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■第一二二夜:逃げ延びよ、と主は言った


         ※


「殿下ッ!」

「アテルイッ!」


 這いずるアテルイの遅々とした歩みは、しかし、ついにアスカの元に届いた。

 アスカはアテルイを抱きしめる。

 間合いをすこし外して、悪魔の聖騎士がそれを見守る。

 これはオズマヒムとルカティウスの会談が都市上空で行われていた時刻と、ほぼ重なる時間軸の出来事だ。

 ヒト型をした牢獄:アイアンメイデンに囚われたアテルイは、小刻みに仮初めの肉体を震わせた。

 そんな彼女を安心させようというのだろう、アスカは力強く言った。


「案ずるな。助けるぞ、アテルイ」

「殿下、殿下っ、なぜ、わたくしのような者のために!」


 悲壮な臣下の叫びに、アスカは裸身のまま微笑んだ。


「わたくしのような者だなどと。自分を卑下するのはよせ。おまえはわたしの恋人であり、アシュレダウの妻であろう? ならば、救い出すのに理由などいらん。おまえは我が半身だ」

「ああ、殿下」


 そんな主従のやりとりに感動したという表情を、ガリューシンは作って見せた。

 もっともそれは三下の役者が作る、わざとらしい同情の仕草にそっくりだったが。

 それから告げた。

 主従の見せる思いやりに満ちたやりとりなど、興味がないのだと丸わかりの声で。


「感動的な場面に水を差すようで申し訳ないんだがね、殿下。そろそろ交渉に戻ってもらえないか」

「交渉、だと?」


 アテルイを抱き寄せ、それによって裸身を隠したアスカはガリューシンを睨めつけた。

 これまでアスカは、アテルイの自由の確保と安全な返還の代償として、ガリューシンとの屈辱的な交渉を続けてきた。

 具体的には身にまとう衣類を一枚ずつ脱いでいくという苦渋に耐えてきたのだ。

 そこにきて、いまさら交渉の場につけとは。


「どういうことだ。すでに貴様の要求はすべて呑んだぞッ! これ以上の辱めにつきあう道理はないッ!」

「ちがうちがう。服を脱げってのは、充分な屈辱を与えておけという──オレがルカティウス猊下より仰せつかった副次的な命令の話であって、本来の目的じゃあない。本当の交渉はここからさ」


 先ほどまでの騎士ぶりはどこへやら、ふたたび、あの下卑た口調に戻ってガリューシンは言った。

 そのこと自体には、もうアスカも驚きもしない。

 この男の性情と心のあり方が普通ではないことは、充分にわかっている。


「まだ、なにかわたしに用があるというのか」

「オレはもっとアンタとお話ししたいんだ。できたら親密にもなりたい、そして、教えて差し上げたいとも思っている。アンタの正体を」


 思わせぶりなガリューシンのセリフに、アスカは困惑した。


「親密? わたしと話したい? そして……わたしの正体……だと」

「そう、そうだ。アンタ自身も知らぬ、アンタの秘密さ」


 どうだ、優しいだろうオレは、とガリューシンはひとり悦に入って見せた。 


「なぜ、そんなことを知っている。いや、なにを知るというのか、オマエがッ!」

「いいねいいね、その反応。感情がストレートに出る素直さ。激昂しやすいが、陰湿なところのない王者の気質。ルカティウス猊下の評価通りの反応だ」


 衰退したとはいえど、かつて巨大な版図を誇ったビブロンズの皇帝:ルカティウスからの評価だという言葉に、アスカは軽い驚きを覚えた。


 諸国の王たちからは、粗暴な気分屋でオズマヒムからも遠ざけられている日陰者の皇子、と認識されていたアスカである。

 もし、オズマヒムが崩御したとき、その後を襲うのがアスカリヤであったのならば奪われた領土を取り戻す反攻のチャンスであるとも評されていたし、その心配はオズマドラ家臣団も常々、影ながらにも話題にしていたことだ。


 あえてそのように思わせてきたというのもあるが、アスカ自身もそれは知っていた。

 己が軽んじられていること。

 己が疎まれていること。


 だからこそ、ルカティウスの評価に驚いたのだ。


「世間一般の評価と違って、驚いたかい。ルカティウス猊下はアンタがオズマドラの玉座についてしまったら、西方世界諸国では手が付けられなくなるとまで言われたんだ。カリスマ、指導力、実行力、行動力、臣下からの忠心・尊信、幅広い人脈と人材、そして父王から受け継がれる強大な国力。間違いなくオズマヒム存命時を超える超帝国の誕生が成る、真の覇王が誕生する、と」


 一転、アスカは混乱に陥った。

 なにを言われているのか、うまく理解できない。


「なにを、言っている?」

「褒めてるんだ、評価してるんだよ。我が皇帝陛下も、オレも、アンタを。実際に相対してその思いはさらに強まった。臣下ひとりのためにここまで出来る君主は、そうはいねえ。臣下からここまで想われる皇子もな。たしかにアンタが玉座についたら、手が付けられなくなる」


 けれども、とガリューシンは言った。

 またあの下手な役者の顔になって、悲痛げに肩をすくめる。


「けれども、そりゃ無理な話だ。なんたってその皇子さまの正体は、なんとお姫さまだったんだからな。おい、立ちなよ。そしてよく見せてくれ。アンタのその美しい、女性にょしょうとしての証明を」

「なん、だと」

「イヤならいいぜ、交渉は決裂ってことにしても。そのときは実力を持って、アンタが女であることを思い知らせるだけだ。女相手に力づくってのは騎士としてどうかとは思うが、じつは存外、嫌いじゃない」


 軽くガリューシンは言ってのけた。

 ぞわり、と怒りに全身が総毛立つのをアスカは感じた。

 普段なら、即座に攻撃に移ったであろう。

 この愚か者の首を消し飛ばすべく蹴りを見舞ったはずだ。


 だが、いまアスカの腕のなかにはアテルイがいた。

 人型の牢獄であるアイアンメイデンに囚われ、這いずるのがやっとの忠臣をアスカは抱えていたのだ。

 せっかく取り戻した彼女を、危険に巻き込みたくなかった。


「アテルイ、先に行け。わたしの来た方角に向かって逃げよ……潮の香りがおまえを導く。滴った海水を見逃すな」

「殿下、なにを言われます。殿下を置いてなどいけませぬ」

「アテルイ、おまえもわたしも助かるにはこうするほかない。わかってくれ」


 アスカの囁きに、アテルイは二度、問い返さなかった。

 即座に主君の考えを理解したのだ。

 力なくうなだれ、言われたままに従った。


「殿下、どうか、どうかご無事で」

「安心しろアテルイ。時間を充分に稼いだら、ヤツに教えてやる。この無礼がどれほど高くつくのかをな」


 アスカはアテルイのかりそめの肉体であるアイアンメイデンに、己の《スピンドル》を通した。

 くうっ、と押し殺した悲鳴がアテルイから上がる。

 アイアンメイデンは通された《スピンドル》に反応して動力を得る。

 それはなにも、歩行をはじめとする運動能力に限ったことではない。

 これはヒト型をした刑具なのだ。

 ただ、このときのアスカにはその理解がなかったというだけのことだ。


「どうした」

「だ、大丈夫です」

「動けるか」

「はい、た、立てます」

「よし、では行け」


 まだつらそうなアテルイを立ち上がらせ、見送る。

 アテルイはよろよろとした足取りで、なんどもこちらを振り向いては去って行く。


 その姿が暗闇に消えるのを待ってから、姿勢を正し、アスカはガリューシンに向き直った。



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