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■第一一六夜:創世神話(1)

         

         ※



「じゃあ、結局、《ブルーム・タイド》はなにをしたの。実際に世界を改変したのが、そのつくりものの──偽物の神さま──《御方》たちだと言うのであれば。“庭園ガーデン”に溜め込まれた《ねがい》の暴走である《ブルーム・タイド》はいったい、人類になにをしたの?」


 いつのまにかスノウと司書は宙を泳ぐように進んでいる。

 ここはかつて《御方》たちを汲み上げた製造ラインのひとつ。

 巨大な躯体を効率良く生みだすため無重力化された生産プラント。

 それを疑似的再現エミュレートしたものだと、司書は言った。


 たしかにそれらしき残骸が、巨大な生物の死骸を思わせて浮遊している。


 ひと蹴りで地面から浮き上がる肉体に最初のうちは戸惑っていたスノウだったが、司書のアドバイスを取り入れ、あっという間に移動のコツを掴んだ。

 その隣りで、スノウをエスコートしながら司書は続ける。


「《ブルーム・タイド》には大きく分けてふたつの意味があった。ひとつは人々の意識の変容」

「意識の変容?」

「簡単に言えば《意志》の放棄を可能にした」

「《意志》の放棄を可能に、って。そんなことできるの?!」

「いままでなにをボクたちは話してきたんだい?」


 スノウの反応に司書は呆れたように笑った。

 だって、とスノウは口元を押さえながら言い直した。


「そんなにすぐにできてしまうものなの?」

「キミたちの使う異能や《フォーカス》だって、似た効果を得られるじゃないか。動揺や恐怖を押さえ込み強烈なショックを逸らして精神を護る技術と、《意志》を放棄するそれは、技術系統樹的にはすぐ隣りのだよ」

「《スピンドル能力者》たちの異能や、《フォーカス》と似た《ちから》」


 精神を護る技というくだりで、スノウはシオンが頭頂に戴く宝冠:アステラスのことを思い出した。

 

「でも、《意志》がないと人間は生きていけないよね?」

「? いや生きているよ、こうして平然と」

「でもそれは《魂》がないって意味でしょ? カラダだけが生きてるなんて……そんなの死に損ないアンデッドどもとなにが違うの」

「《魂》なんて人間には最初っからないよ、スノウ。そして《意志》がなくても人間は生きていける」


 納得できないという顔のスノウに、司書は苦笑した。


「《意志》っていうのは迷いのことだ。どちらにすべきか、どう生きるべきか、迷うことが《意志》なんだ。ここまではいいかい?」

「迷わないこと、ではなくて? 迷わず生きて行けるのが《意志》あるヒトの姿なんじゃないの?」

「それは誤解だよ、スノウ。《意志》っていうのは──そうだな。問いの大きさから逃げ出さずに、決断の責任を取ろうとするってことなんだ。もうちょっと噛み砕いて言うとね」


 当然だが不思議そうな、腑に落ちないという顔をスノウはする。

 《意志》ある者は迷わない……のほうがしっくりくるのに、逆だと司書は言うのだ。

 たとえばそうだなあ、と司書は指を立てて目を閉じた。

 設問を作る顔。


「キミがアシュレに女性としての愛を告白する、としようか」

「えっ、ちょっ、ちょっとまってなんでいきなりソッチに行くの?!」

「どうどう、落ち着いて、落ち着いてスノウ。これは仮説。あくまでも、もし仮に、のお話だよ」

「やだなあ、そのたとえ」


 不満げなスノウの頬はもうこの時点で真っ赤だ。

 色白だから紅潮を隠せないのだ。

 そんなスノウの想いを無視して、司書は続けた。


「告白するか、しないか。していいのか、悪いのか。それを自分のなかで問い続けることが出来る《ちから》。それこそが、《意志》なんだよ」

「えっ。そ、それが《意志》なの?!」


 当たり前だが、にわかには意味を理解できないスノウだ。


「まあこの場合で言うと、大きなふたつの可能性の間でキミは葛藤することになる。告白が成功したときと、受けいれてもらえなかったときのことだ」


 スノウの未成熟な《スピンドル》が不整脈を打つように跳び上がる。

 司書の話はたとえにしてはリアリティがありすぎた。

 なんならスノウが抱えている本当の悩み、そのものだ。

 唇がヘの字に曲がるのも、やむなしだ。


「苦しいね」

 と司書は、スノウを覗き込んで言った。

「たとえ話でしょ」

「そうだった。じゃあ続けよう」


 スノウの不機嫌な声などどこ吹く風、司書はふたたび指を振り立てた。


「告白すべきか、すべきでないか。これは重大な選択肢だ。場合によっては人生を左右する。現在の曖昧な状況……無難地帯セイフティゾーンを出て結果を知るか、それともこのままのポジションに留まって、そこそこ仲のよい友人や知人関係で止めるか。なるほどこれは迷うし、苦しいね」

 

 司書の問いかけにスノウは目を逸らす。

 そうだよ、めちゃくちゃ苦しいんだよ、こっちは。

 もごもごと口のなかで言う。

 それで、と促す。

 こんなたとえ話、さっさとやり過ごしたかった。


「それでだ。この希望と絶望との間で悩むのが人間の《意志》だとして」

「だとして」

「その行動の結末があらかじめわかっていたら──《意志》など不要だとは思わない?」

「? どういうこと」

「告白して成功するのがわかっているなら悩む必要はないし、そうでないなら、つまり恋が成就しないのなら、そもそもそのヒトのことを想って胸を痛めるのは無駄なんじゃないのかって言ってるのさ」

