■第一二五夜:告死の聖翼
ほう、とガリューシンは賛嘆とも驚愕ともとれる溜め息をついた。
「いま、だからどうした、と言ったのかい?」
「そうだ。それ以外にどう聞こえたのか」
「いや驚いた。まさか、この切り返しがくるとは想定外だったぜ。そして、評価を改めなきゃならんな。アンタ、この時代にさえ生まれてなけりゃ間違いなく歴史に名を残す大帝になったはずだぜ。いまをもってオレは、ルカティウス猊下の慧眼に、完全に同意したことを表するよ」
「話はそれだけか」
煽り言葉の一切を受け流すアスカの反応に、ガリューシンは微笑んで見せた。
問いかける。
「じゃあ、どんなふうに人間じゃないのか。その内容までは、ご存知かな?」
「知っている。むしろ貴様はどうなんだ。本当にわたしのことを知っているのか。カマをかけているだけではないのか。もし、口からでまかせを垂れ流しているのなら、貴様が持ちかけているのは交渉ではなく詐欺だということになる。そうであるならば、即座にその首を刎ねる」
「おおお、こわやこわや。だが、もちろん、でまかせなんかじゃねえよ」
「では、言ってみろ。わたしが知るわたしの真実と相違ないか、確かめてやる」
言い切ったアスカに、ガリューシンの表情が一瞬だけだが呆けた。
「いいのかい?」
「かまわんと言った。どうした早くしろ」
ガリューシンは信じられねえ、という顔つきでかぶりを振った。
それから、観念した様子で告げた。
「じゃあ、ご本人の口から許諾を得たんで話そう。アスカリヤ──アンタは人間ではない。真騎士と淫魔とを人工的な手段で掛け合わせた合成人間だ。そして、」
このまま続けてもいいのかい、とガリューシンは目で問う。
アスカは答えない。
表面上、その態度からは動揺は感じられない。
しかし、剣の達人であるガリューシンは浅く早くなっていく呼吸を見破られないよう、アスカが著しい努力を自分自身に強いているのが、見て取れた。
己の仕掛けた策の効果に、ガリューシンの笑みは自然と大きくなる。
それは獲物を前に、舌なめずりをする邪悪な獣そっくりだ。
ひとことひとこと、噛んで含めるようにガリューシンは言った。
「そして、その血には──ああ、神よ、憐れみたまえ──父王、偉大なるアラムの盟主、オズマドラの大帝:オズマヒムの血は、一滴も流れていない」
ついに隠しきれなかった動揺がアスカの手に、震えとなって現れた。
掌に指が食い込み、血が滲むほどに拳が握りしめられる。
「おおお、なんということだろう。これではいかに大帝が望んでも、民衆がアスカリヤを王と仰ぐことはないであろう。なぜならば、ここにいるアスカリヤこそは、大帝をたぶらかした真騎士の乙女の不貞が産物。不義の証。偉大なるアラム・ラーは、そのような者が玉座につくことを、決してよしとはなされないであろう!」
自らの言葉に酔うように、ガリューシンは立ち上がり両手を広げた。
神託を告げる神官のように、あるいは神の教えを説く司祭のように、あるいは舞台上の歌劇役者のように、ガリューシンは告げた。
次の瞬間──アスカは自分が考えたり思うよりも早く、肉体が動くのを止められなかった。
跳躍を伴う回し蹴りが、三回、ガリューシンを襲った。
己の攻撃の反動を利用する、アスカの空中連撃だ。
しかし、そのすべてをガリューシンは躱して見せた。
剣を使ったのは最後の一回だけ。
ガキヒィイイイン、と聖剣:エストラディウスの刃と告死の鋏:アズライールが激突し、青白い火花が飛び散る。
その直後、ガリューシンはアスカの背を空いた手で押した。
技の終了時の一瞬の隙を突かれ、アスカは地面に転げる。
いつものアスカであれば、たとえこのような状況でも受け身を取ってすぐに反撃に移っただろう。
