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■第十夜:分断


 心地よい温かさのなかで、アスカリヤ・イムラベートルは目覚めた。

 春の日の陽光のように凍てついた心を溶かしてくれる、そんな温もり。


 それは、これまで幾人も愛人を抱いたアスカリヤが、ついぞ一度も得られなかったものだ。

 奴隷たちはみなアスカリヤを恐れた。

 彼らの献身は恐怖の裏返しだった。自身の命への、保身の。

 だが、いま感じる温かさにはなんの打算もない。

 それがアスカリヤをほころばせる。

 金銀財宝と美しいタイルで飾られていても、あの冷たい石造りの宮殿には望むべくもない温もり。

 こんなものが世の中にはあるのだ、とアスカリヤは思った。


 目覚めたくない、とアスカリヤは思ってしまった。

 この微睡みを手放したくない、と願ってしまった。

 このまま――この男の腕のなかで微睡んでいたい、と。


 かちり、と思考が冷たい刃に触れたのはそのときだった。

 男! アスカリヤは引き剥がすように身を起こす。


挿絵(By みてみん)


 裸身だった。自分も、相手の男も。


 少年の面影が抜けない男だった。

 育ちのよさそうな容貌ようぼうに濃い疲労の影が落ちている。

 成人の証したるひげも生やしていない。

 間抜け面で眠っている。

 ここは帆布でできた粗末な天幕だ。

 ありあわせの間にあわせであることは明白だった。


 アスカリヤは素早く視線を走らせる。

 家宝の湾曲刀:ジャンビーヤは無事だった。

 裸身のまま引き抜いた。男は目覚めない。

 ときおりまぶた痙攣けいれんするだけ。


 殺さなければならない、とわかっていた。

 アスカリヤは切っ先を男の喉元に突きつける。

 男は戦士のものにしてはしなやかで、固さを感じさせない身体の持ち主だった。

 柔らかい毛質の頭髪が海水に濡れて渇いて、けば立った絨毯じゅうたんのようになってしまっている。

 それから、アスカリヤは男の体温を感じた。


 温かかった。


 殺せなかった。

 状況からみて、この男が自分を救ってくれたことは間違いないであろう。

 アラムの教えに照らすまでもなく、砂漠に生きる者の当然の行いとして、男であるなら、乞われずとも、その者のためにあらゆるものを投げ打ち、命を賭けねばならなかった。

 そして、もし、女であるならば求婚を断ることなどできない。

 欲されれば、一夜の恋であっても、すべてを捧げることを拒めないはずだった。


 求められたなら、拒めない。


 かあ、と頬が染まるのを隠すように身をひるがえす。

 ばたばた、と風に衣が翻る音がしていた。

 目星をつけたとおり、天幕の外にはアスカリヤの衣服が干されていた。

 海水が滲みたままだったのでごわごわになっていたが、だいぶと乾いてはいる。


 アスカリヤは慌ててそれを身につけようとし、失敗した。

 着付けなど皇子のすることではない。

 できなくて当然だ。そうやって自分を正当化した。

 だが風を孕んで翻った裾が槍を引っかけた。

 竜槍:〈シヴニール〉が転がり、大きな音を立てた。


 その音に、ううん、と男が起きる気配がする。

 風に翻る衣服をうまくさばけず、アスカリヤはその場にしゃがみ込んだ。



「それにしたって、信じられない女の子だな、キミってヤツは。……名前は?」

 アシュレのほほれていた。

 アスカリヤに一発、平手打ちを入れられたのだ。

「アスカリ——あ、アスカと呼べ」

「服も自分じゃ着れないって、いったいどこのお姫さまなんだよ」

「悪かったな!」

「そりゃあ、助けた相手に寝起きで平手食らわされたら怒るよ、普通は」


挿絵(By みてみん)


