■第八四夜:乙女の論理
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そのとき、レーヴスラシス・シグルーン──真騎士の乙女:レーヴは目を瞠った。
寡兵を海と陸との防衛戦に割かれ、もはや予備戦力など残されていまいと思い込んでいたヘリアティウムの地に凛々しく立つ騎影を、ひとつ、見出したからだ。
沈み行く太陽に、その男は下から照らされて立っていた。
跨がるは立派な栗毛の牝馬。
家紋の縫い取りもなにもない漆黒の軍装に身を固め、微動だにせずたたずんでいる。
周囲ぐるりを回ってみたが、馬鎧を含めて、やはりどこにも家柄や所属を示す紋章は見あたらない。
ただただ、白銀の盾と金色の槍だけが異彩を放つ。
その他で特徴的なものといえば素顔の大半を隠す長ストールと、同じ色に染められた頭髪だけ。
さて、ここからはすこし蘊蓄なのだが──人類圏の騎士たちの間でこのような「黒騎士」のいでたちは、それをまとう者の特殊な事情を示している。
ありていにいえば黒騎士の装いとはつまり仕えるべき主君を失ったり、不祥事を起こし所領を剥奪された「まつろわざる騎士」=名誉を失った騎士の装束であると理解されている。
むろん、このあたりの事情はレーヴも知るところだ。
彼女たち真騎士の乙女は英雄を好む。
好むからには、だれが英雄で、なにがそうではないのかを見極める術がいる。
男の値打ちを見抜く技術と情報には、当然のように精通していなくてはならない。
人類圏の英雄を見出すには、同じく人類圏の常識・慣習を学ぶことが必要不可欠とされる。
そして、鍛えられたその審美眼を用いて、極めて残酷な鑑定を彼女たちはする。
さながら古物商が箱の裏書や皿の裏側のサインでものの値段や真贋を見抜くがごとく、さまざまな角度から男を値踏みする。
そんな彼女の眼前に、件の男は「傷物」を名乗って現れたわけだ。
しかもわざわざ、ハッキリとだれの目にも明らかな漆黒の装いで。
その上、男は明らかに不利な戦場である屋根の上に姿をさらし、大音声でレーヴを呼んだのだ。
「そこな天を行く乙女よ。翼ある乙女よ! 御身は真騎士とお見受けする! されば聞け! 我ら騎士が、騎士と名乗る語源ともなったといわれる天空の乙女よ──真の英雄を求める貴女がたが、なぜこのような虚しい言葉を弄される。人心を乱し、姑息な勝利を拾おうとなされる? 真の勝利は正々堂々の戦いによって捥ぎ取られよ! ゆえに我は貴女に挑戦する! 我が挑戦を受けるべし!」
暮れなずむ都市のなかば頽れた城壁の内側に、男の声は響き渡った。
黄昏色の光線のなかで、レーヴのばら色の瞳は男に吸い寄せられる。
街路に転び出た民衆も同じく続く。
わざわざヘルムを排し、長い黒色のストールを海風になびかせ夕日のなかで叫ぶ男の姿は、まるでこの国を背負っているように見えた。
あるいは子供じみたお伽噺のなかでしか生きられぬ正義の味方にも。
下から彼を見上げる群衆は、ストールに阻まれ人相を確かめることもできないのに。
だがそこが面白い、とレーヴは心が動くのを感じた。
もともとレーヴは、この戦争に気乗りではなかった。
たしかにオディルファーナ・モルガナ=オディール大姉が言うことは正論だとは思う。
英雄たちが集う、英雄のための理想国家をこの世に降ろすこと。
それは真騎士の乙女たちが、長きに渡って胸に抱き続けてきた宿願だ。
この世界から堕落と惰弱を一掃し、数多くの英雄たちが生まれ出ずる素地を造営すること。
それに先んじて、世界のカタチを整えること。
その理念に対しては、レーヴとしても疑念・異論を挟む余地を感じない。
しかし、だからといってオディールが採る実際の行動が正しいとも言い切れない。
特に「過去を暴く魔道書見つけ出し──これを始末する」という方針だけは、どうにもわからない。
我々、真騎士の乙女の過去には、わずかな瑕瑾さえない。
なのに、いまオディールは、ありもしない過去に怯えるようにして大国の裏で暗躍し、小細工を弄しては他国を攻めるよう仕向けている。
具体的に言えば、今回のヘリアティウム攻略戦のことだ。
そのやり方には賛同しかねるものがある。
此度の戦にしても、まず城壁を崩し、人心を乱し、平和裏にことを運ぼうというやり口が、そもそも気に入らない。
なぜって、そうやって都市を手中に収めた後、だれも知らぬところで魔道書:ビブロ・ヴァレリを消し去ろうというのだから。
これではまるで蟲の──土蜘蛛どもの手管ではないか。
そんなことをしているヒマがあるのなら、正々堂々と己が姿をさらして戦い、これを受けて立つ勇敢な敵将を見出したほうがよいのではないか。
たとえば、いまビブロンズ皇帝に一騎打ちを申し込めば、それで事足りるのではないかとレーヴは思う。
老齢の彼が代理の騎士を立てるなら、無理もないこと。
そうなれば、これこそ願ってもないことではないか。
皇帝の代理だというのであれば、出てきた男の質でこの国の、ひいては国民の価値は計れよう。
一国の命運を双肩に担う騎士が、選り抜きでないなど、あり得ないからだ。
だが、オディールはそれをよしとはしなかった。
あくまでオズマドラ帝国による占領統治を推し進めると主張した。
それまではヘリアティウムの壁の内側には侵攻せぬと。
なにをそこまで恐れているのかわからないが、オディール姉は理路整然だとかいう考え方や、綿密な計算を重要視するあまり、真騎士の本懐を忘れているようにレーヴには思える。
つまるところ迂遠に過ぎるのだ、オディール姉は。
対して、と一応にしても自分自身を省みてレーヴは思う。
たしかに自分の考えは……すこし古いかもしれない。
だが古来、英雄とはそうやって世に現れ出でるものではないか?
世が乱れるときこそ英雄の出番ではあるまいか。
ちがうか?
いいやちがいあるまい、とレーヴは思う。
やはり、わたしは正しい。
正統なる真騎士の乙女のあり方として正しい。
間違っているのだとしたら、オディール姉のやり方がそうなのだ。
そんな想いを胸に詰めたまま戦の趨勢を見守っていたところに、オディール姉が敵の騎士を狙撃した。
乱戦の最中ならばともかくも、神聖不可侵であるべき一騎打ちの場で、だ。
ぶつり、と頭のどこかで血管の切れる音をレーヴは聞いた。
英雄同士の対決に水を差して、なにが真騎士だろうか。
気がついたときには騎行編隊を離れ、最大戦速でヘリアティウムの結界を突破していた。
本音を言えば戦の趨勢に右往左往する烏合の衆など、どうでもよかった。
殺す殺さぬ、助ける助けぬ以前に、その程度の存在には興味がないのだ。
だが、このままオディールの言う通りに事が運ぶのも、納得できなかった。
だから、あの降伏勧告は、本当を言えば挑発のつもりで行った。
オディールのもくろみをそのまま代弁しているようでいて──実のところまだこの都市にもすこしは気骨のある男がいるのではないかと期待した。
一種の煽り文句であったのだ。
街路に転び出た民衆の怯え切った顔にそれはあるまいな、と一時は失望もした。
そこに黒騎士は現れたのだ。
 




