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■第十二夜:姫殿下のメランコロ(下)

 

「いいか、おまえたちっ! 間もなくヘリアティウムは戦場になるんだぞっ。我らが砂獅子旅団がトラントリムを落したことで陸路の安全が確保された以上、オズマドラの主力部隊の前進を阻むものは、もはやなにもない!」


 酔いを隠そうともせず、アスカが指さして言った。

 アテルイの次に捕まったのはアシュレだ。

 

 横に座っていたシオンとスノウは呆気に取られたが、エルマはスッ、と料理の皿を引いてアスカのための進路をこしらえてやった。

 おかげで間合いは一気に詰まる。

 にゅっ、とアスカの手がアシュレの襟首に伸びた。


「わが軍の攻城戦を体験したことはあるのか、アシュレッ! こう十万からの軍勢が、ぐわー、と城塞の周りを取り囲んで、全方位から雲霞うんかのごとく襲いかかるんだぞ?! 敵陣の中枢部だけを叩くおまえたちの対オーバーロード戦術みたいな、おキレイな戦法とは違うんだぞ! 蹂躙じゅうりん戦だ!」


 この時代の大国同士の会戦が一万から二万という兵力でのぶつかり合いというレベルだ。

 十万から二十万の兵力を投じてくるオズマドラの戦法を、蹂躙じゅうりんと表現したアスカの言葉は酔っぱらいのセリフにしても、誇張しすぎとは言えない。


「いや、そこまで本格的な侵攻はさすがに体験したことないけど……凄まじいものだ、っていうのはノーマンから聞いてるよ、うん」


 たじたじとなりながらもアシュレはなんとか答える。

 だが、アスカは追及は止まない。

 言葉でもそうだが、アシュレは物理的にも締め上げられる格好だ。


「いいや、おまえは我が軍のほんとうの《ちから》をしらんのだ! だから、こんなときにヘリアティウムに飛び込んで行こうとか、そういう無謀な作戦を立案するんだ!」

「む、無謀……う、うん、それはそうかもなんだけど……わりといつも無謀というか……無茶と無理を通さなくちゃ切り抜けられないことばっかりだったから」


 勢いに押され言い訳つつも、アシュレはアスカの語る攻城戦に思いを馳せる。

 

 たしかにオズマドラ帝国の人海戦術の凄まじさは、エクストラムにあってもあちこちから聞こえてきたし、仮想敵国ナンバーワンとしてアカデミーでもずいぶんと研究されてはいたのだ。

 だが、実学的な意味ではノーマンからの教えに加えて、ここひと月あまりの砂獅子旅団での学びがある。


 アスカ不在の間、療養をしながらもアシュレとノーマンは客分としてオズマドラの練兵を見学し、自由に意見交換することを許されていた。

 普通は許されないことだが、アスカの身辺を守る砂獅子旅団の面々──特に深手を負い同じく治療中であった女大剣使いコルカールや旅団の財布を任されるティムールが、トラントリムでの戦いぶりを伝えてくれていたおかげか、どこへ行ってもふたりは勇者として遇された。


 信教を違えることと、勇者としての扱いは矛盾しない。

 尊敬は敵味方を超える概念だからだ。


 砂獅子旅団の兵たちは胸襟を開いて語ってくれた。 

 なかでも、カテル島包囲戦の従軍者の話を聞くことができたのは、大きな収穫だ。


 その男はむかし、工兵をしていたのだそうだ。

 だが、片足を失う怪我を負い、兵役を退き荒んだ暮らしをしていたところを、アスカに拾われたのだという。

 いまでは砂獅子旅団の工兵部隊の棟梁とうりょうである。

 

「当時はまだ、大砲も大したことがなくてねえ。旧式のヤツは大理石の弾丸を飛ばすしかできねえし、数発撃ったら砲身が破裂するしで、さんざんでさ。それでも、それを使って必死に戦うんだ。音だけでも相手はすくみ上がるし、馬どもの足並みも乱れるし、キチンと敵の戦列に放り込めたらまあ縦一列になぎ倒せるしな」


