■第八六夜:乙女は想うもの
※
「そ、それはどういう」
いきなりの、そしてあんまりな展開にアシュレは思わず聞き返した。
ふむん、とレーヴは意味あり気に微笑んで答えた。
「そのままの意味だ。わたしはキミを気に入りかけている。すくなくとも惹かれるところが多分にある。一騎打ちのなかでそれはさらに確かめられるであろう。そのうえで気に入らなければ殺すし、キミが示した勇気と行いによっては、愛を捧げることもやぶさかではない」
「ちょ、ちょっとまって」
おかしい、とアシュレは思った。
自分たちはたしか、この都市の命運を賭けた戦いをしていたはずだ。
ヘリアティウムの護りを突破して街区に侵入し、民衆を扇動する真騎士の乙女を叩き伏せる算段だったはずなのだ。
それがこの展開は、いったいどういうことだ?
どうしてこうなった?
「どうした黒騎士……わたしの条件に異論があるのか? 充分な勇気と技量を示し、その上で戦って破れたなら、キミはわたしのものになる。具体的にはわたしに導かれ、その代償に愛を捧げられる対象に、ありていに言えば恋人に。将来的には伴侶に」
アシュレは眉間に鈍い痛みを覚えた。
頭が頭痛である(悪文)。
アシュレには真騎士の乙女たちの行動原理がわからぬ。
世界の命運とまではいかないが、この都市:ヘリアティウムを賭けるというのであれば一文明の命運を賭けた戦いがつい先ほどまで繰り広げられていたはずなのだ。
それがいったいいつの間に恋人になるとか、伴侶になるとかいう話にすり替えられたのか?
「それに、その、自分で言うのもなんだが、器量には自信があるほうだ。キミもそう思うだろう」
自信満々に胸をそびやかす真騎士の乙女を見上げ、アシュレは改めて彼女を観察した。
伝承によれば真騎士の乙女たちの美貌には、男の心を蕩かす魔性があるという。
たしかに彼女の容姿はその意味で完璧と言って良かった。
透き通った白い肌と夢見るような亜麻色の頭髪とばら色の瞳は、まさにお伽噺の登場人物のようだ。
まず間違いなく絶世の美女、美姫の領域である。
ただ、アシュレはこれまでにシオンやアスカ、イリスの美を経験してきている。
アテルイの、さらには愛馬:ヴィトライオン、そしてユーニスの真心の輝きさえ知っている。
一見の外見的美しさに対しては圧倒的な耐性が出来ていた。
というよりそもそも好きになってしまった相手であれば、外見のことがほとんど関係なくなってしまうのがアシュレという男なのだ。
「たしかに美しいとは思う。だが、それを絶対と評価することはできない。なぜなら、ボクは──いや、わたしは貴女の器量のなんたるかをいまだ身をもって知らないからだ」
「な、に?」
アシュレの返答に真騎士の乙女は表情を強ばらせた。
これまで己の容姿に圧倒的な自信を持って生きてきたレーヴである。
男からのこんな反応は初めてだった。
「なんと、言った、いま……」
「ハッキリ言うと、わたしは外見だけでヒトを評価しない。できない。すくなくとも貴女の心を知らないうちは」
ぎくしゃくとした動きと言葉遣いで問うたレーヴに、アシュレは返した。
「それにまだ、貴女の名すら知らない」
その言葉に真騎士の乙女は我に返った。
一騎打ちの条件に夢中になるあまりに名乗りを忘れていたのだ。
「わ、わたしの名は、レーヴ。レーヴスラシス。レーヴスラシス・シグルーン、だ」
「レーヴ。不思議な響きだ。とても」
アシュレは語感を舌の上で転がすように、繰り返した。
その瞬間、とく、とレーヴは自分の心音が一オクターブ高くなるのを感じた。
「き、気安く愛称で呼ぶな!」
「失礼。では、レーヴスラシス、と正式に呼ぼう。貴女に問いたい。貴女が勝者となったときの条件はともかく、わたしが勝者になった場合のそれはどうしたらいいのか?」
真顔で問いかけられてレーヴは赤面した。
「そ、そんことを訊くヤツがあるか! 自分だろ、決めるのは。キミには意志がないのか?!」
「なるほど、そういうことか。まいったな、どうしよう」
