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■第一〇六夜:中間領域でわたしたちは出逢う


         ※


「おや、迷子かな、キミは」

「きゃっ、だれッ?!」


 出し抜けにかけられた言葉に、スノウは跳び上がった。

 ここは地下図書館が隠し持っていた通路のひとつ。

 無数の本で形作られたトンネル。

 ゆっくりと回転する本の回廊。

 死蔵知識の墓守ノウレッジ・レイスの襲撃を受けたスノウは、イズマと分断され、いまその内部をたったひとりで彷徨っていた。


 逃げろ、すぐに追いつく、というイズマの言を信じて走っていられる間はよかった。

 体力の消耗に膝をついてしまうと、得体の知れぬ地下迷宮のなかで独りになってしまったという事実が、恐怖となって全身を這い登ってきた。


「ちょっとお、イズマ、どこにいるのよお。はやく追いついてきてよ……」


 そんなことを言いながら、手持ちの装備類を引っかき回す。

 スタミナを回復させるという霊薬エリキシルを引っつかんだスノウは、ラベルもろくに読まないまま封を弾き飛ばして、あおった。


「まっず。うええ、ひっどい味」


 でも、不味すぎて逆に効きそう、と独りごちて小休止する。

 左右を見渡しても、人間どころか生命の痕跡はどこにもない。

 ただただ、死蔵された知識だけがスノウを見下ろしている。

 口にした霊薬エリキシルがたちどころに効果を発揮してスタミナを回復させてくれたが、その分、スノウの理性は、よりいっそう厳しい現実を認識するようになってしまった。


「ちょっとお、これからわたし、どうしたらいいのよ、イズマ」


 堪らない孤独に襲われ、弱音が口をつく。

 志願したとはいえ、まだ十四歳の少女にとってこの試練は厳しすぎた。

 イズマはキミだけでも行くんだ、と言ってくれたが──それはひとりで魔道書グリモア:ビブロ・ヴァレリに達しろということだろうか。

 たしかに、スノウは自分に特殊な護りの異能が、すでに施されていることを知っている。


 その名を王の入城キャスリング


 これはスノウと縁の深い人間ひとりの位置を交換する一種の転移テレポートである。

 スノウはその効果の絶大さを、一度、見ている。

 ほかでもない、故郷のトラントリムで。

 アシュレとアテルイの逢瀬の果てに、なにが起ったのかを。


「今回はそこにちょっとばかしアレンジをね。大丈夫、キミ自身をあっという間にアシュレの元へ飛ばしてくれることだけは間違いないよ」


 でも、アシュレにはこのことは内緒ね。

 そう付け加えるイズマの顔に浮かんだ、あの安っぽい笑顔を信じてしまった自分が、いまは恨めしい。

 たしかにあのときは、そうすることでアシュレの役に立てると思ったのだ。

 夜魔の姫であるシオンには、このまじないは極めてかかり難く、また戦力配置の観点からも、作戦の成功率からも任せられないだ、とイズマは言った。

 それから、スノウに向き直って告げたのだ。


「となると……アシュレくんと因縁浅からぬだれかを代役にするしかない。でも、アスカちゃんもアテルイさんもオズマドラ帝国の正規軍を指揮しなければならない。彼女たちは自由気ままなようでいて、立派な正規軍司令とその補佐官なんだからね。姫はさっきの理由でだめだし……。ノーマンくんやバートン爺ちゃんは、これはもう見た目からしてエサには不向きだ。この役目は可憐で純真な女のコでなくちゃあ勤まらないんだよねえ」


 可憐で純真な女のコ、というのがイズマの煽り文句だったのだといまならわかる。

 でも、その時点のスノウは可憐で純真な女のコとしての自分がアシュレとの関係を深めるチャンスだと、感じてしまっていたのだ。

 だって、仕方がないじゃないか。

 未熟な《スピンドル》の暴走に苦しむスノウを助けようと、必死になって己のそれを操り対処してくれたときのアシュレの真剣な瞳と肌の熱さ、それから彼の《スピンドル》の薫りを思い出すだけでスノウの胸は狭くなるように痛むのだ。