 噛みタバコのヤニで黄色に染まった歯を剥き出して、男は笑った。

 初期の大砲は大理石を削って作られた弾丸を飛ばすだけの、いわば投石器の炸薬使用版、と言った方が正しい。

 着弾後爆発するタイプの弾丸は、この当時の戦場ではまだ使用例がなかった。


「ところがカテル島の戦いは、そんなに甘かァなかった。向こうは騎士でも数百名、従者を勘定にいれても一五〇〇人にも満たねえ。そんな守備隊が守る城塞を、さっぱり落すことができねえんでさ。オレたち寄せ手は十万もいるってえのに、ですぜ? 城壁に大砲を撃ち込んでも、チンケな弾丸じゃあビクともしねえ。ありゃまいったね。それでしょうがないから、城壁の下に穴を掘って──地雷ってヤツでさ。それで吹き飛ばそうとしたんだけれども……コイツもどういうわけか察知されちまう。しかも、向こうから凄い速度で穴を掘り返してこっちの出鼻を挫いてくる。正直、たまらんかったよ。お手上げだった」


 酒を差し入れに持って行くと、棟梁とうりょうは事実と虚構を巧みに織り交ぜ、面白おかしく、じつに機嫌よく話してくれた。

 そんな話の途中でノーマンが首をかしげ、なにか記憶を遡るような顔をする。

 棟梁とうりょうの方も、ニヤリと笑う。

 

「たしか、ノーマンの旦那は浄滅じょうめつ焔爪えんそう:アーマーンの使い手だとおうかがいしやした。もしかすると……」

「穴蔵のなかで対岸に見た顔かもしらん……な、それは」


 ガッハッハッ、と棟梁とうりょうは笑い、それから言った。


「そりゃあ、あたしらごときじゃあ勝負にならんわけですぜ。だが……こんどはこっちも負けてねえ。《スピンドル能力者》さんの才能には逆立ちしたって凡人はかなわねえが、努力と発想だけならなんとかなる。あとはそれを実現してくれる上のひとの理解と金の《ちから》ですがね」


 さすがにそれ以上は軍事機密に触れるのだろう。

 棟梁は話を濁したし、ノーマンも追及はせず、酒を酌み交わすに留めたが、アスカの口ぶりからこれまでの戦争と来るべきヘリアティウム攻略戦が一線を画すものになるのだろうという気配は、このときからもう、ふたりとも感じてはいた。


