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■第七七夜:伝説は波間に消えて



 稲妻が空を切り裂くあの音を、だれか聞いたことがあるか?

 世界の底が割れるような轟きに先んじてホワイトアウトとともに走る雷光の音を、本当に体験した者はあるか?


 アスカはそれを鋭い鞭のしなりのようだと感じた。

 シュッ、ヒュッ、という身の毛もよだつような鋭い擦過音を発し、目もくらむような瞬きが大気中を龍のごとく走る。

 圧倒的な電荷が分厚い大気を押しのけ、通り道を作ろうとする動き。

 だから、稲妻はまっすぐには走らない。

 ジグザグに折れ曲がって進む。

 それがあのような音を生みだす。

 

 アスカは襲いかかってきた雷撃を告死の鋏:アズライールで蹴り飛ばすと舞姫のように華麗に着地し、雄叫びを上げる蛇の巫女:シドレラシカヤ・ダ・ズーへと迫った。


 戦場は奇妙な膠着こうちゃく状態に陥っている。

 全滅も辞さずという悲壮な覚悟で戦いに臨んだヘリアティウム防衛艦隊の面々は、呆気に取られた様子で、迫り来る敵軍の前に立ちはだかった蛇の巫女の後ろ姿を眺めている。

 なかには「聖イクスのご威光に触れた蛇の巫女が、我らに味方してくれているのだ」という都合よい解釈に至って、祈りを捧げる者までいる。

 

 いっぽうで蛇の巫女とその眷族であるリザードマンの大軍に襲われたオズマドラ艦隊は、なんとか体制を立て直しつつ後退をはじめていた。

 このあたりはさすがの元海賊:バルトグールの手腕である。


「どんなに勇猛果敢に戦っても死んじまったらおしめえだ」という座右の銘に違わぬ決断をバルトグールは即座に実行に移した。

 それは結果としてはじめにリザードマンに襲われた数隻のガレーシップを見殺しにすることになったが、もし味方を助けようとして船を寄せていたら、被害はどこまで拡大していたかわからなかっただろう。

 

 こうして両軍はゴールジュ湾の入口で距離を保ったまま、オズマドラの第一皇子と怒れる蛇の巫女との人智を超えた戦いを見守ることしかできなくなった。


 手始めの獲物を仕留め終えたリザードマンたちさえ、自分たちの女王たるシドレラシカヤ・ダ・ズーとその巨躯にたったひとりで挑む人類の姿を、波間から顔を出し遠巻きに見上げている。

 ヒトならぬ彼らの感情を正確に読み取ることはできないが、瞬きひとつせず世紀の対決を見守るその瞳にはたしかに畏怖のようなものが宿っているように感じられた。


 それほどまでにアスカとシドレ、二者の戦いは凄まじい。

 初見では圧倒的な体躯と攻撃能力を持つ蛇の巫女に単身で挑むなど無謀が過ぎると思われた戦いも、水面を自在に走り、飛び交う雷霆らいていすら足場に宙を駆けるアスカの姿を見て、観衆となった船乗りたちは意見を変えた。


 情熱的な舞踏のリズムを刻むようにオズマドラの皇子は敵の攻撃を躱し、かわりに一撃を加えていく。

 そう──大海蛇の姿をとったシドレにとって、船舶のような巨大な的を相手にするのであればともかく、アスカは標的としてあまりに小さすぎた。

 海ツバメのごとく俊敏に立ち回るアスカの攻撃は、大海蛇を一撃のもとに葬り去ることはできないが、確実に傷を負わせていく。

 しかし、そのいっぽうで蛇の巫女は強力な回復力を見せた。

 宝刀:ジャンビーヤで切り捌いたはずの傷口が、みるみるうちに塞がっていく。


「やはり、一筋縄にはいかんか。重要な器官でなければあっという間に再生してくる。これが蛇の巫女たちの《ちから》というわけだ。だが、いける。見えるぞ、攻撃が」


 荒い息の下でひとりごち、アスカは不敵に笑った。

 実際、ここまで良い勝負に持ち込めるとは、実は当のアスカにも確信がなかったのだ。

 なにしろ相手は生ける大竜巻と言っても過言ではない存在だ。

 たぶん、大国の軍勢を丸々引き受けてもこれを平らげてしまうほどの《ちから》が、シドレラシカヤ・ダ・ズーにはある。

 

 いつだったか寝物語にアシュレが話してくれたカテル島での蛇の巫女との戦い──ヘリオメデューサ:タシュトゥーカが引き起こした大津波の被害を聞いたときは、めまいがした。

