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■第二夜:草薫る草原で

         ※


「これは……いったい、どう解釈したらいいんだろうネ」

 困惑気味に指を彷徨さまよわせ一同を見渡したイズマには、だれからも返答がなかった。

 

 季節は四月もなかばをとうに過ぎた。

 オーバーロードと化した夜魔の騎士:ユガディールを下して、三週間ばかりが過ぎようとしていたころである。

 

 覆い被せられていた糖衣が引きがされ、あらわになった世界の内臓のごとき塔の上。

 そのテラスでの死闘の果て。

 ユガディールから《ねがい》の供給を受け、“再誕の聖母”としての完成に近づいたイリスベルダは、いずこかへと飛び去った。


 あの戦い──理想の騎士となったユガディールと“庭園ガーデン”より召喚されし自動騎士たち、そして、理想郷の《ちから》を振うイリスとの戦いを潜り抜け、さらには崩れ去る塔からアシュレたち戦隊が生還できたのは、奇蹟と言うほかなかった。

 互いが互いをかばいあい、護りあい、死力を尽くすことによって、なんとか崩落する塔からの脱出を果たすことができた。

 

 本来であれば、即座に飛び去ったイリスを追跡すべきであっただろう。


 だが、それはほとんど不可能と言ったほうがよかった。

 すくなくとも、まったく現実的ではなかった。

 それほどに彼ら戦隊が負った傷と消耗は凄まじいものだった。


 ユガディールの張り巡らせた《閉鎖回廊》での死闘は、英雄たちを極限まで疲弊させていた。

 帰還した後、主君であるアスカを追って駆けつけた“砂獅子旅団”の天幕で、戦隊全員が療養の日々を送るほかなかった。

 ある者はこんこんと眠り続け、ある者は異能と“理想郷ガーデン”で受けた精神的な傷に苦しみ、あるいは物理的な傷の治療に専念することが要求された。

 貴重な霊薬エリキシル貴石ジェム蕩尽とうじんしても、彼らを癒すにはこれほどのときが必要だったのである。


 それで、やっと今日この場を設けることができた。

 

 あの夜以降、ようとして知れないイリスベルダの行方の捜索方針、そして、今後の戦隊の行動方針についての意見交換をするためである。

 なお、オズマドラ第一皇子であるアスカリヤと“砂獅子旅団”の中核メンバーは、オズマドラ帝国本国へ出向いての報告や、本国から送られてくる駐留部隊との引き継ぎ作業のため、今日この場にはいない。

 

 それゆえ、この場を囲む面子を列挙すれば、

 

 カテル島から駆けつけてくれたノーマンとバートン。

 土蜘蛛の姫巫女:エレとエルマの姉妹。

 そこにイズマ、アシュレ、シオン。

 加えて、なぜか占領国となったトラントリムの住民代表という顔でアシュレの横に座る夜魔と人類とのハーフブラッド:スノウメルテという陣容となる。

 

 この場を設けたアテルイには、同じようでいて個々人それぞれですこしずつ異なる戦隊の意思確認をする機会が、そろそろ必要だという考えがあったのだろう。

 夫であるアシュレの内心の動きが、彼女にはよくわかっていたのだ。

 表向きは互いの生還と奮闘を讃えるささやかな酒宴という名目でだが……実際は違う。

 

 ともかく、トラントリムの廃虚を見下ろす草原の丘の上で話は展開する。

 

 日差しは柔らかく、野を渡る風は爽やかであったが、議題は重い。

 口火を切ったのはノーマンである。

 アテルイお手製の食事をそれぞれがひと通り平らげ、食後の茶が供された頃合いのことだ。

          

「アシュレ、実はだがな……オレは一度、カテル島に戻ろうかと考えている。聖務の顛末てんまつを報告しなければならんし、トラーオやセラのこともある」


 ノーマンからの申し出は単刀直入であった。

 宗教騎士団の男としてはしごくまっとうな、わかりすぎるほどにわかる理屈である。

 

