■第一一七夜:創世神話(2)
「これ……これって……」
茨の冠を戴いた男女の裸身を指して、スノウが訊いた。
司書はゆっくりと頷いて見せた。
「そう、それが一般的なカタチ、この世界に暮らすほとんどの人類の頭のなかにはこの“義識”たちがいる。そして“義識”たちは、この頭頂の冠をつかって常に“庭園”と接続し、世界観を常に更新し続けていたのさ」
「世界観を……更新?」
「《ねがい》続けているってこと。そして、その《ねがい》を受けて、“庭園”は理想郷としての精度を増す。それはカタチある夢だから、その夢を共有する人々は翻ってみんな影響を受ける。無意識にも。従うべき大なる指針として。具体的には自らの役割を疑うことなく日々を過ごしていけるようになる」
「まってまって、なにいってるんだかさっぱりわからない」
「スノウ、嘘はよくない。キミはもう理解しはじめている」
言葉使いこそ丁寧だが、それだけに的を射た司書の指摘。
スノウは息を呑んだ。
答えるかわりに、訊いた。
「じゃあ、こっちの“義識”は」
「これは設計図だよ。敵のね」
「敵の……魔の十一氏族」
「そう、キミたちがこれまで敵として認識し、実際に戦い続けてきた存在たちだ」
司書はそれぞれの“義識”たちの前を移動しながら、魔の十一氏族を紹介する。
まず、人類とよく似た、しかし長い耳と手足が特徴的な“義識”の前にふたりは立った。
「これは土蜘蛛。地下世界の主。白い肌、赤い瞳、長い手足。呪術と謀略と暗殺を好み、その性は陰湿で残忍。動植物や鉱物から薬品を調合し、希少な貴石の鉱床を探り当てる。彫金や機械からくりを得意とする技術者の歪められたカタチ」
「イズマやエルマ、エレたちの元型……」
「長寿で知性も高く、身体能力も人類に勝るが、根源的な意味での生命力が枯渇している。受けた傷の治りの遅さ、病に対する弱さ、そもそもの未熟児の多さ……設定されたパラメータとはいえ同情を禁じえない」
つぎに現れ出でたのは豚のような鼻と、でっぷりと腹の突きだした矮躯の鬼だ。
ただし、肉の総量は人類を軽々と上回るため、貧弱な印象はどこにもない。
なおこの種族は、一体しか“義識”がない。
男性型しか存在しないのが、その理由らしい。
「これは豚鬼。飢餓と暴食の権化。世界中を食料を求めて移動する。共食いもする。その苛烈さは、イナゴか豚鬼かと言われるほど。しかし、強烈な美食家でもある彼らは、独自の料理大系を持つ。喰らうため、そしてより美味い料理のために生きる料理人の歪められたカタチ」
「初めて見たけど……昔話によく出てくるよね。王様の厨房で秘密の料理をこしらえる豚鬼……」
スノウはいくつかの童話・寓話の類いを思い出しかけて、言葉を止めた。
豚鬼たちの料理に魅入られた王が、最後に辿りついた究極の食材がなんだったのか思い出して。
オスしかいない彼らの種がどうやって増えるのかも。
この矮躯豚鼻の鬼は人類に魔味を教える。
それはこの世のものとは思えぬ美味だが、その魔性の味に魅入られた者の末路は決まって陰惨極まりないものであったのだ。
さて、つぎの種族は、対照的に女しかいなかった。
明らかな美貌。
豊かな胸乳が母性を際立たせる。
しかし、その肌はところどころで鱗が浮き、瞳はまるで蛇のそれだ。
「もしかして、これ……」
「そう、これは蛇の巫女。この星の七割を占める海と河を統べる古き蛇。海生のリザードマンをはじめとする様々な海洋生物を眷属に持つ。地震と津波を司り、人類世界に強大な破滅をもたらす。懐深き母ではあるが、その性は嫉妬深く、執念深く、蛇そのもの。子を生み育て、結果として我が身を犠牲にすることを強いられ続けてきた母親たちの歪められたカタチ」
「これが蛇の巫女……でも、見た目はほとんど人間……」
そうスノウが言った瞬間、柩の奥に光が灯った。
それが蛇の巫女の正体をあらわにする。
五つの首を持つヒトデのごとき──巨大なヘリオメデューサの姿。
ひっ、と悲鳴を上げかけたスノウの手を司書は引いてゆく。
「つぎはこれ」
「なにこれ、ちっちゃ。かわ……かわいいのか、これわ」
現れたのは実に微妙な存在。
体高三〇セトル、つまり約三分の一メテルしかないそれは、巨大な芋虫にしか見えない。
しかし、芋虫と決定的に違うのは二本の脚で自立し、同じく二本の腕を持つことと、なによりヒトのように表情を生み出せる顔を備えることだ。
「これは袋虫。世界に数えるほどしか存在しない希少種。強欲と独占の権化。美しいもの、価値あるものにしか興味がない。土と石、鉱物以外のあらゆるものを食料とし砂金に変える。特に好むのは素晴らしき物語とそれが書かれた書籍。通貨と美術品を愛でる欲深き富豪の歪められしカタチ」
「コイツらも、さっきの豚鬼とおんなじで、いろんな童話に出てくるわ。いっときの富をもたらしてくれるけど、そのお話の登場人物たちはみんなお金に目がくらんでおかしくなる。いちばんオエッと思ったのは、厠の地下に牢を作って、袋虫を閉じこめちゃう商人のお話。事業を拡大するために厠の底に溜められた砂金を取り出そうとして、落ちて死ぬの」
視線を戻せば、そこには見上げるような巨躯がそびえていた。
よく見ればそれは動甲冑であり、その内側に覗く本体は人間とそう変わらぬ。
「これは、」
「これは戦鬼ね。見たことないけど、すぐにわかった」
