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■第四三夜:宣誓と承認と

         ※ 

 

 目覚めれば、男の匂いと体温を感じた。

 スノウを庇うようにして、アシュレは身を横たえている。

 その腕に抱かれるカタチでスノウは微睡んでいた。


 あのあと──浴室での《スピンドル》の顕現けんげんから後、どうなったのか。


 スノウの記憶は混乱している。

 それは夜魔の血を受け継いだ彼女を曖昧にさせるほどに、起きた事件がすさまじかったせいだ。

 スノウの想いに応じるように発生しかけた《スピンドル》の暴走を押しとどめるため、アシュレは自らの《ちから》を振るった。

 ふたりは《スピンドル》同士の接続をふたたび体験した。

 アシュレは湯船からスノウを抱き上げると、そのままベッドに組み伏せた。

 もちろん、スノウを助けるためだ。

 いっぽうでスノウのほうは……どうだったのか。

 だんだんと鮮明になり時系列が修復されていく記憶を遡るうちに、ひどい赤面が襲いかかってくるのを感じた。

 泣きじゃくって叫んだらしい、のだ。

 思いの丈を。

 いや、もっと過激なことまで口走ったらしい。

 勢いというのはおそろしいものだ。

 だが、その懇願こんがんをアシュレは無言で受け流した。

 優しく抱擁するだけで、ひたすらにスノウを救おうとするだけで。

 いちばん最初、《スピンドル》を繋げたあの日のように。

 固く繋がった《スピンドル》を介して流入してくる心の温かさに、スノウは手酷く泣かされてしまった。

 こんな大事のしかたってないよ、と。

 そして、その理解に同調するように《スピンアウト》はゆっくりと勢いを失い、やがて嵐が凪ぐように世界は静かになった。


 それを確認して、アシュレは昏倒した。

 《ちから》を使い過ぎたのだ。


 ただ、やりとげた男の口元には微笑みだけが浮かんでいる。

 子犬みたいなふわふわの頭髪に、寝癖がついている。


 スノウは胸の奥にいつもの苦しさを覚えた。

 眠りこけるアシュレの頭髪をかいぐる。

 自分の想いをぶつけたとき、その反響から憎からずは想ってもらえているのだということをスノウは再確認した。

 むしろ思いの丈をぶつけた分、ちゃんと意識してもらえるようになったことがわかった。

 あと、女性としての魅力をアシュレがスノウに感じていないわけではない、ということも。

 それはなんというか彼の肉体的な反応にも現れていた。

 そのうえで彼はスノウに指をつけなかった。


 要するにアシュレは自分自身の肉欲からも、スノウを守ったのだ。

 自分を大事にしろ、というアシュレの言葉を思い出して、またスノウは泣かされてしまう。


「くそう……ちょっとカッコ良過ぎるんですけど。わたしの騎士さまは」


 悪態と涙が一緒に出た。

 でも、さきほどまでのように《スピンドル》は暴走しない。

 まだ緩やかに繭のようなカタチを成して、ゆっくりと揺れながら水中でワルツを踊るようにふたりのそれは回転を続けている。

 その律動があまりに心地よくて、アシュレの体温と匂いに安心して、スノウはまた微睡みに捕らわれそうになった。


 ドスッ、という音とともに、なにかが勢いよくベッドに腰かけたのはその時だ。

 えっ、と思わずスノウは目を見開いた。

 そして、震え上がった。

 いた。

 その背中に隠しようのない怒りのオーラを身にまとった女が。

 あの特徴的な宝冠:アステラスは頂かず、ノンスリーブの簡素な部屋着一枚ではあったが、それが逆に彼女の美を際立たせていた。


「シ、シオン……さん」

「ほう……シオンさん・・とは貫録ではないか。いつのまにオマエからさん・・づけされるような間柄になったか、我らは」

 低い低い地の底から響いてくるような声で夜魔の姫は言った。

「シオン、こ、これは……」

 あの、その、とスノウは言い訳しようとしたがなにひとつ言葉にならない。

「んー、どうした。釈明せんのか?」

 対するシオンの言葉遣いは抑揚がなく、静かで、ゆっくりだった。

 恐ろしいくらいに。

 ひゃ、と喉から悲鳴が出てしまうスノウである。


「こ、これは、なんにも。なんにもなかったです! なんにもやましことは!」

 そのなんにもなかったはずの男に一糸まとわぬ姿で抱擁され、あまつさえ《スピンドル》を繋げたままでの姿でスノウは必死に経緯を説明しようとした。

「そうであろうな。わたしはアシュレを信じているし、たとえもしオマエとの間になにか・・・があったとしても、彼の意志による選択であるのならば受けいれる覚悟をして生きてきた」


 当のアシュレはといえば本当に《ちから》を使い切ったのだろう。

 すうすうと子どものような寝息を立てて眠っている。

 狸寝入りでないことは完全に弛緩しきったその様子から明白だ。

 やましさなど微塵も感じられない。

 ゆっくりと首だけで振り向いて、それを確認したシオンは微笑みを浮かべた。


 このとき夜魔の姫の口元に浮かんだ笑みは、きっとアシュレに対する愛情に起因するものだったはずなのだが、スノウには死神の死刑宣告としか映らなかった。

 ふだんは他者を「そなた」と呼ぶシオンが、このときだけは「オマエ」とスノウを呼称したのもまたそれに拍車をかけた。


「しかし、オマエのやり方だけは許せん。子供が駄々をこねるようにして相手の優しさにつけ込む手管。愛は自らをなげうって与えるものだ。ねだるものではないぞ」


 ねだるというのは強請ゆする、と同じ綴りだと知っているか? 