「えっ。それはそうかも……だけど」


 でも、そんなこと無理だよね、とスノウは問う。


「告白すれば必ず叶う。無駄なのならそもそも想いもしない……そんなの無理でしょ? だって好きになるかどうかだなんて、偶然だよね。出逢いは奇跡で、だれかに操作されてたりしないよね?」


 そうだよね、とスノウは言った。

 そう、人間の《ちから》だけではね、と司書は答える。


「その人間たちの頭のなかに“接続子ハーネス”がなくて、彼らが“庭園ガーデン”に接続してさえいなければ……たしかに実現は難しかっただろう」

「“理想郷ガーデン”は人々を苦悩から解放する……ってそういう」


 いつか相対した“再誕の聖母”の言葉の数々が、スノウの脳裏を過った。

 強大な《ちから》がぶつかり合う極限の戦場の隅で、アシュレやシオンに護られながら震えていたスノウには、彼女の論理を正しく受け止めることは出来なかったが……いまならなにを言わんとしていたのか、すこしわかる。


「たしかに、自分たちの《ねがい》を“庭園ガーデン”が常に汲み上げて反映しているとするなら……それを《みんな》が共有しているのだとすれば。ヒトの行動も……出逢いや想いも……思った通りにできるの? もしかして?」

 でも、とスノウは反論した。

「それは操作だよね。心を操ってるってことだよね」


 語気を荒げたスノウに、司書は取りなすように言った。


「操作なんて大層なものじゃない。調整トリートメントしているというのが正しいだろう」

「でも、ヒトの心をいじくっているんでしょ?! “接続子ハーネス”を使って、頭のなかをいじくって! それは操作以外のなにものでもない!」


 恋する乙女としては、自分自身の恋心に難癖をつけられたように感じたのだろう。

 自分の想いは自分だけのものだという感情が、言葉尻に乗っていた。


「たしかにそういう強引な方法もある。たとえばそうだな。オーバーロードたちの封土ドメインでは、そういう悪事がまかり通る。だけど一般的には“庭園ガーデン”と“接続子ハーネス”の行いはもっとおだやかなものなんだよ」

「おだやかって……《意志》を消してしまうようなことをしたんだよね。それのどこが緩やかなの?!」

「直接的に《意志》を消すよりも、もっとゆるやかで効率が良い方法がある。それはさっきも言ったけれど、感情や精神を司る部分、つまり心に加わる外部からの《ちから》を途中でブロックする存在がいれば済むことなんだ。たとえばそうだな。見たくないものを見ないように出来れば」


 見たくないものを見ないように出来る? 言葉の意味がよく分からなくて、スノウは怪訝な顔をする。


「極端な話をすると──やっぱりオーバーロードたちのことになる。彼らの封土ドメインたる《閉鎖回廊》では、多くの人間は正確な記憶を保てない。自分がなにをされて、どんなことが起きていたのかをうまく憶えていられない。むかしに読んだ物語の筋を忘れてしまうように、忘却してしまう。英雄たちの戦いも、《フォーカス》のことも、もちろんオーバーロードの正確な意味での存在も。《閉鎖回廊》内の出来事が外部にほとんど伝わらないのは、《閉鎖回廊》という場所そのものがオーバーロードの操作によって人々の受け取る情報、つまり認知を歪めてしまうからなんだ」

「認知を、歪める」


 スノウの表情が怪訝さを増した。

 あくまでたとえのことだよ、と司書は補足する。


「いまボクは歪みと表現したけれど、“庭園ガーデン”の提供してくれるそれは、自動防御機構セイフティと言い換えたほうがいいだろう」

「つまり?」

「ヒトの心がひどい傷を負わずに済むように、“庭園ガーデン”と“接続子ハーネス”が連動し、その間を取り持つコンシェルジュ的な存在=“義識ぎしき”が盾になって有害な情報を排除し、伝わり方を加減してくれる」

「“義識ぎしき”? またなんか新しい単語が出てきた。なにそれ。あ、いやまって。なんだか言ってた記憶がある。“再誕の聖母”のヤツが。そんなこと言ってた……」


 額に手を当てて、スノウは“義識ぎしき”なる単語の出所を遡った。

 純血種であるシオンには遠く及ばないが、半夜魔であるスノウの記憶力は人間など比べ物にならにならないほど優れている。


「たしか、なんだっけ──“庭園ガーデン”と現実の間にいて、ヒトの悩みや葛藤を受け止めてくれる代理人……だっけ」

「そう。よく憶えていたね。“義識ぎしき”とは、意識の義足、心の義手。傷ついたり砕けてしまった精神を補助するための存在として生み出され、後に世界中に広められたサポーター。だれかの人生に寄り添ってくれる心の介添人コンシェルジュたちのことさ」

 

 残酷すぎる世界を生きる人類のために送られた“庭園ガーデン”の使者。

 その存在を、このときスノウは初めて意識化することができた。

 たとえば、と司書がまた具体例を指し示してくれたからだ。


「たとえば……見たまえ。いま眼前に広がる光景を。そのコフィンに眠る完全なる原形たちを。これら十二種の“義識ぎしき”こそ、いま現在、この世界:ワールズエンデを構成する十一とひとつの種の雛形。保存されし種の原型アーキタイプとしての“義識ぎしき”たちだよ」


 促され、スノウは見る。

 磨き抜かれた水晶の柩コフィンに眠る“義識ぎしき”たちを。

 それはこの世界にはびこる十一種の悪=魔の十一氏族と、もうひとつ。

 

 茨の冠を戴いた人間の男女──つがいの姿であった。 





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― 新着の感想 ―
[一言] 自分たちが築く歴史に振り回されて自分の個性を失うのは民も英雄も変わらないように見えます。 端子も庭園も御方もただのシステムに過ぎないなら、本当の問題はそれらの方向性を決定づける膨大な願いそ…
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