■第八一夜:翼、来たれり
「あれはッ?!」
ウソみたいに美しい夕暮れの空と雲とを貫いて放たれた光条を、そのときアシュレは見た。
天空からまっすぐに落ちた輝きは大地に突き立ち、そこで戦っていたひとりの騎士を周囲の大地ごと消滅させた。
その男をガリューシンだとアシュレは知らない。
しかし、その想像を絶する戦いぶりから、彼こそアスカの手紙にあった伝説の騎士にして魔人だと確信していた。
二〇万を超える軍勢にたった数十騎を率いて突撃を敢行し、その砲列と戦列とを大混乱に陥れ、ヘリアティウムの城壁を救った男の戦いに騎士であるアシュレが惹きつけられぬはずはなかった。
そして、いまその男の姿は光条のなかに消えたのである。
強烈な爆発と土煙が消え去ったあと、そこにはなにも残されていなかった。
ただ超古代文明の遺跡に穿たれた貫通孔が白熱しているのが見えるばかり。
「いまのはシヴニール……いいや、でもそれとよく似た《フォーカス》の攻撃か」
アシュレは先祖伝来の強力な《フォーカス》=竜槍:シヴニールを握りしめて唸った。
焦点温度一万度を超える超高速超高熱の加速粒子を用いて敵を殲滅するシヴニールは、かつては天翔る真騎士の乙女の持ち物であったとアシュレの生家:バラージェ家の伝承にはある。
彼のご先祖さまが、真騎士の乙女を一騎打ちによって調伏し、聖イクスの教えに帰依させた際、その証として捧げられたものだというのがアシュレの知る竜槍の由来である。
だとすれば、同じく真騎士の乙女たちがそれと同種の《フォーカス》を携えていたとてなんの不思議もない。
いや、強大無比の光条を放つシヴニールの特性を考えれば、空中を自由に飛び回り、三次元戦闘を可能とする彼女たちこそがこれら竜槍の類いの正統の使い手なのだ。
実際、イズマが使役する召喚獣:グルシャ・イーラはその素地を真騎士の乙女に持ち、彼女もやはりよく似た性質の武具を使う。
そして、アシュレはアスカからすでにオズマヒムの背後に、真騎士の乙女たちの暗躍があることを聞き出していた。
イズマから借り受けた遠眼鏡を用い、高い塔の上からさらに上空の狙撃点を見つけようとする。
すると──上空からの狙撃後、位置を変えようともせず悠然とたたずむひとりの女が視界に飛び込んできた。
長い黒髪を頭上でまとめ上げ、輝ける白銀の甲冑を暮れなずむ空の色に染めて、女は地上を見下ろす。
防御力よりも見栄えを重視したのであろう羽飾りをふんだんに用いたアクセサリーのごとき兜の下には、身震いするような美貌が覗く。
アシュレは、その容姿をどこかアスカに似ていると感じた。
ただ、似ているのは外見だけだ。
口元に浮かぶ冷笑は、アスカの快活で乾性の笑い方とは正反対だ。
「彼奴めか、いまの一騎打ちに水を差したのは」
同じく隣りで真騎士の乙女を見出したのか、シオンが舌打ちした。
彼女がこのような悪態を吐くのは極めて珍しい。
都市防衛戦の攻防のこともあるが、騎士同士の一騎打ち──尋常(納得ずく)の勝負に横合いから手を出した所業に腹を立てていたのだ。
遠眼鏡を介さぬシオンの瞳には、夕暮れの光を浴びて輝く彼女はいまいましいことに宵の明星のごとく見えていた。
「オディルファーナ・モルガナ……黒翼のオディール……オズマヒムの後ろで暗躍する真騎士の乙女たちの首魁。アスカのお母さん:ブリュンフロイデの魂の姉妹。アスカがそんなことを言ってた」
遠眼鏡をのぞいたままアシュレはつぶやく。
「では、あれがそうなのか。アスカ殿下の心労の元凶。超大国の大帝をたぶらかし焚きつけた傾国の大淫婦」
大淫婦というシオンの表現にアシュレは思わず苦笑した。
唇の端が持ち上がるのを止められない。
ある女性のために地位も名誉も栄光も投げ捨て、こんなところまで来てしまったアシュレに言わせれば、自分とその女性の関係をオズマヒムとオディールに置き換えて考えたら──笑みがこぼれるのもある意味仕方がないことではないか。
「騎士は己の名誉を捧げた女性のために戦うものだからね」
「なんだアシュレ、歯切れの悪い物言いだな。庇うのか、彼奴を。それともオズマヒムを」
アシュレの感想に含むところを感じたのか、シオンが噛みついた。
いばら姫の率直な言葉に騎士は苦笑を広げる。
あいかわらず、遠眼鏡で敵の姿を捉えたまま。
「いや……ただ、こうして対峙する相手にもそれなりの理由や事情があるってことさ。ボクがキミを、キミがボクを信じて戦うように」
「アシュレ、それはだな!」
「わかってるよ、シオン。だからと言ってボクは負けない。キミが昨夜、身をもって教えてくれたじゃないか、夢中の生き方を。オズマヒムやアスカの手紙にあったガリューシンという男が伝説の=すでに夢のなかの存在であるのなら、そいつらと相対するために、ボクらはボクらのまま、夢のなかに赴いていかなくちゃならないんだろ? 彼ら、すでに《ねがい》を注がれ、だれかの理想の体現者=絶対者となりつつある存在と対決するために」
