■第五夜:英霊の報復
ヒュゴッ、という空を切り裂く音は、後から聞こえたように思う。
それは相応のエネルギーが超高速で擦過した証拠だ。
次の瞬間、今回の占術に先立って打ち立てられた錦の社がバラバラに弾け跳び、空中で発火炎上し、光りの粒子となって燃え尽きた。
身代わりとなった社が吸収していなかったら、その後に襲いかかってきた衝撃波だけで、たぶん、戦隊は全滅していただろう。
「なんだあああ?!」
吹き飛ばされたイズマが回転草のように転がりながら喚く。
そのままゴロゴロ、と為す術もなく丘を転がり落ちていく。
「ぐっ、う、攻撃……だと?! どこからだ」
ふたりの土蜘蛛の姫巫女を身体の下に庇ったノーマンが、降りかかってきた土くれを払いながら半身を起こす。
「きゃあああああああああああああああッ!!」
「大事ないか、スノウ?! アテルイ?!」
「ふたりとも、怪我はない? 無事かい?!」
半夜魔の娘:スノウと新妻となったアテルイを真っ先にかばったのはシオンだ。
その上にアシュレは覆いかぶさり、跳んでくる土くれに混じる石から女性陣を守る。
衝撃で頭がくらくらするし、キーンと耳鳴りがするが──大丈夫だ、なんとか全員生きている。
「なにが、起ったんだ……」
頭を振って、唸る。
ショックから立ち直りながら身を起こしたアシュレの視界に飛び込んできたものは、想像を絶する光景だった。
吹き飛び、抉られていた。
地面が深く、クレーター状に。
社など跡形もない。
「なんだ、これ……」
「アシュレッ、後だッ!! 上空にいるぞッ!!」
地に伏せるような構えで足下にエレとエルマを庇いつつ、いち早く戦闘態勢を整えたノーマンが警告した。
アシュレも身構えながら振り返り、上空を仰ぎ見る。
日輪を背に、それは立っていた。
六枚の翼を広げた姿。
美しい女性の裸身は光。
輝きによって青く染め抜かれたイクスの旗が、かろうじてその身を隠すだけ。
しかし、その顔は仮面に覆われて。
全身から立ち昇るのは、聖なる怒りのオーラ。
それがこの破壊を引き起こした元凶だった。
「天使……いや……」
アシュレはその姿に強力な既視感に襲われた。
自分は彼女を、いや、彼女が身に着けた仮面のことをよく知っている気がしたのだ。
あの特徴的なデザインが、この世にふたつとあるわけがない。
「まさか……予知の銀仮面:セラフィム・フィラメント……じゃあ、あれは……」
同じ動揺に戦闘態勢を敷いたままだが、ノーマンが硬直していた。
「ダシュカ……なのか」
言葉になりきらない呻きが、その唇から漏れる。
「ちがう、よく見ろ、ノーマンの大将! あれはダシュカちゃんじゃないって! バストサイズとか、ヒップラインとか、全然違うじゃん! 別人二十八号ですよ! あれは、あれは──予知の銀仮面:セラフィム・フィラメントが引き起こした対超常的捜査の報復攻撃だッ!!」
転がっていった丘の下から駆け戻りつつ、とんでもない事実を織り交ぜてイズマが指摘した。
サイズとかラインの話はともかくも——たしかに、とアシュレは思う。
仮面の印象が強すぎてわからなかったが、彼女の肉体の作りはダシュカマリエのそれよりも明らかに筋肉質に見えたし、背丈もある。
あれは枢機卿や高位聖職者の肉体ではなく、専門的な戦闘術・戦技を体系的に学んだ騎士の体つきだ。
それに加え、彼女の肉体は半透明の光の粒子で構成されており、消耗を示すように明滅を繰り返していた。
なるほど、イズマの観察眼は圧倒的に正しい。
ノーマンがふたたび、呻いた。
「——報復攻撃、だと?!」
「言ったっしょ、超常的捜査には返し技が張られている場合があるって! これはそのひとつだよ! しっかし、ここまで露骨に強烈なヤツは久しぶりだネ。英霊兵器タイプかッ!!」
ノーマンとは距離を置いた位置で宙に留まる天使を睨みつけ、懐を探りながらイズマが言った。