 言いながらもアシュレは、アスカの身繕みずくろいをかいがいしく手伝ってやっている。

 服の構造は違っても、幼いころ少女として育てられた経験のせいで、この手の仕事にはやたら手慣れてしまっていた。


「喉がかわいた」

「はいこれ、大事に飲んでね。次にどこで真水が手に入れられるか、わかんないんだから」

「アラム・ラーが助けてくださるであろう」

「だといいんだけど——イクスさまでも、どっちでもいいけど、助けてくれるなら、はやくしてほしいな」

「不信心者め!」

「いや、その水、その不信心者のなんですが」


 ふいっ、とアスカはそっぽを向いてしまう。

 はあああ、とアシュレは溜息をついた。

 間違いない。自分には女難の相があるのだ。


          ※


 斥候に出たヒラリがその奇怪な島影を見つけたのは半日前のことだ。

 夕闇迫る海上に突如として湧いたその影を、最初だれしもが嵐の前触れだと思った。

 分厚い霧の壁をそれは纏っていた。ほとんど地表に降りた雲、と言っていい。

 向こうが見通せない密度をそれは持っていた。

 霧の島——アヴァロン、とシオンがつぶやいた。


 ガイゼルロンのさらに北、温かい海流に守られ高緯度であるにも関わらず氷結しない北の海の果てにある島国の、さらに伝承のなかにだけ息づく場所の名。

 英雄だけが上陸を許され、永劫の英雄譚のなかに生きる土地なのだと。


 はたしてこの温暖なファルーシュの海に現れたアレが、シオンの語るアヴァロンと同一の場所・時空であるのかは別として、奇怪なことが起こった。


 無数の木片が流れてきた。

 大小さまざま、そのすべてがまだ新しい船の残骸・破片であった。

 破片は小さく、船が衝突・座礁するほどのものではなかったが、凄まじい密度だった。

 いや、正確には流れて来たのではない。

 エポラール号がそちらへと引き寄せられていたのだ。


 見張りたちが次々に鬼火を見た。

 雲の切れ間、黒々とした島影に混じって炎を見た。

 不規則に揺らめくだいだいの灯。

 それらがゆっくりとひるがえり、うごめくのを見た。


 そして、ヒラリが座標を見失った。

 生きてはいて、視覚・聴覚といった五感は無事であることは間違いない。

 ただ、分厚い霧がシオンとその使い魔であるヒラリとの相対的な位置関係の確認を阻害していた。

 

 ありえんことだ、とシオンがつぶやいた。

 たとえ眠っていても、寝返りを生き物が自然に打つように、主人と使い魔のリンクは無意識的なものだ、だからイグナーシュでのあの晩も——意識して接続を切らない限り——と主張した。


 そのあとなぜか、はっ、とした表情でアシュレを見てシオンが赤面したのだが、アシュレは、その意味を理解しそこねたのだが。


「ともかく、これは普通ではない」

「《閉鎖回廊》ということか、夜魔の姫よ」

 ノーマンが訊いた。

 その口調にはまだ、かなり固さがある。

 害意はない、とわかっていても、相手は千年もの間、敵対者だった夜魔の、その正真正銘、真祖の血脈――姫君だ。

 アシュレに接するようにはいかない。

 その意味で、やはりイズマは例外中の例外だったのである。


「他にあるまいよ。常識の通用せぬ場所、という意味ではな」

 ただ、急になぜ、ファルーシュ海のような海上交通の要に《閉鎖回廊》が現出したのかは不明だが。

 シオンはノーマンの問いかけに対して答えた。


「とりあえず、現状には合点がいった。これが、この航路上の船を残らず吸い寄せていたのだ。文字通り通行止めを船籍・国籍の別なく受けていたわけだ」

 いったい、いつからだ、とノーマンは唸った。

「半年以内——もっと精度高く分析するならここ一ヶ月ほど、というところではないでしょうか」

 アシュレが意見した。


「たしかに半年前には問題なかった航路だ。だが一ヶ月ほどというのは?」

「法王庁で、ボクが聖務を賜ったときには港に船は着いていました。少なくとも事件の報告はなかった。イグナーシュ領での事件解決に約四〜五日、港町への移動と準備で二日、洋上ですでに二週間……どうですか?」

