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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
たれそかれ(第零話):「ジェリダルの魔物」
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■エクストラオーダー2:狂嵐の時代へと

「───ッ!!」


 ついに、レダは深奥の《ねがい》を叫んでしまった。

 そこで夢はめる。


 だが、叫びは本物だ。


 残響が、それをレダに実感させた。

 侍従に聞こえていたら、と思ったが、例のメイド作戦のために、彼らには休暇を申し渡している。


 特に今宵は魔獣退治の祝い酒で、近くの街はお祭り騒ぎだ。

 くり出した彼らが帰還するのは、どうしたって昼をまわり、午睡のあとだろう。

 防寒だけでなく防音の意味もある二重扉の間、そこにある侍従の待機用スペースには、人気もない。


 ほっ、とレダは息をついた。


 あんな叫びをだれかに聞かれていたら、まちがいなく自刃するところだ。

 ぐっしょりと寝汗をかいていた。

 いや、ほんとうはそれだけではない。

 取り返しのつかないほどに、ぬかるんでいた。

 ずくりずくり、と疼きがあった。


 大きく傾いた満月が、光をカーテンの隙間から投げかけている。

 夜明けまで、あと一刻もあるまい。

 

 汗を吸ってはりつく夜着を脱ぎ捨て、下着も解いて、レダはガウンを羽織った。

 あえて、前は閉じない。

 月光に照らして、確かめるためだ。

 アシュレに押された刻印を。

 そして、息を呑む。

 幻覚でも見ているのだろうか。

 いや、そうではなかった。

 それは、うごめいていた。

 とぐろを巻く蛇のように。

 あるいは、這い回る蟲のように。

 燐光を発しながら。

 

 そう、これこそが所有者の印章:インテークを生体に用いたことの副作用、その本質だったのだ。

 聖騎士パラディン:アシュレダウは、帰還とともにインテークを本来の所有者であるレダに返還した。

 それをレダも受け入れた。

 当然のやり取りだ。

 

 そのはずだった。


 しかし、それはあくまで人類社会的な意味でのやりとりに過ぎない。

 所有者の印章:インテーク本体は、真の主人とレダを認めていない。

 個人適合化パーソナライズによって、《フォーカス》の真の所有者として、道具・・に認められたのは、あくまでアシュレなのである。


 だから、道具は怒っていた・・・・・

 真の所有者ならざるものが、己を所有するということに。

 