 暗闇で金色に光るシオンの瞳に射貫かれ、スノウは全身の血が凍りつくのを感じた。

 なにか言わなければならないことはわかっているのだが、舌が喉の奥に張りついて動かない。

 その様子にシオンはこんどはカラダまで向き直り、ベッドの上に這い登ってきた。

 四足の強襲型生物プレデターそっくりの動き。


「そういうやり方で、オマエが居場所を得ようとするのであればアテルイやアスカリヤ殿下、そして──イリスに成り代わりわたしがオマエを処断する」


 これは冗談ではない、とシオンの瞳が言っていた。

 ひいっ、とスノウの喉からまた悲鳴が上がった。

 だが、その姿にシオンは微笑んだのだ。

 そう思っていたのだが、と付け加えた。


「そう思っていたのだが……ハッキリ言葉にしたものだな。部屋の外まで丸聞こえであったぞ。ちょっと状況と勢いに土蜘蛛の姫巫女たちの力を借りすぎとも思うが。ふうん、そういうつもりであればこのシオンザフィル、正々堂々と受けて立とう」

「えっ、えっ、えっ」


 あまりのことにスノウはさらに戸惑った。

 というか、わたしの慟哭を聞いた? あの内容を聞かれた? シオンに?! 衝撃がすご過ぎて頭が真っ白になる。


「いやあ、なかなか言えるものではないぞ。わたしを使って。わたしをあなたのものに。わたしを──」

「わあああああああああああああっ! 言うな言うな言うなーッ! 忘れて、忘れて、忘れてーッ!」

「騎士さま。わたしの騎士さま──」

「うわあああああああああああッ?! 死なせろ! 死なせろ! 殺せーッ!」


 スノウの口調をまねるシオン。

 いっぽうの本人は悶絶して転げ回る。

 その様子に夜魔の姫は声を上げて笑った。


「これはしばらく楽しめるな」

「忘れろっていってるでしょ!」

「それは無理な注文だ」


 涙目で訴えるスノウにシオンは自分の頭をコンコン、と指さして応じた。

 夜魔の特性は完全記憶。

 くそう、とスノウは歯がみする。


「で、どうだったのだ、その騎士さまは。オマエの想いを受けいれて、応じてくれたのか」

 ひとしきり笑ったあと、これまでとは一転、ごく軽い口調でシオンは訊いた。

 ぐっ、とスノウは言葉に詰まる。

 答えが表情になっていたのだろう。

 はっはっはっ、とシオンはまた快活に笑った。

「なによ、おかしいッ?!」

「ああ、おかしい」


 ひきひきひきっ、と表情を強ばらせるスノウにシオンはまた噴き出した。

 それから言った。


「だが、まるきり脈がないというわけではあるまいよ。そなたがもうすこし大人になったら……あるいはわからん」

 これまでも見たこともないような優しいまなざしで言われて、スノウの息は止まってしまった。

「アシュレがそなたを拒んだのは、そなたのなかにある騎士への憧れを己への想いに利用してはならんと考えているからなのだ。そなたが本当に想っているのは理想の騎士であって、アシュレではない。役に立って認められたいというのは──わたしを使ってください──などという言葉の裏側にはそういう想いが潜んでいる」


 シオンの言葉はおだやかで、だからこそ真理に届いていた。

 図星を突かれて言葉を失った少女に、シオンは続けた。


「王や重臣であれば、あるいは兵卒を率いる将軍であれば──そういう若者の憧れを利用することもできなければなるまい。しかし、アシュレは……この男はそなたをそういうやり方で己の道具にはしたくない、と言っているのだ」

 他者であるアシュレの心のありさまについて語っているはずなのに、シオンの言葉には恐ろしいほどの説得力があった。

「なんで……なんでそこまでわかるの」

 対抗心などからではなく、完全に無意識にスノウは問うていた。

 シオンが微笑みを広げる。

「わたしはこの男と心臓を共有している。いや、それだけではない。ときには《魂》すら共有する。だが、そんなものなくとも、わかるのだ」


 圧倒的確信に満ちてシオンは告げた。

 その静かだが揺らがぬ自信が、なにに裏打ちされているのか理解してスノウは泣きそうになってしまう。


「それじゃあ……敵わないじゃない、永遠に。わたしの想いなんか届くわけない」

 そして、それは事実だからこそ、スノウにとっては絶望として作用するのだ。

 だが、シオンはそんな半夜魔の娘を笑い飛ばした。

「想い、想い、と大層な。そんなものになんの意味がある? わたしとアシュレとの人生が、あるいはアスカリヤ殿下と、アテルイと、イリスのそれが重なったのは想いがあったからではない。それぞれがそれぞれの場所で最善たれと思い悩みながら下してきた決断と行動が、我らを結びつけたのだ」


