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■第六八夜:大帝


         ※


 パアアアッ、とまだ夕暮れの余韻を残す夜空に、壮麗な光の華が咲いた次の瞬間。

 ドドンッ、ドンッ、ドンッ────。

 雷轟らいごうにも似た爆発音が大気とヘリアティウム市民の全身を震わせた。


 この時代の戦争は日の出から日没までが常である。

 夜襲というのもなくはないが、基本的にそれは劣勢側が採る奇手であり、統治者たらんとする者の戦いとしては褒められたやり方ではない。

 特に主神:アラム・ラーのご照覧は陽のあるうちに限られると考えるアラム教徒、そのなかでもオズマドラ帝国軍に関して言えばその傾向が強かった。

 彼らにとって夜は悪魔シャイターンが徘徊する時間なのである。


 戦争における正義とはすなわち勝者であるとする風潮もたしかにある。

 しかし、アラムの指導者たちが卑怯な振舞いを嫌うのは間違いのないことであった。


 ましてや、いまオズマドラ帝国軍を率いるのは東方の騎士とうたわれた大帝:オズマヒム、その人である。

 ヘリアティウム市民にしてみれば、口だけは出すが姿を見せたこともない西方世界の支配者たちよりも、よほどに馴染み深い名君だ。

 よもや夜襲などという姑息な手段はありえまい。


 皆、そう思っていた。

 だから、すくなくとも今日中に戦端が開かれることだけはあるまいとヘリアティウムの民は踏んだ。

 

 そこに放たれた輝ける光の華はやじりとなって、夜空だけでなく人々の心までも切り裂いた。


 一瞬、恐慌のようなものが市民の間を駆け抜けかけた。

 けれども、それは瞬く間に別の感情に変わった。


 はじめのうちはまさしく仰天の光景に翻弄されていた市民たちの瞳が、突如として別の種類の色を帯びはじめるのをアシュレは見た。

 それはこれまで見たこともない光の祝祭ページェントに対する驚愕と称賛の色である。

 次々と打ち上げられる色とりどりの光の華は、あまりに美しかった。

 そして、そんな市民たちの心の動きを察知したかのように、ヘリアティウムの壁外に陣を構えたオズマドラ帝国軍の側から、なんとも楽しげでみやびな楽の音が響き渡りはじめたではないか。

 

 最新鋭の大砲による砲撃戦、あるいは真騎士の乙女たちによる空中からの掃射──そういう戦いのカタチを想定し備えていたアシュレの思惑は、まずこの時点で打ち砕かれた。

 もちろん、これまでの戦争の常識の延長線上に考えがあったヘリアティウム防衛軍の予想など、木っ端微塵であろう。


「これはなんだ。どういう……どういう、ことなんだ?!」

「アシュレ、上がってこい。こっちだ。いまから城壁に群がるよりもずっとよく見えるぞ」


 動揺を隠せない青年騎士を頭上から呼んだのは、土蜘蛛の姫巫女の姉の側:エレであった。

 ヘリアティウムという都市は東西南北どの方角から見ても街の中央、いまは焼け落ちて見る影もないが、かつて大宮殿グラン・パレスが立っていた場所に向かうほどに高台となる立地にある。

 アシュレたちの借り受けたアパルトメントは、その頂点にほど近いエリアに属していた。

 そして、アシュレがこの物件に間借りすることを決めた最大の理由こそ、いまエレが陣取る構造体にあった。

 そう塔である。

 “もうひとつの永遠の都”:ヘリアティウムは、またの名を千の塔の街という。

 入国時、波の静かな湾内からこの街を見上げたアシュレの目に飛び込んできた特徴的な光景、そのひとつがこのアパルトメントには属していた。

 シオンとともに駆け上がれば、そこからはオズマドラ帝国の陣容が一望できた。


「これは」

「美しい、と表現するほかあるまいな」


 個人所有物に過ぎない塔の上は狭く、アシュレとシオンは身を寄せ合って二〇万の大軍が布陣する方角を見下ろした。

 さてその威容をなんと表現しよう。

 幾万もの篝火と焚き火が煌々と灯り、ヘリアティウム周辺の草原地帯は輝く絨毯で覆われたようだ。

 そこから光の華が打ち上げられるさまは、まさしく祭典そのもの。

 楽団の奏でる妙なる調べが風に運ばれてここまで聞こえてくる。

 