「まるで、ボクらの進路上に新たに湧出ゆうしゅつした、って感じだね」

 イズマがアシュレの意見に賛同した。


「偶然にしちゃあ、話がうますぎる。いやーんな感じだよ。ダメダメーな感じだよ」

「斥候は——いや、ダメだ。わたしが行こう」

 ノーマンが現場へ乗り込むことを宣言した。

 そこに《閉鎖回廊》があるとわかっていて、兵を送り込むなどできないという判断だ。

 かつてアシュレは同じ局面で情に流され、判断を誤った。

 やはりノーマンのほうがはるかに場数を踏んでいるだけはある。


「ボクも行きます」

「しかし、アシュレはまだ体調が完全では」

「いや、ギョッタ——カタツムリのおかげか、かなりいい感じなんです」

 もちろん復調の理由はそれだけではない。

 その、なんというか二晩ほど、よく眠れたのだ。来客がなかったせいだ。


 予期せぬ効果——イズマのおかげだった。

 アシュレの窮状を見ても冷淡な反応だったシオンに、イズマが公然と諌言かんげんしたのだ。

 いわく、シオンはアシュレに優しくするべきだと。

 冷淡すぎると。


「そっ、そうであるか?」

「自覚ないんですかっ? アシュレはねー、かなりツライ思いを立て続けにしてんです。おまけに肉体を極限まで酷使したあとなんだ。

 鼻血がドバドバ出てたでしょ? 

 それに大人ぶってますがね、まだ、中身は子供なんですよ。

 姫にだって子供だったときはあるでしょう? それなのに、姫はあまりに無関心過ぎるっ、冷淡すぎるっ」

「そっ、それは……すまなんだ」


 わかってもらえりゃあいいんです。とイズマが胸を張り、アシュレは二日ほど優しくしてもらえた。

 シオンだけではない。横でイリスも恐縮していた。

 具体的には手加減だ。ふたりの美しすぎる姫たちは自重した。

 おかげでみるみる回復した。

 死ぬときは断りきれないのが原因で死ぬ、とはシオンの予言だが、危なかった。


「そんじゃーボクちんも行くよ。いざってとき、あれこれ薬剤で上げなきゃならんこともあるでしょうしー」

 イズマがアシュレに目で合図した。

 友情が深まっているのは良いのだが、これは本当にまっすぐヒトの道を歩めているのかアシュレにはわからなくなった。

 どちらかというと、街道を外れ、未開の原野・獣道をナタ一本で切り開いている心境だ。

 おまけに隣りの友人には言葉がうまく通じない。


「わたしも、同道しますっ」

 え、とさすがにこれには全員が声をあげた。

 イリスだった。


「いやー、イリスちゃんは——抱き枕ピロー的には最強スペックであることは認めるんだけどねー、ちょっと、イロイロまずくないかな」

 イズマがあらぬ方角を見やって言った。

 その気持ちがアシュレにはよくわかる。


「ボクも反た、いっ——」

 アシュレが意見を表明しようとしたその瞬間、びょうっ、とイズマの肉体が宙を舞った。

 慌ててアシュレとノーマンが抱き止めてなければ、甲板に激突する勢いである。


「イズマさん、それって問題発言です!」

 だれしもが目を見張った。

 それはまごうことなき――《スピンドル》能力の発現だった。

 

 イリスがイズマを片手で投げたのだ。

 あまりに自然すぎて、そして直後にいろいろあったせいで気に留めていなかったが、イリスの持つ眼鏡:〈スペクタクルズ〉はアシュレの竜槍:〈シヴニール〉と同様――《スピンドル》の励起れいきなしでは発動しない過去の遺産なのである。


 イリスがやってのけた技は、いつか国境の町・パロでアシュレが部下を説得するのに使ったやり口と同じだった。

 ヒュー、とだれとはなしに口笛がれた。


「連れていってやれ、アシュレ。いざとなれば、わたしが護る。仲間はずれにすると、どんな面倒が起こるかわからん。目と手の届く範囲で管理したほうが、その女は安全かもだ」

 そっぽを向いてシオンが言った。


 いかにも仕方なく、不本意だが、という態度だが、アシュレにはそれが事前からの女ふたりの打ち合わせ通り、共謀なのだとわかる。

 イリスとシオンのふたりは急速に仲よくなっていた。

 不仲、不機嫌を互いが装えるほどに。

 たちの悪い高利貸しの手管のようだ。

 アシュレは複雑な気持ちになる。

 いまの話の運びでは、シオンも同道することが決定事項だからだ。


「しかし、それではこの船の《スピンドル》能力者全員で、ということになる」

「この怪異を解決しないことには、どのみち航海は続けられない。《閉鎖回廊》とその主たるオーバーロードと相対できるのは《スピンドル》能力者だけ。

 おまけに使い魔さえその座標を見失う超常の霧のなかで、予備戦力を残しておくことに意味などあるのか?」

 助けを呼びに行って、あるいは自発的に助けに入って——迷ってしまった、では意味などなかろう? あるいはその逆だってある。

 予備戦力が役に立つのは、増援要請に的確に応じられるときだけではないのか?

