■第八九夜:四つ子の塔
※
「これは──土蜘蛛どもが足場に使う糸。黒騎士、まさか汚らわしい蟲どもと結んだのか?!」
遠ざかるアシュレたちを全速で追いながら、レーヴは言った。
つぶやきが思わず叫びになってしまったのは、受けたショックのせいだ。
次なる交戦点を目指し走り去る黒騎士が忌むべき土蜘蛛の技術に足場を置いていたこともそうだが、レーヴを動揺させたのは、なによりつい先ほど交わされた攻防の内容だった。
かなり危なかった。
もうすこしでも判断が遅れていたら、勝負が決していたかもしれない。
いや、なにより恐るべきことは黒騎士が最後に仕掛けてきた手──落下攻撃を掻い潜ったレーヴを捕らえた不可視の力場だ。
もしあのとき、黒騎士が力任せに盾を振るいレーヴを屋根に叩きつけていたら、勝負はその時点で決していただろう。
真騎士の乙女たちのまとう甲冑は様々な事情から人類のそれよりも装甲面積が小さくなっている。
特に顕著なのはヘルムである。
美貌をさらし、美声を阻害せぬよう最小限に留められた防具は、人類の用いるそれのように首筋を守る部分もない。
もし、あの落下速度そのままに頭部を打ちつけていたら……運が悪ければ即死、良くても気絶は免れなかったであろう。
だが、黒騎士はそうしなかった。
むしろ、激突する直前に黒騎士が操る不可視の力場は、レーヴを受け止めるような動きをした。
どういうことだ。
次々と突きつけられる事実にレーヴの胸は早鐘を打つ。
「解せん。わたしを打ち負かすだけなら先ほどの攻防でできたハズ。なのに。どういうことなんだ。土蜘蛛と結んだのであれば、もっと汚い策を講じることができるハズ。なのに、どうしてなんだ──黒騎士」
敵地への単独侵攻を決意したときから、様々な妨害・迎撃を受けることは当然だとレーヴは考えてきた。
自分の庭に侵入してきた外敵を放っておくのは憶病者のすることだし、外敵に備えていない統治者は愚か者である。
事実、ついさきほどまでの無抵抗で無気力なヘリアティウム市民の姿に、はらわたが煮えくり返る思いだったレーヴである。
だから黒騎士が姿を現し、一騎打ちに臨んで来たときはなにか策があるのだろうことくらいは、当たり前のように思っていた。
空を行く真騎士に地べたを這うことしかできぬヒトが挑むのだ、無策のハズがなかったし、それは当然のハンデというものであろう。
さすがに土蜘蛛の糸を用いての立体起動には度肝を抜かれたし黒騎士の品性を一瞬にしても疑ったが、彼の戦いは限りなく清潔だ。
それどころか──命を賭けた戦いの最中、倒すべき相手である自分を気づかってくれたようにさえ感じられた。
「わからぬ。まったくわからぬ」
レーヴはさらに加速して黒騎士を追う。
胸のなかに湧き上がるこのモヤモヤとした思いを槍の穂先とともに黒騎士に叩きつけ、ハッキリとさせねばならぬ、と思う。
視界に並び立つ四つの塔が入ってきた。
※
『アシュレさま──第二交戦点:四つ子の塔ですの!』
「なにか仕掛けてあるのかい、罠が?」
『ですです、対真騎士の乙女用の呪術がわんさかと!』
「それ、どういうやつ?!」
『翼に絡みついて飛行できなくさせる網の類いですわ!』
「発動方式は? 自動? 任意? 作動停止できる?」
『え? ええ、自動でも任意でも切り替えられますの。ですが、いまはアシュレさまが槍を交えるとのことですので、任意にしてありますが──』
「よかった。発動は見送って欲しい。足場だけ利用させてもらう」
『ちょっちょっちょ、ちょっとまってくださいの! なんのための罠ですの? アシュレさまがいま走っているのだって、あの胸糞悪い鳥女をとっつかまえて地べたに這わすためでしょうに?』
エルマの言い分はもっともだとアシュレは思う。
ヘリアティウム防衛の観点から見れば、言うまでもなく、ここはすでに本陣中枢である。
自陣深奥に切り込んできた敵相手に、手加減している余裕など本来はない。
敵に備えて事前に仕掛けておいた罠を用いることを、だれも卑怯とは呼ぶまい。
たとえそれが一騎打ちだとしても、これは戦争で、彼女=レーヴが侵略者であるからにはそれは策の内として認められるものだ。
敵だってそのつもりで一騎打ちを受けたのだから。
敵地が自分に敵対的環境であることなど百も承知で突入してきたハズなのだ。
だが、アシュレの考えはすこし違っていた。
自分が名乗りを挙げて立ったのは、そういう「どうしようもない現実」を見せるためではない。
戦争だから、策だから。
この世界は、ヘリアティウムは、そういうやり方を繰り返してきた。
譲歩し、妥協し、今日、この現実に辿りついた。
たぶん、そこに暮らす人々が現実に立ち向かうよりも、精神世界へ逃れようとするのはそのせいだ。
だから、その彼らを扇動すると決めたとき、アシュレは困難と絶望とに正面から立ち向かい勝利する人間の姿を見せたいと思ったのだ。
そのためには正々堂々とした戦いで、ヒトの騎士が真騎士の乙女を打ち負かすところを見せねばならない。
それは絶望と恐怖に呑まれ、神にすがることしかできない人々のためだ。
彼らの心に自分の戦いが火を点すなら──どんな種類の焔で点すのかはボクが選ばなければならない。
策だ、というのであればこれがアシュレの策だった。
だから、この戦いへの他者の介入は極力排さねばならなかった。
『アシュレさま、聞いてらっしゃいます?! これ以上の勝手はいけませんの! わたくし、イズマさまからアシュレさまのことをくれぐれも、と頼まれておりますの。それに貴方さまは今次作戦の鍵なのですから!』
「鍵? ボクが、今回の作戦の? それってどういう意味?」
馬を走らせるアシュレに噛みついてきたエルマが、思わず口を滑らせた。
アシュレは聞き咎めるしかない。
『あわわわ。それはっ、我々、ヘリアティウム防衛組の総司令官としての、ですわね、立場が、ええ。ていうかそんなところに噛みつかないでくださいましですの!』
「???」
慌ててエルマが言葉を濁す。
無理もない。
それは現在イズマとともに行動しているスノウに関係がある。
王の入城──深い関係で結ばれたふたりの位置を空間転移を用いて入れ替える秘術──そのもう一方の対象こそ、ほかならぬアシュレであったのだ。
あの日、スノウの《スピンドル暴走》を止めるために《ちから》を使い果たし、眠りこけたアシュレ相手に、エレとエルマがふたりがかりで技を施した。
アシュレ本人は、この施術には気づいていない。
ヘリアティウム攻略に参加している男衆も知らぬ。
これは夜魔の姫:シオンも含めた女たちと立案者であるイズマだけが知る秘中の秘であった。
「エルマ?」
『なんでもないんですの! それよりちゃんと前を見る! 来ますわよ、第二交戦点:四つ子の塔!』
「とりあえず、罠は不活性に。任意でも作動はさせないで!」
なんだかはぐらかされたように感じたが、そんなことに気を取られている猶予はアシュレにはない。
最大高:三十メテル、頂上付近の海抜で言えばちょうど一〇〇メテルに達する第二の戦場が、眼前に迫りつつあった。
 




