■第九七夜:死せる知識の宮へ
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ギシャアアアアアアアッ!
苦悶の叫びが廃虚にこだまする。
シオンが展開した輝ける光嵐の効果範囲に飛び込んだ亡霊のごとき姿たちが、攻撃の超威力にヴェールを剥がされ上げた怨嗟の声だ。
「効くことは効く、がイマイチだな」
「やっぱり、本物の死霊じゃないってこと?」
「不死系の敵に特攻を持つローズ・アブソリュートが充分な効果を上げられないとなると……やはり、こやつら見た目通りの存在ではないな」
「まいったな」
「なんだい、死に損ないのほうがよかったか」
「いや、そういうんじゃないけれど……じゃあ、こいつらはいったい?」
アシュレとシオンは背中合わせになって戦いながら、敵を分析する。
火力を集中して包囲を突破するにしても、相手の特性を知らずに仕掛けることはできない。
道を切り開くはずの武器が通じなかったでは、話にならないからだ。
「感じぬか」
唐突にそう持ちかけたのはシオンだった。
「感じる?」
アシュレは迫り来る敵の魔手に触れられぬよう、油断なく目を走らせながら応じた。
「ああ、そうだアシュレ。あの感じだ。イグナーシュの王墓の底でも、ファルーシュ海でフラーマの漂流寺院に乗り込んだときも、カテル島の地下聖堂での戦いのときも……オーバーロードに堕ちたユガディールと雌雄を決するべくトラントリムに乗り込んだときも──感じたあのイヤな感じを」
「言われてみれば……そうか、この死霊みたいな奴らから感じるのは《閉鎖回廊》のなかにいるようなあの気配……《そうするちから》か」
言われてみれば納得だった。
この亡霊めいた連中が現れた瞬間から感じていた違和感。
人類の絶対敵であるオーバーロードとその封土である《閉鎖回廊》。
この都市:ヘリアティウムではなぜ、人類の絶対敵の封土内部と変わらぬ条件で、異能が、その源泉たる《スピンドル》が行使可能なのか。
かつてアシュレはその理由をここが聖地であるからと説明されて納得した憶えがある。
アシュレが聖堂騎士団に所属し、そのアカデミーで講義を受けたときのことだ。
だが、いまではアシュレはその説を唱える教本と教授たちを疑問視している。
聖地だから《スピンドル》が使えるのではない。
聖地とは、実際にはオーバーロードの封土の一種、すなわち《閉鎖回廊》の変じたもののことなのではないか。
あるいはそれを都合よく利用するための方便、彼らの言葉を借りるならば洗練された言い回しに過ぎないのではないか。
いま眼前で展開する想像を絶する現実は、アシュレの推察が正しかったことを裏付けていた。
そして、さらにそのことを確信させるのは、いまアシュレたちに向かって迫り来る死霊じみた者どもが浮かべる憐憫の表情だ。
その表情をアシュレは以前にも見たことがある。
楽園の風景=“庭園”と対峙することを宣言したとき、“再誕の聖母”と化したイリスが浮かべたあの表情だ。
「こやつら、わたしたちのことを気の毒がっているぞ」
「もし彼らが本当に死に損ないであるなら、生への執着と嫉妬に歪んでいるはず。間違いない、これは──」
アシュレは跳びかかってきた一体を、後列の連中までまとめて串刺しにしてから断言した。
「こいつらは、ボクたちを憐れんでいる。ボクたちが意志を持っていることを、重篤な病だと思い込んでいる。ボクたちを助けられるのは自分たちだけだと盲信している。仲間はずれを作っちゃダメだと思っている。そういうふうに出来ているんだ」
「そなた、よくぞその理解に辿りついた。立派だぞ、アシュレ。だが──」
いま現在の問題は、この包囲をどう突破するかだ。
シオンは言いながら、聖剣:ローズ・アブソリュートを叩きつけた。
また無念の声を上げながら、十体ほどがまとめて消え去る。
不思議な……意味を成さない文字のような光の飛沫を無数に飛び散らせながら。
それでも敵の包囲網はびくともしない。
「そなた、なにか妙案があるか。これ以上はどこまで保つか、わからんぞ」
「シオンにそう言われると焦るな。そうだな。ん、まって、シオン、足下だ」
「なんだと?」
アシュレが言い、ふたりともが円周防御に徹しながら素早く地面に目を走らせた。
