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■第一〇四夜:狂気の再構築




          ※


「やれやれ……何度体験しても馴染めんもんだな──この再構成ってヤツはよ」


 チェス盤の上に置かれていた奇妙なピースを核にして生じた肉塊が、ヒトのカタチに育っていく。

 眼前で行われる吐き気を催すような光景から目を逸らすことさえ許されず、アテルイはその一部始終を見ていた。

 声にならぬうめきだけが、いまアテルイに許される精いっぱいの意思表示だ。


 震える肉塊はそれを知ってか知らずか、うわごとのような言葉を投げ掛けてくる。


「なあ、アンタそうは思わないか。生き返ったことに感謝したのは最初の一度だけさ。これでまた神のために戦えるってな。だが、そのあとは地獄しかなかった。オレを待っていたのはそれまで絶対だと信じていた連中の、仲間だと思っていた同じイクス教徒の裏切りだった。たくさんの場所で、何度もオレは殺された。だが、その度に甦った。そして、その何百倍、何千倍、何万倍も殺したよ。神の居場所を探して、信心のありかを探して。神に近い場所にいると、徳が高いとうそぶく連中の──聖職者どもの肉体を腑分けていった……」


 再構成の間は、まだ肉体が不完全であるのと同様、意識も朦朧もうろうとするのだろう。

 男のつぶやきは、もうほとんど妄想と見分けがつかない。

 肉塊というか、ようやくヒトの姿を取りはじめた存在は、どす黒い血の航跡を引きながら、人形の内側に囚われ四肢を鎖に縛され動けぬアテルイの元へと這いずってくる。

 

「神よ……こんな、こんなことが」


 かろうじて自由になる言葉でアテルイは祈る。

 自らが信ずる神、アラム・ラーに。

 死ねぬ男の真実を目の当たりにして。

 そして、その祈りに、肉塊だった男はぶるぶると身を震わせた。

 嗤ったのだ。


「神、か。アンタ、神を信じているのか」


 男の問いにアテルイは答えられない。

 信心がないからではない。

 目の前の男の狂気が本物だったからだ。


「いるか、アンタの神は。どこにいるか、その神は」

「わからない。けれども神は天にあって、必ず、我らを見ておられる」


 答えるアテルイの声には隠しようもない怯えがあった。

 すでにアテルイは肉体で、男の狂気を理解させられている。

 意識体を囚われさらわれてからこれまでの間、アテルイはこの男:ガリューシンの尋問──いいや、おぞましき玩弄──に耐えてきた。

 そして、悔しいことにいまアテルイを捕らえて離さぬ人型の監獄:アイアンメイデンの肉体は、そのために特化されたものなのだ。

 その内側にはあらかじめ捕らえたものを攻め嬲る機構が無数に備えられていたし、いまはそこにガリューシンの手によって様々なオプションが加えられている。


「人間の心を折るのは苦痛ではない。苦痛がもたらすのは神への道だ。だからオレはアンタの肉体には苦痛を与えない。痛みを感じるのは心だけ」


 すでに多くを征服した侵略者特有の調子で、ガリューシンは言った。 

 だが、その語りはもう、つじつまなど合っていない。

 いまの言葉も、単にアテルイの怯えに反応しただけなのだ。

 その証拠に、なげかわしい、と男は続けた。


「アンタは異教徒にしてはなかなかに見どころがある。家畜にしては良い女だ。泣き声もかわいいしな。だが、神の居場所がわからんとは……やはり異教徒は異教徒か。嘆かわしいにもほどがある」


 ガリューシンの混乱したうわごとを聞き流しながら、アテルイは祈るようにゆっくりと瞬きした。

 わかっている。

 この男は「神はここにいる」という答えを待っているのだ。

 そして「ならば見せてみよ」という切り返しを導きたいのだ。

 そうやってこれまで無数に、神の居場所を探してきたのだ。


 どうやって?

 もちろん、犠牲者の肉体を切り捌いて。


「神を……試すな」

「なに?」

「神を試すな、と言ったのだ」

「おどろいた。異教徒のアンタらにもあんのかよ、そういう教えが」

「ちがう」

「ん?」

「これはオマエたちイクス教徒の聖典にある言葉だ」


 アテルイの言葉に、男は再生したばかりのまぶたをぱちくり、とやった。

 それから破顔一笑する。

 いや、いまだ再建中であるその顔が本当に笑ったのか、あるいは怒りに口を開いただけなのか、アテルイには判別できなかったのだが。

 

