■第二十七夜:シルバーバレット
小型とはいえアシュレを襲ったインクルード・ビーストは、全体重にして五〇〇ギロスに達する。
その突撃は軍馬のそれを受けるに等しく、板金鎧さえ噛み砕く顎門による攻撃は人体などやすやすと切断する。
あるいはその桁外れの膂力でもって、人間の四肢を根元から引きちぎることさえ可能であっただろう。
事実、予備武器であるダガーを引き抜こうとしたアシュレの右手をその口腔に捕らえたとき、インクルード・ビーストの醜悪な獣面にはこれから起きる血と絶叫の饗宴への喜悦がありありとうかがえた。
だから、理解できなかったであろう。
誇りあるオスの成獣として己の誇る最大の武器である牙が人類の肌に突き立つこともかなわず、弾き返されたという事実が。
そして、なぜ、と問う時間さえ自分には残されていなかったことも。
ドンッ、という轟音が船倉の澱んだ空気を切り裂いた。
閃光と爆発。
次の瞬間には、アシュレの右腕に牙を立てたインクルード・ビーストの頭部が頚椎部分にかけてまで爆砕され、消し飛んでいた。
下アゴだけが残された頭部の奥から力なく垂れた舌が、だらり、と床を舐める。
一拍あって、獣の巨体がどうと倒れ込む。
血飛沫は遅れて噴いた。
アシュレは獣に捕われていた右腕を引き戻すと手首を撫で、調子を確かめた。
長袖のシャツは無残に裂け、もはや使い物になるまい。
しかし、その内側にあったアシュレの腕は完全に無傷だった。
もちろん素肌ではない。
アシュレの右腕から肩にかけてまでを覆っていたものがあった。
竜皮を用い作り出されたという籠手:ガラング・ダーラ。
群青の空を思わせる色彩を持つ古の土蜘蛛たちの宝物が、アシュレの窮地を救ってくれたのだ。
いや、救ってくれた、という受け身の表現では語弊があるかもしれない。
この事態を予見し、あらかじめ衣服の下に竜皮の籠手を仕込んでおいたのは、ほかならぬアシュレ自身なのだ。
狭い船内での探索行だ。
なんらかの戦闘状態に陥ったとき格闘戦に及ぶ可能性が高い、と判断した。
そのとき、右上半身を堅固に守る武具の存在を可能な限り隠蔽していることには大きなアドバンテージがある。
そう考えた。
そして、それは実戦で立証された。
得物を失い、腰の予備武器に手をかけようとした動作。
そこに、意識を逸らす隙。
このチャンスを手負いとなったインクルード・ビーストは見逃さなかった。
残忍な性の導くまま、もっとも陰惨な死を自らの右手を損ねた敵に与えてやろうと考えた。
そのすべてがアシュレの仕掛けた罠だとは、思い至りもしないで。
「敵の思惑を、したいようにさせない、ってのはまあ戦術的にはセオリーなんだけどさ」
リハビリを兼ねた格闘戦の講義をしながら、イズマは言ったものだ。
トラントリム攻略後、合流してのちの話である。
「逆に言えば、そういう思考を持ってる相手にはそここそ罠の仕掛け所だ、とも言えるわけなんだよね」
かつて、シオンには投げ飛ばされ、イズマには地に這わされ、格闘戦に関してはバカ正直過ぎるという評価を受けたアシュレである。
しかし、立て続けに経験した想像を絶する戦いが、己の優しさに縛られていた少年を卓抜した戦士へと成長させていた。
「それは……相手にわざとこちらの意図を報せる、ってことかな?」
「おっ、さすが元聖騎士。伊達にエクストラムのアカデミー出身じゃないね。そうそう、戦争ではよくやるでしょ、情報をわざと流して相手の動きをコントロールするやりかたは」
訓練の合間、砂場にあぐらをかいて座り込みアシュレはイズマとよく問答した。
「よく……は、やらないと思うけど……たしかにそういう手を使うことも習いました」
「ありゃ? 人類圏の戦争って単純なのかな? まあいいや、でもそういうこと」
それを個人技の応酬のなかにも織り交ぜていく、ってことだね。
砂場に指でなにごとか書きつけながら、イズマは言った。
「でも……矢継ぎ早に繰り出される攻撃と防御の応酬の最中に……そこまで頭を巡らせることができるかなあ。イマイチ自信がないや」
「そうかい? アシュレって人間にしては、けっこういつも突拍子もない戦い方をしてるほうだと思うんだけどなあ。武器戦闘ではうまく使ってるじゃない、フェイントや盾で」