しかし、このときの彼女にはそれだけの余裕がなかった。
ガリガリガリ、と告死の鋏:アズライールが床材に擦れて、不快な音を立てる。
「ヒュー、危ない対応をするじゃないか、殿下。オレじゃなきゃ、三回は死んでたぜ」
バランスを崩し床に這いつくばるアスカに対して、アゴをさすりながらガリューシンは言った。
見ればその頬と肩にぱっくりと傷口が開いている。
直撃ではなく、アスカの蹴りが生み出した真空刃によるものだ。
そしてその傷が、血が噴き出すより早く、開いたスクロールを巻き戻すかのような勢いで塞がっていく様子は、悪夢以外のなにものでもない。
「だが、これでオレが嘘つきじゃないことがわかったはずだ。図星だろ、殿下」
ガリューシンのセリフに、アスカは片膝をついたまま、うなだれたままだ。
長い黒髪がすっかり梳けて落ちかかり、表情は掴めない。
「沈黙は肯定とみなすぜ?」
確認の言葉に、アスカは頷かなかった。
だが、ガリューシンの指摘はすべて真実であると認めざるを得なかった。
どこかで、こんなことになる予感がアスカにはあったのだ。
最初は、自分自身の出自を知らされたとき。
次に、《閉鎖回廊》に落ちたトラントリムで“再誕の聖母”に囚われたとき。
確証を得たのは、蛇の神殿で古代の記録を守る司書女に出会ったとき。
衝撃を受けなかったのか、と言われたら嘘になる。
ただその事実を知っても激しく取り乱さずに済んだのは、きっとアシュレと出逢い、深く関係を結んでいたおかげだ。
彼が打ち込んでくれた人理の杭と強い縁の糸が、漂流しそうなアスカの心を繋ぎ止めてくれた。
「なにがあってもキミの味方だ」となんどもアスカの名を呼びながら、抱きしめ、深く繋がってくれたアシュレがいなかったなら、アスカの心は荒波に玩ばれ砕け散る帆船のようにバラバラになっていたに違いない。
だから、大丈夫だと思った。
たとえ、他者にそれを知られても、自分は自分を制御できると信じていた。
これまでは。
「まあ、なんていうか。心中はお察しするぜ、殿下。いやもう正確には殿下じゃあねえのか。皇子ではもちろんないが、姫さまでいることもできねえのか。おかわいそうに」
うすっぺらのぺらぺらな紙のような調子で、ガリューシンが同情を表明した。
それは他者の心を踏みにじり、折ることに、この男がなんの感慨も抱いていない証拠だ。
だから、すべてを認めるアスカの言葉のなかに宿る芯の強さのほうに、ガリューシンは驚愕したのだ。
アスカは頷いた。
それから言った。
「そうだ。貴様の言う通りだ、ガリューシン。わたしは人間ではない。父の血すら引いていない。真騎士の乙女とおぞましき淫魔の間に生まれ落ちたつぎはぎの娘だ。皇子ではない、姫でもいられない。しかし、」
「しかし?」
ぐぐぐ、と震える脚に《ちから》を込め、立ち上がる。
「しかし、わたしという存在が消えてなくなることを、それは意味しない。そして、この胸に《意志》が宿ると言うのであれば、この肉体を《スピンドル》が巡るというのであれば、わたしのなかに宿る精神は《スピンドル能力者》のものッ! この世界のあり方を見つめ、人々を導く責務を持つ者ッ!! わたしは、まだ膝を折るわけにはいかないッ!!!」
断言して、アスカは地面を蹴った。
そして、放つ。
「くらえッ! 告死の聖翼ッ!!」
アスカはただただ無様に転び、這いつくばっていたのではなかったのだ。
必殺の一撃を加えるための溜め。
それを生み出すため。
受けた屈辱を時間稼ぎに利用したのだ。
その刹那、ガリューシンの目に映ったものは、両脚を錐のように回転させ輝ける矢となったアスカが、まっすぐに突っ込んでくる光景だった。




