」
「これまでだってそうしてきただろう。オレは約束は守る男さ。アンタと違ってな」
「わ、わかった。お願いだ、アテルイだけは、どうか無事に帰すと約束してくれ。そうでないと、わたしは、わたしは──」
アシュレに申しわけが立たない。
続く言葉をアスカは飲み込んだ。
ただ、アテルイの無事とその後に続くであろうしあわせな生を祈る。
青い瞳に溜まった涙が、瞬きした瞬間、ぼろぼろとこぼれた。
「どう、すればいい?」
「そうさな、まずは宣誓だ」
「宣誓?」
「奉仕奴隷契約の成立ってヤツだ。アンタ、皇子だったんだろ。なんども聞いて来たんじゃないのか、奴隷たちの絶対の忠誠を誓う言葉を、いくつもいくつも」
オレたちイクス教徒には思いつきもしねえトンでもねえ制度だが、ここはアラムの神の顔を立ててやるよ。
奴隷制度、万歳。
ガリューシンは嗤う。
「どうした、はやくしろ。時間がないぜ。アテルイさんはいままさに窮地かもしれん」
「わ、わからん、わからんのだ。どうやって誓えばいい」
「なにい。どうしようもないお姫さんだぜ。これまでいったいなにを学んで来たんだ。いいかいこうだ、よく聞けよ」
耳元で囁かれる宣誓のセリフを、アスカは目をつむる思いで聞いた。
頭のなかにあの薬を流し込まれる気分。
のろのろと、復唱する。
「わたくし、アスカリヤ・イムラベートル・オズマドラは、誓い、ちかいます」
「愛玩奴隷として、絶対の忠誠と、永劫のご奉仕を、ご主人さまに……」
「あ、あいがんどれいとして、えいごうのごほうしを……」
あまりの屈辱と恥辱にアスカは泣いてしまう。
強要されるセリフの酷さもそうだが、本当に悔しいのは、肉体に起る変化だった。
これから我が身を襲うであろう蹂躙を想像したアスカのカラダは、こともあろうに反応してしまっている。
もちろんこれがあの麻薬・媚薬の効能であろうことは分かっていた。
それでも奴隷契約の連なりを一句一句紡ぐたび、、ぞくりっ、ぞくりっ、と首筋を這う感覚がいったいなになのか、アスカはもう知っていたのだ。
アスカを構成する何割か。
真騎士の乙女と淫魔の血が、強者による征服を求めているのだ、と。
強いられるほどに、それを感じてしまうのだ、と。
「よし、キチンと言えたな、お姫さん。じゃあ、さっそく奉仕してもらおうか」
「ほうし? ど、どうすれば?」
「安心しな。知らなくても問題ねえ。オレが、いちからぜんぶ仕込んでやる。そして、堕ちまいな。もうどうせ、みんなのところにゃ戻れねえんだ」
「えっ?」
突然、頭髪を掴んで力づくで、引き起こされた。
反射的にチェスボードの上の品物を掴むが、そんなことで抵抗できるわけがない。
掴んだ品物ごと引きずり下ろされ、そのまま床に跪くように命じられる。
「さあ、奉仕の時間だ。まずはしっかり慣らそうか」
「帰れない、ってどういう……」
「おーや、お姫さんにはわからなかったか。そうかい、まあいい。どうせアンタはオレと暮らすんだ、このあと一生な」
言いながら、ガリューシンはあの緑色の薬液をまず自分自身に振りかけた。
「これですこしは気も紛れるだろ? はやくしなよ」
「どういう……ことだ?」
悪い予感しかしなかったが、アスカはもう一度、訊いた。
教えて欲しいのかい、とガリューシンは小首を傾げる。
それから言った。
オススメじゃねえが、どーしてもっていうんならしかたない。
そう呟いて。
「いまこの場面の一部始終、特にアンタが脱ぎはじめてからのそれは、外にいるみんなが見てる。見ている場所に、投影されているんだ」
その言葉にハッとなってアスカは顔を上げた。
そこに緑の薬液が、雨のように降り注ぐ。
ガリューシンが瓶を垂直に立てたのだ。
むせ返るような麻薬の香りを、胸いっぱいにアスカは吸いこんでしまう。
その見上げた天井に、いま現在の自分のありさまが客観的に映し出された。
頭の上から長い黒髪の先まで媚薬が浸潤した、無防備な裸身。
男の膝下にかしずく姿。
投影。
それはあらゆる角度からアスカの現状を映し出し、認識を迫ってきた。
がくりっ、がくりっ、と消耗し、薬液に冒された膝が震える。
膝立ちでいることすら難しい。
あまりの衝撃に、頭が真っ白になって、なにも考えられない。
「オレを始末したら、このアンタの秘密を秘密のままにできると思っただろう? 残念だ。それは最初からお見通しだったのさ、お姫さま。アンタもなかなかの遣り手だが、人間を一〇〇年以上もやってるとね……ズル賢くなるのさ。裏切られた回数に応じて、嫌でもね。そして、だからこそ稚拙な策略には、すぐに気がつくようになる」
なにを言われているのか、もうアスカには理解できなかった。
涙腺が壊れてしまったかのように涙がとまらない。
震えも。
「かわいそうに。ほら、これがいまからアンタが仕えるべき神──心の拠り所だ。おお、天にまします我が神は、こう言われた。心の砕かれた者こそ、さいわいである。なぜなら、神は心の砕かれた者とともにこそ、あるのだから」
さあ、甘いお菓子をあげよう。
そこだけ慈悲深い聖騎士の顔になって、ガリューシンは告げた。
聖餅を含ませる司教のように、アスカのおとがいをやさしく掴んで、導く。
教導する。
がらり、とアスカの手のなかから、先ほど掴んで一緒に引きずり下ろされたもの──骨で出来たチェスピースがこぼれ落ちた。
 