 申し出がそれだけであったなら、アシュレは返答に、もうすこし言葉を選んだだろう。


 だが、ノーマンの言葉には性急さが、つまり焦りの色が見えた。

 決別の宣言にも聞こえるほどに。

 気がつけばアシュレは強い言葉を使っていた。


「ノーマン。正直に言います。いま、カテル島へとあなたが向かうことにボクは同意できない。いや、もし、あなたがどうしても帰還を果たそうというのであれば、力づくでもあなたを止めなければならないとまで、ボクは考えています」


 アシュレからの硬い返事に、ノーマンは沈黙した。

 やはりそうか、という表情。

 無論、納得のそれではない。

 場合によっては実力に訴えかけてでも己が信念を通す、という意味での沈黙である。

 

 だからといって、殴り合いをしようというのではない。

 

 ノーマンの能力であれば、単身、オズマドラの幕舎を抜け出すことなど朝飯前であったのだから。

 黙って出て行こうとすれば、そして、彼が本気でそれを行動に移したなら、これを阻むことは相当に難しかっただろう。

 つまり、アシュレに向けられた言葉は彼なりに筋を通そうとしてのことだったのである。

 もちろん、それはアシュレにしても先刻承知のことだ。

 

 ノーマンに向き直り、説いた。

 情理を尽くすべく。


「彼女は……イリスベルダはかつてボクたちが思い描いていた聖母なるものとは、まるきり別の存在へと変じてしまいました。あなたがたが聖務と志を胸にカテル島を旅立ったときとは、もう状況は完全に変わってしまっている。逆転したと言っていい」


 アシュレの言葉は苦かったが、正しかった。

 ノーマンは過日の決戦の最終局面において、アシュレたちを助けるために飛び込んできてくれた。

 それは、ユガディールと対峙するためにほかならなかった。

 だが、結果としてそれは、ユガディールと結び、完全体へと昇ろうとする“再誕の聖母”──イリスの猛攻を阻むことにも繋がった。


 よく考えるまでもなく、ノーマンの当初の目的はまったく違っていたはずだ。


 彼が帯びた聖なる任務とは──アシュレたちを発見し合流するという以外に、ユガディールに拉致された聖母:イリスを奪還することだった。

 それが数奇な旅の果て、辿り着いた局面に降り立った途端。

 立場は完全に逆転していた。


「まさか……あのような展開になるとはな」


 アシュレの指摘に、動揺を隠し切れず、ノーマンは言った。

 自分たちカテル病院騎士団が希求し続けてきた存在──“再誕の聖母”との予期せぬ決別を体験したのだ。

 無理もあるまい。 


「あのときは、まずアシュレ、オマエに加勢することに迷いはなかった。だが……」

 最終決戦の光景を思い出しながら、ノーマンが言った。


 トラントリムを巡るユガディールとの戦いのなかで、“再誕の聖母”:イリスベルダは変貌した。

 世界を救うとうたう、救済者として。

 この世に“救世主”を産み落とす《ポータル》として。

 世界から悩みの根源──《意志》と《スピンドル》を消し去る者として。

 

 あの姿を見たとき、ノーマンのなかを吹き荒れた感情の嵐を、ひとことで説明することは限りなく難しい。

 並の男なら自失呆然となっていても当然だっただろう。


 しかし、ノーマンは違っていた。


「あの方は……“再誕の聖母”は、イリスさまは変わられた。アシュレ、おまえの言うように。いや、それとも最初から本質的にはそうだったのか。これはすべて仕組まれていた出来事だと。我々が永きに渡って信じ続けてきた《救済》とは……《意志》を、《スピンドル》を、この世界から消し去ることだと、そうだというのか」