 そしてそれは幻ではない。


「ふううう、くううう──」


 いつのまにか、スノウの胸の上で歪なカタチをしたボウルのような半球が、ゆっくりと回転をはじめてしまっていた。

 スノウの未熟な《スピンドル》である。


「なん、で。どうして。安定してるって言ってたのに。アシュレじゃなきゃ回せないって……言ってたのに」


 訳がわからずスノウは狼狽する。

 背後から声がかけられたのは、そんなときだった。 


「どう見たって迷子だね、キミは」


 動転し、さらに不完全な《スピンドル》の発作の兆候に、スノウはすぐには答えを告げることができなかった。


「あなた……ダレ?」

「司書だよ。この地下図書館の管理責任者。キミみたいな迷子をなんとかするのもボクの仕事ってわけさ」

「ボク……あなた男のコなの?」


 中性的な顔立ちに豪奢でたっぷりとした布を用いた衣装のせいで、スノウには司書だという存在の性別がすぐにはわからなかった。

 黒に近い紫の衣装の上を金色のラインが幾本も走り、幾何学模様を描いている。


「性別なんてどうでもいい。そうじゃないか。キチンと仕事をこなすなら、年齢も、ましてや男であるか女であるかなんて、どっちでもいいことじゃないか」


 司書の言葉はすこし厳しかったが、嫌味には感じられなかった。

 スノウは反射的に頷いている。

 司書は続けた。


「それよりもキミはなぜこんな中間領域に? ここはたしかに便利な抜け道だけれど、通常空間とは時間の流れが著しく異なる。この地下図書館に働いている《ちから》が、かなり直接的に作用するんだ。要するにちからの伝達経路エネルギーバイパスでもある。人間が長くいると、影響を受けてしまうんだぞ」


 特に、とスノウの胸元を指さす。


「キミのように不完全な《スピンドル》の持ち主には、この空間の及ぼす影響は計り知れない」

「それ……どういうこと?」

「《スピンドル》の不完全さは、その個体の《意志》の不完全さでもある。具体的に言えば、物語の影響を非常に受けやすいんだ」

「物語の……影響?」

「《意志》のない存在にとってそれは心地よい環境音楽のようなものだから、影響を受けている自覚はないんだけど──《スピンドル能力者》たちにとっては、違う。それは強制的な操作・・として認識される。だから彼らは抗うんだけど……」

「けど?」

「キミみたいなケースは本当にレアでね。たぶんなんだけど、操作・・そのもの受けてしまうのに、操作されていることには自覚的な状態になってしまうと思うんだ。たしかめてみなければわからないんだけどね。実験して」


 実験、という言葉の登場にスノウは思わず胸元を押さえた。

 掌に《スピンドル》を隠す。

 歪な回転は手のなかで捕らわれた小動物のように激しく暴れた。


「あなた、いったい」

「それはこちらのセリフだよ、レディ。みたところ不正規進入。“庭園ガーデン”にも接続していない。“接続子ハーネス”のメディカルチェックもまだ? そんな状態で、この通路に飛び込んで来るなんて、命知らずもいいところだよ」

「“庭園ガーデン”、“接続子ハーネス”──その単語、その言葉。あなた、やっぱりッ!」


 うしろに転がってしまいそうな勢いで飛び退り、ふらつく足取りながらも立ち上がって、スノウは腰のスモールソードを引き抜いた。

 アシュレが贈ってくれた品に、イズマが呪いをかけたものだ。

 武具にかけられる呪いは簡易的で再現精度の低い《フォーカス》の技術と考えれば、まず間違いない。

 本物には遠く及ばないが、ただの鋼よりは確実に超常的存在に対する対抗力となるはずだ。

 だが、剣を構え警戒をあらわにしたスノウに対し、司書は驚きに目を丸くしながらも両手を上げ、敵対の意志がないことを示した。


「見てのとおり、ボクに敵意はない」

「どーだか。外の連中も、最初は親切げだったわよ。話してたら、豹変したけど」

「ああ、死蔵知識の墓守ノウレッジ・レイスたちか。それは仕方がないね。彼らは物語に食われてしまった人々の成れの果てだから。物語に帰依しようとしないキミたちのような存在を、憐れだとしか感じられないんだよ。彼らが信じる救済をただただ盲目的に実行するだけの──ボクに言わせれば彼らもまた憐れな存在なんだよ」

 

 目を細め憐憫れんびんを示す司書に、スノウはうろんげなものを見るような視線を投げた。


「アンタが違うって保証がどこにあるの?」

「うーん、違いを説明したり保証するのは難しいなあ。でも、たしかなことがひとつある」

「たしかなこと?」


 その直後に、膝をついて身を折ったのはオウム返しに訊いたスノウのほうだった。


「く、くるし。なに、わたしになにしたの」

「なにもしていない。いやボクがなにもしていないのが良くないんだ。その痛み、苦しみはキミの不完全な《スピンドル》が原因だよ。それがボクの言いたかった、たしかなことだ」


 司書は両手を広げてさらに敵意がないことを示した。

 その顔にはスノウを案じる……人間的な表情が浮かんでいる。


「どうしたらいいの、これ。くるし、アシュレ、ごしゅじんさま、くるしい。助けて」

「この空間に居たら悪化するばかりだ。出よう。いますぐこの地下図書館を出るんだ」


 司書は脱出を促しながらスノウに手を差しだした。

 自分からは触れようとせず、ただスノウの行動を待つように。

 けれども、スノウはその手を握りしめたスモールソードで振り払った。


「スノウ、なぜ」

「うっさいわね。そんなことできるわけないでしょ──わたしはいかなきゃ。手に入れなきゃならないの。魔道書グリモア:ビブロ・ヴァレリを手に入れて、あのうさんくさいビブロンズ皇帝:ルカティウスに吠え面かかせてやるんだから。そして、そして……」