「穴だ」
「ああ、穴だな。先ほど連中が湧出してきた穴だ」
「もう湧出は止まっている……下に空間があるんだ」
「そなた、まさかだが」
うん、とシオンの問いかけにアシュレは頷いた。
「この都市の地下には巨大な図書館がある。そして、そこには魔道書:ビブロ・ヴァレリが眠っている。そうだね?」
「それは、そうだが。そういう前提で我らは動いてきたが」
「人間のあらゆる過去を暴くという魔道書が眠る場所が、ただの図書館であるはずがない。でも、そこが《閉鎖回廊》だとすればどうだ? これは納得だ、納得しかない。そして、そうであるのなら、この都市で《スピンドル》が正常に行使できることにも説明がつく」
アシュレの推論の見事さにシオンは舌を巻いた。
だからといって、いま目の前に口を開けた大穴が、果たして本当に地下図書館に通じるものなのかどうかについては、確信がない。
それに、
「そこへの潜入はイズマたちが先行する予定では。そして、我らの任務は、」
この都市を防衛することでは……。
続くシオンのそんな言葉をアシュレは笑顔で遮った。
「貴重な過去の知識が眠る図書館の外壁を壊すような人間の精神のあり方は、気の毒だ」
「は?」
「いや、そんなふうにコイツら──いまボクたちを治療しようとしている死霊たちは思っているんじゃないかなってね」
「なんだと?!」
「図書館ではお静かに、ってヤツさ。注意されたことはないかい? 私語は慎むこと、飲食はしないこと、走らないこと……《スピンドル》を用いた戦闘など持ってのほか」
「アシュレ?」
「古代から知識の守護者は王族であった。いや、知識の集積こそが彼らを王族にした。星々の運行を知ることも、治水の技を究めることも、国家を救うべく神代から受け継がれた貴重な伝承に辿りつくことも……それが出来たのは王族が知識の担い手であったからだ。叡知を結集させるということは、必然、権力を高めることであったのだから。治は智であり、智こそ王族の《ちから》の源。ならば、その守護者が王族の姿をしているのは、必然」
事実、ビブロンズ帝国の皇帝は文人:ルカティウスだったじゃないか。
「つまり、彼らビブロンズ帝国の皇帝は代々その座を受け継ぐとき、この都市の底に眠る大図書館とその秘奥である大秘書庫、そして、すべての万人の過去を暴く魔道書:ビブロ・ヴァレリまでも受け継ぐんだ。だけど、彼らは、《スピンドル能力者》ではない。だから……その代償に……」
たとえば、こんなふうに大図書館に仕える永劫の司書となる。
「どうだい?」と水を向ければ、シオンはふん、と唸った。
落ち着いて死霊どもを観察すれば、たしかに、彼らの衣装のなかにはビブロンズ帝国の皇帝に連なるものたちだけが着用を許された品々の姿がある。
それに、先ほど奴らを打ち倒したときに見えた文字のごとき飛沫──。
考え込んだ様子のシオンに、もし、とアシュレは続けた。
「もし彼らが本当に知識の守護者であるのなら──大切な本の納められた図書館内部でローズ・アブソリュートを振り回されたり、シヴニールをぶっ放されたくはないんじゃないかな?」
だから、と言い切る。
「飛び込んでみよう、シオン。彼らの本拠地に」
「そなた……毎度のことだが、ときおりトンでもないことを言い出すな。天才となんとかは紙一重とはいうが」
「イズマほどじゃないつもりなんだけどな」
「確認するが、この都市の、ヘリアティウムの防衛は?」
「ここで死んでしまったら──なにも守れない。いや、ヤツらが、ボクたちの想像通りの相手なんだとしたら、もっと悪いかもだ」
背中合わせに言うアシュレの口調に、どこかおどけたような調子を見出して、シオンは溜め息をついた。
悪党になるのは構わんが、あの男のよくないところばかりマネしおって。
そう、ひと腐し。
沈黙して数秒、剣を振るう。
また文字のカタチをした飛沫が跳ぶ。
たしかに、とシオンは思う。
アシュレの言葉をもう一度、検討するだけの間が過ぎる。
それから意を決したように、シオンは言った。
「わかった。やってみよう」と。
次の瞬間、アシュレは返事の代りにシオンの腰を引っつかむと、聖なる盾:ブランヴェルに飛び乗り、穿たれた縦穴に身を躍らせた。




