■第八八夜:交戦点(エンゲージポイント)
瞬きほどの間に交わされた凄まじい攻防を置き去りにして、アシュレは疾風の勢いで愛馬を走らせる。
一度でも使った駆け引きは二度は通じない。
同じ戦場と戦術に拘泥してはならぬのが挑戦者側の戦いというものだ。
「ダメだ、見抜かれた。決まったと思ったのに! さすが真騎士、強い、手強い」
『しかたありませんわ。リハーサルもなにもなし、いきなりのぶっつけ本番で新技を試そうとか、頭がおかしいっていうのはアシュレさまのことですの』
愛馬を走らせ次の交戦点を目指すアシュレの耳元で、あのデカい蜘蛛がエルマの声で嘆息した。
『わたくしたちが張り巡らせた糸の上をお馬さんに走らせようってだけでも、けっこうなクレイジーさんですのに、攻撃の受けた反動を利用して敵の上を取ろうだなんて……まったくだれに似たのだか』
エルマの嘆きどおりだった。
あの瞬間、高所からの利を活かし急速降下してくるレーヴの攻撃を、アシュレはギリギリで受け止めた。
そして、その反動を利用した。
レーヴの全体重と襲撃の速度を託された槍の一撃は、エルマたち土蜘蛛姉妹が張り巡らせた足場としての糸の上に占位していたアシュレと愛馬:ヴィトライオンを、下方に向かって強く押した。
さながらそれは引き絞られた弓の弦とつがえられた矢のごとくに見えた。
そして、次の瞬間──アシュレと愛馬:ヴィトラは上空へと射出された。
糸は加わった力に耐え切れずついに切れてしまったが、それで充分だった。
あり得ないはずの瞬間的大跳躍と頭上からの襲撃に、レーヴは完全に翻弄されていた。
自分が攻撃する側、狩る側だと思い込んでいる相手ほど絶好の獲物はいない。
それは土蜘蛛王:イズマがいつも言っていたことだ。
アシュレはそこに学んだ。
事実、攻撃を仕掛けたはずのレーヴは、技が決まらなかったことよりも、アシュレたちの姿を見失ったことに驚愕していた。
狙いをあやまたず、アシュレはそこを突いた。
思わず異能を発動させ光刃を形成してしまったのは若さだったのか、それともレーヴを不意打ちに等しい技で仕留めることに躊躇があったのか、いまでもわからない。
ともかくギリギリのところで反応したレーヴに対して、さらに聖盾:ブランヴェルの力場を振るった。
アシュレが最近会得した新しい能力である。
これまで敵の攻撃を切り裂く攻撃的防御か、あるいは自身をその上に載せて波乗りがごとくに地を駆けるという荒技に使用されてきた聖なる盾の力場形成・操作能力だが、ごくごく最近、アシュレはその属性を操作する方法を見出した。
つまるところ相手を切り裂く刃としてではなく、敵を捕らえて引きずり込むフックとしての使い方だ。
この使用法を運用している間、聖盾:ブランヴェルの不可視の力場は鞭のように働く。
その《ちから》を持って、真騎士の乙女を捕獲しようとした。
だが、その試みも、すんでのところで見抜かれてしまった。
「伊達に空中戦の名手じゃないな、彼女たち真騎士の乙女は。空を戦場とするなんて、人類からすれば考えも及ばない相手なんだものな」
『まー、そんな相手に一騎打ちを挑むわけですから。アシュレさまのアレさも、相当なものだと思いますけれど。戯れ言でもナンパでもなんでもいいから話しかけて、お時間を稼いで頂けたら、それでなんとかなりましたのに。正直すぎるのもバカのうち、っていうんですのよ』
あきれた様子で言うエルマに、アシュレはかまわず訊いた。
「エルマ、次の交戦点を教えて! なるべく高い塔が密集してるような場所とか、複雑な街路とか!」
『背景の抜けが良い場所では、上空から攻める真騎士が有利すぎますものね。おバカ! ほんとにおバカ! もうちょっと考えたほうがいいんですの! アシュレさまは下に陣取って、狙撃可能な位置までわたくしとエレ姉さまが誘導すれば、一発でケリがつく話だったのに!』
悪態をつきながらもなるべく有利な交戦点を選別して示してくれるエルマに、アシュレは感謝を捧げた。
「いつもありがとうエルマ。助かってます」
『いまさら殊勝な態度になっても遅いんですの! はい、いくつかピックしておきましたわ!』
次々と告げられていく交戦点を脳裏に描きながら、アシュレは今後の戦い方を組み立てていく。
ここでも観光と称しての入念な下見が役に立った。
ひとつは四つ子の塔──辻の角それぞれに塔が立ち並ぶ。
その間にはすでに土蜘蛛の糸が張り巡らされており、格好の足場であるとともに、空を行く敵を相手取った場合の罠も仕掛けられている。
ひとつは大宮殿跡地──巨大な宮殿の跡地に鬱蒼と茂る森が、上空からの視界を遮る。
木々の間にもエルマたちは糸を渡してくれており、こちらも翼ある者に対する罠として機能する。
大市場──天蓋つきの巨大市場は言うまでもなく、空を行く者の行動を大幅に制限する。
さらに内部の天井付近に、いままさに土蜘蛛姉妹によって糸が張り巡らされつつある。
「罠にかける、っていうのは……一騎打ち的にはダメだと思うんだけどな」
『なにいまごろ良い子ちゃんぶってるんですの?! この街を守るためにあなたは大馬鹿者を演じてらっしゃるんでしょ?! 手段を選んでる場合ですかッ、ですの! 勝てば官軍ですわ! ん、政府軍? 帝国軍? ええい人類世界のことわざはややこしいんですの。とにかく、こんなの土蜘蛛世界ではあたりまえのことですの!』
反論が口をつきかけたが、ややこしくなりそうだったのでアシュレはやめた。
蜘蛛の反対側に陣取り、じー、っと冷たい目線を送ってくるシオンの使い魔のコウモリ:ヒラリが怖かったからもある。
「とりあえず、が、がんばります」
愛馬を疾駆させながら漆黒の装いに身を包んだ半熟英雄に言えたのは、それが精一杯だった。
 