 アシュレ、シオン、ノーマンという英雄たちが三人がかりでやっと仕留めたという。

 それも全員が強力な《フォーカス》で完全武装の上、《スピンドル能力》を制限なく臨界点で使用し続けての話だ。


 そんな相手にいま、自分は単身で立ち向かっている。

 本来なら、これほど善戦することすら難しいはずなのだ。

 だとしたら考えられうることはただひとつ。

 シドレはアスカを殺そうとしてはいない。

 いや、むしろ戦いたくさえ本来はないのだ。


 このときのアスカには、そういう確信があった。

 このシドレの動きは彼女の本意ではない。

 いま闇雲に繰り出される雷撃や暴風は、むしろシドレが本心では争いを避けようとして放つ、いわば警告の言葉なのだ。


 そして、この理解に辿りつくことができるのは、いままさに巨大な歴史の転換点を迎えようとする戦場にあって、自分ひとりだけなのだとアスカは確信していた。

 それを女同士の連帯感、と片づけては物事を矮小化し過ぎている。

 むしろそれは敵と味方に別れながらも、同じ目的のために志を同じくし戦場をともにした者同士にだけ通じあえる感情──尊敬と理解と言うべきであっただろう。


 アスカはそういう関係性を、アシュレたちと出逢ってからいくつも目の当たりにしてきた。


 数千年来の仇敵同士であるエクストラムの聖騎士パラディンと夜魔の姫の契り。

 謀略と暗殺に長けた土蜘蛛王が見せるアシュレへの弟を見るかのようなまなざし。

 初めてアシュレと出逢った廃神の漂流寺院で、その本尊と心を通わせた彼の決死の行動。

 なにより、アスカ自身が──そうだった。


 だからわかったのだ。

 シドレは、この蛇の巫女は。

 周囲を敵に囲まれた世界のなかで、必死に「なにか」を伝達しようとしている。

 伝達し、それを受け取ってくれる──託すべき相手を求めている。

 そのためだけに、危険を承知で姿をさらした。

 もはやそれは「希求」という言葉でしか表せない強い想いだ。

 

 たぶん、アスカにここに来て欲しい、と祈りながら彼女は戦地に赴いた。

 いっぽうのアスカも己の血と運命に抗うためにここに立った。


 つまりこの戦いは、ふたりの女性の決断が結びつけた奇跡であり、同時に必然であった。

 自分たちが愛するものを守りたいという想いが、ありえないはずの出逢いとえにしを結んだ。

 

 ガキュン、と再び迫った雷霆らいていを膝で弾き水面に着水したアスカは、勢いのまま後方へと数十メテルも海面を滑って止まった。

 おとがいを伝う汗と水滴を拭い、荒い息を整え、アスカはこの難敵をどう攻めるか考える。

 蛇の巫女も間合いを計るかのごとく距離を保ったまま、小さなヒトの子を見つめる。

 アスカはその瞬間、片目となったシドレの琥珀の瞳に浮かんだ感情をはっきりと理解した。

 だから、背筋を伸ばすと大声で呼ばわった。


「聞け、蛇の巫女よ! いま貴様が守らんとするその都市まちは、すなわち虚栄のまちなり! その都市まちに暮らす者たちは、自分たちがどのような存在の上にこれまでの繁栄を築いてきたかを知らぬ! 他者の過去を暴く忌むべき魔書、魔道書グリモア:ビブロ・ヴァレリ──いいや、その正体は恐るべき人類の絶対敵:オーバーロードである! ゆえに我はこれを滅し、人々に真の安寧を取り戻すことを目的に降臨した! 我が神:アラム・ラーと父:オズマヒムの名にかけて、この地を人類の手に取り戻す!」


 だから、と言葉を切り、大きく息を吸いこむと続けた。


「そこを退け。これ以上の争いは無意味だ。あるいは、貴様自身が件の魔書によってくびきをかけられているというのならば、我がそれを解き放ってやろう! おとなしく我が軍門に下るがよいッ!」


 オズマドラ第一皇子のこの宣言の意味を正確に理解できた者は、この場にはたったふたりしかいなかったであろう。

 表面に乗せられた大衆のための大義などでは、むろんそれはない。

 アスカは告げたのだ。

 シドレの協力が彼女を真実へと辿りつかせたこと。

 シドレが本当は闘争を望んでいないとアスカはすでに理解していること。

 そして、なによりシドレを望まぬ戦いに駆り立てる《ちから》が、どこかから彼女を操っているのではないか、ということ。

 

 返答はこれまでに倍する雄叫びによって行われた。

 それは周囲を取り巻く双方の艦隊、約一〇〇〇〇の人々には逆鱗に触れられた蛇の巫女が怒りの咆哮を上げたようにしか見えなかったであろう。

 実際に、頭上に立ちこめる暗雲からいくつもの稲妻が立て続けに落ち、世界を電流の束で満たした。


 だが、アスカにはわかった。

 これは歓喜だと。

 困難な命題に対して立ち向かった挑戦者がついに正解に辿りついた証拠なのだと。

 それを見た蛇の巫女が歓喜しているのだと。


 もちろん、アスカの理解が正しい。

 だから、アスカは駆けた。

 雷光を掻い潜り、波頭を乗り越え、暴風を切り裂いて。

 

 両脚を成す告死の鋏:アズライールが光をまとう。

 そして、跳躍した。

 眼前に現れた巨大な波を捕まえ、そらへと駆け上がるように。


 鋭い牙が無数に生えた蛇の巫女の大顎のなかへ、真っ正面から、まっすぐに放たれた矢のように。


 次の瞬間──蛇の巫女が頭部を破砕されながらも同時にオズマドラ第一皇子を牙に捉えて、互いが海中に没するのを、観衆は見た。 




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