「違う違う。オレは神を信じることを止められない男だ。神はいるんだ。間違えてるのは奴ら、思い上がってんのはアンタたちのほうさ。神はここにいる、だと? 嘘を吐くなッ! オレは何百何千の敵を切り捌き、さらにはオレを裏切った連中のものをも切り裁いて、ひとつひとつ真偽を確かめて来たのだ!」


 オレが試しているのは、奴らの言葉が本当かどうかだ。


「神がいるというのなら、オレにそれを見せてみろ! 奴らには《魂》さえなかったぞ!」


 ガリューシンの言葉に篭る狂熱にアテルイは身を震わせた。


 この男は背信の騎士として表世界で処されて後、世界の暗闇の側を駆け抜け、生きてきた。

 ヘリアティウムの地下に幽閉されるまでの間、世界を経巡り、自分たちを陥れた連中を探し回っては寝首を掻き、あるいは政治的暗殺の刺客として身勝手な正義を信じて犠牲者を殺し、ついには依頼者の正義すらを疑って──つまり神の居場所を求めて──これも殺して回ったのだ。 

 きっとヘリアティウムの地下に封ぜられていたのも、歴代の皇帝たちがこの国の主権を守るための切り札として飼っていたに違いない。


 アテルイは、これまでその身に振るわれる屈辱的な加虐に耐えながら聞いた──寝物語のように繰り返された彼の物語を統合して、ガリューシンの生涯を再編纂へんさんした。

 控えめに言って、この男は本物の狂人だ。

 己の正義を信じている、神を疑わないとうそぶきながら、その実、まったく信じてなどいない。

 だから、なにかのきっかけで疑心暗鬼に囚われると、確かめずにはいられなくなるのだ。

 

 なにを?

 神の実在を。

 そして、それはたぶん、いま見たような甦り──再構成のたびに酷くなっていっている。

 再構成が復旧するのは肉体の機能だが、バラバラにされた記憶はそのたびに歪な再結着さいけっちゃくを繰り返して、彼を人間からはほど遠いバケモノへと変えていく。

 そのつじつまの不整合を補うように、彼はさらに神を求めていく。


 果てしなき悪循環。

 こんな怪物を世に放ってはならない。


 だが、その男は再構成の痛みを紛らわせようとアテルイに手を伸ばしてくる。


「わかるだろう。痛えんだ、皮膚が再生するときが一番いてえ。だから、聞かせてくれ、アンタの神の話を。家畜がどんなふうに神に祈るのか、その悲痛な祈りの声を、また聞かせてくれ。そして、あるのなら見せてくれ──神とはいわねえ。《魂》を。そしたら、オレもすこしは信じられると思うンだ」


 言いながらガリューシンはアテルイに屈辱的な姿勢を強いてくる。

 いまアテルイが囚われているアイアンメイデンは、犠牲者の精神を閉じこめる人型の監獄であると同時に、簡易な《フォーカス》でもある。

 《スピンドル能力者》が《スピンドル》を用いて命ずることで、囚われた人間のかりそめの肉体をある程度自由に操作できるのだ。

 簡易である、というのはこのアイアンメイデンがワザと格下に作られていて《フォーカス》特有の性質=専用化パーソナライズがたやすいということでもある。

 これはおそらく、この人型監獄の目的が多人数がひとりを責めるためのものだからだろう。


 もっともいまその魔手によって辱められるアテルイにしてみれば、この男ひとりと比べたら、たとえ十人の相手によって貶められるほうが、はるかにマシに思えた。


「さあ、どこにある。アンタの《魂》は。教えてくれ。さもなければ……オレもいっしょに探ることになる」


 瞳を閉じ続けることをアテルイは許されてはいない。

 だから、せめてゆっくりと瞬きする。

 この酷すぎる悪夢から、わずかでも逃れようと。

 救いを、神に求めて。


 しかし、待ち望んだ救いの主は、アテルイのまったく意図せぬところから現れる。


「《魂》ならば、その持ち主を知っているぞ、下衆めッ! その男はいま、我らの頭上で戦っておるわ! この都市に暮らすすべての人々のため、人間の尊厳のためにッ!」


 暗闇からの一喝が早いか、閃光となった刃がガリューシンの頭部を真っ二つに切り裂いて血の花を咲かせた。

 刃はブーメランのように回転し、それを放った持ち主の手に綺麗に収まる。

 どう、とガリューシンが倒れ込むのと、《スピンドル》を注がれ、わずかな自由を得たアテルイがその名を呼ぶのは、ほとんど同時だった。


「アスカリヤ殿下ッ!!」


 なぜ、どうして、わたしなどのために。

 言葉にすべきことがいくらでもあったはずなのに、アテルイに出来たことは、ただその名を叫ぶことだけだった。




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