■第四六夜:蛇眼の宝玉
その夜は嵐となった。
新緑を吹き飛ばす勢いの強風に幕舎がいくつかなぎ倒され火災が起ったが、同時に襲来した雨のおかげで大事には至らず、人的な意味でも物資的な意味でもアスカリヤ旗下の軍団において被害は極めて軽微であった。
しかし翌朝、主の命により黒曜海南西沿岸を検分しに向かった砂獅子旅団の面々は、すさまじい光景を目にすることとなった。
「殿下、これらのものが砂浜に打ち上げられておりました」
巨躯の女剣士:コルカールは、そう言って荷車にかけられていた覆いを剥ぎ取った。
トラントリム戦で重傷を負った彼女だがイズマの適切な処置と傷封じの貴石、化膿や感染症を防ぐ霊薬、そして持ち前の体力からすでに戦線に復帰を果たしていた。
その彼女が昨夜の嵐の結果を披露する。
荷台の品物を目の当たりにした面々からどよめきが上がった。
大量の金銀財宝・宝石の類いが、比喩ではなく実際にこぼれ落ちたからだ。
荷車はお宝の重みで大きくたわみ、車輪は地にめり込む勢いだ。
「こりゃすげえ」
おどけて口笛を吹きつつ算盤を弾いて価値を計ろうとしているのは、軍団の財政を預かるティムールである。
「本物か」とは古参の重鎮:ナジフ老だ。
「本物も本物。この目を疑うような黄色こそ純金の証ですよ。見たことないんですか? いやそれよりも重要なのは芸術品としての付加価値のほうだ」
次々と海岸線からの戦利品を手に取り鑑定していくティムールに、うむん、とナジフは唸った。
ティムールが言うように目に飛び込んでくる圧倒的な山吹色は、たしかに純金の証拠だ。
ナジフだってそれはわかっているのだが、これほどの量がいきなり眼前に現れると判断力がマヒしてしまい、だれかに一杯食わされているような心持ちになるのだ。
なにしろこれほどの量の黄金に相対することのできる人間は、そうそういない。
付け加えるなら、ナジフはいわゆる芸術品にはとんと疎いのである。
「純金や純銀であるだけじゃない。この品々が作られたのは我が帝国の成立以前。もしかしたらアラムの教えがこの一帯にはびこっていた邪教どもを駆逐していくよりも前のものかもしれない。この紋様……装飾の素晴らしさといったら!」
ナジフの戸惑いを脇に置いて大きなルーペを用い、細かい装飾品に目を凝らしながらティムールが唸る。
なるほどそれはすごいな、とコルカール。
もちろん彼女はナジフと同じく芸術品に関連する知識は皆無の側だ。
「この一山だけで大型軍船一隻を完全新造して、さらにその運用人員を半年雇えるくらいの価値があります」
現実的に想像可能な価格の登場に、おおお、とナジフとコルカールがどよめいた。
しかし、神妙な顔つきでそれらを観察してから言ったのはアテルイだ。
「御三方、あまり気安くそれに触れないほうが良いのでは」
多くの霊媒たちがそうであるように、昨夜の口寄せの内容を彼女は憶えていない。
蛇の巫女の術に捕らわれアスカとの望まぬ仲介役にされてしまった事実を知らされたのは、今朝のことである。
その証拠でもある件の蛇の痣は、まだうっすらとだがアテルイの肌に残っていた。
「まさか、呪いがかけられてるってか」
「蛇は執念深い生きものですから」
慌てて宝飾品から手を離したティムールに、アテルイが答えた。
「しかも女だしな」
思わず付け加えたナジフはコルカール、アテルイ、それからアスカからの意味あり気な視線を順に浴び「しまった」と青ざめた。
「宝飾の価値は間違いないとして、真に警戒せねばならぬのはそこに混じる青い鱗のほうであろう」
重鎮たちの浮かれたやりとりに釘を刺したのは主君であるアスカだ。
これへ、と件の鱗を所望する。
どうする、と顔を見合わせる砂獅子旅団の面々を割るようにアテルイが進み出、宝の山に混じる巨大な鱗を一枚、抜き出した。
