■第三〇夜:心の騎士(上)
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「あっはっはっ、そいつぁ災難だったね、アシュレくん」
「笑いごとじゃないですよ、イズマ。ほんッとに大変だったんですから!」
アシュレからの報告を聞き終えるや否や、イズマは天を仰いで爆笑した。
くっくっくっ、と顔面を押さえて笑う。
いっぽうのアシュレはといえば、怒りと呆れのないまぜになった複雑な表情で溜息をつくばかりだ。
「でも、結局うまく仕留めたんでしょ。すごいじゃない。閉鎖回廊の外で、あんな獰猛なモンスターをひとりで倒したなんて。なかなかできることじゃあないよ」
「いや、だから、それはアスカのおかげと……」
勝因について言及しようとして、思い当たるところがあったのだろう。
アシュレは不満げに口を曲げ言葉を飲み込んだ。
「んー?」
イズマがその顔を覗き込む。
「いや、たしかにお世話になりましたよ、イズマから貸してもらったあの竜皮の籠手に。あれがなければ、とんでもないことになっていた。あれ以外にどういう勝ち筋があったのか。正直、ほかの手を思いつけたかどうか……」
「そんなこたあないよ、アシュレ。前にボクちんが言った通りじゃん。それがキミの勝ちかたなんだよ。使えるもんはなんでも使って勝ちを拾う。いいんじゃない」
奇策・機略を用いて敵を下すこと指して、ふたたび「キミのやりかた」と評されたアシュレは微妙な表情だ。
たしかに騎士としては納得しがたいところもあるのだろう。
そんなアシュレの心中を見透かしたようにイズマは続ける。
「まず第一に竜皮の籠手:ガラング・ダーラが《ちから》を貸すってのが、奇跡なんだよ。こんなに一度に多数の《フォーカス》に認められる男はなかなかいないんだ。そいつはキミの授かったギフトなんだぜ。わかってると思うけど、格上になればなるほど《フォーカス》ってやつは認めた使い手以外を拒むんだ。ただの道具とは違う。気位の高……貞淑な女性みたいなもんさ。それなのに、キミはその拒絶をことごとくすり抜ける。ローズ・アブソリュートだって例外じゃなかったじゃないか」
生まれながらにして《フォーカス》に愛されてる、というか。
そこまで言って、イズマはニヒヒと笑った。
「スケコマシ体質というか」
「イズマ!」
一応、怒ってはみせたものの、アシュレの心中はなかなかに複雑だった。
たしかに、自分はこれまで《フォーカス》に拒絶された経験が極端にすくない。
賜物と言われたら、それはそうなのかもしれないが。
例外としては漂流寺院でのローズ・アブソリュートくらいのものか。
あの夜、仲間の窮地を救うため《スピンドル》を叩き込んだアシュレの拳を、青き花弁をまとう荊は竜皮の籠手越しに傷つけた。
あのときは竜皮の籠手:ガラング・ダーラが破損したように錯覚したけれど、実際に傷を負っていたのはアシュレの肉体だけだった。
調子に乗るな、と聖女にたしなめられたような、そういう思いを味わったものだ。
スケコマシという評価を、心の底からは言い返せないかもしれない。
だが、むむむ、と黙り込んだアシュレをフォローしたのもやはりイズマだった。
「でも、その《ちから》はマジで大事にしたほうがいいよ、アシュレ。なにか、どこか、すごい局面で必ず切り札になる。地味に見えて、ここにいる戦隊のだれもが持ち得ていない特殊な才能なんだからね、ソレ」
諭されたアシュレはイズマを見る。
土蜘蛛王の口調は相変わらず軽かったが、目は笑っていなかった。
「まあそれはそれとして、だよ。大胆だなあ、最近の若いコは。言っとくけど、うっかり死ぬヤツだよ、今回の作戦」
とりあえず、アシュレには重要な事柄を伝え終えたと思ったのだろう。
イズマは話題を振り替えた。
神出鬼没・想定外を地で行く土蜘蛛の王をして「大胆だ」と評させたのは他でもない。
スノウ、その密航についてである。
議論の場となったのは食堂の大テーブル。
身分を偽り東方からの商人としてヘリアティウムへの潜入を果たしたイズマは、まず拠点として坂の上に位置する邸宅を借り上げた。
旅籠などよりもよほどプライベートな空間が約束されるこのやりかたは、たしかにさまざまな意味で優れている。
秘密を守る、という観点からも実に手慣れたイズマの下準備だ。
よく考えるまでもなくこんな話題をどこかの酒場で繰り広げていたら、いくらなんでも衛兵たちに捕まってしまうからだ。
砕けた調子で話題を変えたイズマはイスの上に片足を上げる行儀悪い格好に座り直し、喉を鳴らしてエールを飲み干した。
その背後ではバートンとノーマンが調理に忙しい。
港から移動したアシュレたちは、浴槽で塩気を流し、詳しい報告会を設けた。
まずはアシュレたちの番である。
当然というかなんというか話題の流れはどうしても予期せぬ闖入者=スノウのことになる。
来たか、という感じでアシュレは溜息まじりに返答した。
珍しく言い訳口調なのだが、それもやむを得まい。
「そこはボクも言ったんですけど……危険過ぎるって。でも日程も迫っていたし、追い返すわけにもいかなくて」