 これは強力な聖遺物や、《フォーカス》では稀に見られる現象だが、不適格者を激しく拒絶するのである。

 警告するように発光し、無理に触れば電撃を食らわせるもの。

 鋭い刃を伸ばして、不敬の輩を罰するもの。

 あるいはごっそりと生気を奪い去るもの。

 そこまで過激とはいわずとも、適合しない使い手を拒むことは《フォーカス》の特徴でもあったのだ。


 そして、所有者の印章:インテークも例外ではない。


 早く本来の持ち主にそれを返還するよう「所有物」たるレダを脅迫していたのである。

 だが、深く《フォーカス》に携わってきたわけではないレダには、そこまでの事情はわからない。

 もし、聖遺物管理課に相談していたなら、理由は明白であっただろう。


 しかし、今回、アシュレにレダが託した依頼と措置は、あくまでプライベートなものなのである。

 こんなことが伯父である法王:マジェスト六世はともかく、枢機卿団に露見すれば、アシュレとその家門であるバラージェ家に、どのような累がおよぶかわからない。

 ただ、もう、だからこそ、相談できる相手は、アシュレしかいないとレダは思った。


 全身に残る尋問の余韻が、せき立てたというのも無論、ある。

 レダは文字通り、全身で思い知ったのである。

 自らが、どんなにアシュレを好いていたのか、を。


 夢のなかで、秘密を問い詰めてくるアシュレは、レダの心、押し込めた欲望、《ねがい》そのものだ。

 いけないコだ、と軽蔑されてしまうかもしれない。

 ふしだらな娘だ、と呆れられてしまうかもしれない。

 だいたい、女の方から男を訪うなど、この時代においては娼婦の振るまいだとされていたことだ。


 地位も名誉も尊厳も──わたしは捨てようとしている。

 でも、それでも。

 たとえ、すべてと引き換えにしても。

 告白しよう、と決めた。


 気がつけば、燭台も持たずに廊下に走り出ていた。

 絨毯じゅうたんの引かれたそこを、着衣の乱れも気にせず小走りに、アシュレの寝室に向かう。


 月明かりの最後の一片が、窓から差して行く手を照らす。

 勝手知ったる自分の屋敷を、レダは衝動に突き動かされるままに駆けた。

 ガウン一枚きりで。


 もう、失うものなど、ないのだから。

 情熱に身を任せるなど、いったいいつ以来だろうか。

 それはたぶん、幼き日、《スピンドル能力者》に覚醒しようとしていたアシュレが、その試練に高熱を発し、生死の境を彷徨さまよっていたとき以来だ。

 看病に付き添い続けたユーニスに、レダは己の胸中を告白した。

 アシュレを、あのヒトを愛そうと思う、と。

 もし、ユーニスが涙目になって、止めなければ、実行に移したはずだ。

 告白だけではなく、ほんとうにすべてを捧げて、アシュレの伴侶になっていたはずだ。

 けれども、そのとき、レダは気がついてしまったのだ。

 アシュレを想う親友:ユーニスの心に。

 身分差のせいで、決して報われないと知りながらも、ひとりの少年をひたむきに愛してきた彼女の心に。

 だから、説得されたふりをして、身を引いた。

 でも──あれから月日が経って、大人になったわたしは知ったのだ。

 レダは思う。

 もっと、ずっと気の利いたやりかたがある、と。

 わたしが正妻になったなら、ユーニスをアシュレがめかけに囲えば良い。

 ユーニスとであれば、わたしはアシュレを分かち合ってもかまわない。

 ううん、それはあくまで世間体で、毎晩、同衾どうきんすればよいのだ。

 ユーニスとであれば、ぜんぜんかまわない。

 むしろ、うれしい。

 後悔など感じない。

 わたしは、やっと、自分の気持ちに気がついたのだから。

 いつか、ワインのもたらす酔いの勢いを借りて語った夢物語のように。


 その覚悟が、運命を決定的なものにするなど、どうして、そのときのレダにわかっただろうか。

 ああ、もし、タイミングが、あとすこし、ずれていたら。


 レダが確認と思考に費やしていた時間の分を、行動に移していたら、運命はまた別の転がり方をしただろう。


 彼女がアシュレの部屋に辿り着こうとした瞬間だった。

 廊下の曲がり角に、明かりが見えた気がした。

 いや、それは錯覚ではなかった。

 思わずレダは柱の影に身を潜めた。

 

 その明かり、燭台で周囲を照らしながら歩いてくる人物がだれか、瞬間的にわかったからだ。

 

 使用人たちは、今宵は出払っている。

 だとしたら、もうひとりしかいないではないか。

 ユーニスに決まっているではないか。

 果たして、蜜蝋の明かりに照らされてあらわれたのは、外套を羽織ったユーニスだった。

 室内で外套、という組み合わせを最初は奇妙に感じたレダにも、すぐにその理由は納得できた。


 同じだ、自分と。

 アシュレに、捧げにきたのだ。

 自らを。


 そうレダが思い至った瞬間には、ユーニスはアシュレの部屋の扉をノックしていた。


 二回叩き、すこし待つ。

 三度めを鳴らそうとしたとき、扉は開かれ、アシュレがあらわれた。

 そして、こう言ったのだ。


「来ると思ってた」

「ごめんなさい──わたしは、聖騎士パラディンのいけない従者です」

 

 まるで、打ち合わせたかのように対して驚いた様子もなく、むしろとても自然にユーニスを自室に招き入れるアシュレの態度に、レダは衝撃を受けていた。

 

 だって、アレでは──ユーニスの夜這いを受け入れる算段だったのではないか。

 もし、自分が同じく行動していたら──きっと、まず戸惑って、お説教して、そのあとでようやく──。

 

 めらり、と自分でも理由の分からぬ暗い炎が、突然吹き上がるのをレダは感じた。

 足音を忍ばせ、部屋の前まで進む。

 

 鍵穴から明かりが漏れている。

 屈みこみ、レダは覗いてしまう。

 決定的な事実、隠されてきた真実を。


 ロウソクの灯は圧倒的な闇に対してはあまりに頼りなかったが、逆にそれがすべてを美しく残酷に、幻想的で絵画的に──すべてを映し出していた。


 アシュレとユーニスの関係を。


 そこにいた幼なじみは、レダマリアが知らないほど美しい娘だった。

 愛しい男の名を呼び、くりかえしくりかえし、献身的な永劫の隷属を誓う。

 祈りのように。

 聖性さえ感じさせる厳かさで。

 