 シオンの顔に厳しさが戻った。

 射すくめられるような眼光に、スノウは反論を失う。


「転じて、そなたはどうだ? 駄々をこね、ねだるばかりであったではないか。いったいどんな行動を、行いをした? そなたがわたしやほかの女たちに負けているのは想いではない。そなた自身の行動が、生き方が、そもそも恋敵としての舞台にすら上がっていないというだけのことなのだ」

 ぐうの音もでないシオンの言葉に、じわり、とまた涙がこぼれそうになるのをスノウは感じた。

「でも、それじゃあ、やっぱり……」

「どのよう生きるかは、そなたが決めろ。ただし、苛烈に生きることを選んだ者たちを、苛烈に生きることなしに羨んだり謗ったりすることだけは許さん。それは苛烈にしか生きることを許されなかった者たちへの侮辱だ。そういう卑劣さをわたしは最も嫌う。憎悪していると言ってもよい。きっとアシュレに心寄せた、ほかの女たちもそうであろうがな」


 ずい、と恐ろしいほど美しい真性の夜魔の姫君の瞳が、睫毛が触れあうほどに近づいてきた。

 それから、桜色の唇が動いた。


「この計画──王の入城キャスリングを受けいれるということはつまり、その苛烈さに匹敵しようと己も生きるということだ。もはや後戻りのできぬ、そういう生き方を選ぶということだ」


 その覚悟が本当にあるのか。

 シオンの瞳は、無言でそう問うていた。

 スノウはその圧に堪え切れず、ぎゅっと目を閉じた。

 数秒、恐怖に震える。

 だが、怯懦を振り払うようにしてふたたびまぶたが開けられたとき、スノウの瞳には強い《意志》の光が宿っていた。

 無言で頷く。

 その様子に、シオンもまた深く首肯する。

 それから言った。


「で、あれば、わたしとそなたは今宵から運命共同体となる。色恋に関しては便宜ははからんが、戦場において、わたしはわたしの命にかけてそなたを護ろう」


 夜魔の姫からの宣誓にスノウは目を見開いた。

 どうしてそこまでしてくれるの、というそれは問いかけだ。

 するとシオンは唇を笑みのカタチにした。

 呆れたような──苦笑。


「しかたがない。我が主、わたしの真の所有者が、そなたを大事に想っているのでな」

 と、シオンが告げた直後だった。

「どうやらお話はまとまったみたいですね」

 こんどは天井からも声がした。


 スノウは弾かれたように宙を見上げた。

 ゆっくりとシオンもそれに倣う。

 それから言った。


「依然として、わたしは気乗りせんがな。このイズマの作戦には。だが、はかりごとにおいて、そなたたちの右に出るものはいないのも確か。特に今回の相手は一筋縄ではいかんだろう。それに聞けば、いざというときのための保険のようなものでもあるようだし。本人もやる気のようだ。しかたがない。任せるよ、土蜘蛛の」


 その残響が消え去らぬウチに、暗闇からふたつの人影が舞い降りてきた。

 ほかにだれあろう、土蜘蛛の姫巫女:エレとエルマである。


「えっ、えっ、えっ?! ナンデ、ナンデ、ナンデッ?!」

 狼狽するスノウ。

 現在のこの状況というのはアシュレとの一部始終を天井からすべて目撃されていたのと同義であるので、まあその気持ちはシオンにもわからなくはない。

「どうして、どうして居るの、ココに?! えっ、いつから?! いつからいたの?!」

「最初から、バッチリ。スノウさんがフラれるところまで、ぜんぶ」

「そんな、どういう、どういうことなの?!」

「そなたの言動は最初から筒抜けであったということだろうな」


 めまいがした。

 エルマとシオンの発言にスノウの精神はサンドバックのように殴打されている。

 ガードとかスウェーとかダッキングで防御するとかどうとかいうレベルでなく、もうフラフラだ。


「勘違いするな。オマエの色恋や逢瀬に協力しているんじゃわたしたちはないんだぞ。作戦だ。イズマさまの計画を遂行するために、オマエを監視していただけだ」


 エレにトドメを断言されるに至り、スノウは口から意識体が抜け出るのを感じた。

 そして、スノウの悲嘆などまったく斟酌しんしゃくすることなく現実は進行する。

 なぜって作戦だからだ。


 それでは始めましょうか、というエルマの言葉が合図だった。

 王の入城キャスリングのための儀式、その手技が始まった。



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