「そなた……」
「ボクにだって戦う理由がある。その一番目はわたしなのだぞって昨日、カラダを張って主張したのキミじゃないか」
シオンは昨日の自身の振るまいを思い出して赤面した。
満たされた後で冷静になってみれば、かなり性急な絆の確かめ方をしたのだと認めざるを得ない。
アテルイやアスカやスノウ、あと愛人としての設定を利用するエルマなどのおかげで親密な時間を作れず、ずいぶんとおあずけを食らわされていたせいだ。
動揺に手と瞳が位置を定められず、あわあわと動く。
その様子にようやく遠眼鏡から目を離して、アシュレが笑った。
「あの傲慢な宣戦布告を聞いたとき、ボクはその大義名分の後ろにある空虚さに嫌悪感を覚えた。でも、あれからずっと考えていたんだ。オズマヒムという男のことを。なぜ、どうして、そうなってしまったのか。するとだんだん他人事に思えなくなってきた。思い当たることがボクにもある、というか。なにかひとつボタンを掛け違えていたら、ボク自身が彼のようになってしまっていたかもしれないとさえ思うようになってきた。いや、これからさきの人生のなかで、さらにそういう岐路がいくつも現れる気さえしているんだ」
意外なアシュレの語りに、シオンは言葉を失う。
「ボクにとってのキミ=シオンと等しいものを彼は失った。ずっとむかしに。ブリュンフロイデ……アスカのお母さん。その空隙に彼は耐えてきた。真騎士の乙女たちの策略に取り込まれたという観点からしか、ボクたちは彼を見てこなかったけれど、根本のところでオズマヒムを動かしているのは、その失われた愛なんだ。アスカも言ってたじゃないか。わたしが戦うのは失われた愛のためだと。それを取り戻すためだと。そして、それを取り戻そうとしたばかりにオズマヒムは人間であることを止める決意をしてしまった」
アシュレは複雑な表情を作った。
それはオズマヒムに対する理解が生んだ憐憫とも共感ともつかぬ心の動きの作用だ。
いっぽうで、暗にいまの自分を人間として踏みとどまらせてくれているのはキミだと言われて、シオンは胸が早鐘を打つのを自覚した。
そして、そんなセリフを吐いた騎士は、夜魔の姫の動揺など理解した様子もなく続けた。
「そういう敵と正対するとき、ボクは相手の動機にも真っ正面から立ち向かわなければならない気がしている。そこを見誤ると、本当の意味では敵を見てないことになる。敵の姿は見ていても、敵の思惑を見ていない。それでは本当の意味で勝てなくなってしまうように思うんだ。具体的には、いつか倒してきた相手と同じものに自分が成り果ててしまうような気さえしている」
だから、とシオンを抱き寄せるとアシュレは言った。
「だから、相対する敵の動機はまっすぐ見つめたいんだ。それはきっとボク自身の心を正しく見つめることでもあるから。夢中をヒトとして歩いていくために」
あう、とシオンはちいさくうめいた。
この男は、そういうところがシオンにとって強力なたらしとして作用していることを自覚がないのか。
いや自覚があるなら、相当な悪党なのだが。
しかし、もう日も暮れることではあるし、ここは高台で人目もないし、いまいちどアシュレと動機を確かめあうのも今後の戦いのためであろう。
うんそうだ、これは戦略レベルで見た場合、必要不可欠の絆を確かめる行為。
と、そんなことをシオンが不覚にも考えてしまったそのとき──。
『おふたりさん、盛り上がってるところ悪いんですけれども──来ましたわ、敵が一騎、超低空で!』
いままでどこに潜んでいたのか成人男性の掌より大きな蜘蛛が塔の屋根の上から糸を使って降りてきて、言った。
弾かれるようにシオンが反応する。
「その声、エルマかッ?!」
『エルマかッ?! じゃありませんの! ちゃんと打ち合わせしたではないですか! わたくしの使い魔を中継して連絡を取り合うと!』
「そうだった。ん、マテ、どうして盛り上がっているとわかった?」
『さっきの狙撃で鎮静化したとはいっても、いまは戦時! 非常時ですから常時接続してますもの。おふたりの会話は全部聞こえてますわよ?』
「ん? ということはナニか、昨夜のこともぜんぶ……」
『ええもう聞いてるこちらが、おかしくなりそうなくらいには』
「…………」
完全に凍結したシオンを脇にどかせて、アシュレはワキワキと前肢を動かす蜘蛛に語りかけた。
「それはともかく、いまの、どういうこと?!」
『あらっ、アシュレさま──このケダモノ! 不潔! 女の敵! エルマのお相手のときも、ぜひああいうかんじで、ワイルドによろしくお願いいたしますの♡』
「いや、そうじゃなくって! 敵が一騎って、超低空って?!」
『ああ、そうでしたの! 結界を突破して真騎士の乙女がひとり──いま、そちらに!』
エルマがそう言うのと、アシュレたちが陣取る塔を巨大な羽ばたきが掠めていくのはまったく同時だった。
 