「これが、王者の戦争……そうだというのか」

「希代の勇者として、歴史に名を残そうというのだろうヤツは、オズマヒムは」


 アシュレのつぶやきに答えたのはエレだった。


「盾と矛ではなく、やじり驟雨しゅううも火砲もなく、光と楽の音で門戸を開かせようというのだ。前代未聞の城攻めというヤツだ。なるほど、人間にもこういうことを考える者がいたのだな。イズマさまの比ではないが」


 するり、と窓から入ってきたエレが肉体を押しつけるようにしてアシュレに言った。

 吐息が感じられるほどの密着にアシュレは動揺する。


「エレ、さん。ち、ちかい」

「そうだぞ、エレ殿。ここは狭い上に我らは武装している。なぜ入ってきた。窮屈で仕方がないぞ」


 アシュレの動揺に、こちらも肉体を密着させたシオンが抗議した。

 最近アシュレがスノウに構いっぱなしだったせいか、防衛本能的反応である。

 土蜘蛛姉妹がなんのかんのと言いながら、アシュレに好意的なせいもある。

 エルマなど、愛人としての設定にもうすこしリアリティを持たせてもいいですわ、とか食卓でしれっと抜かすのである。

 なるほど、それはシオンの心中も穏やかではあるまい。

 女心は複雑だ。

 

「そうは言ってもだな、シオン殿下。最初の花火に驚いて巣を離れていたコウノトリが戻ってきたのだから、しかたがない」


 エレは塔の屋根に上って敵情を観察していた。

 そこには変わり者のコウノトリの番が巣をかけていて、この間、ヒナが孵ったばかりだったのだ。

 普通はもうすこし北方に渡って繁殖するものだが、どんな動物のなかにも変わったヤツは必ずいる。

 土蜘蛛の姫巫女は、その家主と子供たちに遠慮したのだ。


「エルマも巣立ちを楽しみにしていたしな。守ってやらねばなるまい」

「あらあらなんですの、皆さんで親睦を深めてらっしゃいますの? ずるいですわ、エルマだけ仲間外れなんて」


 言ってる側から四人目が狭い塔の最上階に乱入した。

 灰褐色の腕がアシュレの頭部を抱きしめる。


「エルマ、ちょっと、せ、狭い。あと、頭に、その、あ、当たってるんです、けど」

「ふふふ、戦場において兜はもっとも大切な防具のひとつ。人間は投石ひとつで死ぬんですから。それを怠った騎士さまに、エルマからの諌言を差し上げておりましてよ?」

「キサマ、エルマ!」

「おいおい、それどころじゃないだろう。見ろ、奴らまたなにかはじめたぞ」


 おしあいへしあいとはまさにこのことだろう。

 見る者によっては歯ぎしりするほど羨ましいハーレム状態のなかで、アシュレは必死にエレの指した方向を見た。

 それはなんと……移動式の舞台である。

 どれほどの財力と労力をつぎ込めば可能になるのか。

 エクストラム法王庁に隣接する巨大な闘技場の遺跡コロッセオ、あれを半分に断ち割ったかのような施設が純白に照らし出されて現れ出でたのはそのときだ。

 それは巨大な音響板の役目も果たすのか、楽の音と歌姫ディーバたちの唱和を増幅する。

 そこに進み出るひとりの男の姿が、この距離からでも確認できた。


「なんだ、だれだ?」

「はい、遠眼鏡にございます」


 アシュレの頭部を抱いたままエルマが文明の利器を差し出した。

 たぶん、胸元とかからである。

 微妙な顔になりつつ人肌のぬくもりとエルマの香りがするそれを借り受けると、アシュレは敵陣深くをさらに観察した。

 月のない夜は本当に真っ暗になってしまうので、いかに遠眼鏡があろうとも敵情視察は難しいのだが、今回は状況が特別だ。

 むふふ、とアシュレの頭髪に顔を埋めて匂いを嗅ぐエルマは、いっぱしの愛人気取りである。

 むむむ、とシオンは唸り、自らの分身たる使い魔のコウモリ:ヒラリを放った。

 エレはと言えば妹の様子に呆れたように溜め息をつき、その一方でシオンの使い魔:ヒラリが、万が一にも花火の圏内に飛び込まないようにアドバイスする。

 ヒラリに火球が命中するよりも、衝撃波などでコウモリの鋭敏な感覚器官を痛めることを憂慮したのだ。

 もちろんアシュレを挟んでのそれであるから必然、密着度は高まるわけでシオンはますます眉をつり上げた。

 

「立派な武装だ。司令官か、軍師? いや違う。あれは、あれが大帝:オズマヒム! アスカのお父さんだ……」


 だが、自分を中心に繰り広げられる鞘当てなど意識できずに、アシュレは小さく叫んだ。




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