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■第五八夜:信じずにはいられない


 ガヒュヒィイイン──という金属と岩塊と触れ合うがごとき音とともに《フォーカス》同士の表面に発生するフィールドが干渉し、濃霧のなかでプラズマが散った。

 それがアスカが空中にあるうちに続けて三度。

 跳び蹴りが至近を擦過するほんのわずかの間に目にも止まらぬ早さで繰り出された攻撃を、互いが互いに迎撃した証拠であった。

 交差したふたりは駆け抜けるカタチで距離を取る。 

 ヒョゥ、と跳び蹴りをいなした男=ガリューシンがおどけた様子で口笛を吹いた。


「あぶねえ! あぶねえが──思いきりのいい判断をする。いい戦士だ」

「いまのを凌いだのか?! 告死の鋏:アズライールをいなすことのできる武器だと?!」

「それに君主みずから部下の窮地きゅうちに飛び込んでくるたあ、なかなかできることじゃあねえ。なるほどなあ。西側の連中が言うアンタの人物評価には誤りがあるみたいだなぁ」


 男は無造作に剣を担ぎながら言った。

 アスカは柔軟な身体能力を生かし隙を見せぬ着地を決め、すでに構えをつけている。

 その手にはすでに引き抜かれた宝剣:ジャンビーヤがある。

 跳び蹴りを凌いだガリューシンを空中にある間に強襲したアスカの得物だ。

 告死の鋏:アズライールを用いた奇襲に即座に対応してくる手練であれば、逆に跳び蹴りのほうを見せ技にしてこちらの刃で決着をつけるつもりではいたのだ。

 が、その思惑は外れてしまった。


「貴様……ただ者ではないな」

「いやいやそれは殿下……ご謙遜ってヤツだよ」


 本来ならばこのような会話をしている間にも互いが攻撃を仕掛けるべきであったろう。

 だが、このたった一合の間に、ふたりは相手の力量を測り終えていた。


「こりゃあ、お互い迂闊に飛び込んだらいけねえヤツだ。そうだろう?」


 ガリューシンのセリフは相変わらず緊張感を欠いたが瞳は笑ってなどいない。

 一方のアスカは同じく油断なく男を睨みつける。

 こちらも性急に間合いを詰めようとはしない。

 互いが互いに油断ならぬ相手だと認めたのだ。


 だが、このまま膠着状態を保っているわけには、すくなくともアスカ側はいかなかった。

 なにしろいまは隠密行の帰路なのだ。

 宣戦布告もないままに国境を侵犯した事実もある。

 ガリューシンと名乗った男が大声をあげて兵を呼び寄せれば、あるいは伝令の兵を走らせれば──敵側にそんな別動隊や予備兵力がいたのなら──状況はあっという間に悪化する。


 かといって軽々に仕掛けられぬ理由もアスカにはあった。

 相手が手練というだけではない。 

 先ほどはとっさのことで言葉が出てしまったがアスカの振るった宝剣:ジャンビーヤ、なにより両脚を成す告死の鋏:アズライールの攻撃を受けてなお健在な武具など、いかにゾディアック大陸広しといえどそうそうあるわけではない。

 そもそも跳び蹴りは見た目も威力も派手で強力だが、隙が大きくよほどの実力差か奇襲的な状況をのぞいては使うべきではない技なのだ。

 特に相手が武装していた場合、攻撃のために伸ばされた両脚は格好の的になる。

 事実、ガリューシンはそういう反応を見せた。

 しかし、それこそがアスカの思惑でもあった。

 敵がこちらの攻撃を察知し武器や盾によって迎撃するのであれば、告死の鋏:アズライールの《フォーカス》としての特性でそれらすべてを打ち砕くつもりでアスカはいた。

 いかにここがすでに人知を超えた蛇の祭壇の間の外であり、《スピンドル》のトルクを乗せていないとはいえ特級クラスの格付けを持つ告死の鋏:アズライールである。

 いわゆる通常の武器防具はもとより生半可な《フォーカス》であればこれをはじき返し、場合によっては破損に至らしめるほどのパワーを秘めている。

 ところがガリューシンの振るった剣は告死の鋏:アズライールを害することはできなかったが、同じようにその攻撃によって害されることもなかったのである。

 その後に放った宝剣:ジャンビーヤによる斬撃も防がれたのは見ての通りだ。


「キサマのその剣……《フォーカス》か」

「さすがはアスカリヤ殿下。お目が高い。いかにも我が愛剣:エストラディウスは聖剣の名を関する武具のなかでも騎士の聖人:ルグィンの佩剣:ローズ・アブソリュートやイレム病院騎士団の団長の証──プロメテルギアと肩をならべる一品にございますれば」