「なるほど見事なものだ」
ひざまづいたアテルイの掌に収まりきらぬほどの巨大な鱗を手にとって、アスカは唸った。
遠目には青色に映るその鱗は近くで見ればまるでオパールのように無数の遊色を内側に秘めており、その美しさは居並ぶ金銀財宝が霞むほどの見事さであった。
「なんという立派な鱗じゃ」
主君が手にしたそれをのぞき込み、しげしげと眺めてナジフが感嘆した。
「黒曜海に棲むほかのどんな魚のものより大きいぞ。鱗がこれなら、本体は数十メテルはあるはずだ。シドレラシカヤ・ダ・ズー本体以外にあるまいな……この持ち主は」
昨夜、あわや会敵しかけた相手を思い、老戦士は身を震わせた。
若き日のオズマドラ皇帝:オズマヒムに見出されて以来戦場を駆け巡ってきた男をして、心胆寒からしめる無言の迫力がその鱗にはあった。
「それに大きく美しいだけじゃないね、これは」
ナジフが抱いた諦めにも似た感情を女剣士が跳ねのけられたのは、生来の楽天的な性格だけでなく若さもあっただろう。
コルカールが大振りな古代金貨に鱗を押し当てて言った。
「見てごらん。金はたしかに柔らかい金属だけれど、どれほど優れた鋼でもこれほど簡単に切断することはできないだろうよ」
言いながら巨躯の女剣士は、まるでリンゴでも剥くような気安さで巨大な金貨を真っ二つにした。
目を剥いたのは会計役のティムールだ。
「オイ、コルカールッ! 試すなら自前の剣とか古い銅貨かなにかを相手にしろよ! いま切断した古代金貨一枚は、うっかりオマエの食い扶持数年分くらいの価値があるんだぞ?!」
「小さい男だねえ、ティムール。それにわたしはそんなに安くないよ! ねえ、アスカさま」
言いながらコルカールは金貨の成れの果てを、自分とはもう関係ないと主張するように投げ出した。
ビョウ、と重金属が空を切る音。
半分になったとて通常の金貨の五倍はあろうかという大きさと重さを持つそれは、財宝の山を直撃した。
べきり、とイヤな音がしたのは直後だ。
過重に耐え切れなかったのか、それをきっかけについに荷車の車軸が重みで折れ、財宝の土砂崩れが起った。
車輪が吹き飛び、木片が飛び散り、埃が舞い上がる。
財宝の山の重みで荷車が破壊される音を聞くことのできる者というのはなかなかいないが、ともかくこのとき席を同じくした面々はその貴重な体験を共有することとなった。
「うおっ、危のうございますぞ、殿下!」
「あーあー、なにやってんだよ!」
「あ、あたしじゃない。アンタが余計なことを言うからだろ?!」
ナジフがアスカとアテルイを庇おうと身を挺する。
ティムールの言葉に、コルカールが反論する。
しかし、当のアスカとアテルイの視線は別のところに釘づけにされていた。
それが姿を現したからだ。
両掌でやっと保持できるほどの巨大な宝玉。
一見では正体を言い当てることが難しいほど、それは大きく、なによりその内側に精緻な紋様を抱いていた。
「これは……」
「まるで蛇の瞳──虹彩のような」
まじまじと宝玉をのぞき込み、そこまで言ってアスカとアテルイは顔を見合わせた。
「まさか、これがシドレラシカヤ・ダ・ズーの真心だと……そうだというのか」
アスカの唇から漏れるのは、ほとんど呻きだ。
宝玉があまりに見事だったからというだけでは断じてない。
それがもし自分たちの想像通りの品であるのなら、蛇の巫女は提案の真実を証明するため己の瞳をひとつくりぬいて差し出してきたということになる。
そして、昨夜の事件を実際に体験したふたりから、それ以上の言葉を奪った理由がもうひとつあった。
もはやどのような手段を用いても癒すことのできぬほどに深い傷が、その美しき眼球には刻まれていたのである。