 シオンがノーマンに説いた。


「戦力分散の愚を犯さず、緒戦に全力を投下せよ、か」

 イズマが鼻をぽりぽり、といた。

 そんなイズマに、イリスが手を差し出し謝罪する。

「いきなり、投げて飛ばして、ごめんなさい」

「そうか、《閉鎖回廊》に接触して開花したんだね。いや、恋する乙女は恐いもんなしなんだなあ」

 イズマの視線が、こちらを向いたのをアシュレは感じ取ったが、気がつかないふりをした。


         ※


 そうして、一行は数名の漕ぎ手たちとともに、この奇怪な島に上陸した。


 イズマの乗騎である脚長羊が高さ七メテル近い船首から飛び降りて後を追ってきた時は、びっくりした。

 じつは、そのうしろにアシュレの愛馬であるヴィトライオンが続こうとして取り押さえられ、ニンジンを口に詰められたりするのをアシュレはハラハラしながら見守ったのだが。


 けっきょく羊だけは追い返せず、泳いで同道した。

 一行が分断されたのは上陸して一時間ほど経ったときのことだ。

 漕ぎ手たちはボートで待機するよう命じていたため、攻撃を受けたのはアシュレたち一行だけだった。


 島などなかった。

 島影と見えたもの――それはすべてが船の残骸できた、不安定な急ごしらえの陸地だったのである。


 いったいどれほどの艦船が寄せ集められてできたのだろう。 

 十隻やそこらではない。

 打ち壊された膨大な木材。

 西のものがあった。東のものがあった。

 商船があり、軍船があった。

 ディードヤーム海軍、エスペラルゴ、もっとも数の多かったのはオズマドラの軍船だ。

 大型のガレー。それだけで五隻はあっただろう。


 大型のガレーシップでは漕ぎ手が二〇〇人、船乗りと戦闘要員まで含めれば三〇〇人を優に超える人員が必要だから、もしそれらの船舶がすべて準戦闘配備状態であったなら、この小さな陸地には少なく見積もっても二千人以上の人命があるか、あったことになる。

 だが、影もカタチも見えない。


「なんだ、こりゃ」

 とイズマが言った。

 アシュレも同意見だった。悪い想像に背筋が冷える。

 フラーマの漂流寺院、とノーマンが言った。

 なんだ、そりゃ、とイズマが聞いた。


「昔、まだアラム・ラー——アラム教の唯一神が、アラムの地を制する前、あがめられていた邪神だ。

 アラム・ラーによって調伏ちょうぶくされた邪神:フラーマは海に逃れた、という伝承がアラム教側にも、イクス教側にもある。

 もっともイクス教側では、フラーマを制したのはアラム・ラーではなく、聖女:アイギスだが」


「アラムの地、って昔は相当数の異教が入り乱れた土地柄ですからね。

 アラム教自体の成立も、イクス教よりだいぶ下がってからですから……そもそも『アラム』って単語そのものが『痛み』という意味なんです。

 痛みを引き受ける者——そういう名前の神さま」

 イリスが言った。

 記憶はともかく、聖遺物管理課で才媛で鳴らしたアルマの知識はたしかに彼女のなかで息づいているようだ。


「あるいは他の神を駆逐くちくするけがれを引き受ける神、という意味か。

 フラーマはじつは、女神でな。癒しや施しの神として、かなり広範に信じられた神だった。

 主神、というほどでなくとも、怪我にも病気にも貧困にも無縁な人間はいないから、御利益を求める者は絶えなかった。

 神官たちも救世救済を実践すべく、炊き出しを行い、孤児たちを養う施設もあったそうだ」


 んー、とイズマが額に指を当てて顔をしかめた。


「なんか、めっちゃいい神さまみたいなんだけど? なんでアラム・ラーの神さまは罰したのさ?」

 ノーマンは、説明は難しいな、という顔をした。

 神話を語ることよりも、イズマとシオンをおもんばかってのことだった。


 宗教的な対立のまえに、他種族のなかにはいまだ現世神あらひとがみを崇める風潮が強い。

 現世神あらひとがみ、つまり実在の肉体を持つ神を、だ。

 