心もとなげに呟いたアシュレを、イズマが珍しくフォローした。
「あれは、なんていうか、それまでの訓練もあるし」
「戦術のほうは訓練だけじゃどうにもならないっしょ。姫から聞いたけど、ジャグリ・ジャグラを使ってユガディールってヤツをぶっ飛ばした策なんか普通じゃないぜ? というか、まさにいま言った通りじゃないか。敵が掌中に収めたいと思うものにこそ、罠を仕掛けておけばいいんだよ。この例だと、姫にね?」
そしてそれはなにも戦闘の最中の駆け引きで仕掛けなくちゃいけないって話じゃないんだ。
イズマの言葉に、アシュレはしばし考え込んだ。
それほど時を置かずして、なるほどそうか、と閃く。
「それって……そうか、相手が素手や足で攻撃してきそうな場所に鋼鉄製の防具を忍ばせておく、とかそういうのでもいいのか」
アシュレのつぶやきに、ソレッ! とイズマが指をさした。
「達人たちの虚々実々の動きに迫ることは、一朝一夕に出来ることじゃない。どんなに真面目に修業を繰り返してもね。でも、頭を使うことで可能になる工夫はいくらでもあるんだ。戦闘も戦争も競技じゃない。事前にいくら仕込みをしてても、かまわないんだ」
もし、そういうのが向いていると思うなら。
「それがアシュレダウという男の戦い方、なのかもしれないね」
イズマが真顔で言った。
そうかもしれない、とアシュレは頷いた。
「姑息なやりかたかもしれない。だけど」
言いながら納得したアシュレの様子を混ぜっ返し、イズマは立ち上がる。
「そう。アシュレの言う通り、姑息なやりかたさ。でも手札を伏せていること。準備を怠らないこと。どちらも、とっても大事なことだと思うよ」
特に、ここから先、ボクちんたちが挑む世界では。
土蜘蛛の王はそう言って微笑んだものだ。
そして、その教えの通りにアシュレはした。
インクルード・ビーストが躍りかかってくる直前。
アシュレはダガーではなく、砂利ほどの大きさの銀球を数個、その手に握りこんでいた。
中央に穴を開けられたそれは紐で束ねられ、アクセサリーめいて腰に結わえ付けられていものだ。
アシュレはダガーを引き抜く振りをして、この銀球を掌中に隠した。
これはイズマと訓練した指弾の弾丸だ。
アシュレの技術ではまだまだ敵を打ち倒すとまではいかず、顔面などを狙い虚をつくのが精一杯というところだが、竜皮の籠手:ガラング・ダーラとの組み合わせにより即席の飛び道具として用いることが可能でもあったのだ。
しかし、このときアシュレには別の閃きがあった。
それは奇しくもインクルード・ビーストとのはじめての遭遇において、アシュレが竜皮の籠手:ガラング・ダーラを用いて放った技であった。
炎熱爆流弾。
あのときアシュレはシオンを庇いながら、川底の丸石を弾体にその異能を振った。
竜皮の籠手:ガラング・ダーラによって収束され伝達された《スピンドル》により、弾体となった石塊は高熱の瀑流となって敵を打ち据えた。
結果としてインクルード・ビーストに大ダメージを負わせはしたものの、仕留めるには至らず、窮地に追い込まれることとなった。
駆けつけてくれたアスカの助力がなければ、どうなっていたか、わからない。
だが、アシュレはその技を無価値と見なしたわけではない。
あのとき決定打にできなかったのは、技のせいではなく、純粋に使用者である自分が敵の能力を見誤っていたからに過ぎないと結論していた。
インクルード・ビーストの誇る強大な防御能力と恐るべきタフネスを前にしては、外部からの生半可な攻撃は逆にこちらの消耗を招くだけ。
付け加えるなら閉鎖空間、それも可燃物の積載された木造建築での使用などもってのほか。
で、あれば、内側からこれを灼くのみ。
敵だけを、身の裡より破壊するだけ。
周辺環境が使用を制限していると敵が考えるなら、なおのことにそれは効果的な攻撃だ。
あえて、右手を食らわせ、その掌中に呑んだシルバーバレットを解放する。
それがアシュレの思惑であった。
獣はその思惑にまんまと乗せられた。
誘いを誘いとも疑うことなく喰らいつき、破滅したのである。
 