「そう、これは戦鬼。硝煙と鉄と血に生きる戦闘民族。闘いを愛し、戦乱の空気を好む。そのすべてが肉体に欠損を持って生まれ、生きるために自己改造を繰り返す。生まれ持った完全なる美貌を、武器に、兵器に置き換えて。戦場に生き、戦場に死す定め。戦争の専従者たちの歪められしカタチ」
「生まれ落ちたときから欠損を持つ……」
「同情など彼らには一番遠い感情だ。戦鬼たちとって真の自分というのは自己啓発して見つけるものではなく、自己改造の果てに辿りつくものなんだ。この鏖殺具足は、その答えのひとつ」
彼らのまとう重甲冑を指して、司書は言った。
「でも、自分の手で肉体をいじるなんて……こんなに綺麗なのに」
「なにが美であるかは、その種の主観が決める。彼らにとって初期状態の自分たちは、頼りなく貧弱・貧相な存在でしかないのだろう」
司書の冷静な見解に、完璧に仕上げられた美しい人形のような女性形の戦鬼の前に立ち尽くして、スノウは溜め息をついた。
「じゃあこれも、解説はいらないかな」
「竜族……ね。わかるわ。こんどは最初から背後にその本体が見えているもの。ヒトのカタチは彼らにとっては化身の状態なのね」
蛇の巫女たちとは対照的にすべやかな肌に異形の鱗は見当たらない。
代りに頭部には王冠が器官として生えている。
そういう意味では人類の原型とよく似ているが、男女ともにその肉体は堂々たるものだ。
「これ……王冠……角なのね」
「そう。竜族こそは王者の歪められしカタチ。炎と硫黄、あるいは嵐といかずちの申し子。空を征く者。絶対の君臨者であり統治者。彼ら彼女らのひとりひとりが一国の王であり、天空に浮かぶ空中庭園の支配者。その国に暮らす者たちは、ひとりのこらず彼ら彼女らに仕える臣下であり、奴隷にすぎない。陸生のリザードマンたちは自分たちを竜族の末裔だと自認するが、それが真かどうかは定かでない」
「たくさんの奴隷にかしずかれてはいても、天空の島で、竜は独りなんだね」
スノウの感想は、どこか憐れみのようなものを含んでいた。
たぶんそれは、自分にとっての王者=ユガディールの最期を見たからだろう。
司書はそれをどう捉えたのか、答えた。
「王とは孤独な者さ。その上で、絶対的な《ちから》を手にしているともなれば、他者は愚鈍な弱者にしか見えないんだろうね。彼らに直接相対すれば、キミの憐憫には値しない連中だとわかるだろう」
もっとも、と言い添える司書の言葉には珍しいことに嘲りがあった。
「もっとも、キミたちがあの傲岸不遜なトカゲモドキに相対することは、まずないだろう。己の絶対性を盲信するあまり他者を認められずに滅びる、憐れな連中さ」
次の柩に納められていたのは、目もくらむような美しさを持つヒトの子のようにしかスノウには見えなかった。
だがそれも、その細い腰のあたりから光り輝く翼が生じるまでのことだ。
「これは! 真騎士の乙女。そして、やっぱり女性しかいないんだ」
「そうこれが、真騎士の乙女。キミはその姿を……直接、目にするのは初めてなんだね。英雄だけを尊び、英雄だけを求める天空の乙女たち。その歌声は男たちの心を揺さぶる。彼女たちに見初められんがため、愚かな人間の男たちは戦場に栄光を求めて駆けてゆく。彼女らが求めるのは英雄という概念とそれによる種の存続であって、究極的には人間である男たち自身ではないというのにね」
「男を魅了して死地に駆り立てる……なんだか……死神みたいね」
自分でも敵愾心を刺激されたのがスノウにはわかった。
能力や努力ではないもので──具体的には容姿とかそこにヒモ付けられる肉欲だけで相手を操作しようとする種族そのもののあり方が、癇に障った。
ついこの間、アシュレの浴室に半裸で飛び込んだ自分のことを棚上げにしていることには、スノウは思い当たりもしない。
そして、そんなことを知りもしない司書は同意する。
「ある意味でスノウ、キミの感性は正しい。そう彼女たちは時代に望まれしヒロインの歪められしカタチ。男たちを魅了して、戦場に駆り立てる魔性。男たちの生み出した勝手な幻想。偶像さ」
戦鬼たちの硬質な美しさ、人形の美しさではなく、人間の女たち全員が嫉妬するような──人間の男だけを狙い撃ちにして魅了する類いの美。
「やっぱり魔女なんだね」
「人間という種から英雄の身も心も強奪するという意味でも、敵なのさ」
司書が言ったのは種の存続に関わる問題だという意味なのだが、そこまではスノウにはわからない。
だが、わからないなりに頷く。
もし、アシュレをこんな連中に掻っ攫われたとしたら、たぶん間違いなく逆上する。
それだけは確かだったし、なんなら実際に逆上するのだが、それはまた後の話だ。
「で……これ……なに?」
次なる原型の前でスノウは絶句した。
女性形の方はわかる。
美しいという意味では真騎士の乙女たちの美しさというより、戦鬼たちの人工的な美に近い。
だが、戦鬼たちから受けた硬質な印象ではそれはない。
なんというかもっと肉感的で……こんな言い方をしていいのかどうかわからないのだが……受ける印象が淫靡なのだ。
言うなれば存在自体が、ふしだらだと感じる作りになっている。
そして、その印象をさらにたしかなものとしたのが、対である男性型のものだった。
いや、たぶん、対になっているからには男性なのだろう。
どう見ても陸に上がったイソギンチャクの類いにしか、スノウには見えなかったが。