「英霊兵器?!」
「物語化され理想化された存在、って言ったらわかる? フラーマの漂流寺院でアシュレも見たっしょ。アスカちゃんが呼び出した空を舞う騎士たちの群れ。アレと同質のもんだよ。普段は《フォーカス》とかに封じられていて、条件が揃うと発動する……たぶん、コイツは自動報復型だ。ボクちんたちの占術がイリスちゃんの居所を探るとき、なんかの拍子に引っかかったんだな——予知の銀仮面:セラフィム・フィラメントの警戒網に」
イズマの言葉にアシュレは占術の一場面を思い出している。
そうだ、たしかイリスを示す真珠は最後の場面で竜の鱗と、気味の悪い小人用の銀仮面に当たって弾かれた……。
「まさか」
「まさかと思うかい?」
驚愕の表情を浮かべるアシュレを、イズマのひとつ目の眼光が貫く。
その間にも、戦隊には動きがあった。
「イズマさま、わたくしと姉さまで仕掛けますッ!!」
「エルマッ!! タイミングを合わせよッ!! いくぞッ!!」
いつのまにかノーマンの庇護下から這い出したエルマとエレが、懐から触媒を立て続けに放ちながら、結印する。
青黒き美しい光沢を放ちながら、触媒であるなにかの蛹が宙を舞う。
そこから、ざああああああああああああああああああああ、という音とともに真っ黒な羽根を持つアゲハ蝶が飛び立ち、セラフィム・フィラメントが差し向けたのであろう英霊へと襲いかかる。
エルマとエレ、土蜘蛛の姫巫女たちが得意とする呪術系攻撃異能だ。
「うまいぞ! なかば概念存在である英霊には物理攻撃は効果が薄いんだけど、呪術系の異能ならば無効化されない!」
英霊の動きを油断なく注視したまま、イズマが姉妹の手並みを褒めた。
英霊は鱗粉を放ちながら迫り来る呪術の羽根を嫌うように避け、光弾を放ってはこれを迎え討つ。
上空から立て続けに打ち込まれる光の矢に漆黒の蝶たちは焼かれ、英霊には到達できない。
それでも、イズマの目は、光弾を放つたび英霊の肉体が明滅の間隔を早めていることを見抜いていた。
土蜘蛛の姫巫女たちの呪術攻撃が、これを迎撃しようとする英霊の《ちから》を確実に削り取っていっている証拠だ。
エネルギー体である英霊は技を放つたびに己自身を消耗していっているのだ。
無効化できる攻撃であれば無視するはずで、これは要するに呪術攻撃が通用することの証左にほかならない。
たとえこちらの攻撃が届かなくても、これならば相手を消耗戦に持ち込むことができる。
だが——「よし、いいぞ」とイズマが呟いた瞬間だった。
英霊は土蜘蛛たちの意図を察したように反転すると、呪術を用いたふたりの姫巫女に報復の対象を定め、急降下を始めた。
「まずい!」
「むっ、いかんッ!!」
その動きに反応できたのは、イズマとノーマンだけだった。
駆け出しかけたアシュレの袖を掴んだシオンとアテルイの行動は正解だった。
英霊兵器の動きとそれがもたらす破壊のこと、そして、いま自分たちがおかれている状況を女たちは正確に把握していた。
そう——《閉鎖回廊》の主として君臨したユガディールを退けた以上、トラントリムではすでに《スピンドル》を軽々と扱うことはできない。
ここはもう超常の理が支配する人外魔境を脱し、人類圏に取り戻された場所なのである。
だからこそ、強力な異能を駆使すること自体が難しい。
エレとエルマという卓抜した使い手が異能を行使するにあたり、貴重な触媒を投じ、さらにふたりがかりで結印しなければならなかった理由は、そこにある。
イズマの占術にしても社の建立や、戦隊の意思統一などの下準備が必要だった背景も、やはり同じくだ。
であるにもかかわらず、いままさに音速を超えて迫ろうとする英霊だけが制約なく動けるのは、彼女がすでに発動された異能=現象であるからなのだ。
だが、その理屈を言葉で説明するにはあまりに刻がなかった。
「虚滅の流転で消滅させるッ!!」
