■第一一一夜:絶望の城壁を超えて
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流し込まれる凄まじいサイズのエネルギーが、楽園を崩落させてゆく。
「来たのか」
崩壊してゆく偽りの理想郷の景色の前に立ち、ユガディールが言った。
あの騎士の理想を模した半馬人の姿ではない。
トラントリムを数百年に渡り守護し続けた、本当の英雄としての姿で。
いつか、“庭園”の向こうに去ってしまった、ほんとうの彼として。
自らの足で、立って。
この再会を可能にした相手に問うた。
「わたしを、責めに──アシュレ」
「いいや、ちがう。違います。ユガ、わたしは──ボクは伝えに来たんです」
愛馬:ヴィトライオンの背から降り立ち、アシュレは言った。
輝きを──《魂》を、胸に宿して。
初めて見る光景のあまりの荒漠さに、思わず感想しながら。
「ここが“庭園”なのか──なにもない」
「それはちがうぞ、アシュレ。キミが消し飛ばしたのだ。その胸に宿る輝きで」
アシュレの口から漏れた、あまりにも牧歌的なセリフにユガは苦笑する。
「ボクが、消し飛ばした?」
どういうこと、です? とアシュレは問う。
それはね、とユガは答えた。
「《みんな》の“諦め”をキミが灼いたからだ。ありえない、辿り着けるはずがない、すくなくとも自分には──だから“無いものだ”と思い込み、可能性を手放した。考え続ける苦痛=《意志》と引き換えにしてね。なのに、そうやって得られた約束の地、永劫の楽園に、キミが持ち込んできたからだよ」
ソレを、とユガはアシュレの胸に輝く《魂》を指して言った。
「ソレは“ある”と、キミは実証してしまった。はっきりと、ごまかしようもなく、 あるんだ、と。いまも証明し続けている」
残酷な男だな、とユガがまた苦笑した。
ちっとも責める調子ではなく。
意味がわからない、という様子のアシュレに、また微笑みながら。
弟の成長に目を細める兄のように。
それで、と続けた。
「わたしを責めに来たのではない、とキミは言った」
伝えに来たのだ、と言ったね?
なにを、かな?
ユガは訊く。
はい、とアシュレは返した。
「ボクの答えを。いま、現時点のものですけれど」
その率直さに、ユガは呆れるしかない。
答えを、とキミは言うけれども。
伝えるもなにも、とユガは両手を広げてアシュレを受け入れる。
「こんなに輝いていては、一目瞭然じゃないか」
到達したのだな、キミは。
《魂》の秘密の次の段階へ。
「教えてくれ、アシュレ」
見れば分かる、と先ほど、わたしは言ったね?
でも、あえてキミの口から聞きたいんだ。
弟の成長報告を心待ちにする兄の口調で、ユガが言った。
はい、とアシュレは頷く。
それから、そっと耳打ちした。
なるほど、とユガも頷き、笑みを広げた。
どこか儚げな。
「そうだったのか。……では、なおのこと、わたしの行いは誤りだったのだな」
わたしは一縷の望みを託したつもりだった。
この界を包む“庭園”の果てにまで辿り着けば、どこかにソレの秘密があるのではないか、と思っていたのだ。
だが、ここにソレはなかったようだ。
キミの輝きに《みんな》が見せる狼狽が、すべてを物語っている。
「結果として、わたしはキミたちをひどく苦しめただけなのだな」
謝って許されることではないが。
すまなかった。
そっと膝をつき頭を垂れるユガに、アシュレは手をさし出す。
ちがいます、と。
「ちがいます、ユガ。そうじゃない。ボクたちがここへ来れたのは、あなたの歩みのおかげなんだ。ううん、それだけじゃない。何百年も、何千年も、いったいいつからボクらの世界がこうなってしまったのかわからないけれど──その長い長い刻の流れのなかで、きっと必ず、あなたやボクらみたいに、世界の秘密に迫ろうとしたヒトたちがいたはずなんです。《魂》の実在を信じて。この世界にだれかが勝手に築いた絶望の城壁──“諦め”を打ち破ろうとしたヒトたちが、いた」
この程度だぞ、って。
オマエたちは行けないんだぞ、って。
限界だぞ、って。
どんなに考えて、試して、挑んでも、到達なんてできやしないぞ、って。
だから、諦めろ、って。
黙って従え、って。
囁く声に、抗って。
「だが、わたしは、すくなくともわたしは、アシュレ、勝てなかった。絶望に」
「だけど、残してくれた」
忘れたんですか?
あなたが生涯を賭けて書き記してくれた手稿がなかったら、ボクはこんな手を考えつきもしなかった。
世界の秘密の一端にやっと触れるだけで、生涯を終えていたかもしれない。
「さっき話したじゃないですか」
「《魂》は所有することはできはしない。個人では、生じさせることも、できない。それは、ヒトとヒト、世界とヒトとの関係のなかでしか生まれない」
「ヒトとヒト──《意志》と《意志》のぶつかり合いの間に生じる火花。矛盾だらけの残酷な世界を炉に、白熱するまで高められた心と心が、打ち合わされて生じる現象=《スピンドル》の、その先に」
それが──《魂》。
だから。
あなたの遺志が──《意志》が、ボクを導いてくれた。
「迷っただろうに」
ここに来るまでに、とユガはアシュレを労った。
「でも、それこそが《意志》の正体ですからね」
悪戯っぽく、アシュレが返す。
まいったな、と立ち上がりながらユガが浮かべた笑みには、もうあの陰りはない。
「まずはワンゲーム取り戻しましたよ?」
アシュレはすこしだけ得意そうに言った。
食客としてトラントリムに滞在した日々、なんども手合わせしたチェス・サーヴィスのなかで、アシュレはユガからついに一本もゲームを取れなかったのだ。
はっはっはっ、とついにユガは声にして笑う。
「歴史的大敗だね、これは」
だが、こういう負け方なら、悪くない。
うん、ぜんぜん、悪くないね。
「約束を、果たしましたよ」
あなたを、助けるという。
アシュレの言葉に、ユガは頷く。
救われたよ、と。
それから、訊いた。
征くのかい、と。
はい、とアシュレは頷いた。
アテルイの裸身を抱いて、馬上のヒトとなって。
「ボクたちの戦場へ──責任を取りに。かつて、あなたが、そうしたように」