「ちょっと! あのときボクから離れるな、って言ったのアンタじゃない!」
そこに噛みついたのは、これまで黙り込んでいたスノウだ。
ちなみにテーブルの下の左手は、指先でひっそりとだが固くアシュレのシャツを掴んでいる。
そんなふたりの様子をアシュレを挟んだ対岸から、シオンがジト目で覗き込んでいる。
イズマの両脇には呆れ顔のエレ、なぜか満面の笑みでニッコニコのエルマが控えている。
「いや、たしかに言ったけど……ああでも言わなきゃ、キミは《スピンドル暴走》で死んでいたかもしれないだろ」
アシュレは船倉でのあの夜の出来事を思い出して深く息をついた。
インクルード・ビーストを退けたシオンたちが異変を察知して駆けつけたとき、アシュレは己の胸に展開させた《スピンドル》を用い、スノウのそれに正常な回転を与えるべく孤軍奮闘していた。
「シオン! エルマさん! 未熟な《スピンドル》の覚醒だ。このままじゃ、彼女の命が危ない! ボクがやる! 手を貸してくれ! スノウ、ボクから、ボクの《スピンドル》をしっかり捕まえるんだ! キミのそれで捉えて!」
固く互いの《スピンドル》を結び合わせたまま、アシュレは叫んだものだ。
まさかそこから一昼夜の間、スノウと《スピンドル》を繋げっぱなしにしなければならないことになるとは……さすがに予想だに出来なかったわけだが。
「だ、だれも、助けてくれとか、言ってないし!」
「ムチャクチャ言うなよ。《スピンドル》のコントロールができなくなって、息も絶え絶えな女のコが倒れてたら、ふつうは助けるだろ?! キミは死ぬところだったんだぞ?!」
それで助けたらこの調子である。
いったいどうすれば良かったのか。
考えても、あの場で採り得たほかの最適解など思い浮かばない。
「あーそうだった、そうだった、アンタってそういうヒトよね。女のコだったら、だれでも助けるんだった! そーやって心のなかに踏み込んで、全部、覗いて!」
突如として発生した小生意気な妹に閉口する兄の表情で、アシュレはイズマを見た。
ははあ、となんとなく成り行きを察したイズマは曖昧に笑う。
「まあ、アシュレくんはそういうタイプだよね、たしかに。さっきも言ったケド」
「ちょ、ちょっとイズマ!」
「関わり合い持っちゃった女のコを見捨てられないもんなー。美徳っちゃあ美徳なのかもだけど、そりゃあヤッパリ、スケコマシ体質でもあるってことなんじゃないかなー」
イズマからのふたたびの評価に背後で調理を進めていたノーマンと、出来上がった前菜をサーブしてくれていたバートンが同時に噴き出した。
「ちょっ、ノーマン、なんで?! バートンまで、ひどいよ!」
慌てふためくアシュレの様子がさらに笑いの輪を広げる。
呆れ顔だったエレまで口元を拳で押さえて、苦笑いしている。
笑ってないのは、慌てる当の本人。
テーブルに身を乗り出すようにしてスノウを睨むシオン。
そして、スケコマシ体質という単語に激反応して刺すような視線をアシュレに向けるスノウだけだ。
「それで、結局、スノウちゃんの《スピンドル能力者》としての開花は上手くいったの?」
笑いながらエレにエールを注ぎ直してもらいつつ、イズマが聞いた。
「あー、それがですねえ」
「え、なに、まさかなんかまだあんの、問題が」
アシュレの曖昧な表情に、傾けかけた杯を戻してイズマが訊いた。
口を半開きにし、片眉を跳ね上げたあの表情だ。
「そのう、ええとう……《スピンドル》そのものは使えるんですけど……最初の始動と最後の停止をしてあげなくちゃいけない、というか」
説明するアシュレの瞳は半目だ。
「まだときどき、発作を起こすというか」
「ああ、まだ導線が未熟なんだねそりゃ。出会ったばかりのころ、ボクちんもしてあげたよねアシュレに。ははあ、そういうことか」
たしかにそうだった、とアシュレはイズマとの出会いを思い出す。
《閉鎖回廊》と化したイグナーシュ王国の暗い夜、ユーニスや部下たちをはぐれ、追いつめられ疲弊したアシュレにイズマは《スピンドル》のトルクを貸してくれた。
もちろんあれはアシュレの《スピンドル能力者》としての覚醒が中途半端だったわけではなく、更なる、もっと圧倒的に効率的な使い方のレクチャであったわけだが。
「まあ、良くあることだよ。じゃあ、ボクちんが回しかた教えてあげよか? これまでの道のり大変だったんでしょ、スノウちゃんも? アシュレくの指導なんかより、もっとずっと丁寧に、濃厚なかんじで……今晩にでも、どお?!」
途端にニヤケ面になり襲いかかる獣のポーズを取ったイズマを、すかさずシオンの拳骨が撃ち抜いた。
いっぽうで、スノウは怯えたようにアシュレに固く身を寄せた。
潰れた饅頭のような顔になって倒れたイズマは、しばらくして顔面を復帰させテーブルに這い上がってきた。
「な、なぜ、姫……」
「話を最後まで聞かんか」
どうして自分が一撃されたのか理解に苦しむイズマに、シオンは冷然と言った。
「話してやれ、アシュレ」
不機嫌丸出しの口調でシオンが促す。
なぜだか、ものすごい緊張感を感じてごくり、とアシュレは唾を飲み込んだ。