「なん、だと!」


 芝居がかった口調で得物を紹介したガリューシンに、アスカは言葉を失った。

 聖剣:エストラディウス。

 男の名はともかく、剣の名をアスカは知っていた。

 だからこそ、そこに連なる様々な記憶・知識が次々と脳裏に甦った。

 宗教騎士団の輝かしき過去、そして、破滅の歴史。

 書籍と歴史を愛するアスカの性格が理解を手助けした。

 アスカはその概略をあらかた読み、知っていた。

 そして、男の名に辿りついた。

 異端者どころかおぞましき魔の手先に堕ちた聖堂騎士の逸話。

 その血みどろの伝説を作り上げた男に。


「ガリューシバル・ド・ガレ……そうだというのか。だが……キサマは……死んだはず、では」


 それももう百年も前に。

 うめくようなアスカの問いかけに、男の口元に張り付いた笑みがひときわ大きなものとなった。

 感謝に堪えないという様子で胸に手をやりながら礼をすれば、唇に当てた手をアスカに贈る。


「ああ、なんという素晴らしい日だろうか。オレのことを憶えてくれたのがアンタみたいな美人で感激だぜ。だれもかれもに忘れられたんだとばかり思っていた。ありがとう、アンタ。感謝するぜ、殿下。アンタが異教徒でさえなければ、キスしたいくらいだ」

 ガリューシンは本気で感激しているようだった。

 勢いのまま続ける。

「いかにも。オレは死んだ。死んだはずだった。だが、あの日、かつて聖イクスが天に召されたのと同じ髑髏カルヴァリの丘で果てたのは、オレではなかったんだ。オレの身代わり。健気にも影武者を買って出てくれたひとりの同志だった」

 人違いだった、とこれまで史書に事実として記されてきた出来事を否定してガリューシンは言った。

 アスカの震える唇から言葉が漏れた。


「だが、だからといって……キサマはもう遥か昔に。ずっとずっと以前に、この世から去っていなければ……」


 この世界の人間の平均寿命は五〇歳に満たない。

 普通の人間では一〇〇年もの時の流れに耐えられない。

 なにかの奇跡的な偶然が重なって一〇〇歳を迎えることができたとしても、そのときヒトはあきらかな老人であろう。

 だから、もし本当に眼前の男が自己申告の通り一〇〇年前を生きたのだとしたら──それは。

 動揺して揺れるアスカの瞳に、男の笑みが微かだが寂寥せきりょうを帯びた。

 アンタの言う通りだぜ、とつぶやく。

 続ける。


「ところがどういうわけか。時のビブロンズ帝国皇帝に見込まれていたオレは“もうひとつの永遠の都”の地下で幽閉されていたってわけさ」

「なぜだ。それはどういう……」

「なぜなら、オレは死なないからだ──甦るからだよ」

「甦る、だと?!」

 

 きっとアスカが問いかけたのはビブロンズ帝国の皇帝と眼前の騎士:ガリューシンの繋がりについてだったはずだ。

 どうしてビブロンズ帝国の皇帝はガリューシンを死刑にせず、幽閉に留めたのか。

 ことによるとそれは世間の目から彼を匿ったのではないか。

 そんな疑念がこのとき瞬間的にアスカの胸中には生じたのだ。

 だが男の返答には、そんな思いと会話の捩じれなど吹き飛ばしてしまう《ちから》があった。

 思わぬ不死者としての告白にアスカはうめく。


「不死者、だと? まさか……東方聖堂騎士団の行っていた悪魔との取引とは……そういうことなのか」

 良くない想像に小さく頭を振りながら、アスカはうめく。

 おお、と大仰に天を仰いだのはガリューシンだ。

 弁明させてくれ、と男は言った。

「傷つくなあ。なんだい、やっぱり一〇〇年後の世界でもオレたちはそんなふうに言われているのかい。ひどい話だぜ。オレたちは死に物狂いで戦った。戦ったんだよ、必死に。ただそれだけなんだ。人類の、イクス教徒のために平和な世界をもたらそうと。この世に楽園を降ろそうと闘った。だが、そのためにはもっともっと《ちから》が要った。ただ、ただそれだけなんだ。そりゃあずいぶんと神敵を屠り、完全なる理解のために腑分け、名づけ、記録はしたが……それらはすべて神とその信徒たる迷える仔羊たちのためであって──決して邪な気持ちで行ったのではないのだよ」

「やはり……伝説は真実であったか」


 己の所業に一片の罪悪感すら抱いた様子もないガリューシンの言葉に、アスカは唸った。

 コイツはおかしい、と改めてわかった。

 刃を構え直し戦闘態勢を整える。

 それは拒絶だ。

 もう黙れ、という。

 無言の。

 ガリューシンはがっかりだ、という顔をした。


「なんだい。せっかく一〇〇年の時を越えて訪れた弁明の機会なのに。弁護人を立ててくれ。オレたちは無実だ。エクストラム法王庁の安全な大伽藍のなかでふんぞり返って座ってる枢機卿団の連中や法王さまになにがわかる? 神は最前線で戦う者の傍らにこそおられるのだ。アンタの神さまだってそうなんじゃないのか。そう信じるからこそ戦えるんじゃないのか。そうだろう? そうオレたち、オレたちこそが神とともにある。神のための戦士だ。あのとき、たしかにオレたちは神意代行者だったんだよ」

