■第七八夜:蹂躙
さて、アスカとシドレの海上での交戦が劇的な結末を迎えていたころ。
ヘリアティウムの三重の城壁、その正面門にあたるアガペ門からは想像を絶する光景が確認できた。
それは最新の火砲を備えた二〇万の大軍勢に対し、百騎にすら満たぬ騎兵たちが突撃を敢行し──局地的にとはいえ大勝利を捥ぎ取る瞬間であった。
「オレに続け! 己に垂れられた神の恩寵を信じよ! いくぞ、《スピンドル能力者》たち、我々で勝利への道を切り開くのだッ!」
言うが早いか、先陣を切る白騎士は掲げた剣に《スピンドル》を通した。
聖剣:エストラディウスが呼応するように光り輝く。
「おおおおおおお、我が祖国を蹂躙しようとする異教徒どもッ、見るがいいッ、これが神の怒りだッ! 喰らえッ!」
裂帛の気合いとともに白騎士は馬上から異能を放つ。
刀身に撓められ、極限まで威力を高められた三連の光刃が衝撃波とともに敵の火砲の周囲に蓄積された装薬に着弾した。
そこから先の出来事をあえて描写するまでもない。
異能の破壊力を起爆剤にして着火された黒色火薬が連鎖的な大爆発を起こし、周囲一帯が大砲どころかその周囲に展開していた砲兵守備隊もろとも吹き飛んだ。
騎馬に跨がる技術がないためアガペ門に居残った大多数のヘリアティウム防衛軍の面々は、空中数十メテルの高さまで高々と打ち上げられた巨大な火砲の砲身と、効力射の威力でバラバラに千切れ飛ぶ異教徒たちの死を目の当たりにした。
そこに白騎士に鼓舞された騎兵が続く。
「いいか、どんなに好機に見えても、絶対に敵陣に深入りするな! こちらの最大の利は数の少なさと機動力なんだ。足を止められたら終わりだぞ!」
白騎士が飛ばした指示にオオッ、と騎兵たちが了解を返す。
その様子に、白騎士:ガリューシバル・ド・ガレ=ガリューシンは歯を見せて笑った。
戦場にあって満面の笑みを浮かべるガリューシンは味方にはまさに神に愛された救国の騎士に、いっぽうで敵対するオズマドラの兵士たちにとっては硝煙と土煙の向こうから突如として現れた悪魔そのものに見えたであろう。
実際にガリューシン率いる騎馬隊の攻撃は神のごとくに大胆で、同時に悪魔的に繊細であった。
数に勝るオズマドラ側だが、そこにあぐらをかき、ぼんやりと状況を眺めていたわけではない。
むしろ防御のための手立ては充分に打たれていたはずなのだ。
大兵力にモノを言わせ一夜のうちに築かれた高台とそこに備えつけられた大砲の周りには、騎兵を寄せ付けぬための塹壕が、これあるを予想し、急ごしらえとはいえすでに掘られていた。
よくよく思い起こせば、昨夜の大帝の演説は、これらの作業を糊塗するためのものでもあったやも知れぬ。
もちろん、その後ろには長大な槍で武装した守備隊も千単位という規模でそれぞれの砲台の周辺に展開を終えていた。
だが、ガリューシンたちはこれをものともせずに食い破った。
二〇万に対してたった数十騎での襲撃という、思考の死角を突く攻撃が完璧だったというだけでは、それはない。
この周辺ではヘリアティウムの城壁の内側でしかまともに回転を起こさないはずの《スピンドル》が、このときなぜかガリューシンたち一隊だけに限って例外的な働きをみせた。
そうこれが聖剣:エストラディウスとガリューシンの真の《ちから》=狂信である。
本来は人外魔境である《閉鎖回廊》か、例外的な聖地以外では発動が極端に難しい《スピンドル》を軽々といつでも扱えるようにする霊験こそが、ガリューシンの佩剣:エストラディウスをして人類圏最強格の聖剣と言わしめた理由であった。
要するに、この剣は移動可能な聖地そのものであり、同時にその正義を信じるものに奇跡の《ちから》=《スピンドル》を扱うことを許す恩寵を垂れるのだ。
もちろんこれは使い手であるガリューシンの心のありさまに影響を受ける……ということでもあるのだが、ここでは詳細は省く。
ともかくそれがありえないはずの勝利を引き寄せた。
「征くぞッ!」
「よし、征けッ!」
愛国心に燃え、熱狂に駆られ、狂信に心を焼かれたスピンドルの騎士たちは、己の持てる異能のすべてを振り絞って敵陣へ突撃した。
もちろん、全員がガリューシンのような遠隔攻撃を持ち合わせているはずもない。
《スピンドル能力》で敵兵を圧倒し、塹壕を飛び越えることができても、異能による火薬への着火は至近のものとなる。
すべてではないが、ときにそれは自爆攻撃を意味していた。
それなのに騎士たちの顔に悲壮さはまるでない。
二〇万の大軍勢を相手に、たった数十騎がこれを翻弄する。
騎士として生まれたなら、だれしもが一度は思い描く騎士道物語の戦場が、まさにそこにあったからだ。
祖国を蹂躙する異教徒を蹴散らす夢が実現する日を、生まれついたときから譲歩という名の敗退しか知らぬ落日の帝国の騎士たちは、渇望してきた。
もちろんビブロンズ帝国の置かれた現実を見れば、そんなことが叶うわけがないことを彼らだって知っている。
媚であり、へつらいであると知りながら超大国:オズマドラとの平和条約を更新し続けてきた。
そんな彼らにとって、異教徒を蹴散らし祖国を回復したいという願いは、決して口に出してはならぬ夢。
アラムの教えを掲げるオズマドラ帝国に周囲を取り囲まれた陸地の孤島──ヘリアティウムに生きる騎士たちが一番最初に叩き込まれるのは、そういう諦念だった。
だからこそ、ガリューシンのもたらしたこの解放は、劇薬として彼らに作用した。
結果的にこの日の戦いでヘリアティウム側は出撃した騎兵の半数以上を失う。
無事帰り着いた者たちも、手傷を負わなかった者は皆無。
しかし、オズマドラ側が被った被害はその比ではない。
どう少なく見積もっても数百名、いやもしかしたら数千の兵力がたった一時間あまりの交戦で失われた。
もちろん、指をくわえて蹂躙される砲兵たちをオズマドラ側が指をくわえて見ていたわけではない。
オズマドラの大帝は王者であるが同時に騎士でもある。
それを証明するように、彼は戦場に現れる。
大業物の弓と槍とを携えて。
これが海の側で起きていた伝説の戦いに対する、陸の側の伝説。
その序章であった。