「そうかキミは──そのアシュレというヒトに認めてもらいたいんだね?」


 司書の言葉に、スノウの呼吸が詰まった。

 それは胸の内に潜めていた欲望を言い当てられたときの顔だ。


「ち、ちがっ」

「違わない。キミはそのヒトのことが好きなんだ。だからこんな危険を冒している。こんな危ない場所にまで飛び込んできた。そして、いまひどい苦しみに襲われている」


 司書の言葉が耳朶を打つたび、スノウの胸は矢を受けるように痛んだ。

 口先では否定しても、それは図星だったのだ。

 いや、苦痛だけではない。

 甘い痺れ。

 自分自身の真心を認めてもらえることへの快感だ。


「ビブロ・ヴァレリを探しているのかい?」


 問いかける司書に、スノウはうつむいたまま頷く。

 甘く切ない痛みと《スピンアウト》の兆候が引き起こす消耗が反応して、スノウを衝動的にさせていた。

 ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。

 そうだよ、そうだよ、と吐き捨てるように自分の欲望を認める言葉が、本でできた通路の壁に跳ねた。


「あのヒトの役に立ちたい。認めてもらいたい。あたま撫でてほしい」

 

 よくできたね、ってやさしく。

 子供じみた、けれどもそれだけに切実な想いの吐露に、司書は理解の笑みを浮かべて見せた。


「ならばいこう。ボクが案内しよう。魔道書グリモア:ビブロ・ヴァレリの元へ」

「そうだよ、認めてもらいたいんだよ、あのヒトに……え……いまなんて?」


 予想外の申し出に、つぶやき続けていたスノウは思わず顔を上げた。


「案内しよう、って言ったのさ。キミが望むものの元へ」

魔道書グリモア:ビブロ・ヴァレリのところへ?」


 信じられないという顔のスノウに、司書は優しく頷いた。

 手がふたたび差し出される。

 そこには浅くだが切り傷があって、開いた傷口からとくりとくり、と赤い血潮が流れ落ちている。


「その傷、さっきのわたしの剣が?! なんで、どうして避けなかったの?」

「キミを助けたかった」

「あなた……」


 スノウは無理矢理起き上がると、医療品を詰めたサイドポシェットから包帯を取りだし、傷口を消毒してから、ぎこちない手つきで手当てをした。


「ありがとう」

「いいえ、悪いのはわたしだから。ごめんなさい。感情的に剣を使ってはいけないって、アシュレにもなんども注意されたのに」

「やっぱり、そのヒトのことが好きなんだね」


 微笑む司書の言葉を、スノウはもう否定しなかった。


「あの……じゃあ、いまさらなんだけど。お願いしてもいいかな、そのビブロ・ヴァレリの元へ案内してくれるって話」

「もちろんだとも」

「よかった。でも、わたし、なんにもお礼できるものがない」


 思わぬ事態の好転に安堵して、またすこし高揚して、若者特有の急き込んだ調子でスノウが言った。

 司書はその様子をただただ笑顔で見守る。


「お礼はいいよ。キミたちを助けるのがボクたち司書の役目だ」

「でも……それじゃああんまりに悪いよ」


 怪我もさせたし。

 心から反省してスノウは言う。

 その態度に、司書は苦笑した。

 それから言った。


「じゃあ、そうだなあ。道々、キミの話を聞かせてくれないか。キミがいかにして、この地に足を踏み入れることになったのか。そのすべてを」


 司書の申し出に、こんどはスノウが目を丸くする番だった。


「え、たったそれだけ? それだけでいいの?」

「ボクのように何千年もの間、この地下の管理人をやっているとね、ときおり訪れてくれる稀人の物語だけが新たな刺激なんだ。生きているって感じられることなんだよ」

「ふーん、そうか。そうなんだね。じゃあ、わかった。わたしの話なんかでよかったら……いくらでも話すよ」


 あまりに自然な司書の言葉に、スノウはいくつも重大な事実を聞き逃してしまう。

 それとも立て続けに襲いかかってきた超常的な現象と敵の数々に、感覚がマヒしてしまっていたのか。

 正確には聞いたのに、問い質すことを怠ってしまう。


 何千年もの間、この地下図書館を統括してきた存在がナニ・・であるのか。


 そんなこと、決まっているではないか。





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[一言] スノウちゃん逃げて超逃げて!!!
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