「思い上がるな、狂信者め。神の名を騙って悪事を行えば、それはすなわち神の名を汚すことなのだぞ。それに……オレたち・・・・ではない。オマエはもうひとりだ。なぜなら、オマエたちはオマエたち自身の不正義によって滅びた。我が信ずる神とオマエたちの神とは違うかもしれない。しかし、わたしはオマエたちの神がオマエたちに下した裁きを支持する」


 アスカは自らの神:アラム・ラーを敬愛している。

 だが、だからこそ神を騙り、神意を騙り、その威をかさにきて非道を行う輩を蛇蝎だかつのごとくに嫌っていた。


「つれないねえ」

 ガリューシンはアスカからの拒絶に目を細めた。

 それから言った。

「まあいっか。アンタが言う通り、オレは狂信者だ。そして神にも見捨てられたのかもしれない。たしかにのために命懸けで闘ったオレたちが、そのせいで窮地きゅうちに陥ったとき、いくら救いを求めてもは助けにも現れなかった。慈悲を垂れることすらなかった。処刑場に顔を見にすらこなかった。だからオレはひとりで仲間たちが次々と処刑台に送られ、炎のなかで焼け死んでいくのを見たんだ。火あぶりはむごい。むごいんだぜ。あらゆる死刑のなかで、とりわけむごい。焼き魚が炙られて反るみたいにさ……人間が反り返るんだ。そして、その筋肉の力で骨が折れる……あんな光景を……アンタはみたことないだろう」


 神に裏切られた男は言いながら、アテルイの意識が捕らわれている道具=刑具:アイアンメイデンのおとがいを撫でた。

 よく見ればその体つきや顔の造作は女性を模していた。

 ひっ、と身じろぎひとつできないアテルイの喉から小さな悲鳴が漏れる。


「その娘に触るな!」

 しかし、アスカの警告にガリューシンは動じもしない。

 唇から紡がれるのは回想というか、回顧とというか──いや、狂気の告白だ。

「そうだな。アンタの言う通りだ。オレは神から見放された。天のくにに迎え入れられると信じて戦い続けたオレは、いつのまにか死ぬこともできないカラダになっていた。そして無限に続く生をかび臭い地下牢で永劫に生きる運命を押しつけられた。だが、そのオレを見出してくれたヒトがいた。オレの《ちから》、オレの戦いの技術、オレの聖剣が必要だと彼は言ってくれた。目的を与えてくださったんだ。すばらしいとは思わねえか。なかなかできないことだぜ、そううのは。そして、こうも仰ったんだ」

 アテルイの下顎を玩ぶように撫で、軽く掴んで自分へと向き直らせながらガリューシンは言った。

 ──それでも信じることをやめられないのではないかね、と。

 わかるかい、と男は言った。


「だからこそ、破れてしまったかつての夢をもう一度、再建しなければならないのではないかね、と」

 あのヒトはそう言ったんだ、と繰り返した。

「なるほど、それを言い出したのがエクストラム法王庁の連中だったのならオレはそいつらの舌を全部引っこ抜いて火にくべたろうさ。脳みそ腐ってんのか、とね?」


 小首をかしげて楽しそうに語るガリューシンの瞳には光がある。

 どこかここではない場所を見る光だ。

 語りは続く。


「いままさに異教徒たちの総攻撃によって滅びに瀕している国家の長の言葉でなければ、とても信じられなかったろうさ。単に適いもしない理想を語っているようにとしか思えなかっただろうからな、最前線を遠くにどうしたって平和な場所でそんなことを言い出す奴は、ただの夢想家に決まっているんだからな」


 平和な場所で理想を語る者は夢想家だと、ガリューシンは断じた。

 だとしたら、とアスカは思う。

 その通り、とガリューシンはウィンクする。


は本物だったんだよ、アンタ。わかるかい? 本物の、オレと同じ──狂信者だったんだ。信じるしかない。そうだろう?」


 自分の言っていることがアスカにも理解できるはずだ、と言わんばかりにガリューシンは問うた。

 なぜってさ、と続けた。


「なぜって、彼は──ルカティウス十二世皇帝陛下は──オレと同じく、信じるもののために我が身をすでに犠牲にされていたんだ。極限にまで。世界がと呼んだ者どもにさえ通じ、その血を飲み下し、あるいは我が身を、心をさえ食ませて。それでもなお闘うヒトだったのだよ」


 だからオレたちは彼を信じたんだ。


 そして、ガリューシンの言葉を証明するように新たな人影が濃い霧のなかから現れ出でた。

 それは濡れそぼった女の姿をしていた。



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