 事実、新兵器である大砲と銃器の発展は凄まじい。

 特に、オズマドラ帝国は大砲と銃器の開発、配備に関しての急先鋒だ。

 オーバーロードを相手取る《閉鎖回廊》での戦いはともかく、人類同士の争いのカタチはこのままいけば、ごくわずかの年月で激変するのだろうという予感がアシュレにもある。


 いっぽうで、そのオズマドラが標的に定めたヘリアティウムだが、北面から西面にかけては西方世界最強と言われた城塞に守られている。

 良港に恵まれたゴールジュ湾の防御さえ完璧であれば、流れの早い南の海側から背後を突かれる心配はほとんどない。

 その湾を防衛するのは、ディードヤームを盟主とするミュゼット都市国家同盟の熟練の船乗りたちと最新鋭の艦船たち。


 対するオズマドラは海軍に関してだけは、良いところがまったくない。


 そんなわけで、たとえ二十万の寄せ手がいるとはいっても攻略は容易ではないのが、ヘリアティウムという都市なのだ。

 数千年の歴史を誇る古代文明:アガンティリスの都。

 そして、それが現代にまで残されているという現実は伊達ダンテではありえない。


 けれども、だからこそ、なんの工夫もなくオズマドラ側がこの戦いに臨むはずがない、というのもまた、アシュレたちには確信としてあったのだ。


 西方世界最強の城塞を打ち破るなんらかの方策。

 それが計略によるものなのか、暴力に属するものなのかは、わからないが。

 ただともかくも、アシュレには今日、この場でアスカが酔っぱらいくだを巻き絡んでくる理由がわかった。

 これまでの戦争とは桁違いの戦いになる、とアスカは警告してくれていたのだ。

 アシュレたちは心配されていたのである。


「我が軍と同道し、都を制圧してからゆっくりと探索する、というわけには行かんのかっ!」


 そんなアスカの提案はもっともだった。

 だったが……。


「ヘリアティウム攻略を任されたのが、アスカだけだったなら、そうしたかも。でも、そうじゃないんだろ。キミたち砂獅子旅団を先鋒としてトラントリムに送り込んだ大帝の意志は。オズマドラ本国軍二十万を率いているのはオズマヒム大帝本人だ。彼は、自分の《ちから》で“もうひとつの永遠の都”を奪いに来たんだ。それがなぜなのかは、ボクには想像することしかできない……ただ……」

「ただ、なんだ」


 襟首を掴んで迫るアスカに対し、淡々とアシュレは応じた。


「エクストラム法王庁が十字軍クルセイドを発布したこの時期に、世界の西と東を繋ぐ玄関口:ヘリアティウムを手中に収めようという大帝の本意が、単なる領土拡大欲や自己顕示欲であるはずがない」


 アシュレの指摘は静かだった。

 だったからこそ、アスカは言葉を続けられない。


「彼が凡人であるなら、単なる世俗の欲からでも行動を起こしただろう。でも、ちがう。違うと思うんだ。これまで長きに渡って──すくなくとも表向きは──オズマドラとビブロンズというふたつの国は比較的にせよ良好な関係を維持してきた。それをいまになって反故にしようというんだ。しかも東方の騎士、とまで謳われた名君が自分の側から、だよ? もちろん十字軍クルセイドのことはある。大義名分としては充分過ぎるほどの材料だ。でもそれは、表向きの理由なんじゃないかって思うのさ……」


 ごくり、とだれかが唾を飲む音をアスカは聞いた。

 それは自分自身のものだったことすら理解できないで。

 気がつくと聴衆は静まり返っている。


「表向きの理由……とは、どういうことだ」

「言っただろ、想像しかできないって」


 アスカはアシュレの襟首を、今度は両手で掴んだ。

 いっぽうのアシュレは酔いが醒めていくのを感じていた。


 ヘリアティウムへ向かうというアシュレたちの決断を責める彼女の言動のうしろに隠された、ほんとうの心の動きを、アシュレはこのときもう感じ取っていた。

 

 思えばオズマドラ本国から帰ってきたときから、アスカの言動にはすこし性急なところが見受けられた。

 なにごとも、ハキハキと、歯に衣を着せることなくものを言うのがアスカである。

 生来の勝ち気な性格もあるし、砂獅子旅団の前にあっては総軍指令だ。

 第一皇子としての振る舞いとしてハッキリと断定的な口調で話す傾向は、ある意味で期待され必要とされてきた役割でもある。


 ただ、だからこそ、どうにも不安定な……なにか大事なことを伏せたままでいるような。

 そういう印象を、ここ数日のアスカの言動から受けていたのだ。


 それが、この瞬間に確信に変わった。

 おそらくは、オズマヒムとの──父親との会見の席で、なにかあったのだ。

 そして、そのことを打ち明けられないままでいるのだ。

 アシュレに伝えたいのに、口にできずにいる。

 だから、こうして必死にアシュレを引き止めようとする。

 そうなのだ。


 でも、それをどのように聞き出せばいいのだろう。

 無理やり心の扉をこじ開けようとしても頑なになってしまうのが、アスカだ。

 漂流寺院での一幕でも、そうだった。

 キミはひとりになっちゃいけない、と指摘したアシュレにアスカは激昂した。

 

 だとしたら、ボクはいまここで自分の推理を口にしてよいものなのか?

 アシュレが思案した、そのとき。


 くたり、とアスカが倒れ込んできた。





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