■第一二三夜:交渉、ふたたび
「さて、では貴様が好きな交渉の時間とやらに移ろうか、ガリューシン。つまらぬ話だったら、蹴り殺してやるから、そう思え。せいぜい、わたしの興味を引くような話題を選ぶのだな」
そう宣告するアスカに、ガリューシンは答えなかった。
ただ、アテルイが姿を消した暗闇のほうを見つめて、言った。
「よかったのかい、ひとりで行かせて?」
「なに?」
脈絡ない問いかけに、アスカは会話の間合いを外され、鼻白んだ。
いやなに、とガリューシンは続けた。
「いまこの地下図書館は緊急事態に見舞われている。外敵に、侵入者──アンタたちオズマドラのおかげで、しっちゃかめっちゃかさ。これじゃあ蔵書の守たちも、黙ってはいられないだろうなァ」
「蔵書の守……だと?!」
持って回ったガリューシンの言い回しは、無性に癇に障る。
だが、蔵書の守も黙っていられないだろうという発言には、看過できないものがあった。
どういうことだ。
アスカは裸身の男を睨めつけた。
「おや、出くわさなかったのかい。そうか、アンタ地下の……。どうやったかはしらねえが、蛇の巫女の領域からこの階層に到達したんだな、どおりで」
驚愕するアスカに、そうかそうか、と理解を示して、ガリューシンが頷いた。
「この階層から上下に広がる大図書館は、ワールズエンデという界に残された重要な知識を収蔵している。その管理と保全を司る連中がいるのは、あたりまえのことだろう? 現実の書庫でも、ときどき陰干ししたり、紙を食む虫を排除しなきゃならんだろ? 蔵書を盗み出したり、火を放とうとする不埒な奴らだってすくなからずいる。そのときのために専門の守人がいる。それとおんなじさ」
もっともこの図書館に守人として詰めてるのは、生身の人間じゃねえが。
そう付け加える。
「死蔵知識の墓守なんて呼ぶ連中もいるがね。ここで蔵書の守についているのは、魔道書:ビブロ・ヴァレリに心を喰われた、この國の王族たちの馴れの果てさ。ついさっき、見ただろう? 天井に映し出された投影で」
「なにい。それはつまり」
つまり、あの骨と皮ばかりの亡霊にも等しい連中が、この図書館の守護者として巡回している、ということか?
この瞬間、アスカのなかで、すべてがひとつに繋がった。
蛇の巫女:シドレの協力もあって、ここまでの道のりをなんの脅威にも遭遇せず最速で踏破してきたアスカは、己の認識の甘さを呪った。
さて、そんなアスカの態度をどう思ったのか。
こともなげにガリューシンは言った。
「ちょっと前まで、ここに隣接する階層は、まだまだ静かだったんだぜ? 実際、そうだったろ? 外部の敵や、侵入してくる連中に対処するために、配置を上層をメインに変えてたしな。ただ、さっきアンタ、オレを蹴り殺しただろう? それがよくなかった。さらにアンタ、蛇の巫女:シドレラシカヤ・ダ・ズーも殺したんだろう? そうでなきゃ、ここに居られるはずがないもんな」
ガリューシンの指摘は正確だった。
いやな予感がした。
そして、アスカが思った通りのことを、続けてガリューシンは言った。
「オレにも、シドレにも、ビブロ・ヴァレリの栞がついててね。つまり、アンタは最強格の守護者ふたりを殺っちまったんだ。オレたちが死んだことを、ビブロ・ヴァレリは知っちまった。そりゃ特第一級の警報として作用しただろうさ」
アスカがビブロ・ヴァレリという存在に対してまったくの無知であったなら、このときのガリューシンの言葉は意味をなさなかったであろう。
魔道書:ビブロ・ヴァレリの伝説を知る者は、いわゆる《スピンドル能力者》以外にも。それでもまだいくらかは居るであろうが、その魔道書の正体が実はオーバーロードであるなどと、いったいだれが知り得ようか。
たとえばそれは、あの水底の蛇の神殿で太古の記録に触れでもしない限り不可能な話だ。
しかしこのときアスカは、男の言葉に強い信憑性を感じてしまうくらいには、すでにビブロ・ヴァレリについて知悉していたのである。
そのことを、ガリューシンは、アスカの態度に表れた変化から嗅ぎ取ったようだった。
もう一度、深く頷く。
「なにが言いたい、ガリューシン」
「つまり、このエリアに侵入者がいることが、バレちまったってことさ。具体的にはアンタ、つまり殿下といまこのエリアから出ていったアテルイさんのふたりのことが。だとしたら、すぐさま死蔵知識の墓守が差し向けられるはずだぜ。奴らは半実体の存在だから、ふつうの書架ならすり抜けてくる。到着するのは、あっという間さ。それに《フォーカス》でない武器じゃあまず刃が立たねえ。うじゃうじゃいやがるから面倒くせえしな」
「じゃあ、そこにアテルイは……」
いかんっ、と踵を返しかけたアスカの足下が剣圧に砕けた。