自爆覚悟の正面攻撃を仕掛けてくる英霊に対し、前に出ながらノーマンが叫ぶ。
しかし、両腕を成す浄滅の焔爪:アーマーンの展開速度は、やはり鈍い。
「ノーマン大将ッ! いまのキミじゃそいつは難しいッ!!」
姫巫女ふたりをかばおうとするノーマンに、イズマが警告を飛ばした。
普段であればこの程度の攻撃を躱してみせることくらい、人間の男にかばわれるまでもなく、土蜘蛛の姉妹ふたりには容易であったろう。
ノーマンの援護は余計な手出しと一蹴されたはずだ。
けれども、今回ばかりは勝手が違う。
姫巫女たちは強力な呪術系攻撃を放ち終えた直後。
防御用の異能を発動させようとしても、《閉鎖回廊》でないここでは、もはや充分に《スピンドルエネルギー》を練ることもできない。
膝をつき、互いを守るように地面に伏せるだけで精一杯。
無防備なのだ。
そして、弾体と化した英霊の突撃はすでに致命的な速度に達していた。
避けることなど、もはや不可能なほどに。
浄滅の焔爪の展開をなんとか終えながら、ノーマンは極度の集中が生み出す停滞した時間のなかで考える。
敵は英霊。
それも肉体そのものを武器として用いるエネルギー攻撃。
思えばこれこそが、先だって社を吹き飛ばした一撃の正体であったのか。
あのレベルのエネルギー塊をこれほどの高速で受けたなら、今度はノーマン自身どころか、いま背後にかばった姫巫女ふたりの命も消し飛んでしまうだろう。
先だって引き起こされた甚大な被害を思い起こしながら結論する。
「させんッ!!」
ぐっ、と踏ん張り、ノーマンは己の両腕に《スピンドル》を伝導する。
が、やはり。
重いッ、と《スピンドル》の回転を感じた。
これは、まずいぞ——ノーマンは内心、毒づく。
あらゆる物質・現象を、たとえそれが呪術のようになかば精神面に属するものであろうと一瞬で消し去る虚滅の流転。
いまその技のための《スピンドルエネルギー》を溜めるには時間が足りなかった。
いっぽうで自滅を厭わぬ敵の速さは、異常と言ってよい。
これを撃墜するのもはやは絶望的というのが正しい判断だろう。
では、いかにすべきか。
ノーマンには、もうひとつだけ選択肢があった。
それはいますぐ身を翻し、己だけは破壊の輪の外へと転がり出ることである。
迫り来る破滅を眼前にしては、ある意味でこれこそが選ぶべき答え——正解だったのだろう。
けれども、己の理性が下した冷徹な判断を、ノーマンは笑い飛ばす。
「そんなことができるかあああああああああッ!!!」
脳裏を過った考えを一喝にて粉砕し、カテルの騎士は英霊との激突に立ち向かった。
激突の直前、ようやく持ち主の《意志》に応えるように《スピンドル》を伝導された浄滅の焔爪:アーマーンが唸りを上げる。
無防備な婦女子をおいて逃げる騎士がどこにいるッ、という思いがオーラとなり迸る。
「旦那ッ、そいつはあんまりに無茶だよッ!!」
そんなノーマンの戦いをイズマは無謀だと評した。
評しはした、が。
「でも——それ、正解ィイイイイイイイッ!!!」
だから、カッコイイッ、と言い切る。
そして、腹を括り終えたノーマンが虚滅の流転射出の体勢に入るのと、イズマが懐から手を抜き放ち、輝く糸の奔流でもって英霊をからめ捕るのは、ほぼ同時だった。
「幽滅の縛鎖ッ!!」
からめ捕った相手の本質を攻撃するという銀糸だが、すでに音速に達した英霊の持つ全エネルギーを減衰しきることはさすがに不可能だ。
このタイミングではわずかな遅滞を引き起こし、衝突時のエネルギーを分散させるのが関の山。
しかし、それでよかった。
そのわずかな遅滞、一瞬をノーマンは待っていたからだ。
「おおおおおおおおおおおおおおッ!! 虚滅の流転ッ!!」
ノーマンの口から雄叫びとともに異能の名が放たれる。
漆黒の稲妻をまとった右腕が振り抜かれ──次の瞬間、もうそこにはなにも残されてはいなかった。
 




