■第一二一夜:我は穿つ、世界の臓腑
ゴゴゴ、と大気が鳴った。
世界が身震いしたように感じられた。
次の瞬間、ヘリアティウムの底から噴出してきたものをあえて表現するのであれば、それは言語で出来た鎖──縛鎖であった。
「ぬう、これは」
うめいたのは真騎士の乙女たちを率いる黒翼のオディールである。
彼女ら、真騎士の乙女たちは、半実体半情報体である英霊としか交わることができない。
いや、正確には可能なのだが、子を為すことができない。
それは彼女たち自身の肉体構造が、情報体しか受容出来ないように改変されているからだ。
そして、いまオディールがうめいたのは、いままさにヘリアティウムの深部から噴き出してきたものの正体を、正確に見抜いたからだった。
「どうした、オディール」
「あれは、謗りの礫だ、オズマヒム。我々を冒涜するための言葉。我々、真騎士の乙女を改変する言語の呪縛。怨言で編まれた物語だ」
いかなるときも冷徹、ときに冷酷な印象を与えることもあるオディールの顔から、血の気が失せていた。
「予想はしていたが……これが伝説の大図書館に封じられていたもの。禁じられた言葉。これほどの怨言、冒涜を受けては種として感化されやすいわたしたちだけではなく、人間であろうとひとたまりもあるまい」
むう、とオディールの説明にオズマヒムも唸った。
ただ、こちらは怯えからのものではなく、理解からくるそれだ。
「なるほど、たしかに。あの綴りは嫉妬と怨みに満ちている。神性を汚し、高みを目指す者たちの足を引っ張るための呪怨に相違ない」
武芸だけではなく古代の知識にも精通した大帝には、飛翔艇:ゲイルドリヴルを狙い蛇のように伸びてくる呪い礫の正体を、読み解くことさえできた。
古エフタル、すなわち現在の共通言語:エフタルの基礎となった文字と言葉。
統一王朝:アガンティリスが有した古代言語。
迫り来る縛鎖の正体こそは、その古代言語によって編まれた、後ろ暗い物語であった。
「これがオマエの切り札か、ルカティウス」
身を寄せてくるオディールを片腕に抱きながら、オズマヒムは呟いた。
なぜか、その口元に凄絶な笑みが浮かぶ。
『たかが言葉、たかが言語と嗤うか』
もはや映し出される投影は乱れ、音声も破れ鐘のごときありさまとなったルカティウスが、大帝の笑みに応じた。
「いいや、そうは思わん。逆だ、ルカティウス。言葉は、言語は、我々、人類にとって意思疎通の要。言葉ひとつで人心は揺らぐ、多大な影響を受ける。そして、古エフタルはそのなかでも特別な《ちから》ある言葉だ。具体的には、我々のなかにある“接続子”に働きかけ、ヒトを書き換える。かつて《ブルーム・タイド》がそうしたように」
『そこまで知りながら、なぜ飛び込んできた。なぜ、無謀にも攻めたッ?!』
かつての親友の蛮勇にルカティウスは叫んだ。
大帝はそれに対し、獰猛な笑みを広げて答えてみせた。
「知れたこと。オマエの切り札を知りたかった。かつてヘリアティウムを攻めた皇帝の先例もある。正攻法の攻城戦が危険なことくらいお見通しだ、ルカティウス」
鷹のように鋭い目を細め、オズマヒムは言った。
「思えばオマエの戦術はいつもそうだった。こちらが有利と思い踏み込めば、思いもよらぬ抵抗を受け痛手を被る。好機と見せかけ、相手に攻め込ませてから討ち取る。守り上手は、ビブロンズ帝国という国の現状を考えれば当然かとも思ったがな、当時は」
かつて交したチェスボード上での戦いを思い出しながら、大帝は言った。
「たとえば、頽れた城壁を越えて我が兵が市中になだれ込む。するとどうなる? 待ちかまえていた死蔵知識の墓守たちが、兵たちの心を襲う。こちらの二十万の軍勢がそのままオマエの兵として取られてしまうというわけだ」
オズマヒムの指摘に、ルカティウスは応えない。
大帝は続ける。
「たとえば、数日の籠城戦の後に降伏をオマエは申し出る。我はすっかり勝者の気分で凱旋する。そこに死蔵知識の墓守が殺到する。あるいは──いま襲いくる、このような攻撃が待ちかまえている。謁見の間で、あるいは勝利を祝う宴席で。躱せんよ、そうなってしまってはな。なるほど、我を失うほかあるまい」
であれば、
「その秘めたる策を、事前にすべてを吐き出させるしかないというわけだ。王と女王が自ら最前線に赴き、エサとなってな」
オズマヒムの断言に対し、返ってきた言葉は簡潔だった。
『ならば、そのまま喰らい尽くされるがよい』
言語に。
ルカティウスは言い切る。
そうか、とオズマヒムは返した。
「では、我の戦を見せよう」
言うが早いか飛翔艇:ゲイルドリヴルを急降下させる。
空を掻く光り輝く櫂が力強く動き、これもまたやはり輝きで編まれた帆がまるで風を受けたかのごとく一杯に張られた。
「言ったはずだ、ルカティウス。オマエの策が見たかったと。それは手の内であり、この都市の腹の中身のことだ」
『な、に』
「わからんのか。オマエはいま、ヘリアティウムのすべてを我にさらけ出しているのだ。切り札を切るとはそういうことだ。そして、最大の攻撃は、同時に最大の弱点の露呈でもある。机上の戦いに慣れすぎたな、文人皇帝。オマエは、本物の戦場を知らん」
言いながら、ほとんど垂直にオズマヒムは船を突っ込ませる。
それを捕らえるべく伸び上がってきた毒蛇の群れのごとき言語の群れは、急激な方向転換についていけない。
「刮目せよ、ルカティウス。これが戦争だ」
オズマヒムが頭頂に頂いた燃え盛る兜が、ふたたび光を放つ。
アラム・ラーの瞳。
人々を正気に返す光が、迫り来る冒涜的な言葉の群れを焼いていく。
「史書に記されるときがきたぞ、文人皇帝。オマエの愛した文字となり、書となり、歴史となれ──」
その言葉を最後に、オズマヒムは飛翔艇:ゲイルドリヴルを虚数空間に飛び込ませる。
自ら、ヘリアティウムの心臓部へと向かって。
まるで流星のように。