 イクス教では邪神とされ、実際それは厳密には神ではないことが多い。

 太古より生き延びた希少で強力な魔物であったり、オーバーロードであったり、ときには異種族の王だったりするのだ。

 夜魔も土蜘蛛も、じつはその代表格だ。


 イクス教は、その信徒たる人間とそのなかで選ばれた英雄たちが未開の地に君臨していた数々の邪神に挑戦し、それらを打ち倒し、正しさを証明してきた歴史を自負として背景に持っている。


 だが、だからといって他者の宗教観・文明を無条件に辱めるような精神性をノーマンは恥じたのだ。

 

 それはイクス教側、人間側から見た一方的な物語に過ぎないからだ。

 正しさを担保しているのは人間側の一面的な正義でしかない。

 他種族と人間とでは、ひとことで言えば文化が違っていて当然で、ノーマンはそこに配慮したのだ。

 いや、苦慮、というのが正しいか。

 夜魔と土蜘蛛の、頂点に立つと言ってもいいふたりが隣席していれば、これは無理もない。

 複雑な心境であることが表情からうかがえた。


「あー、大丈夫、イズマにその手のお気づかいはご無用で。唯一神、人間側からの、という概念を中心に語ってもらって大丈夫だよ」

 でも、サンクス。そういう心づかい、大切だよね。

 イズマは頷いた。そう言ってもらえると助かる、とノーマンも頷き返す。

 さて、どう説明しよう、とノーマンが呟いた。

 そのときだった。


「フラーマ教団は、その裏で人体実験を行う集団だったから、です」

 イリスがノーマンの代わりに真実を語った。

 あまりの内容に、ごくり、とイズマが喉を鳴らす。

「マジで?」

 はい、とイリスが頷いた。

 人間の暗部を他種族に語る恥にイリスは身体を強ばらせつつも、続けた。


「どういう経緯でそうなったのかは、わかりません。

 でも、傷口を縫い合わせる糸と針が、いつの間にか他者と他者を、あるいはヒトとヒトでないものを、結びつけるようになってしまった。

 麻薬や許されざる薬品を使って、切り刻み、ねくりまわして……」

 イリスが粘土かなにかを混ぜるように手を動かした。


「フラーマの坩堝るつぼという神器の記述には、生命を根幹的に混ぜ合わせて忌むべき異種族を作り出した、という逸話が残されています」

 ぐえええ、とイズマがジェスチャーした。


「あー、そりゃあ、エグイわ。調伏ちょうぶく、マジ正統な理由かも」

「でも、アラム・ラーも聖女:アイギスもフラーマを殺しきれなかった」

 アシュレが言った。


「なぜかな」


 それは……、とノーマンが説明しようとした瞬間だった。

 足下の海面に光が現れた。


 ガツンッ、と真下から衝撃が来た。

 水柱が上がり、足場が大きくバウンドする。

 アシュレは宙に投げ出された。

 空中を舞う間、自分たちを襲ったものの正体が見えた。


挿絵(By みてみん)


 巨大で純白の鮫――。


 だが鮫の頭部のあるべき場所に、悪魔的に戯画化カリカチュアされたヒトのもののような幾本もの手が、渦巻くエネルギーの乱流を卵のように抱えていた。


 さらには大型艦の船首に飾られたフィギュアヘッドを思わせる女性の裸身が、そこにはあった。

 女神は血を流していた。

 面顔を恥じるように両手で覆い隠し、その隙間からだくだくと鮮血を流し続けて。

 アシュレは隙間から覗く、その瞳と目が合った気がした。


挿絵(By みてみん)


 哀しい、あまりに哀しい瞳だとアシュレは思った。


 それは罰され続ける女神だった。

 無数の槍が、もりが、かぎが突き立ち、結わえられた鎖や縄の先に肉塊がついていた。


 いや、それは肉塊ではなかった。

 それは女神の肉体に爪を立て、しがみつき、噛みつく寄生者だった。

 それらは卑小で浅ましく、それなのに無数にいて女神の姿を歪めていた。


 肉塊たちの纏う衣服の彩りが女神を極彩色に染めていた。

 我が子を背負うある種の蜘蛛や水棲昆虫の末路が、最後にはその生き餌であることをアシュレは連想した。


 巨大な金属の刃が擦れるような声で女神は鳴いた。

 怨嗟に満ちた苦悶の咆哮――《トーメント・スクリーム》。

 精神をひび割れさせるような声。

 苦悶に軋む拷問の犠牲者の。


 木片がはぜ、アシュレたちは分断された。





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