激昂の兆しを見せはじめたレーヴに、アシュレはこっそりつぶやいた。
相手はストールのなかに隠れているコウモリのヒラリである。
もちろん、彼女を通じて夜魔の姫:シオンが、一連の話の流れをすべて聞いていた。
視線を動かしてヒラリの様子を窺うと、いつもは愛らしいつぶらな瞳が半目に細められ、鼻筋にしわが寄せられていた。
この表情を見てシオンの機嫌が良いと感じたなら、ソイツはもう馬に蹴られて死ぬべきだとアシュレは思う。
「どうしよう。たいへんなことになってきちゃったぞ」
もういちど、子供みたいな言葉遣いで、棒読みで、アシュレは言った。
真騎士の乙女たちの行動原理が「人間の英雄を確保すること」だというのは、知識では知っていた。
が、それを具体的な行動として表現すると、こういう事態になるのだとは考えが及ばなかった。
つまるところ脈のありそうな英雄候補生に彼女たちは一騎打ちをふっかけて試すのだ。
迷惑千万、とんでもない求愛行動である。
唐突に、さらなる理解にアシュレは至った。
この一騎打ちの条件は同じ価値同士でしか成り立たない。
つまり、レーヴが自分の賭け金を提示した段階で、アシュレ側の条件も自動的に決まってしまっているのだということにだ。
そして、真騎士の乙女たちは人間の男にそれを言わせたいのである。
歯に衣を着せぬ表現をすれば「告白らせたい」わけである。
ふたたびアシュレは頭に頭痛を覚えた(悪文)。
「つ、つまり、ボクが──じゃなかった、わたしが勝ったらこんどは貴女がわたしのものになる、という解釈でいいのか?」
「ほ、ほう、わ、わたしを所望するというのか。ふん、ふふん、なかなか高望みをするではないか。し、しかし、わたしはキミが気に入った。いいだろう黒騎士。キミがもし、仮にもしだがわたしに勝利することができたなら──わたしを自由にするがいい」
そこまで言って、コホンと咳払いひとつ。
続けた。
「ただし、ちゃんと勇敢に己が持てる《ちから》のすべてを駆使して戦ったならだからな! 勇敢に、正々堂々とだぞ、いいなッ?!」
なぜだかすこし興奮した口調でレーヴが念を押した。
うーん、とアシュレは唸る。
小首をかしげる。
その様子にレーヴの美しい眉がきりきりと持ち上がった。
「なんだっ、文句があるのかっ」
「いや、そのまえに、もうひとつだけ条件が、ある」
おそらくこれまでの人生のなかで、ふたつ返事で条件を呑まなかった男に出会った経験などないのだろう。
あるいは男の側から求められる経験しかなかったのかもしれぬ。
最大限の価値を示したはずの一騎打ちに、さらに上乗せを要求されてレーヴは激昂しかけた。
だが、対するアシュレは冷静だった。
「約束して欲しい。我らの一騎打ちの間、この都市の民衆のだれひとりとして傷つけない、と。そして、決着がついたそのあとも。貴女たちに求めることができないのであれば、せめて貴女にだけはお願いする」
そのひとことはレーヴの胸を矢のように貫いた。
民衆には手を出すな、とこの男は言ったのか。
他の連中はともかく、わたしにだけは、とわざわざ区切って。
レーヴは頬が激昂とは別の興奮で紅潮するのを感じた。
「よ、よかろう。キミがいまの条件を遵守する限りにおいて、約束する。正式に一騎打ちを受けるぞ、黒騎士。もうあとには引けぬぞ?」
「ありがとう、レーヴ。貴女はやはりボクが──いいや、わたしが幼い頃に憧れた真騎士の乙女なのだな。正々堂々と、死力を尽くして戦うことを約束する」
「あ、当たり前だっ。それと、き、気安く愛称で呼ぶなと言った!」
まだ勝利してもいないのに民衆の安全を約束した途端、安心したかのように微笑む黒騎士の表情に胸が苦しくなって、レーヴはそっぽを向いてしまった。
それにこんなタイミングで幼いころの憧憬について語るとか、反則ではないか。
まぶしくて見ていられない。
この男、たらしに違いない。
怒ったようにごまかしたが、本心はちがっていることには気づかいないフリをした。
 