 ひとつひとつ言葉にして、整理をつけながら、迷い、悩みながらも答えを出した。

 それはノーマンが《意志》を手放さない人間だったからできたことなのだ。

 あるいは同じ苦渋を、アシュレもまた感じているのだと、わかっていたからなのかもしれない。

 愛した女と対峙する、という決断の意味を。


 ただ──ノーマンの出した答えは、アシュレのものとはすこし異なっていた。


「いや……だとしたら、オレはなおさらに確かめなければならないのだ。真実を。イリスさま……“再誕の聖母”とはなにものなのか。あるいは彼女の言う《救済》とは。オレたちが信じてきたものとは。それらすべての結末に、オレは立ち会わねばならない。そして……ダシュカ……いまや“再誕の聖母”と心を繋いでしまったアイツが、どんな状態でいるのか」


 吐き出されたノーマンの真情に、アシュレは唇を噛んだ。

 そう、たしかに。

 聖母再誕の儀式を経て、カテル島大司教:ダシュカマリエは、“再誕の聖母”と心を繋いでしまった。

 これが単純にダシュカマリエの体験を、“再誕の聖母”となったイリスベルダが共有できるという意味なのであれば、まだすこしは救いがある。

 

 しかし、アシュレはすでにカテル島での聖母再誕の儀式のクライマックスにおいて、そして、過日のユガディールとの決戦においてイリスがどのように振る舞い、ヒトの心を操作するのかを目のあたりにしてしまっていた。


 その“再誕の聖母”と心を直結しているということは──帰還を果たしたところで、ノーマンの前に現われたダシュカマリエが、以前と同じ人格であるという保障はどこにもない。

 だが、これまで騎士として人前で「大司教」、どんなに砕けても「ダシュカマリエ」という呼び方に拘っていたノーマンの口から「ダシュカ」という愛称が漏れたのを、アシュレは初めて聞いた気がした。


 ふたりの婚約を、やはり同じく知るアシュレである。

 愛称に込められた想いは痛いほど伝わった。


「やはり、オレは行こうと思う」


 固めた決意を再確認するように言うノーマンの手に掌を置き、押しとどめるのが精一杯だった。

 ノーマンが驚いたように目を見開く。

 それから微笑んだ。

 アシュレの手に込められた力の強さが、言っていたからだ。


「行かせない」と。


 瞬間、ふたりの間で《スピンドル》が渦を巻いた。

 行くと決意した男に翻意ほんいを促すというのであれば、それはもう実力を持ってほかない。


 むかしのアシュレであれば、ここまでしなかったはずだ。


 だが、過去、よく似た局面で選択肢を突きつけられたアシュレは、判断を誤ったことがあった。

 廃王国:イグナーシュへと逃げ込んだ聖遺物強奪犯を追って乗り込んだときだ。

 あのとき、同道すると言い張った聖堂騎士や従士たちをたしなめていたら、彼らやユーニスが命を落すようなこともなかったはずだ。

 それはつまり、いま、この状況には至らなかったのではないか、という話でもある。

 

 ぎしり、とノーマンとアシュレの間で空気が軋む音がした。


「あー、ちょいまちちょいまち! ノーマンの旦那。決意は立派だし、それなりに考えあってのことだとは思うけど、いきなりはまずいって。もうちょっとだけ、もうちょいだけまちなって!」


 あわや一触即発の事態か、というような場面に飄々ひょうひょうとした声が割り込んできたのはそのときだ。


 両手いっぱいなだけでは飽き足らず、うしろに付き従うエルマにも大荷物を持たせての登場。

 土蜘蛛王:イズマが絨毯へと荷物を下ろし眼帯を掻きながら言った。


「行動を起こす前に占いしようって言ったじゃんか。だから、ボクちんたち、ごはんもそこそこに道具を取りにいったんでしょーが?」


 ネ? と重たい荷物から解放された喜びを表すように伸びをしながら、イズマは笑った。


「いまこの世界で最高の占い師と、姫巫女が占ってあげようって言ってんだからサ。それを見てからでも遅くはあるまいよ」


 ねえ、諸君、と。




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