 そこにいた幼なじみは、レダマリアの知らない精悍な青年だった。

 求めに応じ、美しい乙女を組み敷いて、主人として君臨するひとりの男だった。

 威厳ある声で、命じられれば、命じられた乙女は歓喜の表情で従う。

 

 人倫や道徳などという言葉・正論が色あせてしまうほど、それは圧倒的に美しい関係だった。

 あらゆる虚飾とごまかしを剥ぎ取られた関係──レダマリアは涙し、いけないと知りながらも、片時も目を逸らせない。

 

 嗚咽を左手で押さえ、右手でガウンの合わせ目を押さえる。

 そして、ついにあるとき耐えきれなくなって、駆け出した。

 自室へと、逃げ帰った。

 陽の光を歩めぬ悲恋であったとしても──結ばれることのできたしあわせな・・・・・恋人たちは、気がつきもしない。

 

 枕に顔を埋めて、泣いた。

 ずるい、とはじめて非難めいた言葉がレダの口を吐いた。

 ユーニス、ずるいよ、と。

 

 ふたりの関係はぜったいに今夜が初めてではない。

 だって、まるでずっとすっと一緒だったかのように、ふたりは合致していた。

 まるで長年連れ添った使い手と、使い込まれた名高きヴァイオリンのように。


 肉体が、というだけではない。 

 心が、だ。

 それは互いのことを、知り尽くした関係だ。


 ほんとうは、レダはそのことを祝福しなければならない。


 親友として。

 聖職者として。

 全イクス教徒の精神的支柱たる枢機卿すうきけいのひとりとして。


 それなのに、どす黒い感情が古い油のように涌いて、さらにそれが、くらい炎を燃え上がらすのだ。

 どうして、ふたりは明かしてくれなかったのか。

 いいや、許せないのはユーニスだ。

 黙っていただけじゃない。


 わたしに、説いたではないか。

 アシュレとの恋路を諦めて、法王を目指せと。

 わたしは、あなたのために、あなたみたいなコが、恋を成就できるようにしたかったのに!

 だから、わたしは、だから、わたしは我慢してきたのに!──それなのに!


 レダは叫びを押し殺して、枕にぶつける。


 行き場を失ったアシュレへの想いを、自分の指で処理しながら。

 そうして、その果てに意識を失う。


 果てた先で、また、夢を見た。

 

 あの夢だ。

 所有者の印章:インテークが見せる悪夢だ。


 ただ、内容がすこし変わっていた。

 より過激に、陰惨さを増して。

 だけど、それがよかった。

 アシュレにこうして欲しかったのだという想いが、戯画化され、増幅されて反映されていた。

 そこでのアシュレは、ユーニスのためのアシュレより、もっと冷酷で残忍で狡猾だ。

 まるで、峻厳しゅんげんで冷徹なのように。

 

 ぶつけられる質問は、先ほどより、ずっと剣呑で具体的で致命的だった。

 加えられる尋問には、容赦がなかった。

 レダ自身すら知らなかった弱点を、徹底的に突かれた。


 それが──たまらなく、うれしい。


 強く踏みにじられることは、強く所有されていると「確認できる」のだと、レダは知ってしまった。

 踏み方にも工夫が必要なのだと、わかった。


 そして、あの最後の質問だけは……同じなのだ。

 答えたら、終わりだと知っていた。

 だから、できるだけ答えを遅らせる。

 答えても、わざとちいさく。


 だって、そうしないと、アシュレとお別れしなくてはならないのだ。


 向こうの、現実の、 ユーニスのアシュレ・・・・・・・・・と対面しなくてはならないのだ。

 質問をくり返されるたびに、レダは自分がどれほどアシュレを好いてきたのかを、手酷く思い知らされる。

 肉体にピンを通され、タグづけされるように、はっきりと、だれの目からもわかるように。

 そして、もう、どうしようもなくなって、叫んでしまう。

 涙と唾液に濡れた表情で、おねがいします、おねがいします、と懇願こんがんしながら。

 絶対的な支配を望んでしまう。

 

 だが、目覚めれば、そこは己の寝室で。

 狂ってしまいそうなほど、肉体も心も、アシュレを求めていて。

 

 こんこん、とノッカーを叩く音がしたのは、そのときだ。

 寝汗と涙と唾液で、べったりとすべてがベッドに張り付いていた。

 ゆらり、とレダはベッドから濡れた身体を引き剥がす。

 べりべり、と粘液じみて音がするのではないか、と思ったが、それは妄想だった。

 

 ノックの主がだれか、はわかっている。

「どうぞ」と答える。


「レダ……えと、そろそろ、今日のご奉仕を」

 二重扉を潜ってあらわれたのは、変わらぬ笑顔を送ってくれる親友だ。

「ごめんなさい……なんだか、寝坊しちゃったわ」

 勝手知ったるなんとか、という感じで気後れした様子もなく寝室に入ってきて、カーテンを開け放っていくユーニスに背をむけたまま、レダは言った。


「レダが寝坊なんて、珍しい」

「怖い夢を、見たの」

  

 レダの告白に、ユーニスは一瞬、固まる。

 その声の冷え具合と、レダが視たという夢の内容を想像して。

 

「もしかして、アイツの──ジェリダルの魔物の夢?」

「そうなの。手酷く──いじめられてしまったわ」


 それで寝汗がひどくて。

 お風呂、浴びたいな。

 そんなレダの呟きを、ユーニスは拾う。

 

「じゃ、じゃあ、先に湯浴みにしようか?」

「ありがたいわ」

「だいじょうぶ、アシュレはまだ、ぐっすりだし! 汗流しちゃお!」

「ユーニスは、もう、沐浴すませたみたいな顔ね」


 まだ、一度も目線を交していないのに、ユーニスの様子を見透かしてレダは、言う。


「あ、バレちゃった? えへへ、じつわ、わたしも怖い夢見て」

「むりもないわ。あんなことがあった後だもの。わたしだって、飛び起きて、アシュレのところへ行きたかった」


 言いながら、微笑んで、その時ようやく、レダはユーニスを見た。

 瞳に涙を溜めて。


「レダッ?! どうしたの?! こわかったの?!」

「ちがうの、ユーニス。わたしは、やっぱりあなたが──あなたたちが、大好きなんだなって」

「??? どしたの、レダ?」


 疑いようもなく親友の無事を案じた様子でベッドに駆け寄ってくるユーニスに、小首を傾げてレダは応じた。

 涙を流して。

 

「どうしたの? どうしたの? レダ?」

「ううん──なんでもないの。ごめんね。ゆるしてね、ユーニス?」

「なにを? どうして泣いてるの? なんで、レダが謝るの?」

「わたしは汚れているなって、思ったの。でも、おねがい、許してね。せめて、夢見ることだけは」

「う、うん?」


 自己完結に泣いて微笑むレダにユーニスは困惑するばかりだ。

 けれども、レダがなにかに怯え、そして、罪の意識に苛まされていることだけはわかる。

 

「だいじょうぶ?」

「うん」

「お風呂入ろう? 寝汗で、ぐっしょりだよ?」

「うん」

「キレイにしよ?」

「うん──ねえ、ユーニス?」

「うん?」

「わたしが、アシュレに心をキレイにしてもらうのだけは、許してね?」


 その問いかけの意味を、にわかには理解できなくてユーニスは不思議そうな顔をしてしまう。

 けれども、そこは親友同士だ。

 たぶん、今夜みたいに悪夢に襲われたとき、助けてくれる騎士としてアシュレを想うことを許してくれ、と言われているのだと、納得した。

 それは正解に限りなく近いけれど、とても自分自身に都合のよい解釈だとは、思いもせずに。

 

 ふたりは連れ立って、湯浴みに向かう。

 

 だが、知らない。

 当人のレダでさえ。


 この日を境に、毎晩、いや、眠りに落ちれば必ず、理想の支配者を夢見ることになった少女が、いかなる偶然か、近い将来、法王の座を射止める運命を。

 そして、その選出の前日、彼女が思い描く「理想の実現方法」を得てしまうことを。

 レダマリアという娘の内にたわめられた想いを起爆剤に、注がれた《ねがい》を炸薬さくやくにして、巨大で取り返しのつかないパラダイムシフトが、引き起こされることを。

 

 ぎゃりぎゃりぎゃり、とどこかで鎖が巻き上げられる音がする。

 

 それは時代という名の狂嵐が、人々を弄ぶために吹き荒れる直前の前奏曲だ。

 動乱という名の、みじろぎ。

 破滅の胎児の胎動だ。

 

 そして、世界は、獰猛どうもうに姿を変えてゆく。

 



 たれそかれ(第零話):「ジェリダルの魔物」&エクストラオーダー   了


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